メインカテゴリーを選択しなおす
↑源実朝公御首塚(みしるしづか)を訪問しました。史蹟の所在地は、神奈川県秦野市東田原1012です。史蹟概要は、秦野市公式ホームページより、以下に引用させて頂きました。概要鎌倉幕府3代将軍源実朝は、建保7(1219)年1月27日に鶴岡八幡宮への参拝が終わり、階段を下りている最中に潜んでいた甥の公暁に暗殺されます。 公暁は実朝の御首を持ち三浦義村を頼って逃走しました。しかし、義村には北条氏より公暁追討が命じられ...
#3873 葵草かづらにかけてちはやぶる賀茂の祭をねるや誰がこぞ
令和5年5月15日(月) 【旧 三月二六日 仏滅】・立夏・蚯蚓出(みみずいづる)葵草かづらにかけてちはやぶる賀茂の祭をねるや誰がこぞ ~源実朝(1192-1219) 『金槐和歌集』 0643 雑歌葵草を髪に挿頭して賀茂の祭りを練り歩くのは何処の子であろうか。Photo:葵祭の斎王代
鎌倉市坂ノ下の海浜公園に、源実朝の歌碑があります。長谷寺から成就院に行く途中で立ち寄りました。実朝は、後鳥羽上皇が熱中していた蹴鞠と和歌にも「当代は歌鞠をもって業となす,武芸廃れるに似たり」と批判されるほどに執心したといいます。承元3年7月には、和歌30首を藤原定家に送って指導を求めており、和歌は死後に『金槐和歌集』としてまとめられました。金槐和歌集(きんかいわかしゅう)鎌倉前期,源実朝の歌集『鎌倉右大...
令和4年10月8日(土) 【旧 九月一三日 先負】・寒露・鴻雁来(こうがんきたる)朝まだき小野の露霜さむければ秋をつらしと鹿ぞ鳴なる ~源実朝 『金槐和歌集』 0247 秋歌まだ夜が明けきらぬ早朝、小野に露霜が降りるくらいに寒ければこんな秋は辛いのかと鹿の鳴く声が聞こえ