333: 2011/07/31(日) 12:18:06.08 ID:JI5KpnyFo
前回:幼馴染「……童O、なの?」 男「」【前編】
テストが着実に近付いていた。
ろくに勉強もしないまま、テスト前期間はあっという間に過ぎていく。
サラマンダーやマエストロはなんだかんだで真面目な人種で、残された時間を使って器用に勝率を上げ続けているだろう。
幼馴染も一見普段どおりだったが、彼女はそもそも普段から少しずつ勉強しているタイプだった。
屋上さんは部活がないとストレスがたまるらしく、微妙に声をかけづらい雰囲気だったが、相変わらずツナサンドをかじっていた。
一応、俺もテスト勉強はしていたものの、どこまで効果があるかは怪しいものだった。しないよりはマシだと信じるしかない。
一問でも解ける問題が増えれば、点を取れる確率はあがっていくわけだし。
テスト開始前日、幼馴染と妹の誕生日について話をした。
「プレゼント、決まってるの?」
「いや、それが……」
まだ決まっていない。
CDや本なんて買っても喜ぶタイプじゃないし、化粧品だとまだ早いような気がする。
かといって服なんかは自分で選びたいだろうし、アクセサリーは買っても学校につけていけない。
ぬいぐるみなんかを喜ぶタイプでもない。難しい。
「去年はなんだったっけ?」
「エプロン」
それまで使っていたのが家に置いてあった母のお下がり(ろくに使ってない)だったので、新しいのを買ったのだ。
あまりわざとらしいのは個人的に嫌だったので、水色のシンプルなものにした。気に入ってるらしい。
334: 2011/07/31(日) 12:18:46.45 ID:JI5KpnyFo
「とりあえず、考えてもちっとも思いつかないので、土曜につれまわして自分で選ばせることにした」
幼馴染は微妙な顔をしていたが、比較的マシな案だと思えた。
そこで俺が選んだものと妹が欲しがったものを渡せば一石二鳥。我ながら良い案。
「おじさんたちは?」
幼馴染が尋ねる。少し戸惑った。
「いつも通りだな」
彼女は納得したように頷く。
「まぁ、当たり前っていったら当たり前だけど」
「そうでもないだろ」
「そう?」
彼女は不思議そうに首をかしげる。俺が間違っているような気分になってきた。
俺たちは当たり前だと思ってはいけないのです。
335: 2011/07/31(日) 12:19:32.18 ID:JI5KpnyFo
昼休み、屋上にいくと、彼女はやはりそこにいた。
屋上さんはサンドウィッチを食べながら単語帳をめくっている。
「……お勉強ですか」
もぐもぐとサンドウィッチを咀嚼しながら彼女は頷いた。
「ねえ、屋上さん、自分が誕生日プレゼントをもらうならなにがいい?」
参考までに訊いてみることにした。
「なんでもいいかな」
気のない返事。
「なんだってうれしいもんでしょ。プレゼントって。あることが重要なのであって」
適当かと思えば、案外まじめな意見。
とはいえ何の参考にもならなかった。
336: 2011/07/31(日) 12:20:07.11 ID:JI5KpnyFo
「じゃあ、兄弟っている?」
「妹が二人」
「誕生日にプレゼントってあげてる?」
「まぁ、一応ね」
頷いてから、彼女は俺に疑問を返した。
「誰かの誕生日?」
「妹」
「いるんだ」
彼女は少し意外そうにしていた。
337: 2011/07/31(日) 12:20:59.17 ID:JI5KpnyFo
話題がなくなる。俺は必氏になって頭の中をあさり話の種を探した。
できれば夏休みになるまえまでに距離を詰めておきたいという下心。
四十連休の間、ずっと会わなかったら忘れられてしまいそうだ。
とはいえ、本当に距離が縮まったら、それはそれで戸惑ってしまうだろう。
このくらいの距離感がちょうどいい、という見方もできる。
ずるいかもしれない。
「ところで屋上さん、ちょっと気になったんだけどさ」
「なに?」
「たとえばここで、女子が着替えてるとするじゃん?」
「何言ってるの?」
頭大丈夫? 的な目で見られる。
「でさ、じっと見てるとするよね、俺が」
心配そうに見つめられる。
照れる。
できれば夏休みになるまえまでに距離を詰めておきたいという下心。
四十連休の間、ずっと会わなかったら忘れられてしまいそうだ。
とはいえ、本当に距離が縮まったら、それはそれで戸惑ってしまうだろう。
このくらいの距離感がちょうどいい、という見方もできる。
ずるいかもしれない。
「ところで屋上さん、ちょっと気になったんだけどさ」
「なに?」
「たとえばここで、女子が着替えてるとするじゃん?」
「何言ってるの?」
頭大丈夫? 的な目で見られる。
「でさ、じっと見てるとするよね、俺が」
心配そうに見つめられる。
照れる。
338: 2011/07/31(日) 12:21:51.38 ID:JI5KpnyFo
「でも、下着とか一切見えないんだよ、不思議と」
「さっきから何が言いたいのかまったく分からないんだけど」
「たとえば屋上さんが制服からジャージに着替えるとするでしょう」
「ええ」
「そのとき、屋上さんはスカートのまま下にジャージを履いて、そのあとスカートを脱ぐよね?」
少し考え込んだ様子の屋上さんは、やがて「ああ」と納得するような声を漏らした。
「それが?」
「女の子っていつのまにああいう技術を習得するの?」
彼女は少し呆れてながら、ちょっとだけ考えて、俺の疑問に答えてくれた。
339: 2011/07/31(日) 12:22:28.82 ID:JI5KpnyFo
「たぶん、男子の着替えって、周りに人がいても気にしないんだよね?」
「ああ、まぁ」
男子同士でも気にならないし、女子がいても、別になんとも思わない。
騒がれたらまずいので目の前では着替えないだけで。
「でも女子って、男子だろうと女子だろうと、見られるのが嫌なわけね」
「……女子だろうと?」
「女子だろうと。ていうか、男子なら恥ずかしいだけだけど、女子だと本当に見られたくない」
なんとなく理由は想像がつくものの、今まで気付きもしなかった感覚だった。
「それで、毎回毎回隠しながら着替えているから、もはや習性」
習性。面白い言葉が出た。習性だったのか。
和やかな会話をしながら、屋上さんと昼食をとった。
340: 2011/07/31(日) 12:22:56.97 ID:JI5KpnyFo
テスト前日の夜は必氏に勉強をした。
一夜漬け。とはいっても付け焼刃にしかならないと分かっていても、必氏になってノートにかじりつく。
早めに眠って、翌日に備える。万全の準備をした。
が、それだけ前準備をしていたにもかかわらず、終わってみればテストの手ごたえはほとんどなかった。
「だいたいさ、おかしいだろ」
俺の呟きに、幼馴染は心底同情するような視線を向けた。
「だって、テストに出ることってだいたい教科書に載ってるじゃん。だったら、分からないことがあったら教科書を見ればいいわけで」
俺は大真面目に言ったつもりだったのだが、彼女は苦笑するだけで同意はしてくれなかった。
元素周期表なんてものは必要としている奴が壁にでも貼っておけばいい。本当に必要としているならそのうち覚えてる。
家に帰ってからもしばらく憂鬱な気分は続いたが、終わったことをずっと考えていても仕方ないので、俺は土曜日のことを考えた。
一応、妹に行き先と目的を告げて出かけることは言ってある。
財布をいつもより厚くしておく。
妹だけに決めさせるのも申し訳ないので、俺もいくつか案を考えておいたが、実際に見て気に入ったものがあればそれにすればいいだろう。
341: 2011/07/31(日) 12:23:38.54 ID:JI5KpnyFo
ベッドに倒れこんで一日の反省をした。
勉強、せねばなるまい。
蝉の声に耳を傾けてしばらくぼーっとしていると、あるときを境にその音が耳が痛くなるほど大きくなった。
窓に目を向けると、蝉が網戸に止まっていた。
「おお! すげえ! 近い!」
思わず携帯で写メる。
蝉の腹の画像がデータフォルダに保存された。
夏だなぁ。
網戸を一度開けて、がんっ! と閉めなおした。蝉は羽を広げてどこかに飛んでいく。
もう一度がらりと開ける。青い空が広がっていた。
「夏――――ッ!」
思わず叫ぶ。
近所の犬が呼応するように吼えた。
子供たちの笑い声が聞こえる。
テストは終わった。
もう夏休みは目前だ。
342: 2011/07/31(日) 12:24:24.64 ID:JI5KpnyFo
土曜は近場のショッピングモールへと行った。
日用品から服、インテリア、楽器屋、靴屋、雑貨屋、ギフトショップ、アクセサリーショップ、ペットショップ、フードコート。
大小含めておびただしい数のテナントが並んでいて、大勢の人々がさまざまな店に出たり入ったりしている。
冷房の効いた店内に入っても、人波は独特の熱気を持っていてとても涼めはしなかった。
店が多いのはいいものの、おかげで一日で回りきれるほどの広さではない。
ある程度目的を決めて動かないといけない。
とりあえずぼんやりと決める。
服屋はなしにして、鞄、財布なんかを回るのがいいか、それとも小物か、アクセサリーか。
考えるのが面倒になったわけではないが、妹に先導をまかせて後をついていくことにした。
普段はあまり来ないところだからか、妹はいつもよりはしゃいでいた。
人ごみは得意ではないはずなのに、疲れた様子を見せることもない。
この反応だけで、まぁいいか、と思ってしまう。
343: 2011/07/31(日) 12:24:50.87 ID:JI5KpnyFo
雑貨屋を回る。クッション、ペン立て、本棚、クッション、ぬいぐるみ、さまざまなものが置いてあった。
妹はいろいろなものを触ったりしながらいろいろと見て歩いた。
俺も追いかけながら、いろいろと手にとってみる。
次にアクセサリーショップを見に行くが、これにはあまり食指が動かないようだった。
いつも身につけていられるとはいえ、金額も相応だし、学生はおおっぴらには付けて歩けない。
そもそも兄にプレゼントをされたネックレスやらなにやらを身に付ける女子というのも微妙な塩梅だ。
そうなるとやっぱり家の中で使うものがいいだろう。あるいは財布のようなもの。
「財布は、別になあ」
と妹は言う。そもそも財布にこだわる感覚が分からないのだろう。
使いやすくてあまりデザインのひどくないものなら何でもよさそうだ。
しばらくいろんな店を見て回ると、あっというまに昼時になった。
混み始めてからだと困るので、早めにフードコートへ向かったが、それでも人は大勢いた。
昼食にラーメンがいいんじゃないかと提案したところ、妹がひどく不機嫌になった。ラーメン、悪くないのに。
仕方ないのでハンバーガーにする。これも妹は少し難色を見せたが、他よりはマシと判断したらしい。基準が分からない。
「こうしてると、デートみたいだね」
と、言ってみた。俺が。
「馬鹿じゃないの?」
反応は辛辣だった。ひでえ。
344: 2011/07/31(日) 12:25:17.58 ID:JI5KpnyFo
腹ごしらえを終えて、少し休憩していると、聞き覚えのある声に話しかけられた。
後輩だった。
「どもっす」
「おす」
「どうも」
後輩は前にファミレスで会ったときと変わらない様子だった。
「デートすか」
「デートっす」
「違います」
示し合わせたような会話に、後輩はけらけら笑う。
345: 2011/07/31(日) 12:26:43.79 ID:JI5KpnyFo
「そっちはデート?」
「ああいや。家族です」
彼女はちらりと遠くの席を見た。
少しの間、話をしていると、食器の載ったトレイを持ったまま後輩に誰かが話しかけた。
どこかで聞いたような声だと思って振り向いたが、その顔に見覚えはなかった。
太い縁の赤い眼鏡。まっすぐ下ろした髪。その表情はどこかで見たことがあるような気がした。
彼女は一瞬だけ俺を見ておかしな反応をした。その直後、後輩を置き去りにして早々に去っていく。
「待って、ちい姉!」
後輩の言葉を耳ざとく追いかける。ちい姉。「ち」がつく知り合いはいない。たぶん気のせいだったのだろう。
「それじゃ、私行くんで。デート楽しんでください」
「デートじゃないです」
後輩は颯爽と去っていった。スタイリッシュ。
混み合ってきたフードコードを出る。人の出入りが多い。はぐれないようにあまり離れないように注意する。
「手でもつなぐ?」
「冗談でしょ」
半分くらい本気だったが、そう言われては仕方ない。
346: 2011/07/31(日) 12:27:27.62 ID:JI5KpnyFo
結局さっきの雑貨屋が一番よさそうだったので、その中を歩いてみることにする。
「マグカップ。どうよ?」
無難なものを押す。
妹は満更でもなさそうだった。
長い間、彼女はさまざまなマグカップの形や色や柄を眺めていた。
やがてこれだというものを見つけたらしく、俺に向けてそれを得意げに抱えた。
外側が黒く塗られた、シンプルな形のものだった。
一瞬怪訝に思う。本当にこれでいいのか? 受け取ってよく観察してみると、側面に小さな猫の後ろ姿が白線で描かれていた。
そしてその足元にはアルファベットが並んでいる。不器用そうなフォントで『can't sleep...』。切なげな猫だ。
「これでいいの?」
真っ黒というのも変なものだと思う。
「うん。これがいい」
いたく気に入ったらしい。そこまで言うならと早々に決定した。
満足顔の妹を横目に笑う。安上がりな奴。もうちょっと贅沢をしても誰も責めないのに。
347: 2011/07/31(日) 12:27:54.64 ID:JI5KpnyFo
俺はレジに寄る前に写真立てのコーナーを探した。少なくない種類がある。どれも同じに見えたが、一応意見を聞いておいた。
「どれがいいと思う?」
妹はよく分かっていない顔をしていたが、それでもちゃんと選んでくれた。シンプルであまり気取っていない木製のもの。
カメラは帰りに使い捨てのものでも買うか、と思ったが、デジカメがあるのでそれをプリントすればいいと気付いた。データのまま保存できるし。
写真屋で現像を頼むことなんていつの間にかなくなった。
せっかく来たのでもう少しだけ回って歩こうかとも思ったのだが、割れ物を持ち歩くのは少し怖いし、人ごみに疲弊しつつもあった。
早い時間だが家に帰ることにした。
妹は帰る途中も期限をよくして鼻歌を歌ったりしていた(鼻歌は歌うで合っているのだろうか)。
最近は「馬鹿が割り増しになったよね」とか言われることもなかったし絶対零度の視線を浴びせられることもなくなった。
良い傾向なのか悪い傾向なのかは分からない。
まぁ、考え事をしたって仕方ないし、と割り切る。
348: 2011/07/31(日) 12:28:38.28 ID:JI5KpnyFo
家に帰ってからひとりで買い出しに出た。
自分で自分を祝う食事を作るのも妙な話なので、明日の食事の準備は俺がすることになっている。
せっかくなので大量に作ることにした。豪勢に。好きなものを。
買い物を終えて家に帰ると幼馴染とユリコさんがいた。
どうやら妹の誕生日前日ということで、プレゼントを置きにきたらしい。
彼女たちはプレゼントを妹に渡してわずかに言葉を交わしたあと早々に帰っていった。
その後俺たちは夕飯をとってリビングで暇を持て余した。
テストが終わったばかりで、何もすべきことが見当たらない。
とにかく映画でも観るかと思ったけれど、もう見飽きたものばかりで見たいものがない。
結局その日は何もせずに眠った。
後で聞いた話だが、幼馴染からは熊のぬいぐるみ的ストラップ、ユリコさんからは熊型目覚まし時計だったらしい。
なぜ熊なのかは疑問だが、本人が気に入っているようなのでよしとする。
349: 2011/07/31(日) 12:29:14.24 ID:JI5KpnyFo
