第百五十六話 苦肉の策
「北斗」第708号(令和6年6月号)に掲載
防鳥キャップ
前号で『糞害』を書いたが、早速二月二十九日に工事に来てくれて、家の前の電線の上に細い線を平行して設置してくれた。鳥は細い線には留まらないらしい。そしてまた、電柱から張り出している『枝』の部分には針の集合体(剣山)のようなものを結束バンドで留めてくれたから、鵜やカラスやハトは足に刺さるのを嫌がって近づかないにちがいない。また、日を改めて電柱のてっぺんに三角錐のような物体(キャップ)を設置しに来てくれるはずだ。
ところがキャップを設置する前の三月五日の朝八時頃、電柱のてっぺんに鵜が一羽留まって車に糞を落としていた。クラッカーを持ってそっと電柱の真下まで行って、生まれて初めてクラッカーのヒモを引っ張り鵜に向けてパンと鳴らした。すると鵜は驚いて蟹江川の上流の方角に飛び去って行った。(商品名が『お掃除レス・クラッカー』だけあって、ゴミは全然出ずに、出たのは音だけだった。)
そして、『経過観察・3』の続きを少し書くと、抗癌剤を投与し始めてしばらくすると、抗癌剤の副作用で液状の大便がジワジワと少しずつ漏れ出るものだから、自前のパンツでは間に合わずに紙パンツを使用していたが、その紙パンツもどんどん汚れるので困っていたら、ドラッグストアの店頭で紙パンツ用パッドなるものを発見し七十枚入りを購入してやれやれと一息ついた矢先だった。
十二月三十日の夜、下痢で眠れず朝までトイレに通い、大晦日にK病院の緊急外来まで息子に車で連れていってもらうと、重度の脱水症状ということで、そのまま入院となった。つまり、今年の正月元旦は病院で過ごすことになったのだ。夕方にトイレから出ようとしたらグラグラ揺れて、年貢の納め時かと観念したら能登半島地震だった。さらに羽田空港で飛行機の衝突事故が起きて世相も大変だったが、後に主治医から聞いた話では、かなり重篤な脱水症状だったらしい。
正月だというのに主治医の先生が毎日様子を診に来てくれ、四日の午後三時頃に念のため検便を摂ることになった。すると夕方に突然四人部屋から一人部屋に移動することになったのだが、検便からオカシナ・ナントカ菌が発見されたための隔離処置だったようだ。
それまでトイレに頻繁に通っていて同室の患者に気を使っていたから、一人部屋はありがたかった。それより何より、その細菌に効く薬を服用した途端に、ひと月以上悩まされ続けてきた下痢症状が納まってほぼ改善したため、(病因は抗癌剤の副作用ではなく細菌のせいだったのか?)一月九日に退院できて一件落着。
いよいよ水田功は困り果てた。北斗6月号の原稿のアイディアが浮かばないから、右に糞害と下痢の話を書いたのだ。
「困った時の釣り頼み」で、久しぶりに魚釣りに行こうかとも考えたが、三月はまだ寒いし水温も低いので釣れる可能性が著しく低い。それより何よりステージⅣの我が身の体力をひどく消耗させるので断念せざるを得ない。
そしてふと思いついたのが、昨年電子書籍化した『ヨウムのおせっかい』を細切れにして北斗誌上で発表する、という奥の手だ。しかし、この作品を北斗で発表するとなると問題がある。実は、四百字詰め原稿用紙に換算して約二百八十枚に及ぶこの長編小説の最後の部分は、北斗の平成二十四年三月号で発表した『告白未遂』に手を加えただけの代物なのだ。(元はオール讀物新人賞一次予選通過作品)。
つまり、約六十七枚の『告白未遂』を活かすために、それまでの二百十三枚の物語を創作した小説なのだ。
棚橋鏡代さんの『うげ』のごとく、寺田繁さんの『名古屋の栄さまと「得月楼」父の遺稿から』のごとく、竹中忍さんの『金鯱落焼』のごとく、「北斗」誌上に発表した作品を集めて一冊の本にするというのが一般的かと思う。だから、水田がやろうとしていることは邪道かもしれない。
ざっと計算してみた。二百八十枚の長編小説を、これまでのように毎月二ページだけ細切れにして発表していけば、約四十九回を要すようだ。つまり、北斗は年間十冊の発行だから五年かかることになるので、ステージⅣの水田がそれまで生き永らえていられる保証はない。だから、せめて毎月四ページにして、二年半先までは何とか生きて書くことを目標に発表していこうと思う。
四ページにピタリと納めるには、原稿そのものを削ったり増やしたりせねばならず腕の見せ所でもあるが、少々中途半端に終わるとしても手を加えるのは最小限度に納めようと思っている。そうして捻出した時間を活用し、新たな長編小説に取り組む予定だ。
治安維持法違反容疑で拘束され、日本軍国主義に屈しなかったがため獄死した牧口常三郎は、「善いことをしないのは、結果として、悪いことをするのと同じ」と語った。
サルトルは「飢えている子ども達を前にして文学に何ができるのか」と問うたらしいが、なるほど目の前の飢えている子ども達に対しては無力だろう。しかし三年後、十年後に飢えるかもしれない子ども達に対しては、文学(小説)によって救うことができるかもしれない。水田功は牧口先生のひ孫弟子に相当するゆえ、尚更書かねばならないと思っている。
第百五十六話紙パンツ用パッド.webp
サルトル
牧口常三郎先生
防鳥キャップ
