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コメダ和喫茶【おかげ庵】あざみ野ガーデンズ店 人気メニュー抹茶かき氷&焼きだんご
やってきましたコメダ珈琲の和風バージョンとでも言うんですかね、その名も『コメダ和喫茶 おかげ庵』! コメダといえばコーヒー、モーニングメニュー、サンドイッチ、デニッシュの生地にソフトクリームアイスが乗ったシロノワールなどなど基本的には洋食メ
田園都市線・青葉台駅から徒歩1~2分の場所にあるガールズバーです。2022年11/7にオープン、夜20時~朝5時くらいまで営業されてます。青葉台は、街の規模の割には飲み屋が少なく、ガールズバーもほとん
糖鎖構造解析の株式会社グライコテクニカ(住所:神奈川県横浜市青葉区美しが丘 5丁目28-6平野ビル3-101、代表取締役:高畠晴美)が、8月10日付、横浜地裁において破産手続きの開始決定 破産管財人には、野竹秀一弁護士(立川・及川・野竹法律事務所) 事件番号は令和4年(フ)第1586号 同社は、2011年6月札幌にて法人設立、2015年に横浜に会社移転する、糖鎖構造解析において世界最先端の技術を保有するバイオテクノロジー…
田園都市線でウクレレレッスン。神奈川県から、東京都でウクレレレッスン。横浜の 「川﨑さん」 四十肩でレッスンお休み、丸一年。ウクレレと、ウクレレレッスン同時再開!やっと会えた!「まだ左腕に痛みはありますが。なお先生にご指導いただき、久しぶりに楽しく嬉しかっ
横浜市青葉区福祉事務所 地図 住所 〒225-0024横浜市青葉区市ケ尾町31番地4青葉区役所3階 電話番号 045-978-2435 管轄エリア 横浜市青葉区全域 ホームページ 青葉区/生活支援課のホームページ 横浜市青葉区のお部屋探
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本日は用事で神奈川県にある青葉区へ。駅は田園都市線の藤が丘です。自宅の門前仲町から1時間ぐらいのとこにあります。サンマルクがあったのでモーニングへ。駅前です。適度な都会感で落ち着きます。隣駅の青葉台まで歩きます。途中に藤が丘公園があり、子供達がザリガニ釣りをしてて、とてものどかな感じです。青葉台駅に約10分ぐらいで到着。プチ都会感ある町です。神奈川では高級住宅街なんですかね。野球やラグビーで有名な桐...
蜂窩織炎 (ほうかしきえん) に罹っちまったい! _ 4 看護士は大変!
Photo by Masayuki Imai 撮影場所:横浜市 磯子区 某所 磯子山荘のデブ猫タールのビックリ顔緊急入院したのが金曜日の夕方。 夕食はなく、抗生剤の点滴が始まった。 左足の患部はすでに診察室で手当を受けていた。 以後、毎日、1日3回の点滴と、1回の患部への薬の塗布があり、抗生物質の点滴の効き目は素晴らしくて、体感で、足の痛みが和らいでいくのが分かる。 熱も抑えられていく。 すかす、病院のは、セミダブルの...
アメリカかぶれです。 最高にアメリカが感じられるご飯屋さんを発見しました! 外観がもう最高じゃないないですか?? この日は中古車を見に横浜の青葉区まで。 『バブルオーバー』というお店@横浜市青葉区です。 諸々手続き等あり、終わったのが1時過ぎ。 Googleマップで近くのご飯屋さんを調べたらたまたま発見。 最高にアメリカのオールドダイナー感が溢れ出てる。 僕が頼んだのはフェットチーネアルフレド。 クリーミーでうんまい。 妻はテキーラライムチキン。ご飯セット。 ちょうど良い味付けでこちらもうまい。 ルートビア人生初トライ。 想像を遥かに超えたケミカルな味。笑 ドクペが可愛く感じる。 僕はドクペと…
影顕山 西勝寺(→神奈川県横浜市青葉区新石川1丁目)は、京都の龍谷山 本願寺(いわゆる西本願寺→京都府京都市下京区堀河通花屋町下ル本願寺門前町)に属する浄土真宗本願寺派寺院です。江戸時代中期に僧の順応(誕生年不明~1739年)によって開山されたと伝わりますが、江戸時代後期の1845(弘化2)年に、現在の美しが丘西(→神奈川県横浜市青葉区)で領主の旗本が花火を催した際、火の粉が西勝寺の屋根に落ちて全焼し、創建以来の伽藍が失...
