戦国時代の武将たちは、基本、功績が脚色まみれなものである。当然、その本当の素顔は知られていない。冷静に見れば極悪人としか思えない武将たちをずらり紹介する。
1位 織田信長
尾張国(愛知県西部)の地方領主から、鉄砲などの最新技術を駆使し、天下統一を目指した信長。第六天魔王を自称しただけあって残酷な話には事欠かない。
比叡山の焼き討ちでは、僧侶や女・子供など3000人を皆殺しにした。長島一向一揆でも、降伏した一揆勢2万人の逃げ道をわざわざ塞ぎ、焼き殺している。天正伊賀の乱では、伊賀の住民9万人のうち3万人を虐殺するなど逆らった者には容赦なし。猟奇的エピソードも数多く、浅井久政・長政父子や朝倉義景を滅ぼした時は、彼らの髑髏で酒器を作り、家来に披露して悦に入り、自分を鉄砲で狙撃した杉谷善住坊を捕まえると、通行人に首を鋸で引かせる刑に処した。
これほど残酷だと家臣の光秀が信長を恐れて謀反したのもやむをえない? 文句なしの1位である。
2位 豊臣秀吉
信長の草履取りという低い身分から出世を重ね、信長亡き後に天下統一を成し遂げた苦労人の秀吉だが、主君の信長同様に残酷な面を持っている。
三木城や鳥取城を攻めた際には徹底した兵糧攻めを行い、両城とも最後は飢えに苦しむ城兵たちが、既に飢え死にした同僚の肉を食らうという悲惨な事態を引き起こしている。これは日本の歴史において数少ない「人肉喰い」の事例だ。天下人となり権力を握るとさらに増長。親しかった千利休に難癖をつけて切腹に追い込んだり、甥の関白・秀次を処刑する際には秀次の幼い遺児や側室・侍女たちまで、総勢29人も連座で処刑している。
また聚楽第に自らをバカにする落書きがあった時も、門番たち全員の鼻と耳を削いだうえで磔にして殺すという残酷さ。2位も納得だ。
3位 松永久秀
室町時代末期、畿内で一時代を築いた三好長慶の家来として出世を重ねた久秀。長慶の死去後は大和国(奈良)で独立勢力を築き、のちには京に進出してきた信長の配下になる。主君・三好家への謀反、将軍足利義輝の暗殺、東大寺の大仏殿の焼却などの振る舞いから、斎藤道三・宇喜多直家と並ぶ戦国時代の三大梟雄と評されている。信長に対しても度々謀反を起こし、一度は許されるも、結局二度目の謀反時に攻められ自害した。
百姓を年貢の未払いで処罰する時に、蓑を着せて火を放って、苦しむ姿を「蓑虫踊り」と呼び楽しんでいたサディスティックな面アリ。