昨朝、マッサージをしていたときだったか、「あれ、ちょっと熱があるんじゃない?」と思ったが、叔父本人は「熱、ないと思うよ」の返事。しかし、その後の検温で、微熱があることがわかる。そして午後からは「微熱」の程度を超えるほどの熱が。どうしたんだろうなぁ。(ちなみに、病院と同市内に住んでいる叔母二人は毎日、見舞いに来ている。T子さん不在のなか、彼女たちがいて、わたしは気持ち的に助かった)。夕方になっても熱は下がらず、心配のため、昨夜も病院泊まり。▼ところで過日、この叔父は、救急車で運ばれる前、「クロスワードパズル」の本、そして「それ用」のペンを、病院に持っていくことを指示していた。あっ、あとラジオも。「体はこんな状態なのに、この余裕はなんだ!」と驚いてしまったが、昨夜は昨夜で驚いたことがあった。▼「熱が出たのは、前の晩、雑誌や漫画を読み過ぎたせいじゃない?」と思い至り、「今夜は読書禁止ね」と叔父に言い渡したところ、「せめて、あの駅弁特集の切り抜きを・・・」と、彼は所望するのであった。(一昨日、雑誌の「駅弁特集」を繰り返し、長い時間、嬉しそうに読んでいたというか眺めていた叔父。そして昨日は、雑誌から「駅弁特集」の頁を切り抜きさせられたのである)。「眺めているだけだから。これなら字を読まない(から疲れない)」とのこと。ほほっー。もともと、「おいしいものを食べる」幸せ指数の高い人であるが、この入院生活のなかでも、その器が健在だとは、驚きであり、感心である。そして昨晩、枕の近くに「駅弁特集」の切り抜きを添え、叔父は眠ったのであった。▼昨夜のうちに熱は下がり始め、今朝は平熱に。良かった。午後、T子さんもこちらに戻ってくる。
最近病院には、来年、看護師の国家試験を受けるという学生さんが実習に来ている。叔父の担当になったのは、初々しさあふれる、可愛い女の子。その学生さんに、叔父は「なんとかがなんとかしてはいけないのはどうしてか?」、わたしにとってはちんぷんかんぷんな病理学の質問をしている。この叔父は生物関係の学者で、ま、そのスジの問題にも精通しており、学生さんの試験対策の助けとなるよう、鍛えているというか、遊んでいるというか。ところで、それとは別に、我が親戚には薬剤師が多く、看護師さんの目の前で、みなで叔父に投与される薬の話をしたり、また叔父自身も、「体のなかのなになにが不足しているから、これこれの症状なのだ」と自分の体調を分析したりと、それだけを書けば「医師や看護師に嫌われかねない」患者および親戚なのだけれど、みな、それを百倍跳ね返すくらいの、穏やかで常識的で、かつまったく出しゃばりでない、特に叔父などはユーモア度の高い人柄なので、病院側から嫌われてはいないと思う。しか~し、まあ、排便の有無を尋ねる看護師や学生さんに(有無を尋ねるのは仕事の一環)、いちいち、太さを指の輪っかで示し、長さまで報告するあたり、などなど、病院側にとっては「ちょっと変わった」患者であることには間違いなかろう。
午前中、歯医者の前に、病院へ。まもなく、イトコのHちゃん来る。本日、叔父の奥さん・T子さんが関東の自宅に荷物をとりに戻ったため、付き添いのいない時間帯を心配した(「午前中は歯医者」と言っていたわたしの予定を考慮して)、Hちゃんの母(叔父の姉)が病院によこしたらしい。この日記にはいちいち記さなかったが、フリーの身であるわたしは、ときどき、T子さんに代わって病院に付き添っているのである。◆レンタサイクルで歯医者に行ったあと、再び病院へ。Hちゃんと一緒にお昼を食べる。そこで「もう付き添いって、いらないよねー。トイレは一人で行けるし、そうそう必要とされることもないしねー」と言い合う。実際、病院側からはもう付き添いはいりません!と言われており(そもそも完全看護の病院なので、「付き添い」はこちらからお願いをして、させてもらっているのだ)、病室だって、すでに一般病棟の個室に移っている。ただわたしは、T子さんが連日の泊まりこみは大変だろうから(T子さんが叔父を心配をする気持ちはわかるから。つまりは、ここまで快復した叔父を心配してというよりも、T子さんの負担が軽くなればいいとの思いから)、こうやって付き添いに来ているのだ。◆しかし結局、なんとなくの流れで、この日も病院泊まりとなったのであった。