神鳥前川神社(しとどまえかわじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区しらとり台)は由緒によると、鎌倉時代初期の1187(文治3)年5月に武蔵国稲毛荘の御家人稲毛三郎重成(しげなり→北条時政の娘婿、小山田有重の子、畠山重忠の従兄弟)が「霊夢」を受け、日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)を祭神として祀った古社だと伝わります。当初は「白鳥前川社」と称したようですが、いつの頃か白鳥が転じて「神鳥」と書くように...
興栄山 信乗院 万福寺(→神奈川県横浜市青葉区田奈町)は、『新編武蔵風土記稿』には創建年代は不詳とありますが、寺伝によると南北朝時代中期の1369(応安2)年9月に僧の快秀が創建したと伝わる高野山真言宗寺院です。本尊は薬師如来像で、江戸時代には本山・末寺の制により摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)の末寺に置かれ幕藩体制の一翼を担いました。万福寺は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武...
摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)は、平安時代前期の10世紀(→901年~1000年)に延命院という草庵が前身ですが、戦乱や自然災害、恩田郷を治めていた恩田氏(→金沢北条氏の被官)の没落により、延命院は鎌倉時代末期には廃寺寸前となっていました。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が行った建武の新政は一部の例外を除き公家にも武家にも評判が悪く1335(建武2)年には各地で北条氏与党による叛乱(→中先代の乱など)が相次ぎ...
子之辺神社(このべじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区恩田町)は、江戸時代後期の1846(弘化3)年に別当寺として祭祀を司った高野山真言宗寺院の摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)の住職空弁が再建したと伝わります。創建年代や祭神は不詳ですが、1955(昭和30)年代に著された『都筑の丘に拾ふ』には「子野辺」と「此野辺」の社号が使われているとあるので、「ねのべ」ではなく「このべ」と読むことが分かります。「野」...
内方姫供養塔(→神奈川県横浜市青葉区あかね台1丁目)は、恩田川の氾濫で村が水没しかけた時に、自ら川に身を投じて水害から村を守ったとされる鎌倉幕府の御家人恩田氏の娘・内方姫(うちかたひめ)の供養塔と稲荷神社です。4月11日が命日とされ、現在も地元の旧家14軒が「姫宮様講中」(ひめみやさまこうちゅう)を作り、交代で供養祭を行っているそうです。供養塔はかつては山の上にあったようですが、土地区画整理事業の一環で現在地...
上恩田杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区あかね台1丁目)は、江戸時代に創建された神社で、江戸時代後期の1852(嘉永5)年3月の社屋造営の棟札が現存しているといいます。アメリカ東インド艦隊司令長官のマシュー=カルブレイス=ペリーが「黒船」を率いてい浦賀(→神奈川県横須賀市)に最初に来航するのは、翌年の1853(嘉永6)年6月3日のことです。上恩田杉山神社は、江戸時代には高野山真言宗の摩尼山 延寿院 徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉...
大龍山 福昌寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)は、僧の国抽太山が開山したと伝わる曹洞宗寺院です。国抽太山は江戸時代前期の1651(慶安4)年4月15日に死去しているので創建はそれ以前のことと分かります。3代将軍徳川家光が死去するのは国抽太山が死去した5日後の4月20日のことです。 福昌寺は、江戸時代には本山・末寺の制により幕府より15石の寺領を拝領した慈雲山 大林寺(→神奈川県横浜市緑区長津田6丁目)の末寺として幕藩体制の...
東急線青葉台駅から徒歩数分のレトロな佇まいの喫茶店「喫茶橙灯」さん。(HP)(インスタグラム)先日の相模大野のイベントでお買い求めくださったグラスが棚に並...