翌日。
基本的にはいい親ではない両親も、妹の誕生日だけはきっちりと休みを取る。
というのも、一度大幅に遅刻した際に妹がかなりのダメージを負ったからだ。
大泣きした。後にも先にもあんなに泣いたのはあのとき限りだ。
普段忙しい人たちで、ゆっくり話をすることも難しいので、特別な日くらいは帰ってきてほしいと思ったのだろう。
その日は結局待ちきれずに先に寝てしまった。かなり落胆していたのか、その日は同じ部屋で寝ようとしたほどだった。
実際、同じ部屋の同じベッドで眠ろうとしたが、それは今は関係のない話だし、俺が役得を感じていたかどうかもどうでもいいことだ。
結局二人が帰ってきたのは日付が変わる頃だった。
物音で目を覚ました俺たちは、両親を出迎えた。嫌な見方をすれば、彼らとしてはなんとか体裁を整えられたということだ。
間に合ったといえば間に合ったけれど、間に合わなかったといえば間に合わなかった。
生活が切迫しているわけでもないのに、それでもどちらかが仕事をやめたりしないのは、やっぱり好きだからなのだろうか。
ふて腐れるような歳ではないにせよ、あんまり面白くない。もうちょっと家庭を顧みろ。
日曜の朝、妹と二人で朝食をとっていると、父が寝室から出てきた。寝癖をつけたまま。
仕事に行くときはぴしっとしているが、家にいるときはひたすらにだらしない。
おはよう、って言うとおはようって言う。挨拶は魔法の言葉です。
350: 2011/07/31(日) 12:29:41.94 ID:JI5KpnyFo
三人でダイニングテーブルに向き合って食事をとる。今度は母が降りてきた。
両親の分も食事を用意するのは妹だった。世話を焼いているだけで楽しそうなのでよしとするが、あまり釈然としない。
とはいえ俺も甘んじて世話を受けているわけで、まぁ人のことはとやかく言えない。
だらだらと一日を過ごす。
遠出をしても疲れるし、ゆっくりと過ごすのが休日の正しい過ごし方。
我が家に安心を見つけることで、人々は安らぎを得ることができるのです。
会話がないが、誰かがそれを不服に感じることはない。
仕事の話なんて聞いたところでちっとも面白くないし、学校のことを話したって仕方ない。
ぼんやりテレビを見ながら、それでもリビングに揃う。
二時を過ぎた頃、渋る三人を押し出すようにして出かけさせた。とりあえず店でも回ってきて、帰りにケーキでも買ってくるといい。
「いかないの?」
妹が尋ねる。
「晩御飯は腕によりをかけようと」
不服そうだったが、俺がいないほうが両親も落ち着いて妹と話せるだろう。両方いるとどっちと話せば良いか分からないだろうし。
351: 2011/07/31(日) 12:30:23.18 ID:JI5KpnyFo
五時半を過ぎた頃に料理を始める。久々だったので道具の位置やらなにやらで手間取った。
その頃にちょうど三人も帰ってくる。どこに行ったかは分からないが、とりあえず満足そうだった。
寝転がりたがる三人を無理やり並ばせてデジカメで写真を何枚か撮っておいた。
その後、母親が料理の手伝いをしたがった。はっきり言って足手まといだったが、せっかくなので手伝ってもらう。
料理が作りおえてテーブルに皿を並べた頃、ちょうど六時を回った。
たいして苦労したわけではないが、見栄えだけは良かったし量も多いので迫力があった。
父が大食漢だということを考慮したうえでの量だったが、あっというまに減っていった。
食事の後、少し時間を置いてからケーキを切り分ける。なぜか巨大なホールケーキだった。
明らかに余る。
蝋燭に関しては妹が嫌がったので省略した。そういうこともあるだろう。母は残念がっていた。
イチゴの乗ったショートケーキ。シンプル。バースデイケーキ、という形。示唆的。
「おめでとう」
「ありがとう」
ごく平凡(少し過剰なほど)な家族の誕生日が過ぎていった。
352: 2011/07/31(日) 12:30:52.38 ID:JI5KpnyFo
買い物に行ったときに、プレゼントはもらったらしい。何をもらったのか聞くつもりはなかった。
両親はリビングに残って買ってきたと思しき酒を飲んでいた。
夫婦水入らず。二人揃うのも久しぶりなのだと思って放っておく。
さっき撮った写真を大急ぎでプリントアウトした。
渡さずにいた写真立てに写真を入れて、妹の部屋に行く。
俺がドアを開けたとき、彼女は疲れてベッドに倒れこんでいたようだった。
「ほれ」
気安げに渡した。照れ隠し。
妹は少し驚いていた。素直に感謝される。照れる。
妹はなんだか微妙そうな顔をしていた。良いことが続きすぎると怖くなるものだ。
「一緒に寝るか?」
軽口を叩く。
「馬鹿じゃないの?」
いつもの調子で言われた。
とりあえず、今日はそこそこがんばった方じゃないかな、と思う。
365: 2011/08/01(月) 11:17:06.30 ID:FfC3rck9o
週明けにはテストが返却され始めた。点数は思っていたよりも悪くなかった。
せっかくなので誰かと点数勝負がしたくなった。
キンピラくんに声をかける。
「点数勝負しようぜ」
「なんで勝負なんだよ」
「男だからだよ」
男ならしかたない、とキンピラくんは納得したようだった。
「全教科の合計点数を競う。もし俺が負けたら、なんでもしてあげるよ。三回回ってワンと鳴くくらいなら」
「おい、結構『なんでも』の幅が狭えぞ」
俺はキンピラくんの言葉を無視した。
「もし俺が勝ったら……」
「勝ったら?」
「お……」
俺は大真面目に言った。
「俺とメル友になってください」
「何言ってんだおまえ」
心底心配そうな目で見られた。友達ほしい。
366: 2011/08/01(月) 11:17:34.41 ID:FfC3rck9o
「じゃあ、もし俺が勝ったら」
「勝ったら?」
「俺の分の夏休みの課題、全部やってもらう」
「あ、ごめん。俺ちびっこ担任に用事あったんだわ」
「逃げんなてめえぶっ飛ばすぞ」
シリアスに言われる。負けるわけにはいかなくなった。
手始めに既に返ってきている答案の点数をお互いに言い合う。
圧勝していた。
この分だと俺の勝利は確定的だ。
それなのにキンピラくんは自分の勝利を微塵も疑っていないようだった。
何が彼に自信を与えてるんだろう。間違いなく自信だけが先走っている。
俺は不敵な笑みを浮かべるキンピラくんに少しだけ同情した。
367: 2011/08/01(月) 11:18:02.79 ID:FfC3rck9o
結果から言ってしまうとキンピラくんとの勝負に俺は勝った。
全教科の答案が返却されたのち、赤外線で互いのアドレスを交換しあう。
「毎日電話するね、ダーリン!」
語尾にハートをつけた。
「もう氏ねよおまえ」
キンピラくんは辛辣だったが、俺はご機嫌だ。
携帯のメモリにまたデータが増えた。
試しに適当な文面を送信する。
キンピラくんは律儀にも返信をくれた。
怒りマークの絵文字。
微笑ましい気持ちになる。
彼が意外とメール魔だと気付いたのは夏休みに入ってからだった。
368: 2011/08/01(月) 11:18:35.75 ID:FfC3rck9o
学期最後の週、屋上さんと昼休みに遭遇する。
もはや日課と言ってしまってもいいほど、彼女と一緒に昼食をとることが多くなった。嫌がられることも不思議とない。
とはいえ彼女と話すこともだいぶ消費され尽くしてしまい、既にほとんど会話と言えるものは生まれない。
老夫婦のような空気。
と、前に口に出して言ったら「いっぺん氏ねば?」と言われた。
口は災いの門である。
屋上さんに夏休みの予定を聞いたら、彼女は押し黙ってしまった。
「……部活」
長い沈黙のあと、彼女は短く呟いた。
「他には?」
「なにも」
彼女は苛立ちをぶつけるようにハムサンドをかじった。
369: 2011/08/01(月) 11:19:25.43 ID:FfC3rck9o
「じゃあ俺と遊ぼう」
誘ってみた。
「なんで?」
嫌そうだ。
「え、だめ?」
「ダメ」
ダメらしい。それなら仕方ない。
弁当をつつきながら屋上さんのことを考える。
俺が彼女について知っていることなんて、名前と顔と学年くらいだ。
あと妹がふたりいる。その程度。
距離が縮まっているようで、まるで縮まっていない。
370: 2011/08/01(月) 11:19:52.78 ID:FfC3rck9o
屋上さんはハムサンドを食べ終わると今度はタマゴサンドをあけた。数個用意してあったらしい。
「食べる?」
俺は差し出されたタマゴサンドを受け取った。美味い。
もしゃもしゃと咀嚼ながら彼女の方を見上げる。
強い風が吹いた。
ぱんつ見えた。
――久しぶりだなぁ。
しばらく沈黙が落ちた。
「見た?」
奇妙な迫力があった。
「白でした」
ありだと思います。
正直に答えたのに、彼女は何も言ってくれなかった。
屋上さんとの間に溝が出来た気がする。
でも事故。俺悪くない。
371: 2011/08/01(月) 11:21:18.56 ID:FfC3rck9o
「まぁいいや」
屋上さんは意外にも何の文句も言わなかった。
思わずのけぞる。
「それは覗いてもお咎めなしという意味?」
男として聞かずにはいられない。
彼女は俺の言葉に簡単な答えを返した。
「事故だから許すという意味」
以前を考えれば格段の進歩だ。
距離が縮まってないように思えて、やっぱり縮まっているのかもしれない。
俺はひとつ咳をしてから、屋上さんに別れを告げて教室に戻った。
372: 2011/08/01(月) 11:22:08.27 ID:FfC3rck9o
ある日、妹に贈った写真立てに、二枚目の写真が入っていることに気がついた。
何が写っているのかを聞こうかと思ったが、あんまり詮索するのもおかしいだろう。
気にかかっても聞かずにいたのだが、
まさか彼氏か。ツーショットか。
と思うとなんだかやりきれなくなったので、やっぱり実際に聞いてみた。
「彼氏?」
「違うから」
違うらしい。
じゃあ何が写ってるの? と聞いても答えてくれない。仕方ないことではあった。
373: 2011/08/01(月) 11:22:36.25 ID:FfC3rck9o
幼馴染に電話でそのことを相談すると、反応は淡白だった。
「写真立てにどんな写真を入れたって、妹ちゃんの自由じゃない?」
まぁそうなのだけれど。
ちょっと気になる。
「もともとはどんな写真入れてたの?」
「家族の」
「へえ」
「俺は写ってないけど」
「……なんで?」
単に操作の仕方が分からなかったので、自分で撮るしかなかった。
それに、なんで俺が写ってないんだろう、と考えるたびに、そのときの状況を事細かに思い出せるのではないかと思った。
思い出的なものを保存するにはちょうどいい感じがする
374: 2011/08/01(月) 11:23:03.46 ID:FfC3rck9o
幼馴染は呆れたようだった。
「それってさ、たぶん……」
「たぶん?」
彼女はそこで言いにくそうに言葉を区切る。安楽椅子探偵が何かを言おうとしていた。
「……やっぱり、なんでもない」
私が言うことじゃないし、と彼女は言った。
すごく気になる。
が、問い詰めても答えてはくれないだろう。
ままならない。
375: 2011/08/01(月) 11:24:01.92 ID:FfC3rck9o
そんなふうにして学期の残りはすごい速さで消費されていった。あっというま。
最後の部活の日に、予定表を渡される。特に何があるわけではないが、他に予定がない限り部活には出ようと思っていた。
なんだかんだで学校は嫌いじゃない。特に、夏休みの学校の、あのひんやりとした感じ。
どことなく空気が軽やかになっていく。
夏休み、という感覚。開放感。
それだけで周囲が違って見えた。新鮮に見えたし、色鮮やかに感じられた。
終業式は暑い日だった。
あまりの暑さにほとんど記憶がない。
帰り際に誰かに話しかけられたが、そのときにはもうほとんど意識がなかった。
あんまりにも頭がぼんやりするので、早々に家に帰ってソファに寝転がっていた。
目を覚ましたときには夕方で、俺は自分が夏休み直前に風邪を引いたことに気付いた。
「体調管理……」
幸先が悪い。
そういえばテストが終わってからも、原付の免許の勉強をしていたのだ。
簡単だとは聞いていたけれど、さすがに知識も何もないのでは話にならない。
それに不安もあった。勉強は多めにしておくに越したことはない、と感じた。
376: 2011/08/01(月) 11:24:36.33 ID:FfC3rck9o
全身がだるい。
食欲がない。
頭痛がする。
寒気。
こりゃ風邪だ。
咳が出る。
熱っぽい。
喉がいがいがする。
苦しい。
「あうえ……」
謎の声が出た。
身体がだるくて動かせない。ソファに倒れこんだまま目を瞑る。
しばらく寝ているのか起きているのか分からない時間を過ごす。
喉が痛い。
洟が大してひどくないのが救いといえば救いだが、暑くて息苦しいのは変わらない。
これは早めに寝たほうがいいだろうと判断して、ふらふらになりながら自室へ向かう。
ベッドに倒れこむ。本当にひどい。風邪だと認識したとたんに具合が悪くなってきた。プラシーボ効果。
377: 2011/08/01(月) 11:25:03.41 ID:FfC3rck9o
瞼を閉じてから、薬を飲めばよかったと舌打ちした。
しばらくすると、妹が帰ってきたのが分かった。建てつけが悪いのか、うちのドアは開け閉めするときに大きな音がする。
そのうち祖父に頼んで見てもらおうと思っていたが、いつも忘れる。
妹は誰かと一緒に帰ってきたらしい。話し声が聞こえる。リビングに置きっぱなしの鞄を見て文句をこぼしているようだった。
蝉の鳴き声が、いつのまにか蛙の鳴き声に変わっていた。
目を開くと、周囲は思ったより暗い。想像以上に長い時間休んでいたらしい。
少しだけ身体を起こす。そこまでひどくない、と判断する。喉だけが痛み、あとはだるさと熱っぽさだけだ。
階段を登る音。妹がカーテンを閉めながら部屋に近付いてきた。
部屋のドアが開けられたとき、それまで遠くに聞こえていた足音を近くに感じた。
「どうしたの?」
「風邪気味なのです」
げほ、と咳をする。
妹を追いかけるようにふたつめの足音が近付いてくる。
幼馴染がいた。
「……俺は果報者ですなあ」
「ひどい声だよ」
渾身の冗談をスルーされた(半分本音だった)。
378: 2011/08/01(月) 11:25:34.11 ID:FfC3rck9o
「熱はかった?」
「計ってない」
「起きれる?」
「あー……まあ」
「食欲は?」
「あんまし」
風邪なんて引いたのは久しぶりだ。
「雑炊つくる?」
「ぞうすいはー」
苦手だった。猫舌だから。
ここぞとばかりにわがままを言う。
379: 2011/08/01(月) 11:26:22.47 ID:FfC3rck9o
「できればミカンとか桃とかそういうアレな缶詰とか……」
「後で買ってくるけど、ご飯は?」
「今はたべられぬー」
布団にくるまる。
「じゃあ後で雑炊つくるから」
「うん」
苦手だけど、食べないと治らない。
「もうちょっと身体が強ければいいのにねえ」
ちょっと疲れが重なるとすぐに風邪を引いてしまう。普段はなんともないのに。
「いったん風邪引くと弱いからね、お兄ちゃんは」
妹は呆れたように溜息をついた。
380: 2011/08/01(月) 11:27:00.51 ID:FfC3rck9o
「とりあえず、着替えた方いいよ」
制服のままだった。
だるさを押して身体を起こす。その場で着替えようとしたとき、幼馴染がいることに気付いた。
目が合う。
「いつまで見ておられるのか」
「妹ちゃんもいるし、私もいいのかなって」
何の話をしているのだろう。
「マナー。デリカシー」
目で語りかける。
照れられた。なぜ?
