1位 真田幸村
大坂冬の陣(1624)で出城の「真田丸」を構築し、徳川勢を苦しめたことで有名。翌年の大坂夏の陣(1625)でも徳川本陣近くまで攻め込み家康を追い詰めるなど奮戦するも、討ち死に。その猛将ぶりから、のちの史料で「日の本(ひのもと)一の兵」と評され現代でも高い人気を誇る名武将……扱いだけど、実際は半生の大半が不明な典型的過大評価の人。
分かっているのは関ヶ原の戦い(1600)で父・昌幸とともに西軍につき、その結果高野山に蟄居するハメになったこと。そして父が死に、大坂の陣直前にのこのこ高野山を抜け出し、一時の感情に流されたのか負け戦確実な豊臣方につき討ち死にしたことくらい。兄の信之が徳川方と懇意(側室が家康の重臣の娘)という最強の人脈があり、うまく立ち回れば小大名にでもなれたかもしれないのに、それを全く活かせないどころか、刃を向けるのだからいかに政治力がなかったかが分かる。というかただのアホ。
2位 柴田勝家
通称「鬼柴田」。萱津の戦い(1552)で30騎を討ち取るなど武勇に秀でていた人物で、織田信長に仕えてからも数多くの戦に先鋒として参加。姉川の戦いや長篠の戦いでも活躍しついには筆頭家老に登りつめるも、信長の死後に羽柴秀吉との対立が激化。賤ヶ岳の戦い(1583)に敗北し自害した悲運の人物です、世間的には。「筆頭家老だから政治力あったんじゃ」と思ってはダメです。これは佐久間信盛が失脚したおかげの、要は棚ボタ人事。
信長死後の後継者を決める清洲会議(1982)ではリーダーシップを取るどころか、台頭していた秀吉への嫌がらせの如く信長の三男の信孝を擁立し、イタズラに混乱を煽った時点で政治力皆無。交渉力もなく、秀吉が推す三法師が後継と決定される始末。無能です。賤ヶ岳の戦いでも与力の前田利家に戦線離脱されたほか、側室のお市(信長の妹)とともに自害。戦バカらしい突発的行動が目立ちます。
3位 直江兼続
上杉家を主に内政から導いた人物。戦では御館の乱(1578)や新発田重家の乱(1586)での活躍が有名。智将の印象が強いので政治力アリかと思いきや……。有名なのは「直江状」のエピソード。
家康の「上杉に謀反の気配ありと聞いたので申し開きを」の要求に対し「あり得なくないですか」とひろゆきみたいな正論風に喧嘩を売るイキった書状を返答し家康激怒、上杉征伐を決意というのが流れ。征伐は中断になりましたが、それもあり同年の関ヶ原の戦い(1600)で上杉家は西軍につき敗北し大減封、と主家に迷惑をかけた武士の恥みたいなバカです。
4位 武田勝頼
武田信玄の息子で、致命的な政治力のなさで武田家を滅亡に追いやった無能二世の代表格。一応戦では初陣で敵将を討ち取ったり、信玄が落とせなかった高天神城を攻略などの功績あり。
が、当主になると家臣団をまとめられず、家中はバラバラ。内政だけでなく外交もダメで北条氏政の妹を側室にした以外は、織田&徳川に喧嘩をうり長篠の戦い(1575)で大敗北。御館の乱(1578)では金につられ上杉家の後継者問題にしゃしゃり出て、結果織田、徳川、北条を敵に回すなどアホな行動をとり、国力も権威が失墜。味方からも見限られ、信長に滅ぼされました。
5位 上杉謙信
生涯で70近い戦に出陣し、ほとんどに勝利した戦国随一の戦上手。軍神や越後の龍といった通称も、そのセンスはともかく有名。
戦いはともかく周辺との政治は下手だったようで、小田原城の戦い(1561)では城を包囲するも、背後を武田信玄に脅かされ敢えなく撤退。北条氏康と越相同盟(1569)を結ぶも、2年後には氏康が死に、同盟破棄されるなど、戦でぼろ負けしていないからしっぽが出ていないだけで、政治力ないですよ。
また後継者を指名せず死んだため、それが原因で御館の乱(1578)が勃発。つまるところ戦争しか興味のない危ない人。