かつて
「あなたの苦しみの原因はどこにあるのですか」と
さる老師に聞かれたとき
「わたし自身のなかにあると思います」と答えたら
「ならば解決の源も、あなた自身のなかにあるのですよ」
と、老師はおっしゃった。
そのやりとりに、わたしはみじんも疑問をもっていない。
ただわたしは<自分>という執着から逃げられないでいるのだ。
<自分>あるいは<自分の感情>という執着から。
他の人がストレスのかけらとも思わぬような事々が重荷で、
イライラし、苦痛を感じ、負の感情に自縛してしまう。
そしてそれが雪だるま方式のさらなるストレスを生み、
いとも簡単に
「なにもできない、動けない、息をしてるのがやっと」
(そのときそこに伴う感情は苦しみの仲間ばかり)
に転落してしまう。
こんなのは、馬鹿げた仕組みだと思う。
愚かなクセだと知っている。
「ウツ依存症」という言葉があるけれど、他人から見れば
わたしもまさにその一員に映るだろう。
自己の分析につきある程度の「まともゾーン」があると
思わぬでもないが、
感情という点では、からっきし、ダメだ。
心なんてコントロールするものではなく
自意識を超えたものにまかせればいいのだろうけれど、
どんなボタンをかけ違えたのだろうか、わたしはすぐに
自分の生みだした感覚・感情につかまってしまう。
つまりは、自意識のなかで溺れているのだ。
きのうと、先週末は、「久々に(我としては)頑張った」と思うので
精神的にも肉体的にも疲れてはいるのだろうけれど
「頑張った」という意識が、自信となり、鬱的な気分の重さは
かなり改善された一日であった。
「わたしのときは葬式も、法事も一切、せんで欲しい」との禁句を
ホストの立場でありながら、坊さんや招待客の前で、ぽろっと言ってしまった
きのうのわたしであるが、その反省点をカバーするほど
(その粗相をくよくよすることもなく)
数日前の「法事が終わったら、テコでも動かず、眠り倒してやるぞ」の意志は
すっかり忘れ去られ、日中、いく分か体を起こしていられるほどの気力もあった。
●父の三回忌の法事。(亡くなったのは1月だけど)。朝10時ころから客人が集まり始める。11時より法事開始。場所を変えて、12時から会席料理。その後、「お茶を飲んでって」という名目で、引き出物を渡すため、再び、自宅に集う。解散は夕方4時半ころだったか。今回は(父と母の)きょうだい夫婦までと、少人数の招待であった。
●田舎の法事は、「自宅の仏間で」という習わしなので、なにかと気が重い。坊さんにも「お経を読んでもらって、お礼渡して、はい、ありがとう」と帰ってもらうわけにはいかないし。食事時も、ほとんど「ひとりで接待」せねばならず、ストレスはたまるばかり。はーっ。今日一日、法事本来の意味をみじんもかみしめることなく、ひたすら人間界の煩わしさに心囚われていた。
●夜は、地元の名士の御通夜に代理出席。母は近所に法事の菓子を配り歩いていたようだ。
あすの法事に向けて、てんやわんや。会席料理をお願いしているお店に最終打ち合わせに行ったり、小雨のなか花を買いに行ったり。一番の目玉は掃除!であるが、それはもう……。しまいには日の暮れかかった表で草むしりをし、掃除から逃避。ところでだよ、このタイミングで、甥っ子二人が新型インフルエンザに罹るとは!