キノコの季節です。例のヒマラヤ杉のある公園で発見。はい。この写真の中にキノコがあります。さて、いくつ〜こちらのは、ポツンと一つ。これ、大きさわかるかな〜わ...
寺家熊野神社(→神奈川県横浜市青葉区寺家町)は、創建年代は不詳ですが、鎌倉時代に編纂された『日本総風土記』には奈良時代前期の713(和銅6)年に撰上された『武蔵国風土記』(→現存せず)のことが写されてあり、「九尺二間の社(→熊野社)が寺家村熊野谷にあり」と記されています。熊野社が鎌倉時代にはあったことが分かります。『神奈川県神社誌』には、熊野社は熊野本宮(→和歌山県田辺市本宮町本宮)を勧請し、幕末期の1867(慶応3)年...
甲神社(かぶとじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区鴨志田町)は、創建年代の詳細は不明ですが、境内からは種々の石器が出土しており、小田原北条氏の治世下の戦国時代に創建されたと伝わります。神体が石剣に似ているため祭神を日本武尊(やまとたけるのみこと)にして甲神社(かぶとじんじゃ)と名付けられたと伝わります。〖祭神〗・日本武尊(やまとたけるのみこと)『小田原衆所領役帳』によると、戦国時代の寺家・鴨志田郷は小机衆の大...
北斗山 南慶院(→神奈川県横浜市青葉区鴨志田町)は、創建年代は不詳ですが鎌倉時代に臨済宗円覚寺派の大本山である瑞鹿山 円覚寺(→神奈川県鎌倉市山ノ内、鎌倉五山第二位)の住職大川を招いて開山したと伝わる臨済宗円覚寺派寺院です。寺紋には円覚寺派に見られる三鱗紋(みつうろこもん→北条氏の家紋)が使われており、江戸時代の本山・末寺の制では法縁から瑞鹿山 円覚寺の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。ただ、瑞鹿山 円覚...
たちばな台子ノ神社(ねのじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区たちばな台2丁目)は、創建年代は不詳ですが、江戸時代には成合村(→現在の成合町)の鎮守として記されており、明治時代後期の1908(明治41)年3月に国の一村一社政策を受けて近隣の浅間社を合祀して社殿を改築しました。さらに昭和時代後期の1976(昭和51)年5月に出雲大社(→島根県出雲市大社町杵築東)より祭神を勧請して社殿を新築し、成合町の産土神として地元の崇敬を集めていま...
弘仁山 衆芳院 薬王寺(→神奈川県横浜市青葉区大場町)は、創建年代の詳細は不詳ですが、江戸時代前期に僧の俊誉が中興開基したと記されていますので、創建はそれ以前であったことが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により「東の高野山」の異名を持つ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺として幕藩体制の一翼を担った真言宗豊山派寺院です。王禅寺文書には有名寺院の三ヶ寺に数えられるほど立派な寺で...
みたけ台杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区みたけ台)は、創建年代は不詳ですが社伝では戦国時代中期の天文年間(1532年~1555年)に創建されたと伝わります。他にも鎌倉幕府初代将軍の源頼朝が崇敬したという伝承も残りますが、これは後世の創作と思われます。江戸時代にはこの地の地頭(→領主)の渡辺氏が年初穂米1俵を寄進し、造営・修理などのたびに特別扶持米を奉納しています。また、医王山 薬王院 東光寺(→現在は廃寺、医薬神社の...
長谷山 祥泉院(→神奈川県横浜市青葉区みたけ台)は、戦国時代前期に玉雄山 宝泉寺(→神奈川県藤沢市遠藤)の2代住職・碧岑東全が開山した曹洞宗寺院で、江戸時代には本山・末寺の制により玉雄山 宝泉寺の末寺となりました。祥泉院の開基は、寺伝によると鎌倉公方足利氏の家臣で中鉄村(なかくろがねむら)の領主村田太郎左衛門祥本と伝わります。ただ、碧岑東全と村田太郎左衛門祥本が死去した1548(天文17)年の頃、鎌倉公方は下総古河城...