「恥ずかしがることないのに」
子供の頃はビニールプールで裸になって遊んだ間柄ではあるが、今となっては昔のことだ。
幼馴染を追い出して寝巻きに着替える。中学のときのジャージ。
「だーるい」
なぜだか口調まで変わる。
だるい。
381: 2011/08/01(月) 11:27:37.61 ID:FfC3rck9o
携帯を見る。キンピラくんからメールが来ていた。
『暑いな』
しらねえよ。
俺は手短に返信した。
『むしろ熱い』
即座に携帯が鳴った。
何者だ。
『熱いな』
一旦寝て、明日「ごめん寝てた」とメールすることにした。
メール文化って馴染めない。
体温計で熱をはかる。
三十八度三分。
「平熱!」
「何バカなこと言ってんの?」
怒られた。
妹が料理をするためにキッチンへ向かう。なぜか幼馴染が部屋に残った。
382: 2011/08/01(月) 11:28:07.26 ID:FfC3rck9o
「なにしにきたの?」
幼馴染は変な顔をした。
「妹ちゃんと話をしに」
「話、ですか」
せっかくの終業式の午後に。
そういうこともあるだろう。
「一緒に買い物してて、帰るの遅れたんだ。ごめん」
なんで謝るんだろう。
「風邪、うつるから。早く帰ったほうがいいよ」
幼馴染は頷いたけれど、すぐに立ち去ろうとはしなかった。
「どしたの?」
彼女は何か迷うような表情をしていた。
やがてそれを断ち切るように顔を上げて、俺の方を見た。
「ごめん、やっぱり帰るね」
「言いかけて止める癖、やめろよ」
ちょっと本気で言った。
幼馴染は苦笑して応える。
「ごめん。なんか、言いたいことはあるんだけど、自分が言うべきことじゃない気がするんだ」
分からないでもない。
そのあたりの線引きは難しい。
俺と幼馴染が、家族のように育ったとしても家族ではないように。
どこまで踏み込んでいいかは難しい。
383: 2011/08/01(月) 11:28:34.90 ID:FfC3rck9o
「なんだよ。遠慮すんなよ。俺らの仲だろ」
寂しさを紛らわすためにわざと茶化した。彼女はそれを無視して部屋から出て行こうとする。
「明日、お見舞いくるから」
「缶詰買ってきて」
距離を測りかねている、と思った。
線引きが難しい。
でもまぁ、しかたない。
どうせこれから散々悩んでいくことになるんだろうから、今気にしたって損だ。
384: 2011/08/01(月) 11:29:03.93 ID:FfC3rck9o
幼馴染が帰ったあと、少しの間眠っていた。熱のせいでぼんやりとする頭で、ぐるぐると考え事をしていた。
その考え事はまどろみの夢に反映された。
夢が心象をあらわすというけれど、俺が見る夢は示唆的というよりも直喩的だ。
「私、童Oの人とはお付き合いできないの」
心底申し訳なさそうに幼馴染が言う。
「お兄ちゃん、いまどき童Oとか、さすがにないよ」
心底残念そうに妹が言う。
そして二人は誰かと一緒にいなくなる。
いなくなる。
置いてけぼりの気持ち。
いつかいなくなってしまうこと。
不安。
バカみたいだ。
でもなくならない。
困った。
風邪をひくと弱気になってしまって困る。不安になる。
とても一人が怖くなる。
385: 2011/08/01(月) 11:29:48.34 ID:FfC3rck9o
まどろみの中で、夢はかすかな変化を遂げる。
いなくなった誰かは、いつのまにか両親に取って代わられた。
いつまで待っても帰ってこない人たち。
泣いて追いかけても追いつけない人たち。
置いてけぼりの気持ち。
両親が本当に仕事で忙しかった頃、俺と妹は二人で祖父母の家に預けられた。
彼らはよく面倒を見てくれたのだと思うが、今でもときどき夢に見る。
引き離された感触。
眠る直前まで傍にいた人が、目を覚ませばいないこと。
置き去り。
意識が不愉快な記憶を反芻し始めた頃、俺は浅い眠りから覚めた。
目を覚ましたのは携帯が鳴ったからだった。キンピラくんからメール。無視するな、という旨。それを無視する。
うなされていたようだった。滲んだ冷たい汗を拭って溜息をつくと、妹がちょうど食器を持って部屋にやってくる。
386: 2011/08/01(月) 11:30:14.61 ID:FfC3rck9o
「雑炊ですか」
「うん」
妹はベッドの脇に腰掛けて食器を膝の上に乗せた。熱そう。
スプーンで雑炊をすくって、息を吹きかけて、冷ましてから、俺の口元にそれを運ぶ。
「手、動くから」
「いいから」
「よくないから」
昔風邪を引いたときに、祖父母が似たようなことをしてくれた。だから俺もまた、妹が風邪を引いたとき似たようなことをしたわけだが。
さすがにこの状況は想定していない。
でもまぁ、せっかくだし、人生経験で何が役に立つかも分からないので、一応受け入れることにした。
387: 2011/08/01(月) 11:30:41.49 ID:FfC3rck9o
「美味しい?」
「美味しい」
恥ずかしいけど。
「ずっと体調悪かったの?」
「別に」
身体がだるいのは暑さのせいだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
「もういいよ、あとは自分で食べるから」
「だめだよ」
何がだめなのか。
結局最後まで妹はスプーンを放そうとしなかった。
逆の立場になったときは存分に世話をしてやろう。
388: 2011/08/01(月) 11:31:10.90 ID:FfC3rck9o
せっかく病気になったのだし、上手く使えないものかな、と打算。
ちょっと卑怯かな、と思いつつも。
「なあ」
妹は俺が寝るまでいるといって部屋に残っていた。
俺たち兄妹には基準にすべき家族がいない。お互いがお互いの模倣をする。
だから、互いに対する態度は自然に似通う。性格や立場が大きく言動や態度を変えることはあっても、本質的には似たものになる。
「写真立ての中の、二枚目の写真、なんなんだ?」
妹は少し迷ってから、立ち上がって部屋を出て行った。少しして戻ってきたときには、手には写真立てを持っていた。
「お姉ちゃんにも、同じこと聞かれた」
言いながら写真立てを差し出してくる。なんだか不満そうだった。
受け取って、写真を取り出す。
――見なかったことにした。
「なんか言ってよ」
「何を言えばいいやら」
「私がバカみたいじゃない」
389: 2011/08/01(月) 11:31:38.73 ID:FfC3rck9o
「いやまぁなんといいますか」
若かりし頃の僕と妹の写真でした。
「自分が写ってない写真しか寄越さないからわざわざ二枚入れてたのに」
「……なんといいますか」
「全員だったら文句はなかったのに」
ひょっとして写真立てを渡したときに微妙そうにしていたのもこれだったのだろうか。
そのあと、少しだけ話をした。俺は気付くと寝ていて、特に夜中目覚めるようなこともなかった。
悪い夢も見なかった。
なんだかな、と思う。
些細なことで浮いたり沈んだり、ちょっとだけ疲れる。楽しいんだけど。
とりあえず、そのうちまた写真でも撮ることにした。風邪が治ったら。
416: 2011/08/02(火) 11:17:11.35 ID:DyoUjAOYo
翌朝には、体調も多少よくなっていた。まだ微熱は残っていたけれど、今日一日休んでいれば治るだろう。
大事をとって薬を飲んでベッドで寝ておく。食事はリビングに下りてとった。
十一時を過ぎた頃、昨日言った通りに幼馴染がやってきた。
「はい、缶詰」
「苦しゅうない」
俺はベッドにふんぞり返った。
咳が出た。情けない。
「まだつらい?」
「だいぶ楽になった」
養生しております。
417: 2011/08/02(火) 11:17:40.02 ID:DyoUjAOYo
「あのね、風邪が治ってからなんだけど」
「なに?」
「水族館行かない?」
「水族館」
唐突だった。
幼馴染はたまに突飛なことを言い出す。たいていがユリコさんの案。
以前、突然思い立ったといって二泊三日の旅行に行ったこともある。
今回もどうやらそういうアレらしい。
「いつになるかにもよるけど、うん」
遠出をすると心が沸き立つのです。
その後、妹が剥いてくれたリンゴを三人で食べた。
418: 2011/08/02(火) 11:18:23.28 ID:DyoUjAOYo
三日もすれば風邪は治った。誰かにうつった様子もない。とりあえずはほっとした。
失われた夏休みの一部を惜しみながら、課題を少しずつ消化する。後でまとめてやるにせよ、減らしておくに越したことはない。
平日には祖父の車に乗せられて免許センターに行った。
書類の空欄を埋めるのに悪戦苦闘する。受付に書類を提出すると今度はたらいまわし。
適性検査。問題なくクリアする。最後に揃った書類を出して申請が終了する。
待合室の長椅子では、俺と同じくらいの年齢の人たちが問題集と向かい合っていた。
真似してみようと思って鞄から問題集を出す。すぐ飽きる。緊張で集中できない。
長い時間待たされてからアナウンスで試験会場へと誘導される。番号に従って席に座る。落ち着かない。
小心者ですから。
学科試験は手ごたえはあったが自信はなかった。
問題はほとんど解けたつもりでいるものの、不安が残る問題が五問以上ある。ケアレスミスがないとも限らない。
時間を置いて合格者の発表。電光パネルに番号が表示される。
自分の受験番号を見つけてほっとする。祖父にメールをしながら横目で周囲を見た。
419: 2011/08/02(火) 11:19:00.60 ID:DyoUjAOYo
二人で来たのに、片方だけが受かったと思しき人たちがいた。よかった、一人で来て。あれは気まずい。
片方が安堵で表情をゆるめているのに対して、もう片方が少しいたたまれないような顔をしている。
また今度がんばれ。上から目線で思った。
午後の講習が終わってから携帯を開くと、妹からも祝いのメールが来ていた。終わってみると祝われるほど大したことじゃない。
祖父に電話をすると付近の本屋で待機しているという。歩いていける距離なので、そのまま向かうことにした。
本屋で部長と遭遇した。手には参考書。自分の未来を見せられているようで思わず不安が浮き上がる。
少し話をした後、すぐに別れる。次に会うのは部活のときだろう。
祖父の家に寄って、従兄のナオくん(通称)が昔使っていた原付を譲り受ける。
彼は車があるのでもう使わないらしい。ちょうどいい。
さっそく原付に乗って帰る。少しだけ緊張したけれど、運転しはじめると大したことはなかった。
ただ、多少は心臓が痛かった。
420: 2011/08/02(火) 11:19:34.96 ID:DyoUjAOYo
翌日、目を覚ましてリビングに行くと、誰もいなかった。妹はまだ寝ているらしい。
起こそうか迷ったが、どうせ休みなのだしと放っておく。
結局、妹が起きたのは正午になる頃だった。
昼過ぎには幼馴染がやってきた。
例の水族館の話で、予定を聞きにきたらしい。
どうせ部活以外には予定と言えるものはない。妹も似たようなものだったので、すり合わせは簡単にできた。
明日らしい。
「急な話だ」
「日帰りだしね」
そりゃそうだけど。
「で、今日、花火しない?」
「なぜ花火?」
「夏だからだよ」
納得した。
421: 2011/08/02(火) 11:19:56.83 ID:DyoUjAOYo
そんなわけで、日没ちょっとまえに家を出て、幼馴染の家に行った。
暗くなってきた頃、チャッカマン片手に庭に出る。花火は既に用意していたみたいだった。
ユリコさんが噴出花火を三つ地面に並べる。まさかと思いながら見ていると、あっという間に三つ揃えて点火してしまった。
「てへ」
「てへじゃないでしょういきなり」
花火の音が周囲に響く。
はしゃぐユリコさんを放置して、手持ち花火を配る。
最初の一本から火を分け合って、全員の手に花火が行き渡る。
「夏ですな」
ぼんやり呟く。
「だねえ」
幼馴染が頷いた。
「煙! すげえ煙!」
思わずはしゃぐ。
「振り回さない!」
妹に叱られる。
422: 2011/08/02(火) 11:20:27.40 ID:DyoUjAOYo
一本ずつ消化していっても、やがて花火は尽きる。
火が噴き出す音が消えて、急に周囲に静けさが帰ってきた。
ユリコさんが袋から線香花火を取り出す。
「じゃあ、一気に火つけちゃう?」
「そこは一本ずつでしょう」
「そんな辛気臭いのは夏の終わりにでもやればいいじゃん。どうせ何回でもするんだから、花火なんて」
……そういうものだろうか。
「じゃ、点火します」