TV『金スマ』で、木の実ナナさんの鬱病体験を特集していた。彼女は更年期による鬱に何年も苦しんでいたらしい。「人の前では明るく普段どおりに振舞っていたので、一人になるとその反動がどっときて大変だった」と、当時を振り返るナナさんの言葉が印象的だった。▼認知が広まり、またその患者数が増えているとはいっても、やっぱり鬱は孤独だ。分かち合える人、分かち合える場を見つけるのは、不可能とはいえないけれど、とても難しい。過日の日記にも書いたけれど、鬱の症状(人格に変化を与えたり身体を攻撃する=弱る部分)は人それぞれだから、その人、その人で、出来ること・出来ないことが違い、二人として全く同じ鬱症状をかかえる人はいないだろう。▼わたしは他者との共感度が先天的に低いようで、誰に対しても、「どうせ分かってもらえっこない」という思いが先に立つ。そして、どうしても鬱を、自分のなかに押しとどめてしまう。そうすることが孤独の始まりであるのを知っているのだが。▼よくある、鬱病チェックのようなもの、アホらしい。ほとんど全部、あてはまるわい。「こういう症状が2週間以上続いたら~」だと? 何十年と続いているわい。▼ずっと前にも書いたことがあると思うが、わたしの難点は、鬱への耐ができていることである。鬱が軽いと、「調子が良い」とし、鬱が深まってくると、「ああ、鬱が出てきた」と思うほどの。いずれのときも、鬱は離れず、ココにいる。つまり鬱状態が慢性化しているのである。▼わたしもナナさんとまったく同じで、「人の前にでると、とにかく明るくふるまう習性」が備わっているので、(無理してそうしようと心がけているのではなく、無意識にそういうスイッチが入ってしまうのである。但し、あまりに疲れていると、能面のような顔で、明るい振りをする!という、実にあやしい人になってしまう)、人と会ったあとは、精気を吸い取られたようにぐったりする。▼ええっと、なんの話だったかな。
きのうきょう始まった話ではないけれど、「だるい」と「憂鬱」、それ以外のあらゆる感覚にフタをされてしまったように思えてならない。なにを見ても美しくなく、嬉しくなく、いや、それ以前のところに問題はあり、たとえば澄んだ空に月がきらりと輝いていても、わたしはその月を見ていることを実感できないでいるのだ。
先月の中旬、(もうひと月余り経ったとは! あっという間であり、その何倍も時間が流れたようにも思える)、山から下りて、これまでに例のないような鬱におそわれて、あっぷあっぷしていたところに、親戚の入院。それにより、束の間、わたしの意識は覚醒した。(その間も、鬱はずっと傍にいたけれど、ある種の緊張感のもと、いくらか自分でコントロールできた)。
しかし日数が経ち、一命をとりとめた親戚の様子を見るにつけ、安堵感が緊張の糸をほぐす。そして「鬱」と「気力」のバランスを失わせる。今では、すっかり再逆転。結局、「ヒトの人命にかかわるほどのことや、シャバの逃げ切れない用事」ではやっとやっと動けることもあるが、あとは、だるくて、憂鬱で、どこからやってくるのか分からない「しんどい」状態に侵されてばかりの自分がいる。
パンダは、「これが薬だ」と分かると、決して飲まないそうだ。ふうっ。野生の勘というの? やっぱり薬=(ある症状を軽減させるとしても、それは全体としては)毒なのだな。薬には「漢方薬」も含まれるというから、最初は不思議に思ったけれど、「体という小宇宙のバランス、みずからに備わった免疫力に変化を与える」という意味では、漢方薬も、パンダの受け付け難い薬となるのだろうか。
このことを知ったのは、あるコミックからなのだけど――日本に初めてやってきたパンダの話――、来日早々、見世物となったパンダはとてつもない疲労に襲われたようだ(*)。そして発病。動物園の世話人は、上野界隈を駆けずりまわって見つけた漢方薬を、ミルクだったか何だったか忘れたが、ほかの飲みものに溶かし、「それ」と分からせないようにしてパンダに飲ませ、一命をとりとめた。そんなことがあったそうな。
(*) 余談だが、ヒトにしても動物にしても、<他>のなかに居ること自体、どうして疲労につながるのだろう。いや、<他>のなかに居ても疲労しない場合もあるから・・・。受け入れ容量を超える<他のエネルギー>を取り入れてしまった場合、ストレス→疲労となるの? もちろん、受け入れ容量は、個体それぞれ。いっぱい<他のエネルギー>を取り入れても、元気な個体がいる。一方で、なんらかの疲労に既におかされている個体は、非疲労個体に比べて、いかなるエネルギーをも受け入れる容量が絶対的に小さくなっている。そして、他のエネルギーと個体の相性のバランスも肝心。
他のエネルギー×相性(負担度)÷受け入れ容量=疲労 ?