医薬神社(→神奈川県横浜市青葉区柿の木台)は、安土桃山時代の天正年間(→1573年~1592年)に真言宗関東三ヶ寺の1つに数えられた医王山 薬王院 東光寺(→現在は廃寺)の境内社として創建されたのが興りと伝わります。医王山の「医」と薬師院の「薬」をとって「医薬神社」と名付けられたといいます。江戸時代前期の1649(慶安2)年には幕府(→3代将軍徳川家光の時代)より寺領5石を拝領しました。東光寺は江戸時代の本山・末寺の制により「東...
八雲神社(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、創建年代は不詳ながら上市ヶ尾村(→現市ヶ尾町)の鎮守として崇敬されてきました。江戸時代には当時の京都八坂神社(→京都府京都市東山区祇園町北側)の祭神・牛頭天王(ごずてんのう→疫病を防ぐ神)を祀る牛頭天王社と称し、真言宗豊山派の初割山 永寿院 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)が別当寺として祭祀を司っていました。1868(明治元)年の神仏分離令により神仏習合が終わり、素...
大場諏訪神社(→神奈川県横浜市青葉区大場町)は、江戸時代中期に徳川将軍家の旗本でこの地の地頭(→領主)であった筧三郎右ヱ門(かけいさぶろううえもん)が創建したと伝わる神社です。江戸時代には弘仁山 衆芳院 薬王寺(→神奈川県横浜市青葉区大場町)が別当寺として祭祀を司っていました。創建寺は付近の別の場所に社地があったようですが、幕末期の1856(安政3)年8月25日の大風で社殿が潰れてしまい、同年10月に村民が協議して現在の...
九月九日は重陽の節句でしたが皆さんお雛様はお飾りされましたでしょうか。九月九日は五節句の1つである「重陽の節句」「菊の節句」とも呼ばれ菊酒を飲んだり栗ご飯を食べたりして無病息災や長寿を願います。最近ではあまりなじみがない節句ですが旧暦を使用していた頃までは五節句を締めくくる最後の行事として盛んに行われていました。もうひとつの呼び方はものを大切にする知恵が生んだ「後の雛(のちのひな)」「後の雛」の催...
影顕山 西勝寺(→神奈川県横浜市青葉区新石川1丁目)は西本願寺に属する浄土真宗本願寺派寺院です。創建は江戸時代中期に僧の順応(誕生年不明~1739年)によって開山されました。しかし、江戸時代後期の1845(弘化2)年にさる旗本が現在の美しが丘西(→神奈川県横浜市青葉区)で催した花火が西勝寺の屋根に落ちて全焼し創建以来の伽藍が失われてしまったようです。その旗本は切腹の用意をしていましたが、住職が思い止まらせて再建費用と...
白玉山 士峰院 朝光寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、戦国時代中期に上原勘解由左衛門(うえはら かげゆざえもん 誕生年不詳~1548年)が開基、僧の碧峯東全(誕生年不詳~1546年)が開山した曹洞宗寺院です。院号の士峰院は開基した上原勘解由左衛門の妻の法名「士峰院盛山浄栄」から採られたようです。禅宗寺院では普遍的な釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊として祀っています。江戸時代には江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)...
初割山 永寿院 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、江戸時代には星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺で江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)より寺領9石5斗の寺領を拝領した真言宗豊山派寺院です。寺紋は王禅寺と同じく「三つ葉葵」で、境内には新義真言宗の始祖・興教大師(こうぎょうだいし)の坐像があります。江戸時代までは先日ご紹介した市ヶ尾杉山神社(→当時は杉山社)の別当寺として祭祀を司って...
市ヶ尾杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、江戸時代初期の創建された五十猛命(いそのたけるのみこと)を祭神として祀る旧市ヶ尾村の総鎮守で、社殿の隣には境内社として稲荷社が祀られています。江戸時代までは杉山社と呼ばれ、近くにある真言宗豊山派寺院の初割山 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)が別当寺として祭祀を司っていました。東福寺については後日ご紹介いたします。〖杉山神社(市ヶ尾)〗祭神: 五十猛...