喋っているうちに、彼女は数本の線香花火にまとめて火をつけた。火の玉でかい。
「あ、落ちた」
はええよ。
片付けが終わった後、俺と妹は幼馴染の家にお邪魔して夕食をご馳走になった。
満腹になった後、スイカを食べさせられる。
「チューハイ飲む?」
「いただきます」
何度も言うが俺たちは十六歳(数え年)だった。
423: 2011/08/02(火) 11:20:59.35 ID:DyoUjAOYo
「やめときなよ。二日酔いになるよ」
妹に諭される。
ぶっちゃけ、酒には弱かった。
三口で酔う。立っていられなくなる。
缶一本を飲み干したことがない(ちなみに幼馴染はめっちゃ強い)。
男として負けるわけにはいかなかった。
結果、缶を半分くらい飲むことができた(歴史的快挙)。
「ちょっと強くなったんじゃない?」
半分じゃなんの慰めにもならない。体質的に無理なのだろう。
少し休んでからお礼を言って幼馴染の家を出た。
夜風に当たると酔いに火照った体を心地よい冷たさが撫でた。
涼しい。風流。
ふらふらになりながらも自分の足で歩く。
家についた。
リビングのソファに寝転んだ。頭がぼんやりとして心地いいのか悪いのか分からないような熱が全身に広がっている。
酒を飲むと工口いことを考えられない。不思議と。いい傾向。
風呂には入らずに顔を洗い、歯を磨いて眠る。
明日は水族館らしい。
424: 2011/08/02(火) 11:21:35.52 ID:DyoUjAOYo
翌朝は幸い二日酔いにならずに済んだ。
準備を終わらせて幼馴染の家に向かう。
車の中ではしりとりをしながら時間を潰した。なかなか白熱する。
妹が「り」で俺を攻める。俺はなんとか回避する。幼馴染が「み」で妹を攻める。
飽きた頃には海が見え始めた。
港だけど。
目的地は寂れた水族館だった。寂れた、というところが絶妙で、本当に寂れている。
さして大きくもなく、目新しさがあるわけでもない。人も少なくてがらんとしている。
でもまぁ、水族館は水族館だった。
適当な駐車場に車を止めて、海沿いの道を歩く。十分もせずに目的地についた。
ちょうどアシカショーが始まる五分前だったらしい。
せっかくなので見た。
どう考えても安っぽいセットにあんまり綺麗とはいえない客席。
座る。
見る。
案外ワクワクする。
すげえ、ってなる。
「うおー! すげえ!」
終わったときにはテンションが上がっていた。
単純。
425: 2011/08/02(火) 11:22:07.90 ID:DyoUjAOYo
大量のペンギン。
写メってキンピラくんに送った。
『俺はペンギンよりシロクマの方が好きだ』
謎の返信内容だった。
館内にシロクマはいなかったので、デフォルメされたシロクマの看板を撮影して送信する。
返信は来なかった。
クラゲ、イルカ、ワニ、あとなんかいろんな魚(名前は見ていない)。
いっそグロテスクですらある見た目をしている魚もいた。
壁は水槽。周囲は薄暗い。
ワクワクする。
「サメ、ちっちゃいね」
幼馴染は残念そうに言った。
妹はというとクラゲをじっと眺めている。
「超癒される……」
超って。
ユリコさんは一人でイカ焼きを食べていた。それはなんか違わないか。
426: 2011/08/02(火) 11:23:21.20 ID:DyoUjAOYo
一通り見終わってから土産物屋を見る。
シロクマのぬいぐるみがあった。
超かわいい。
「俺これ買うわ」
即決した。
サメの牙のアクセサリーとか、魚型のストラップとかもあったけれど、琴線には触れない。
妹は亀がたのぬいぐるみを欲しがった。なぜ亀?
「買う。これ買う」
妹は、一見どうでもいいようなものに強い執着を示すときがある。今だ。
祖父母や両親向けにお土産にお菓子を買っておく。あと自分たち用。
水族館を出る。一時半を過ぎた頃だった。
「どうだった?」
ユリコさんは串焼きのイカを片手に尋ねた。
「クラゲもうちょっと見たかったです」
「満喫しました」
大いに満足した。アシカショーとか。
帰り際に、ユリコさんが付近で売っていたカレーパンを買ってくる。なぜカレーパン? 彼女は食べっぱなしだった。
俺たちもご相伴に与る。美味かった。
427: 2011/08/02(火) 11:23:55.16 ID:DyoUjAOYo
家についたときには、父が帰ってきていた。
夕食を一緒にとってからお土産のクッキーをかじる。
父はユリコさんにお礼の電話をかけた。
大人の会話を横目に見ながら俺と妹はリビングでお茶を飲む。
暑いときこそお茶をすするのです。
その後、親子三人で花札をした。点数計算ができないので勝敗は適当だった。
翌日は部活があったので学校に向かった。
ひんやりした空気。
人のいない教室。
遠くに聞こえる運動部の掛け声と、吹奏楽部の練習の音。
窓からグラウンドを見下ろすと、陸上部が走っていた。
そのなかに屋上さんの姿を見つけて立ち止まる。
軽快な速さで彼女はグラウンドを縦横無尽に駆け巡る。ハードルを越える。
彼女の雰囲気も、夏休みが始まる前とでは、少しだけ違っているように見えた。
部室に行くとほとんどの先輩は来ていなかった。とはいえ人数は結構いる。
そもそも何をする部でもないので当たり前といえば当たり前なのだが。
部活では何をするわけでもなくぼーっと座っていた。
部長はしずかに本を読んでいた。邪魔をするのも悪いと感じる。
持ってきておいた課題を進めておく。早めにするに越したことはない。あとが楽でいい。
428: 2011/08/02(火) 11:24:29.88 ID:DyoUjAOYo
部活はつつがなく終了した。帰りに近場のコンビニに寄ると、屋上さんと遭遇する。
「ひさしぶり」
屋上さんは小さく頷き返した。
彼女と少しだけ言葉を交わす。夏休みの前とたいして変わらないバカ話。
でも、会えないのはちょっと不便だ。
「携帯のアドレス教えてよ」
「いいけど」
頼んでみるとあっさり許可が出た。
「じゃあ今度メールするね!」
「その口調やめて」
屋上さんのメールアドレスを教えてもらった。
家に帰ってから屋上さんにメールをする。
屋上さんのメールの文面はそっけなかったが、その割には返信がすぐに来た。
どうでもいいメールを交換しあう。
メール文化は馴染めないけれど、悪くない。
429: 2011/08/02(火) 11:25:05.12 ID:DyoUjAOYo
翌日、サラマンダーとマエストロが我が家にやってきた。
部屋に招き入れる。ごろごろと退屈な時間を過ごす。
「課題やってる?」
「やってない」
俺は嘘をついた。
三人でゲームをする。
すぐに飽きた。
「どっか行こうか?」
「暑い」
ですよね。
妹が友達と遊びに行ってしまったので、昼は自分たちでどうにかしなければならない。
昼過ぎに腹を空かせてファミレスに向かった。
後輩と遭遇する。
「最近良く会いますね」
後輩と同じ席に着いた。
430: 2011/08/02(火) 11:25:31.53 ID:DyoUjAOYo
「ドリンクバーを奢ってやろう」
「あざす。いただきます」
後輩はくぴくぴとジュースを飲んだ。
「おまえ酒強そうだよね」
「めっちゃ弱いです」
親近感が沸く。
とりあえず昼食を注文した。
三人とも後輩とは知り合いだったので、話は弾む。
「いやー、暑いすね、最近」
「そうでもないだろ」
「そうですか?」
「そうでもない」
「そうでもないっすね」
会話はいつでも適当だ。
431: 2011/08/02(火) 11:25:58.32 ID:DyoUjAOYo
「休みに入ってから毎日暇で仕方ないんですよ、ホントに」
「じゃあ俺と遊ぼう」
「いいですよ」
あっさりオーケーされた。
逆に困る。
「え、なにその。俺デートとか何着てけばいいかわかんないしあのあれ。ごめんなさいこの話はなかったことに」
思わず初デート前の中学生並に動揺する。
後輩はからから笑った。
その後バカ話で盛り上がりながら食事をとった。
後輩からCDを借りる約束をした。約束があるのは素敵なことです。
432: 2011/08/02(火) 11:26:43.06 ID:DyoUjAOYo
家に帰ると幼馴染と妹と謎の少年がいた。
謎の少年。
「誰?」
「親戚の子」
幼馴染が分かりやすく説明してくれた。どうやら夏の間だけ遊びに来ている親戚の子らしい。
子供同士の方がいいだろうと面倒を任されたらしいが、さすがに歳の離れた異性との接し方なんて分からないという。
「それがなぜ俺の家に?」
「男の子同士の方が遊べるかと思って」
そんなわけがない。
子供の面倒なんて見たことないし、充実した子供時代を送った記憶なんてないし、ましてや友達なんていなかった。
少年に充実した夏のすごし方を提供しろと言われても荷が重過ぎる。
「協力するから!」
幼馴染に懇願される。
妹にジト目で睨まれる。
罪悪感。何も悪いことしてないのに。
433: 2011/08/02(火) 11:27:15.75 ID:DyoUjAOYo
「分かった。おい少年、カブトムシ捕まえにいくぞ!」
「だるい」
シニカルな少年だった。
「一人でゲームやってるからいいです」
……なにこいつ。
「……タクミくんはインドア派で」
タクミくんと言うらしい。
扱いに迷っているうちに、沈黙が落ちる。
「あ、そう。えっと、じゃあ、なんかジュース飲む?」
「いただきます」
それっきり会話がなくなった。
ピコピコとDSに向かい合うタクミくん。
434: 2011/08/02(火) 11:27:43.71 ID:DyoUjAOYo
「何やってんの? ゲーム」
彼はあからさまに面倒そうな表情をしながらゲーム画面をこちらに向けた。
俺の持ってる奴だった。
「対戦、しようゼッ!」
強引なテンションで誘う。
負けた。
「……あっれー?」
あっさり負けた。
完膚なきまでにやられた。
3タテだった。
435: 2011/08/02(火) 11:28:12.12 ID:DyoUjAOYo
今度は妹が対戦を挑む。
なぜか勝利した。
「……あれ? こいつなんか俺と妹で態度違わない? ね、おかしくない?」
「子供だから、子供だから」
言いながらも、幼馴染の目は俺が弱いだけだと言っているようだった(そういえば妹には勝ったことがない)。
負けられねえ、と思った。
「おいタクミ! てめえもう一回だ!」
鼻息荒く勝負を挑むが、連敗記録を塗り替えただけだった。
その後、夕方まで彼と勝負を続けたが、かろうじて接戦までは持ち込めても結局敗北した。
「ちくしょう! 今度来たときには叩きのめしてやるからな!」
タクミくんは苦笑していた。
436: 2011/08/02(火) 11:29:11.73 ID:DyoUjAOYo
夜、炭酸が飲みたくなってコンビニに行く。
妹と一緒に家を出た。アイスを切らしたらしい。
帰り際、一人で歩く後輩を見かけた。
どこへいっていたのかを訊ねると、適当に町をうろついていたのだという。
「女の子が夜道を一人で歩くんじゃありません」
コンビニ帰りに送っていくことにする。
「送り狼の方が怖いんですけど」
何かを言われていたが気にしないことにした。
妹を先に家に帰して、後輩の家を目指す。
歩いてみると結構距離があったが、さりとて遠すぎるというほどでもない。
「あ、CDですか?」
後輩は手を打ち鳴らして言った。
「そう。ついでだから」
別に慌てるほどの用事ではないが、次にいつ会えるかも分からないのだ。
437: 2011/08/02(火) 11:29:47.65 ID:DyoUjAOYo
「携帯のアドレス教えてくれれば話が早くて済むのに」
「鳴らない携帯なんて持ち歩きませんよ」
「だから俺が鳴らすというのに」
後輩は気まずそうに苦笑した。
彼女の家につく頃には、周囲は薄暗くなっていた。
それでも、その家の大きさはよく分かった。
「でけえな」
「広いだけですよ」
広いのがすごいと言っているのだが。
なんかやたらとでかい家だった。
後輩は気にするでもなく広い庭を通過していく。日本的庭園。飛び石。和、な木々。
和。
なぜだか萎縮する。
438: 2011/08/02(火) 11:31:03.49 ID:DyoUjAOYo
後輩は俺を客間に取り残して部屋から出て行った。
どうしろというのか。
落ち着かずに周囲を見渡してみる。
余計落ち着かなくなった。
そういえば幼馴染以外の女子の家にあがるなんて人生で初めてだった。
緊張する。
不意に扉が開いた。
後輩が戻ってきたのかと思ったが、違った。
『ちい姉』だった。
彼女は変な顔で俺を見た。驚いているようにも見える。
言葉もなく扉が閉められる。
なぜ?