金沢へ。
きのうネットで見つけた賃貸産物件を見にいく。
「今月中に引っ越し」という、お尻に火のついた状況下、
もし気に入った物件ならば、ほかも検討するなんて悠長なことはせず
すぐに申し込もう!くらいの気持ちで。
(無職の身だ、審査が通るか? や、保証人どうする? 問題は深く考えず)。
しかし、しかし。
隣接建物との距離があまりに近く、角部屋といえど、日当たり、悪し。
ただでさえ、気持ちの滅入りがちなこの人生、
自らの住まいに「昼間でも照明が必要」ってなストレスは抱えたくない。
うー。
その後、不動産屋の営業女性があらかじめ見繕っておいてくれた別の物件にも足を運ぶが、
なんとそれは数ケ月前に見に行ったことのある物件そのものであった。
うー。
うー。
ここずっと雨です。まるで梅雨のようです。
そしてわたしは、雨のなか、とぼとぼと家路に着きました。
数日前、へんな夢をみた。
そういえば、今月いっぱいでアパートを出ると、不動産屋に告げていたのであった。
*
わたしが如何に小心者で、世間体を気にする、ちっぽけな人間であるかの証しのような話でもあるのだが…。
先月末、金沢から親の家に戻る日のこと――。アパートの部屋を出たわたしは「じとっ」とする視線を感じた。その視線は自転車置き場で用を足している間も消えることはなく、「じとっ、じとっ」は続き、あまりの不気味さに、表の道にでる直前に振り向くと、こちらを見つめる近所の老女の姿があった。実はわたしはずいぶん前にも、この老女の不自然な視線を感じたことがあるのだけれど(そのときは夜であった。アパートの部屋を出たわたしは確かな視線を感じとり、振り向くとほぼ同時に、彼女の住む長屋の二階の窓がパタッと閉められた。偶然ではなかろう。あきからに彼女がこちらを見ていたのだ。夜、照明を灯さぬ二階の窓から覗き見される不気味さよ!!)、その時と違い、今のわたしには「視線」に特別の意味をもたせるだけの後ろめたさがある。
この数ケ月、「今年度の町内会費を払っていない」という後ろめたを、わたしは抱えている。こんな白状をすると他人は笑うであろうが、わたしはその後ろめたさから、アパートにたまに戻ったとき「身を隠すよう」にしているのである。極力、外に出ず、たまのゴミ捨てなどは、そおっと、人に会わぬよう、速行の忍び足で。近所の目につきやすい部屋の照明はつけず、ガスも開栓せず、まるで無人の部屋のように、しているのである。(←こう書いてみると、あらためて自分の異常さがわかるな)。
あの老女には「言いつけ」の趣味がある。(個人的被害妄想ではなく、経験済みなのだ)。「あの町内会費を払っていない人・・・」と、彼女が“わたしの存在”を町内会長に言いつけるのではないかと不安だ。彼女の視線はわたしの後ろめたさを倍増させる。最近は、「こんな息もできぬような暮らしをするくらいなら、ええいっ、町内会費、払わせてくれ」とも思うのだが、今さら払いに行く勇気がない。
社会人として破綻しており、言っていることにスジがなく、めちゃくちゃだ、と自分で自分を思う。けれど、情けないことに、町内会費を払って堂々と市民生活を送る、そんな簡単なことが、今のわたしには出来ないでいるのだ。(ひと事でいえば、町内会費を払いに行く、そのコミュニケーションが億劫なのだ。億劫ゆえに、今のあやしい生活態度が出来上がった)。