熊野山観音院 玉泉寺(→東京都狛江市東和泉3丁目)は、飛鳥時代前期の634(舒明天皇6)年に僧の浄慶法印が薬師如来と文殊菩薩を安置して開基した大輪寺という寺が前身の天台宗寺院ですが、鎌倉時代に廻国伝説をもつ5代執権北条時頼(ほうじょうときより→北条泰時の孫)が諸国行脚の折に、荒廃した堂宇を再造営したという寺伝を持ちます。そのためか山門の瓦には北条氏の家紋である三鱗紋が、本堂の瓦や寺紋には丸に三鱗紋が用いられてい...
久しぶりに保木薬師堂(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘西2丁目)を訪問しました。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条には「薬師堂 除地、四畝六歩、村の西にあり、東向にて四間四方の堂なり、薬師仏は坐像にて長二尺ばかり、萬蔵院持。」「萬蔵院 年貢地、村の西にあり、本山派の修験職なり。」と記されています。境内の案内板によりますと、江戸時代中期の1783(天明3)年に清沢村(→神奈川県...
金剛山 成就院 満願寺(→神奈川県横浜市青葉区あざみ野4丁目)は、江戸時代初期に創建されたと伝わる不動明王坐像を本尊とする真言宗豊山派寺院です。徳川将軍家の菩提寺の1つである三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)の裏鬼門に当たることから江戸幕府からも重要視され、江戸時代まではこの地域一帯の真言宗豊山派の拠点的性格をもつ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺とされました。満願寺があ...
十社宮(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘西2丁目)は、江戸時代初期に創建された旧石川村鎮守八社の1つで、1868(明治元)年の神仏分離令が出されるまでは十社権現社と呼ばれていました。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条には「十宮権現社 見捨地、西の方によれり。」と書かれており、隣接する保木薬師堂と共に別当寺(→神仏習合の時代に神社を管理した寺院)の満蔵院が代々その祭祀を守ってきた...
清涼山 覚永寺(→神奈川県横浜市青葉区元石川町)は、安土桃山時代後期の1594(文禄3)年に一向宗門徒の釋専念(→俗名井伊直重)によって建立された浄土真宗本願寺派の寺院です。井伊直重は小田原北条氏の有力国衆である世田谷城主吉良氏に仕えた武士だったようですが、織田信長と石山本願寺との間で行われた石山合戦(1570年~1580年)の際にはるばる大坂(おおざか)まで赴き、一向宗門徒として戦いに身を投じたといいます。1580(天正8)年...
石川不動尊(→神奈川県横浜市青葉区新石川2丁目)は、江戸時代後期の「天保十二戌年 奉造立」(→1841年)と刻まれた石の台座(蓮華座)の上に不動明王像を祀っている茂みの中にある堂宇です。1841(天保12)年は老中首座水野忠邦(みずのただくに)が老中真田幸貫(さなだゆきつら)らとともに天保の改革を開始した年でもあります。石川不動尊と刻まれた石碑や堂宇は比較的新しいものですが、不動明王像はそれなりに年季が入っていて、堂宇の中...
平川神社(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘4丁目)は、猿田彦尊(さるたひこのみこと)を祭神とする旧石川村鎮守八社の1つです。創建の詳細は不詳ながら、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条(→項目)には「山王社 見捨地、村の西にあり、これも南向。」とあり、当時は山王社と呼ばれていたようです。説明板には「往古神猿があらわれて田畑を害すること甚しく、村民一致してその霊を祭ることにより...
伊勢社(→神奈川県横浜市青葉区新石川)にある神社で、創建年代は不詳ながら江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』にも記載があり、旧石川村の鎮守八社として古くから信仰を集めていたようです。大日孁貴(おおひるめのむち)、すなわち天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として祀っています。神仏習合の世界では天照大神は本地(ほんち→本体)である大日如来の垂迹(すいじゃく→仮の姿)とされてきましたが、...