もう一度開けられる。
奇妙な間があった。
439: 2011/08/02(火) 11:31:35.46 ID:DyoUjAOYo
「……なんでいるの?」
どこかで聞いたことがある声だと思った。
見上げる。
赤い眼鏡。下ろした髪。
「……あれ?」
屋上さんだった。
「お邪魔してます」
挨拶をする。
「……はあ」
互いにわけも分からず見つめ合う。素直におしゃべりできない。
「なぜ屋上さんがここに?」
「私の家だから」
440: 2011/08/02(火) 11:32:11.96 ID:DyoUjAOYo
混乱する。
でもすぐに分かった。
――妹が二人。
――姉と妹がひとりずついる。面倒見がいい。頼られ体質。
「……あー」
気付く。
ありえない偶然だった。
少しして屋上さんの背後から後輩がやってくる。
「何やってんの? ちい姉」
ちい姉=屋上さん、だった。
441: 2011/08/02(火) 11:33:01.80 ID:DyoUjAOYo
その日は後輩からCDを受け取って帰った。なんだか気まずいまま。屋上さんとは少しも言葉を交わさなかった。
でもよくよく考えると負い目に思うことは何もないし、距離を置くような理由もない。
なぜか話しかけづらいだけで。
家に帰ってからメールをしておいた。
なんかごめん、と謝る。なぜか。
こっちこそ、と返信がくる。なぜか。
なぜか謝りあっていた。
髪型が違うのと、眼鏡があるかないかだけで、人って印象が変わるんだな、と奇妙な納得。
その日はなんだか落ちつかない気分のまま眠った。
453: 2011/08/03(水) 11:48:11.38 ID:W6ABTHBHo
借りたものは返さなければ人の道にもとる。
俺は後輩から借りたCD(インディーズのロックバンドだった。微妙に良かった)をどう返すかを悩みに悩んでいた。
彼女の連絡先は知らなかったし、家に直接行くというのも少し抵抗がある。
どうしたものかと悩む。屋上さんにメールすればいいのだと気付いたのは一日悩んだあとの朝だった。
メールをするとすぐに返信が来た。今なら家にいるというので、さっそく押しかけることにした。
許可をとって準備を始める。時間には気を遣った。男友達と遊ぶのに遠慮はいらないが、女子の家はそれとはわけが違う。
遅すぎず早すぎず、あまり邪魔にならない時間帯に留意した。
ちょっと長居できるかもという打算も含めて。
原付で行くか自転車で行くか、迷う。せっかくなので原付で行こうと決めた。
妹に目的と行き先を告げて玄関を出る。彼女は微妙そうな顔をしていた。
後輩と歩いた道をなぞる。夜だったので分からなかったが、意外と悪くない雰囲気だった。
原付で行けるところまで行く。さすがに庭園までは乗り入れられない。道の脇に停めて鍵を抜いた。
玄関まで行ってどうしたものかと悩む。周囲を見回してからインターホンに気付く。
押してから、身だしなみが妙に気になって髪を手櫛で梳かす。すぐに中から声がした。
454: 2011/08/03(水) 11:48:41.99 ID:W6ABTHBHo
屋上さんか後輩が出ると思っていた俺は、少しだけ混乱した。出迎えてくれたのは小学生くらいの女の子だったからだ。
「こんにちは」
「こんにちは」
お互い硬直する。あ、俺がなんか言わなきゃダメなんだ。数秒後にそう気付いた。
「あの、アレだ、えっと」
……なんといえばいいんだろう。
そういえば後輩の下の名前は知らないし、屋上さんの方だって分からない。
困った。
俺がどうしたものかと考えていると、すぐに屋上さんが玄関にやってきた。髪は結んでいなかったけれど、眼鏡はしていなかった。
「どうも」
「……どうも」
お互い、気まずい空気になる。なぜか。
455: 2011/08/03(水) 11:49:09.47 ID:W6ABTHBHo
「ちい姉の友達?」
「うん、まあ」
「彼氏?」
「ちがう」
屋上さんは妹(と思われる少女)を手を払って追放した。気まずい沈黙が取り残される。
「……あの。上がれば?」
彼女も彼女で対処に困っているらしい。
客間に通される。彼女は麦茶を出してくれた。なんとなくお互いそわそわと落ち着かない。屋上さんはしきりに髪の毛先を弄っていた。
「あ、後輩は?」
「部活」
いないらしい。
「これ、CDなんだけど」
「あ、うん」
渡しておく、と屋上さんは頷いた。
また沈黙が落ちる。
どうすればよいやら。
456: 2011/08/03(水) 11:49:45.27 ID:W6ABTHBHo
困っているところに、先ほどの少女がやってくる。
「……彼氏?」
「ちがう」
俺が少女に目を向けていると、屋上さんはそれに気付いて、ほっとした態度で紹介してくれた。
「妹」
「どうも、妹です」
上二人の姉妹はどことなく雰囲気が似ていたが、一番下の妹はまるで違った。
天真爛漫で人見知りしない、ような印象。
「姉のことを末永くよろしくお願いします」
そして人の話を聞かないところがある。
「ちがうってば」
「どこで知り合ったんですか?」
「学校が一緒なんだよ」
「どうして平然と答えてるの?」
屋上さんは疲れきったように溜息をつく。
少しだけ緊張が取れた。なんとなく安心する。二人きりになったら固くなって何も言えそうになかった。とても助かる。
457: 2011/08/03(水) 11:50:19.74 ID:W6ABTHBHo
屋上さんは妹さんのことを「るー」と呼んでいた。名前を聞くにもタイミングが分からず、俺もそう呼ぶことにする。
基本的にコミュニケーションは苦手です。
るーちゃんは俺と屋上さんの関係をやたら気にしているようだった。
第三者に説明しようとして初めて気付くことだが、俺と彼女の関係はとても説明しにくい。
クラスメイトというのではないし、友達というには少し距離がある。その割には毎日のように顔をあわせていた。
彼女は俺のことも根掘り葉掘り訊ねた。
仕方ないので、おととし地球を侵略しに来た宇宙海賊ダークストライカーを撃退したことや、
幼少の頃は国中から天子と崇められていたが、魔人・九島秀則の呪術と謀略によって生まれ故郷を後にしなければならなかったことや、
夜な夜な町に出没する、白衣のマッドサイエンティストが作り出した黒き魔物と日夜戦いを続けていることつまびらかに語った。
「すごいですねー」
感心された。悪い気はしない。
屋上さんは呆れたようで、何も言ってこなかった。
「よくそんなに作り話が出てきますね」
感心のしかたが微妙に大人だった。この少女、侮れない。
458: 2011/08/03(水) 11:50:51.28 ID:W6ABTHBHo
もっと話して下さい、とるーちゃんはせがむ。
仕方ないので、これは秘密の話なんだけど、と前置きして話を始める。
魔術結社<輪廻>に追われていたときの話。
彼らの扱う魔術は、あまねく人々の命を刈り取ることで生まれる『ガイアの雫』と呼ばれる魔力を源にしていた。
強力な魔術であればあるほど多くの雫を必要とするので、大量の魔力を得るために彼らは多くの人間を犠牲にする。
けれど<輪廻>の最終目標である因果改竄術は、どれだけの人間を頃したところでとても間に合うような魔術ではなかった。
魔力の欠乏を解消しようと苦慮した彼らは、あるとき無限の魔力を持つ魔道人形の噂を聞き、彼女を手に入れようと目論んだ。
くしくも<輪廻>の魔の手がその少女へ伸びる前日、俺は街中で彼女と遭遇し、友達になっていた。
そして彼女とかかわったことで、俺は事件に巻き込まれ、<輪廻>との終わりなき闘争へと身を投じることになったのだが――
――という設定のライトノベルを書こうとしたことがある、と、るーちゃんに話した。
そのすべてを語るには少しばかり余白が足りない。
459: 2011/08/03(水) 11:51:22.21 ID:W6ABTHBHo
「正統派ですね」
正統派だろうか。
その後、三人で人生ゲームをして遊んだ。
最下位は俺で、一位はるーちゃんだった。なぜか納得のいく順位。
帰ってきた後輩を交えて四人で話をする。男女比率が夢のようだった。
「また来てくださいね」
るーちゃんはとても良い子です。
別れ際、屋上さんがなんだか困ったような顔をしているのが見えた。
なんだかなぁ。
お互い、上手く距離が測れていないのかもしれない。
でも、悪い気分じゃなかった。
460: 2011/08/03(水) 11:53:14.81 ID:W6ABTHBHo
翌朝目覚めたのは八時頃だった。
妹と一緒に穏やかな朝を過ごす。まったりと朝を過ごすのが久しぶりのような気がした。
「……そういえば」
「なに?」
不意に口を開くと、妹はきょとんとした顔でこっちを見る。なんだか最近、態度が柔らかくなった気がする。
「俺はおまえと結婚しなければならないようだ」
「何言ってるの?」
態度が柔らかくなっていたのは錯覚だったようで、絶対零度の視線は健在だったらしい。
とはいえ、至って正気である。回想する。
461: 2011/08/03(水) 11:53:39.22 ID:W6ABTHBHo
『姉って何歳の?』
『たしか、俺と同い年だったはず』
『同じ学校かもね』
『ないない。そんな偶然ない。あったらおまえと結婚する』
というやりとりが、以前あった。
「ね?」
「いや、ね、と言われても」
妹は困ったように眉を寄せた。
「同じ学校の人だったの?」
同じ学校の人でした。世の中って狭い。
妹は俺の言葉を無視して家事に励んだ。手伝おうかと名乗りを上げると洗濯物を任される。
洗濯物。
魔性の気配がする。
が、妹なのでなんら問題ない。
462: 2011/08/03(水) 11:54:09.71 ID:W6ABTHBHo
正午を過ぎた頃、幼馴染とタクミくんがやってきた。
「また来たよー」
気安げに幼馴染が言う。タクミくんは今日も今日とてゲームをぴこぴこしていた。
なんだかちょっと寂しいので、みんなで映画でも見ることにした。
『七つの贈り物』。ちょっと前に見た。眠くなるほど退屈な序盤。独特の空気。
話は広がるだけ広がり、それはなんの説明も伴わず進んでいく。眠くなる。
のだが、中盤を過ぎた頃に、その流れは一変する。
明かされる主人公の背景。過去。事実。目的。それらが前半に積み重なった伏線と同調して急展開を迎える。
多少の不満点はあるが、それを補ってあまりある勢いがある。
終盤ではストーリーが一気に転じて、ラストシーンへと静かに収斂していく。
おしまい。
見終わった後、しばらく四人で並んで黙っていた。
「いい映画だったねー」
幼馴染が最初に口を開くが、彼女はだいたいの映画に「いい映画だったね」という感想をつける。眠らない限り。
妹と俺は一度見たことがある。二度目なので余計面白い部分もあった。
タクミくんは一本の映画を丸々見たせいで疲れたらしい。
463: 2011/08/03(水) 11:54:49.14 ID:W6ABTHBHo
気付くと彼は眠っていた。ソファに寝かせてタオルケットをかぶせる。
妹とは四歳くらい違うのだろうか。ちょうど昨日会ったるーちゃんと同じくらいの年齢。
このくらいの年頃のとき、俺はどんな子供だっただろうか。よく覚えていない。友達がいなかったことだけは覚えている。
ちょっとしてから、屋上さんからメールがあった。
『るーが会いたがってる』
……ええー。
どんだけ懐かれたんだよ、と自問。そこまで好かれるようなことをした記憶がない。
今、親戚の子が来ているのでいけない、と返信する。厳密には違うが、まぁそんなようなものだろう。
これなら引くだろうと思ったのだが、屋上さんは難攻不落だった。
『実はもう向かってる』
俺の家知らないはずなのに。
後輩か。
そういえばこの間送っていったときに、途中で通った。
「……うーん」
まぁ、いいか。
別に問題ないような気がしてきた。
いや、問題はあるのだけれど、そこまで必氏になって阻止するようなことでもない。
464: 2011/08/03(水) 11:55:51.17 ID:W6ABTHBHo
迎えに行くとメールして、玄関を出た。いったい何が彼女らをそこまで駆り立てるのか。
ちょっと歩くと、三姉妹が歩く様子が見えた。
屋上さんが気まずそうな表情をしているのが分かる。
家に連れて行く。寝ているタクミくんと二人の少女を見て、るーちゃんが「どっちが恋人ですか?」という。どっちも恋人じゃない。
幼馴染は意外にも屋上さんと面識があったようで、すぐに話を始めた。
妹は後輩に挨拶をしながらこちらを睨む。なぜ?