老女の視線を浴びたわたしは、引っ越しの決意を固めた。すでに「引っ越したい病」が熟していたときなのだけど、決意を後押ししたのは、「彼女の視線」だったのだろう。この日のうちにわたしは不動産屋に退室を申し出、不動産屋のおじさんは「じゃ、来月いっぱいね」と言った。
*
夢はたしか、町内会費を払わぬわたしに、(なぜか)市役所から調査の手が入る・・・・というもの。わたしの態度があやしければ、みる夢までも、あやしいなぁ。
これまでわたしは36.5℃が平熱であったのだけれど、このところずっと、35.5℃とか35.7℃という低体温が続いている。(自宅で測っているのではなく、祖母のところに行くたびに、受付で検温させられるのだ)。一度なんて「34.8℃」の表示を見た記憶があるのだが、あまりの低体温をみとめるのが怖かったし、祖母に急ぎの用があったときなので、受付の人にはテキトウな体温を申告したのであった。どうしてしまったんだろう、この体。
* 12月中旬、いまだ低体温が続いているようだ。
歯を抜いた所には、こわくて
とても食べものを運べない。
だって、そこに仮歯は入っておらず
イメージとしてはブラックホールだもん。
きっとアゴの骨まで到達すれば「底」はあるのだろうけど。
は、はひふへほ。
食事時、そっと饂飩をすする。
すぐ隣の小宇宙、ブラックホールを思い
また我が老化をかみしめながら。
今月の初め、謎の熱がさがったあと、歯槽膿漏の重症化に悩まされていた。歯ぐきの痛みだけでコトは収まらず、リンパがぐりぐり腫れ、頭痛を引き起こし、といった諸症状は前にも幾度か経験済みであるが、これまでは「2~3日すれば、膿が出て、症状落ち着く」という決着が待っていた。けれど、この度は、まとまった膿が出ても、歯ぐきは腫れ続け、小さな膿がひんぱんに出る、という困った状態。もう10日以上も、重症続きだぞ。◆母の友人・歯科技工士のフジオちゃんが予約してくれた歯医者へ行きました。もはや「症状がおさまるのを待つ」レベルではあるまいと、腹をくくったのである。で、レントゲンと、問診・診察の結果、「歯を半分、抜く」ことに。(根っこが2本ある歯だが、そのうちの1本の根っこが、底まで悪くなっていたらしい。このままでは大丈夫なもう1本の根っこまで悪くなるおそれあり)。「かぶせものをとって、掃除して、薬を詰めて・・・って治療をしても、効果の出る確率は5割もないでしょう」との歯科医師の説明にわたしは素直にうなずく。フジオちゃんが「歯槽膿漏に強い先生」を探してくれたということもあるが、すでにわたしは「この歯の寿命」を予感していたのかもしれない。◆「心の準備を」の配慮だろう、先生は「(抜歯は)次回にしますか?」とも言ってくれたけれど、わたしは今日このままの抜歯を依頼。◆麻酔のおかげで痛みはなく(麻酔の注射のほうがつらかった)、「歯を真っ二つに割り、根っこの痛んでいるほうを抜く」手術はとても手際よく終わった。術後、「このグミみたいなぶよぶよした塊は、歯の骨が溶けたものですよ」と見せてくれたのには、びっくり。