前号で『糞害』を書いたが、早速二月二十九日に工事に来てくれて、家の前の電線の上に細い線を平行して設置してくれた。鳥は細い線には留まらないらしい。そしてまた、電柱から張り出している『枝』の部分には針の集合体(剣山)のようなものを結束バンドで留めてくれたから、鵜やカラスやハトは足に刺さるのを嫌がって近づかないにちがいない。また、日を改めて電柱のてっぺんに三角錐のような物体(キャップ)を設置しに来てくれるはずだ。
ところがキャップを設置する前の三月五日の朝八時頃、電柱のてっぺんに鵜が一羽留まって車に糞を落としていた。クラッカーを持ってそっと電柱の真下まで行って、生まれて初めてクラッカーのヒモを引っ張り鵜に向けてパンと鳴らした。すると鵜は驚いて蟹江川の上流の方角に飛び去って行った。(商品名が『お掃除レス・クラッカー』だけあって、ゴミは全然出ずに、出たのは音だけだった。)
そして、『経過観察・3』の続きを少し書くと、抗癌剤を投与し始めてしばらくすると、抗癌剤の副作用で液状の大便がジワジワと少しずつ漏れ出るものだから、自前のパンツでは間に合わずに紙パンツを使用していたが、その紙パンツもどんどん汚れるので困っていたら、ドラッグストアの店頭で紙パンツ用パッドなるものを発見し七十枚入りを購入してやれやれと一息ついた矢先だった。
十二月三十日の夜、下痢で眠れず朝までトイレに通い、大晦日にK病院の緊急外来まで息子に車で連れていってもらうと、重度の脱水症状ということで、そのまま入院となった。つまり、今年の正月元旦は病院で過ごすことになったのだ。夕方にトイレから出ようとしたらグラグラ揺れて、年貢の納め時かと観念したら能登半島地震だった。さらに羽田空港で飛行機の衝突事故が起きて世相も大変だったが、後に主治医から聞いた話では、かなり重篤な脱水症状だったらしい。
正月だというのに主治医の先生が毎日様子を診に来てくれ、四日の午後三時頃に念のため検便を摂ることになった。すると夕方に突然四人部屋から一人部屋に移動することになったのだが、検便からオカシナ・ナントカ菌が発見されたための隔離処置だったようだ。
それまでトイレに頻繁に通っていて同室の患者に気を使っていたから、一人部屋はありがたかった。それより何より、その細菌に効く薬を服用した途端に、ひと月以上悩まされ続けてきた下痢症状が納まってほぼ改善したため、(病因は抗癌剤の副作用ではなく細菌のせいだったのか?)一月九日に退院できて一件落着。
いよいよ水田功は困り果てた。北斗6月号の原稿のアイディアが浮かばないから、右に糞害と下痢の話を書いたのだ。
「困った時の釣り頼み」で、久しぶりに魚釣りに行こうかとも考えたが、三月はまだ寒いし水温も低いので釣れる可能性が著しく低い。それより何よりステージⅣの我が身の体力をひどく消耗させるので断念せざるを得ない。
そしてふと思いついたのが、昨年電子書籍化した『ヨウムのおせっかい』を細切れにして北斗誌上で発表する、という奥の手だ。しかし、この作品を北斗で発表するとなると問題がある。実は、四百字詰め原稿用紙に換算して約二百八十枚に及ぶこの長編小説の最後の部分は、北斗の平成二十四年三月号で発表した『告白未遂』に手を加えただけの代物なのだ。(元はオール讀物新人賞一次予選通過作品)。
つまり、約六十七枚の『告白未遂』を活かすために、それまでの二百十三枚の物語を創作した小説なのだ。
棚橋鏡代さんの『うげ』のごとく、寺田繁さんの『名古屋の栄さまと「得月楼」父の遺稿から』のごとく、竹中忍さんの『金鯱落焼』のごとく、「北斗」誌上に発表した作品を集めて一冊の本にするというのが一般的かと思う。だから、水田がやろうとしていることは邪道かもしれない。
ざっと計算してみた。二百八十枚の長編小説を、これまでのように毎月二ページだけ細切れにして発表していけば、約四十九回を要すようだ。つまり、北斗は年間十冊の発行だから五年かかることになるので、ステージⅣの水田がそれまで生き永らえていられる保証はない。だから、せめて毎月四ページにして、二年半先までは何とか生きて書くことを目標に発表していこうと思う。
四ページにピタリと納めるには、原稿そのものを削ったり増やしたりせねばならず腕の見せ所でもあるが、少々中途半端に終わるとしても手を加えるのは最小限度に納めようと思っている。そうして捻出した時間を活用し、新たな長編小説に取り組む予定だ。
治安維持法違反容疑で拘束され、日本軍国主義に屈しなかったがため獄死した牧口常三郎は、「善いことをしないのは、結果として、悪いことをするのと同じ」と語った。
サルトルは「飢えている子ども達を前にして文学に何ができるのか」と問うたらしいが、なるほど目の前の飢えている子ども達に対しては無力だろう。しかし三年後、十年後に飢えるかもしれない子ども達に対しては、文学(小説)によって救うことができるかもしれない。水田功は牧口先生のひ孫弟子に相当するゆえ、尚更書かねばならないと思っている。
第百五十六話紙パンツ用パッド.webp
サルトル
牧口常三郎先生
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