そういえば、幼馴染以外の女子を家にあげるなんて初めてだった。
混乱する。
るーちゃんは俺に会いにきたはいいものの、何を話せばいいのか分からずに戸惑っている様子だった。
仕方ないのでみんなでトランプを始めた。
人数は大したものだった。俺、妹、幼馴染、屋上さん、後輩、るー、それにタクミくんが目覚めると七人になる。
これだけの人数がいるにもかかわらず、なぜか俺が負けた。
昼過ぎに、食料を求めてコンビニへと歩いていくことになった。
ジャンケンによって選出された二名が。
やっぱり負けた。
もう一人は屋上さんだった。
話をしたかったので、ちょうどいい。
が、最近ちょうどいい偶然が起こりすぎているような気もする。
頭の中でずっとエンターテイナーが流れている気分。
465: 2011/08/03(水) 11:56:22.85 ID:W6ABTHBHo
「突然押しかけて、ごめん」
彼女は何かを扱いかねているような表情で俯いた。
屋上さんは眼鏡は外していたけれど、髪は下ろしていた。私服が大人しい雰囲気のもので、それが妙に似合っている。
普段のイメージとまるで違うため、違和感はある。こうしていると誰か別人と歩いているようだった。
虎の威を借る狐の化けの皮を剥いだら、やたら可愛い狐が出てきた感じ。
いや、ちょっと違う気もするけれど。
そのせいか、気分がとても落ち着かない。
さっきまで大人数でいたせいでなんとかごまかせていたのだが、
とても、落ち着かない。
なんだかなぁ、と思う。
屋上さんの態度も、なんだか妙だった。
妙というか、変だった。
距離を測りかねている感じ。
「るーが」
と、屋上さんは話を始めた。
「はしゃいでるというか。私が家に友達入れるの、初めてだったから」
466: 2011/08/03(水) 11:56:57.01 ID:W6ABTHBHo
友達、と言われて、一瞬、歓喜に浮かれると同時に、暗い罪悪感に包まれた。
そもそも俺はまっとうな友達作りというものができない人種なのだ。
人の輪に入るということができない。自分が邪魔をしているように感じる。
だから、サラマンダー、マエストロ、後輩、部長、屋上さん。
一人でいる人にばかり声をかける。
そもそもやり方が卑怯。
そんなことは、たぶん言っても分かってもらえないだろうけれど。
だから、多人数でいると取り残されたようで不安になる。
置いてけぼりの気持ち。
でもまぁ、そんなことを考えたって仕方ない。
屋上さんはそれっきり押し黙ってしまって、コンビニにつくまでずっと無言だった。
買い物をしている間も、なぜか、なんとなく、話しかけづらい雰囲気。
でも、それは悪い意味ではなくて。
照れくさいような、気恥ずかしいような気持ち。
俺だけかも知れないけれど。
467: 2011/08/03(水) 11:57:47.06 ID:W6ABTHBHo
いつのまにか頭の中の音楽がエンターテイナーからジュ・トゥ・ヴに切り替わっている。
単純。
どっちもどっかで聞いたことがある感じのする曲には変わりない。
食べ物、飲み物、アイスを購入し帰路に着く。蝉の声はほとんどしなかった。
帰る間も、互いに言葉を交わすことはなかった。
落ち着かない気持ち。
なんだかなぁ、という気持ち。
何かを言うべきなような気もするし、何も言うべきではないような気もする。
まぁいいか、という気持ち。
その後、昼食をとってから夕方までゲームを交代しながら遊んだりした。
後輩、屋上さん、妹の三人は、ほとんど遊びには参加しなかった。ダイニングのテーブルに腰掛けて話をしていた。
夕方を過ぎた頃ユリコさんが迎えに来た。
タクミくんは遊び足りなそうな顔をしていたけれど、また今度、というと少しだけ表情を明るくした。
「今度バーベキューやろうと思うんだけど」
ユリコさんはまた唐突に言う。普通は親戚同士で盛り上がるのではないのか。
468: 2011/08/03(水) 11:58:17.79 ID:W6ABTHBHo
「行っていいんですか?」
「予定ないならだけど」
予定はほとんど白紙だが、普通なら遠慮するところだ。
「じゃあ決定ね」
決定されていた。表情から予定の有無を見抜くのはやめてほしい。
「そっちの人たちも来る?」
と、彼女は三姉妹に声をかける。
「他にも友達呼びたかったら呼んでいいから」
勢いだけで乗り切られる気がした。
「……えー」
人、増えすぎだろう。
この場にいる子供七人大人一人。その段階でも既に多すぎるくらいなのに。
かといって男女比的にこのままでは困る。
「やっぱり俺は遠慮……」
「できません」
「俺、ノーと言える日本人なので」
「イエスと言い続ける日本人の方が潔くて好きです」
ユリコさんには反論できない。
469: 2011/08/03(水) 11:58:46.42 ID:W6ABTHBHo
仕方ないので後で連絡の取れる男子三人に予定を訊いてみようと思った。
仮に全員揃ったとして、人数はゆうに十人を超える。
増えすぎだろ。
ちょっと怖い。
そんなふうにして一日が過ぎていった。
翌日、妹は幼馴染と一緒に出かけた。水着を買いに行くらしい。
水着て。
暑いからプールに行きたいらしい。
一人家に取り残されて、俺は暇を持て余していた。
夏休みの過ごし方としては、だらだら家でひとり過ごすというのも正しい気がする。
暇だったのでテレビをぼんやり眺める。
すぐに飽きた。
麦茶を飲みながら静かに時間を過ごす。
課題やってねえ、と不意に思った。
でも、めんどくさい、と思った。
そういえばバイトしようと思ってたのも忘れていた。
まぁいいか、と思う。
ダメ人間ここに極まれり。
470: 2011/08/03(水) 11:59:13.10 ID:W6ABTHBHo
暇なのでゲームをする。
なぜかちっとも楽しめない。
仕方ないので昼寝をする。
目が覚めた頃には夕方だった。
一日があっという間。
夏休み、という感じ。
夜は妹と二人で食事をとった。
穏やかな日々。
「今度プール行くってことになったけど、お兄ちゃんも行く?」
「行く」
当然。
いい年して一緒に遊びに行く相手が妹以外にほとんどいないってどうなんだろう。
マエストロは基本的に趣味に没頭するタイプだし。
サラマンダーは自分の世界に閉じこもってるし。
キンピラくんとは微妙に距離があるし。
友達ほしい。
その夜は暑くて寝苦しかった。
494: 2011/08/04(木) 10:39:08.62 ID:cE6zqUV5o
翌日は部活があった。
最近、ろくでもない生活を送っている気がする。
目を覚ます。食べる。寝る。起きる。食べる。寝る。食べる。寝る。遊ぶ。寝る。
課題してない。
さすがにまずいよな、と学校に課題を持ち込む。どうせやることがない部活。
なんだか気が抜けている。
遊んでばかりだからだろうか。
このままじゃいけない、と思うが、何がいけないのかが分からない。
よくよく考えれば学生の夏なんてだらけているのが当然という気もする。
ひんやりとした校舎。
音が遠く聞こえる下駄箱に響く、上靴が床を叩く音。
自分の起こす音だけが、やけに大きく聞こえる世界。
太陽は相変わらず喧しいような光で地上を照らしている。緑の木々が潤んだ風に揺れて、ひそやかに夏を彩る。
木漏れ日の下の水道に、休憩中の運動部が笑いながら近付いていく。
体育館から響くボールが跳ねる音。掛け声。グラウンドからバッドとボールがぶつかり合う音が聞こえる。
吹奏楽部の練習の音。廊下の途中で通った教室で、誰かが話す気配。
495: 2011/08/04(木) 10:39:36.73 ID:cE6zqUV5o
部室に向かう途中で、ちびっこ担任と出会った。以前とあんまり変わった様子はない。
「おう」
「どうも」
言葉を交し合う。あんまり個人的に言葉を交わしたことがない。そもそも教師があまり得意ではなかった。
「どう? 調子」
「何の?」
「いや。いろいろ?」
ちびっこも、訊ねておいて困っているようだった。彼女の立場で想像すると、確かに「いろいろ」としか言いがたいかもしれない。
「まぁ、そこそこ充実した夏を送ってますね」
「妬ましいな。呪われろ」
自分から訊いておいて呪うこともないと思う。
「まぁ、ほどほどにな」
大人っぽい言葉を投げかけられる。
496: 2011/08/04(木) 10:40:03.47 ID:cE6zqUV5o
部室に行く。やっぱり来ている部員は少なかった。
それでも部長はいる。彼女は窓際の椅子に腰掛けて本を読んでいた。
ドアを開けて部室に入ったとき、その音に気付いた部長が顔を上げた。
話しかけるのは邪魔になる気がして、頭を下げるだけにとどめる。
適当な位置に荷物を下ろして課題を進める。
開けっ放しの窓から入る風が、日に焼けた薄いカーテンを揺らしていた。
静かな時間。
数人の先輩たちが一箇所に集まって話をしていたけれど、それは気をつければ聞こえないほど小さな声だった。
休み前の騒々しさと比べると、あってないようなものとすら言える。
部室はやけにひんやりと涼しかった。
自分でも驚くほど集中して課題を進められた。静かな時間。こういうのも、たまには必要なのかもしれない。
部活を終えて家に帰る。玄関のドアを開けなくても、中で人が騒いでいるのが分かった。
妹、幼馴染、タクミくん。
屋上さん、後輩、るーちゃん。
すっかり遊び場にされてしまった様子だった。
リビングに入ると、みんながいっせいに俺の方を見た。一瞬動揺する。
彼女らはそろって「おじゃましてます」と言ってから、またがやがやとした騒ぎの中に戻っていった。
なぜこうなった。
497: 2011/08/04(木) 10:40:32.90 ID:cE6zqUV5o
幼馴染は俺の方を見て少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「来たらいなかったから」
いなかったから?」
「勝手にあがったの」
だろうね。
妹がいたから勝手とは言いがたいけど。
屋上さんの方を見る。彼女は気まずそうに目を逸らした。
「一応、メールしたんだけど」
ポケットから携帯を取り出す。マナーモード。メールが来ていた。
俺が悪かった。
「うちの兄は人気者のようで大変誇らしいです」
妹は不機嫌を隠そうとするとき敬語になる。
なぜ機嫌が悪いのかはちっとも分からない。
498: 2011/08/04(木) 10:41:06.62 ID:cE6zqUV5o
こんなに人数がいては収拾がつかない。
「よし、タクミくん、るーちゃん! ザリガニ釣りに行こうぜ!」
「暑い」
「ジュース買ってくれます?」
ノリの悪い子供たちだった。
るーちゃんに至っては、「遊びに行きたい子供に仕方なくついていく年上の姉」みたいな雰囲気すら滲ませている。
なんだろうこの気持ち。ちょっといいかもしれない。
嘘だ。
「なんだよもう、どうしろっていうんだよ」
「どうもしなくていいんじゃないすか」
後輩が楽しそうに笑う。
じゃあもうどうもしなくていいや。
「先輩、私とオセロします? オセロ」
「なんでオセロ?」
「あったからです」
後輩とオセロをする。
るーちゃんとタクミくんは――もうめんどくさいので「るー」と「タクミ」でいいや。二人は仲良くアニメのDVDを見ていた。
ぶっちゃけサラマンダーとマエストロに押し付けられた深夜アニメなのだが、楽しんでいるならいいだろう。そのうちパンツシーンが来る。
499: 2011/08/04(木) 10:41:52.74 ID:cE6zqUV5o
麦茶を飲む。幼馴染と屋上さんが何か話をしていた。今度いくプールの話。幼馴染が屋上さんを誘っているらしい。
「先輩、ひょっとして迷惑でした?」
後輩が言う。
「なにが?」
「来たの」
「まさか」
本音だった。にぎやかなのは嫌いじゃない。騒がしいのは好きじゃないけど、意味が違う。
赤の他人の子供の泣き声と、親戚の子供の泣き声くらい、意味が違う。
「さ、勝負勝負」
後輩とオセロをしている間に、子供たち二人は眠ってしまった。
よく寝るなぁ。もう昼寝が必要な年齢でもないだろうに。
それだけはしゃいでいたのだろうか。
ジャンケンで食料の買出しにいく人間を決める。いっそ準備しておけばいいのかもしれない。
当然のように俺が負ける。
もう一人は後輩だった。
毎日のようにコンビニで金を浪費している気がする。
このままじゃいけない、と思う反面、夏だし、アイスくらい誰でも買うよな、という言い訳がましい部分もあった。
500: 2011/08/04(木) 10:42:23.72 ID:cE6zqUV5o
「まぁ、なんだかんだでいい機会なのかもしれないです」
コンビニ帰り、ポッキーをかじりながら、後輩は不意にそんなことを言った。
「何の話?」
「うちのきょうだい」
何の話かが分からず、続きを待って口を閉ざす。後輩の言う言葉の意味がよくわからなかった。
「ぶっちゃけ、そんなに仲良くないんですよね。嫌いとかじゃなくて。なんというか……」
「距離を測りそこねている」
「そう、そんな感じ」
ようやく後輩が言わんとしていることを理解する。三姉妹の間に、どことなく距離がある、というのは俺も感じていた。
互いに直接言葉を交わすことが少ないし、会話するにしてもなぜか他者を中継する。
距離を測りそこねている感じ。
501: 2011/08/04(木) 10:43:18.20 ID:cE6zqUV5o
「いわゆる家庭の事情って奴で、まぁいろいろあるんですけど。るーは私にはなついてるけど、ちい姉には微妙に距離があるし」
そのあたりの機微は、会って間もない俺にはわからない。
「ちい姉も、何考えてんのか分かんない……という言い方するとあれですけど、あんまり思ってることを口にしないタイプなんで」
だから、いい機会なのかもしれないです、と後輩は言った。
「俺んちに集まって遊ぶのが?」
「まぁ、そう言われると微妙なんですけど」
後輩は人のよさそうな笑みをたたえた。どことなくほっとしたような微笑。