養老山 真福寺(→神奈川県横浜市青葉区荏田町)は、千手観菩薩像を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。創建年代は不明ですが、江戸時代中期の1789(寛政元)年には現在の荏田宿自治会館の場所にその存在が記されています。大正時代に堂宇が老朽化したため千手観音菩薩像と木像釈迦如来立像(→国の重要文化財)などを現在地に移し、「養老山 真福寺」として山門や本堂などが整備されました。本尊の千手観音菩薩像は平安時代末期に彫られた...
劔(つるぎ)神社は神奈川県横浜市青葉区荏田町にある旧荏田村の総鎮守です。「劔」は「剣」の旧字体です。創建年代は不詳ながら江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』荏田村の条(→ページ)には「劔社」と書かれていて、「村の中央榎木谷にあり、劔明神と号す。当所の惣鎮守なり」とありますので、江戸時代には村民の崇敬を集めた総鎮守として存在していたことが分かります。〖祭神〗・素戔嗚命(すさのおのみこと)当時の荏...
御嶽神社(→神奈川県横浜市青葉区すすき野)は創建年代は不詳ながら江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「御嶽社」として記載があり、江戸時代より黒須田村の鎮守社として崇敬を集めていました。現在もすすき野・もみの木台・荏子田・黒須田・あざみ野の人たちを中心に正月は初詣の参拝者で賑わっています。戊辰戦争が始まる1868(慶応4)年1月に社殿を再建したようですが老朽化のため、1975(昭和50)年11月に現在の社殿...
稲荷大明神(→神奈川県横浜市青葉区すすき野)は、御嶽神社に隣接する神社です。稲荷大明神なので稲荷神が祭神だと思われますが、本殿や社務所はなく祠(ほこら)が2つあるだけです。稲荷神を象徴する狐の像もありません。鳥居は比較的新しいのですが、横浜市立嶮山(けんざん)小学校に通じる道路沿いには「天下泰平」「國土安全」「享和三年(→1803年)」と三猿(→見ざる・言わざる・聞かざる)が刻まれた江戸時代の庚申塔と地蔵尊が並んで...
一抽山 宗英寺(いっちゅうざん そうえいじ)は神奈川県横浜市青葉区鉄町にある釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊とする曹洞宗寺院です。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、上鐵村の地頭であった加藤権右衛門景正が開基し、僧の仁嶺寅恕が開山したとあります。宗英寺の山号と寺号は開基した加藤景正の法名「大樹院一抽宗英」から採られたものと思われます。仁嶺寅恕は1617(元和3)年に没し、加藤景正は1630(寛永...
金刀比羅(ことひら)神社鎮守堂は、神奈川県横浜市鉄町にある一抽山(いっちゅうざん) 宗英寺(→神奈川県横浜市青葉区鉄町)の境内に祀られている神社です。正式には「宗英寺鎮守堂」というそうですが、地元では長らく「金刀比羅神社鎮守堂」と呼ばれています。神仏習合時代の名残なのか、祭神として仏教式の五神が祀られているのが特徴です。〖祭神〗・道了大権現・秋葉大権現・金毘羅大権現・不動明王・白山妙理大権現境内には「萬助...
鐵神社(くろがねじんじゃ→神奈川県横浜市青葉区鉄町)は、高校ラグビーの強豪校として知られる私立・桐蔭学園のバスターミナルに参道・狛犬・鳥居がある神社です。鐵神社は、琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)が管理しているため、御朱印などは琴平神社でいただけます。「鐵」は「鉄」の旧字体です。「由緒・沿革」を記した案内板によると、戦国時代中期の天文年間(1532年~1555年)に創建され、当時は青木明神・杉山明神と称し...
宝剣山 観福寺は、神奈川県横浜市青葉区荏田町にある如意輪観音像を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。創建年代は不詳ですが、一説には鎌倉時代初期の1225(嘉禄元)年に印誉という僧侶が開基し、その後衰退したものの江戸時代初期に法印朝寿が中興したと伝わります。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿」には星宿山 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺であったと記されています。ご住職の話では現在の本堂は...