「先輩には期待してますよってことです」
「そんな抽象的な話をされてもな」
「でも先輩、具体的に事情を説明されてもいやでしょ」
「まぁ、本音を言えばね」
502: 2011/08/04(木) 10:43:46.62 ID:cE6zqUV5o
できれば、人間関係に対して責任を負いたくない。
どうしてもというのであれば仕方ないが、個人の問題は個人でかたをつけるべきなのだ。
物見遊山で人の事情に足を突っ込んで、ろくでもないことになるのは目に見えてる。
どれだけ親しくなろうと、一定の距離は保つべき。
こういう考えも、やっぱり卑怯かもしれない。
「先輩、そういうタイプだし。あんまり頼られると、すぐに逃げ腰になる」
「遠まわしに臆病と仰っておられる?」
「あんまり嫌いじゃないですよ、そういうの」
臆病の部分は否定してもらえなかった。
後輩はポッキーをかじりながら軽快に歩く。
なんだかな、という気持ち。
買いかぶりすぎじゃないだろうか。
503: 2011/08/04(木) 10:44:19.11 ID:cE6zqUV5o
家に帰ると、るーとタクミはまだ眠っていた。
二人を除く三人は、なぜかテレビゲームで白熱している。
妹と幼馴染の順位は伯仲していたが、屋上さんはぶっちぎりのトップだった。
「おかえり」
おかえり、といわれるのも、なんだか変な気分。
三時頃、眠っていて昼を食べ損ねたるーとタクミのために、妹がホットケーキを焼いた。
「俺にも!」
二人に混じって要求する。
「子供の分を取り返そうとするな、バカ兄」
叱られた。
504: 2011/08/04(木) 10:44:54.81 ID:cE6zqUV5o
夕方頃には幼馴染とタクミは家に帰った。タクミはあと二週間ほどはいる予定だと言う。
夏祭りがあるな、と思った。
妹の浴衣のことも考えておかなければならない。
三姉妹は疲れた様子だった。
「遊び疲れた?」
「みたいです」
るーは眠そうに瞼をこする。
ずいぶん馴染んだな、と感じる。
屋上さんは、うちにきている間もたまに眼鏡をかけるようになった。どういう心境の変化かはわからない。
髪は相変わらずほどいていた。法則が読めない。
帰り際、後輩が口を開いた。
「明日あたり、どっか行きます?」
「どっかって?」
「どっかっす」
丸投げ。
「あー、じゃあ、まぁ、そのー、えー。モールとか?」
かなり適当だった。どうでもいいことだが、いつのまにか明日もうちに来ることが決定していた。
「おっけいです」
おっけいが出た。
人ごみを思うと憂鬱になる。
505: 2011/08/04(木) 10:45:22.29 ID:cE6zqUV5o
しばらく三人の後姿を見送っていると、不意に屋上さんがこちらを振り向いた。
既視感。
どこかで見たことがあるような表情。
たぶん、錯覚だろう。
少し早い夕食をとってから、静かな家の中でテレビを見ているのが妙に寂しく思えて、洗いものをする妹を後ろから抱きしめた。
「動きにくい」と言われただけだった。
余計寂しくなったので、何も言わずにソファに戻る。
なんだかなぁ。
最近、自分が分からない。
だんだん落ち着かなくなっている。
なんだろう、これ。
変なかんじ。
506: 2011/08/04(木) 10:45:48.47 ID:cE6zqUV5o
翌日、揃ってショッピングモールまで足を伸ばす。
大人数で動きすぎて統制が取れない。本来取る必要はないのだが、はぐれそうで不安になる。とくに子供が二人もいると。
後輩とるーが手をつないでいた。なんとなく理解する。
タクミも幼馴染と手をつなぐ。親戚だから当然だった。
「俺たちもつなぐ?」
「その冗談、面白くないから」
妹はやっぱり辛辣だ。
女性陣は浴衣やら水着やらを見たいようなので、気を利かせて子供たちを引き受ける。
あとでこの二人の水着についても確認しておかなければならない。
妹には、あらかじめ多めの金額を渡しておいた。
もともと妹と俺の小遣いは親から別々に与えられているけれど、何か必要になったときの予備費などを、何種類かに分けて管理しているのは俺だった。
ちなみに妹は食費関係を管理している。たぶん妹に全部任せたほうが家計には優しいだろうが、兄として何の責任も負わないのは忍びない。
俺は子供をつれて時間を潰すのにもっとも都合のいい一角へと身を投じた。
アミューズメントパーク。ゲームセンター。
「いいか、このあたりは音がすごいから絶対にはぐれるなよ、二人とも。はぐれたら見つけられないから」
強めの口調で脅かす。二人の表情に緊張が走った。
507: 2011/08/04(木) 10:47:04.20 ID:cE6zqUV5o
「まずは修行だ。るー、何か欲しいプライズはあるか?」
「プライズってなんですか?」
「景品って意味だ。用例を挙げると『彼女はUFOキャッチャーのプライズを物欲しそうな顔で見つめていた』となる」
「ひとつ賢くなりました」
「で、あるか? 欲しいプライズ」
「じゃああのぬいぐるみで」
るーはUFOキャッチャーのプライズを物欲しそうな顔で見つめていた。キャラモノのぬいぐるみ。
「タクミ、いいか。男には、女が欲しがっているものを常に提供できる能力が必要とされる」
「なぜ?」
タクミはどうでもよさそうに訊ねた。
「モテるためだ」
「俺、モテなくてもいいよ」
「強がるな!」
俺は渾身の力を込めて叫んだ。
周囲の温度が少しだけあがった。
508: 2011/08/04(木) 10:47:43.15 ID:cE6zqUV5o
「男として生まれたからには女にモテたいものなんだよ! 自然の摂理! 本能なの!」
るーが面白そうにこちらを眺めていた。サーカスの観客みたいな顔。俺は珍獣か。
タクミは気圧されたように頷いた。
「わ、分かった」
「では、女にモテるために求められる男としての能力とはなんだろう? タクミ少年」
「え、えっと……」
「そう。その通り。UFOキャッチャーのプライズを手に入れる技術だ」
「まだ何も答えてないんだけど」
「こればっかりは練習してコツを掴むしかない。栄えある未来を手に入れるために立ちふさがる試練だと思え」
「絶対に必要なタイミング来ないよ、その技術」
不服そうにするタクミに、一度実演してみせることにする。
るーが欲しがっていたプライズの入っている筐体を選ぶ。小銭を投入。
挑戦する。
失敗する。
「……とまぁ、こういうこともある」
「先生、頼りないです」
るーが楽しそうにくすくすと笑った。
509: 2011/08/04(木) 10:48:22.73 ID:cE6zqUV5o
もう一度小銭を投入する。
失敗する。
「……まぁ、その、なんだ。こういうときもある」
「先生、とれないんですか?」
「とれないんじゃありません。ほら、タクミ、やってみろ」
小銭をみたび投入して、タクミに操作させる。
あっさり取った。
「取れたけど」
「ええー……」
なんだこの状況。神が俺をいじめているとしか思えない。
「ほら」
タクミは取り出し口に落ちてきたぬいぐるみをるーに手渡した。
こいつ、取った後の微妙な駆け引きまでできてやがる。
具体的にいうと、あまり露骨な感じにならず、あくまでそっけなくぶっきらぼうに振舞うが理想的なのだが、そこまで忠実にできている。
負けた。小学生に。完璧に。
これが主人公属性か。生まれて初めて目の当たりにした。末恐ろしい。
「ありがとう」
るーはタクミに笑顔でお礼を言った。
まぁいいか。見てて微笑ましいし。
510: 2011/08/04(木) 10:49:20.31 ID:cE6zqUV5o
昼時に一度集合してフードコートへ向かう。ただでさえ混雑していた中で空いている席を見つけるのは困難だった。
モール内のレストランの受付で記名して席が空くのを待つ。
しばらく待ってから席に案内される。昼時とはいえ、時間が流れれば席も空く。
七名。
ぶっちゃけ狭い。
テーブル席に案内されたものの、明らかに人数オーバーだった。食器も置ける気がしない。
仕方ないので、俺と妹だけ他の店で軽く済ませることにした。
「買い物、終わったのか?」
話の種にと訊ねると、妹は小さく頷いた。
「私のはね。お姉ちゃんがまだだけど」
幼馴染は買い物は長い。
対して妹の買い物が短いのは、いつも誰かと一緒に行くせいで、気を遣って早めに済ませるのが癖になっているからだろう。
511: 2011/08/04(木) 10:49:48.09 ID:cE6zqUV5o
「そっちはどうだったの?」
「なにが?」
「タクミくんとるーちゃん」
どうしたもこうしたもない。
「二人とも俺よりよっぽど大人です」
「まぁ、だろうけど」
冗談のつもりが、本気で肯定されて落ち込む。
「いや、冗談だよ?」
妹は後になってフォローした。落として上げるのは心臓に悪いのでやめていただきたい。
512: 2011/08/04(木) 10:51:01.41 ID:cE6zqUV5o
買い物は結局、夕方まで続いた。
帰る頃には東の雲が紫に染まっていた。肩を並べて歩く。
通行人の邪魔をしないようにと歩道を歩くと、どうしても縦に長い列になる。
すると自然と、会話に混ざれる人間と混ざれない人間が出てきて、俺はどちらかというと後者になりやすい人間だった。
なんだかなぁ、という気持ち。
置いてけぼりの気持ち。
幼馴染、妹、後輩が並んで話をしている。
その少しうしろを、るーとタクミが並んで歩いている。
屋上さんが、そのうしろ。
俺がさらにうしろ。
「屋上さん」
「なに?」
一瞬、何かが頭の隅を過ぎった。
すぐに思い出す。休みに入る前、屋上で彼女に声をかけたときと、反応が似ていた。
でも、似ているだけで、ちょっと違う。髪形とかいろいろ。
513: 2011/08/04(木) 10:51:34.29 ID:cE6zqUV5o
「なんでもない」
何かを言おうとしたのだけれど、何を言おうとしたかは思い出せなくて、結局そう言うしかなかった。
屋上さんは特に不審にも思わない様子で、また前を向き直る。
会話はないけど、悪くない。
でも、なんだかなぁ、という気持ち。
もうちょっと。
というのは贅沢か。
まぁ、今はいいか。
帰る途中で幼馴染たちとは別れた。妹と俺も、三姉妹を見送って家に入る。
るーが抱えたぬいぐるみが目に入った。
なんだか、似たような光景を見たことがあった。
思い出そうとしてもなかなかうまくいかないので、仕方なく諦める。
重要なことなら、そのうち思い出す。そうでないなら、忘れていてもかまわない。
その夜は涼しかったが、翌朝は虫刺されがひどかった。
539: 2011/08/05(金) 11:34:08.17 ID:i4vZ5Kzfo
やたらと集まる回数は増えたものの、まったく誰とも会わない日だってないわけじゃない。
幼馴染と屋上さんが両方とも部活でいないときは、家には誰も来なかった。
昼過ぎにマエストロからメールが来る。久しぶりに会わないかという内容。
せっかくなのでサラマンダーとキンピラくんも呼んで、ファミレスで会うことにした。ファミレス超便利。
実際に会ってみると、話すべきことがないことに気付いて唖然とする。
「今日まで何してた?」
「寝てた」
「息してた」
「うぜえ氏ね」
こんな感じ。暴言を吐きつつも集合してくれるキンピラくんはどう考えてもツンデレです。
男四人で向かい合って沈黙する。
暇を持て余していた。
普段だって何かを話しているわけではないのだが、久しぶりに会ったせいか、何かを言わなくてはならないような気になってしまう。
とはいえ、話すことは何もないので、
「暇だな」
「うん」
こんなやりとりを繰り返すばかりだ。
540: 2011/08/05(金) 11:34:42.67 ID:i4vZ5Kzfo
ふと、ユリコさんに誘われたバーベキューの話をするのがまだだったことを思い出す。
彼らは三者三様の反応を見せた。
「肉あるか?」
「あるんじゃない? バーベキューだし」
「ならいく」
サラマンダーは三大欲求に正直だ。
「女いる?」
「いるけど、おまえその発言はどうなんだよ」
マエストロも三大欲求に正直だ。
「俺、休み中は起きれるかわかんねえから」
キンピラくんも三大欲求に正直だった。
欲の権化。
ある意味男らしい。
541: 2011/08/05(金) 11:35:15.92 ID:i4vZ5Kzfo
「行けたらいくわ」
三人は魔法の言葉で話を終わらせた。
しばらく沈黙が落ちる。
みんな、会話なんてなくてもいいと思ってるのかもしれない。面倒になって考えるのをやめた。
友達ってそういうもんだろうか。話すことが何もなくて、会話が途切れても、不安に思わない関係。
だとすると、沈黙を不安がってしまう俺は、いったい彼らをどう思っているんだろう。
ひょっとしたら気を遣いすぎているのかもしれない。もうちょっと図々しくなってみようかな。
そのあとは、考え事をしながらマエストロの独り言に耳を傾けて時間を潰した。
「分かるか? 俺は彼女が欲しいんじゃない。ただ女の子にちやほやされたいんだ」
マエストロはいつだって欲求に素直だ。
542: 2011/08/05(金) 11:35:55.12 ID:i4vZ5Kzfo
家に帰ると、妹はいなかった。友達とどこかに遊びに行っているのかもしれないし、一人で買い物にいったのかもしれない。
やることがないので、部屋に戻って課題を進める。少しずつではあるが、終わりが見えてきた。
それでも、暑さのせいでなかなか集中できず、結局ベッドに寝転がってだらだらと時間を潰すことにした。
ごろごろと転がる。
最近、周囲がずっと騒がしかったからか、ひとりでいるとなんとなく手持ち無沙汰な感じがする。
暇。
「ひーまー」
口に出してみる。
退屈が増した気がした。
「うあー!」
暑いので無意味に叫ぶ。
よけい暑くなる。
何をやっても逆効果、という日もある。
妹は日没前には帰ってきたが、俺の落ち着かない気分はちっともなくならなかった。
なんだか落ち着かない日。
こういうこともある。
543: 2011/08/05(金) 11:36:32.68 ID:i4vZ5Kzfo
夕食を済ませた後、妹とリビングでだらける。
「なんかないの?」
妹も妹で暇を持て余している様子だった。「なんか」といわれても困る。
映画でもかけようかと思ったが、大抵のものはもう観てしまっていた。
仕方なく『2001年宇宙の旅』をかける。妹は開始三十分で眠ってしまった。
途中で最後まで見るのを諦める。時間を浪費している気がした。
ひどく蒸し暑い。寝るかという時間になっても、なかなか睡魔がやってこなかった。
夜中にベッドから起きて台所に下りる。冷蔵庫を開けて、麦茶をコップに注ぎ、いつものように飲み干した。
落ち着かない気持ちのまま、ふたたびベッドに潜り込む。
実際に眠れたのは、結構な時間が過ぎてからだった。
544: 2011/08/05(金) 11:37:31.75 ID:i4vZ5Kzfo
ある朝、妹に体を揺すられて目を覚ますと、部屋には幼馴染とタクミがいた。
「プールに行こう」
幼馴染が楽しそうに言う。
仕方なく起き上がり、全員を追い出して着替える。プール。そういえば水着はどこにやったんだったか。
準備を終えてリビングに下りる。妹が朝食を作っていた。
なぜだか幼馴染たちの分まである。食べて来い。いや、別にいいのだけれど。
どうやら屋上さんたちには既に連絡してあったらしい(というより俺以外の人間にはあらかじめ知らされていたようだ)。
集合時間に合わせて移動する。主導したのは幼馴染だった。
彼女は妙にはしゃいでいる。もともと暑いのが苦手で、泳ぐのが好きというタイプだからか。
市民プールにつくと、駐輪場の屋根の下に三姉妹がいた。
このあたりにはあまりプールがないので仕方ないのだが、このプールはあまりよろしくない。
男子更衣室の窓が割れてたりする(ダンボールで補修されている)。
けっこう狭い(というか狭い)。
人気があまりない。人があまりいない。
言っても仕方ないことだし、とりあえずプールには違いないのだが。言い方を変えれば穴場でもある。
545: 2011/08/05(金) 11:38:30.13 ID:i4vZ5Kzfo
学生の身分では入場料は高くつく。妹の分と自分の分を払う。タクミの分は幼馴染が払った。
俺が出すかとも考えたが、それは少し違うだろう、と自分で否定する。
更衣室はとうぜん男女で分かれているので、タクミは俺が引き受けることになった。
よく考えると男女比が2:5。
倍以上。恐ろしい。
やっぱり更衣室の窓は割れていた。まさか女子更衣室の窓まで割れているとは思わないが、これはちょっとした怠慢ではないだろうか。
着替えを終えてプールに出る。
タクミと一緒に軽めの準備運動をする。女勢はまだ時間がかかりそうだった。少しの間待機する。待つ時間は苦にはならなかった。
更衣室から最初に出てきたのは後輩とるーだった。
次いで妹。少し間をおいて幼馴染。一番遅かったのは屋上さん。
立ち並ぶ女性陣からとっさに目を逸らすと、幼馴染が不思議そうに首をかしげた。
「なんでそっぽ向いてるの?」
「眩しいから」
童Oには強すぎる光なのです。
546: 2011/08/05(金) 11:39:38.35 ID:i4vZ5Kzfo
当然といえば当然だが、水着姿を積極的に見られたい女子はいないようで、みんなあちこちに散らばっていった。
おかげで目のやり場に困るようなことはなくなったが、少しばかり残念という気もする。
まじまじと見ることなんて、どうせ出来やしないのだが。小心者だから。
「でも先輩、ちゃんと見ないとだめですよ」
後輩がからかうように言う。
「よせ、俺を弄ぶな。分かってるんだぞ、どうせ実際に見たら見たで変態扱いされて両方の頬に平手打ち食らう展開が待ってるんだ」
「やー。でもほら、水着って見られることを想定して選ぶものですし」
「そんなわけあるか。男にあんな露出の激しい格好見られたいと思う女がどこにいる」
俺は目を覆った。童Oには刺激が強すぎる。下手をすると大変なことになる。主に下腹部周辺。
「そこまで拒否されると、何としても見てもらいたくなるんですけど」
「じゃあほどほどに見るから早く泳ぎに行くんだ」
後輩は仕方なさそうに去っていった。
取り残されたのは俺とタクミの二人で、彼は俺の方をちらりと見て、やれやれというみたいに肩をすくめた。
子どもに子ども扱いされた。
そう間を置かず、幼馴染とるーがタクミの名前を呼んだ。彼は返事をして駆け出す。プールサイドを走るな。
一人取り残される。
「……なんだろう、この寂しい感じは」
547: 2011/08/05(金) 11:40:15.22 ID:i4vZ5Kzfo
仕方ないので一人で泳ぐことにする。
子供たちは底の浅いプールで水をかけあってはしゃいでいた。
楽しそう。
幼馴染と後輩が、るーとタクミの面倒を見ていた。
妹がいないことに気付いて探す。流れるプールで流されていた。
屋上さんはどこだろう、と周囲を見回すが、みつけられない。
「何してるの?」
と思ったら、後ろから声をかけられた。
「いや、何してるのというか」
普通に驚く。
とっくにどこかに行ったものと思っていた。
「屋上さんこそ何をしておられるのか」
「いや、みんながどこにいるかわかんなくて」
「なぜ?」
「視力が……」
そういえば、彼女は眼鏡をしていたっけ。
「普段はコンタクトなの?」
「そう」
納得する。確かにプールで泳ぐのにコンタクトをするわけにもいかないだろう。
視力が悪い人って、水泳のときはどうしているんだろう。度の入ったゴーグルでもあるんだろうか。
548: 2011/08/05(金) 11:40:44.07 ID:i4vZ5Kzfo
「ぜんぜん見えない」
彼女は目を細めてなんとか周囲を見ようとしていたが、効果があるようには思えない。相当悪いらしい。
とりあえず屋上さんを幼馴染たちと合流させる。さすがに近くまで行けば分かるだろう。
「お兄さん、どこにいくんですか?」
すぐさま退散しようとした俺を、るーが目ざとく見咎めた。侮れない。
「泳いでくる。二〇〇メートルくらい」
「二往復ですか。がんばってください」
別に水着だからと過剰に意識しているつもりはないのだが、かといってあんまり近付くのも気まずい。
いや、だって、ねえ?
恥ずかしいし。
男の恥じらいなんて気持ち悪いだけだけど。
水着って露出多いじゃん。
見てるこっちが恥ずかしい。
小学生の頃、漫画を読んでいるとき、誰に見られているわけでなくとも、ちょっとエOチなシーンがあったら読み飛ばしていたものだ。
ああいう気持ち。
競泳用プールをきっちり二往復してから、周囲を見回す。ちょうどウォータースライダーから落ちてくる後輩の姿が見えた。
そういえば、大人びてはいるけれど、あいつだって中学生か。俺たちとはひとつしか違わないけれど。
……今年受験じゃね?
考えないことにした。
549: 2011/08/05(金) 11:41:36.55 ID:i4vZ5Kzfo
子供向けの浅いプールに、膝まで浸して座った。
運動自体久々だったせいか、全身がさっそく痛み始める。
これはまずくないだろうか。
運動不足。
何か手を打たねばなるまい、とひそかに思った。
不意に、足が引っ張られる。
何事と目を向けると、るーが俺を水の中に引きずり込もうとしていた。
目が合うと、彼女はにっこりと笑った。
天使の笑顔だった。超癒される。でもやってることは小悪魔レベル。
もし深いプールだったら洒落にならないところだ。
「るー、泳げるの?」
「泳げません」
彼女はにっこりと笑った。
「……練習しようか」
「いやです。怖いです」
「中耳炎か何かとか?」
「健康そのものですけど」
「泳ごう」
「だめです! 水の中って息できないんですよ? 宇宙みたいなものじゃないですか! 息ができないと人間って氏んじゃうんですよ!?」
意味不明の言い訳をされる。宇宙とはわけが違う。泳げるようにできてるわけだし。
550: 2011/08/05(金) 11:42:32.65 ID:i4vZ5Kzfo
「いいじゃん、教えてもらいなよ」
後輩が気安げに言うと、るーは絶望的な表情になった。
だんだんかわいそうになってくる。
「溺れなければ大丈夫だから」
「泳げないから溺れるんだよ?」
「練習しないから泳げないんだよ」
るーはしばらく抵抗を続けていたが、結局諦めたようにうなだれた。力が抜けて体が浮く。おもしろい。
「ひとごろしー……」
「人聞きの悪い」
「ひとごとだと思って」
「ひと繋がりはもういいから」
水の中で遊ぶこと自体に抵抗はないようだし、犬掻きくらいは出来ている。
つまり、顔をつけるのが怖いのだろう。
顔を洗うときに洗面器で息とめてみたりしないのかな。
いや、普通の人がするものかは分からないけれど。
力を抜いて身体を浮かすくらいのことはできている様子。
借りてきたビート板を持たせる。
「はい、手を伸ばす」
「……怖いんですけど」
「水はともだち。怖くない」
なるべく優しい声音で言う。
逆に警戒されてしまったようだった。なぜ?
551: 2011/08/05(金) 11:43:31.41 ID:i4vZ5Kzfo
「息を止めて顔を水につける。ちょっとでいい」
るーは本当にちょっとだけしか顔を水につけなかった。
どうしたものか。
根気か。根気しかないのか。
俺がどう教えたものかと途方にくれていると、横合いからタクミが現れた。
「無理しなくてもいいんじゃない? 泳げないと氏ぬってわけでもないし」
るーは救いの神を見つけたかのように瞳を輝かせた。
なんだこの態度の違い。
「いいこと言った。今、タクミくんはいいことを言いました。お兄さん、スパルタはもう終わりです」
「あれー? なんだろうねこの俺が悪者みたいな空気は」
スパルタというつもりはなかったのだが。というか、最大限の優しさをもって接したつもりだったのに。
ビート板か。ビート板が悪いのか。やっぱり浮き輪にするべきだったか。
打ちひしがれてプールからあがる。なんだこの徒労感は。
うしろから、るーに声をかけられる。
「冗談ですよー?」
分かってます。プールサイドでは屋上さんと妹が並んで休んでいた。
るーとタクミは幼馴染たちに任せて、ふたりのところに行くことにした。
552: 2011/08/05(金) 11:43:59.72 ID:i4vZ5Kzfo
「つかれた」
妹がぼやいた。
濡れた髪。一通り泳いだ様子だった。もともとあんまり運動が得意な奴じゃないので、長時間泳ぎ続けるのはつらいのだろう。
屋上さんの方は髪の毛先が少し濡れている程度で、あまり水泳後という感じがしない。
「泳がないの?」
「私、からだ動かすの苦手だし」
今日の目的の根底を覆す発言だった。いつも陸上部で軽快に走ってるのに。
「せっかくなのに?」
「うん。せっかくだから流されてきた。流れるプールで」
「どうだった?」
「寒い」
そりゃあ身体を動かさなければそうだろう。
553: 2011/08/05(金) 11:44:45.02 ID:i4vZ5Kzfo
満足行くまで遊んでから、プールを出る。ふたたび更衣室前で別れて、ロビーで集合した。
一緒に昼食をとることになったが、人数と時間帯の面で考えるとあまり行ける場所が思いつかない。
仕方が無いので、俺の家に集まることになった。なぜか。
帰りに食料を求めてコンビニに寄る。近頃本当にコンビニばかりだ。まずいような気がする。
幼馴染とタクミは一度帰ることにしたらしく、まっすぐ帰路についた。
残された俺と妹、三姉妹は、暇を持て余す。
「つかれたー」
家に帰ってすぐ、妹がソファに倒れこむ。珍しいことだ。普段だったら客人の前でこんな姿を見せたりはしないのに。
それだけ疲れていたのか、それだけはしゃいだのかのどちらかだろう。
しばらくゆっくりとした時間が流れる。妹はともかく、るーと後輩まで、いつのまにか眠っていた。
残された俺と屋上さんは、互いに何も言わずに押し黙った。
何を言えばいいやら。
付けっぱなしのテレビの音量を下げる。台風が近付いているらしい。
沈黙に耐えかねて、屋上さんに声をかける。
「アイス食べる?」
「うん」
彼女の返事は短い。
落ち着かない。
距離が縮まっているようで、やっぱり縮まっていないような。
554: 2011/08/05(金) 11:45:14.06 ID:i4vZ5Kzfo
アイスをかじりながら、また黙る。
ふたたび口を開く。どうも気まずい。
「屋上さん、課題進んでる?」
「終わってる」
「……あ、そう」
早めに済ませるタイプらしい。
どう話を続けるべきか。
……こうなると、そもそも会話する必要があるだろうか、という気分になる。
屋上さんは会話がなくても平然としていて、むしろ俺が話しかけたときほど居心地悪そうにしている気がする。
「あのさ」
不意に彼女は口を開いた。緊張したように表情が強張っている。
まずいことしたかな、と思考を巡らせた。そう考えると山ほど落ち度があるように思えてしまう。
「いや、別にそういうんじゃなくて」
「そういうのって?」
「だから、その、さ」
彼女は何かを言いたそうにしていた。何かを言いたいのだけれど、上手く言葉にできないような、もどかしそうな表情。
555: 2011/08/05(金) 11:45:40.41 ID:i4vZ5Kzfo
「私、あんまり人と話すの、得意じゃないというか」
「……うん」
相槌を打って、続きを待つ。急かすような態度をとらないように、そっけなくなりすぎないように注意しながら。
「だから、別に、話すのが嫌とかじゃなくて」
ゆっくりと、なんとか伝えようともがくみたいに、彼女は言った。
――人と話すのが、あまり得意じゃない。
「……うん。なんかもう、上手く言葉にできないけど、そんな感じだから」
彼女はそれを最後に、また言葉を切った。
また沈黙。その静けさには、さっきまでとは違う意味があるように思えた。
彼女が、人との会話を難しいと思っていることは分かった。
でも、それを今言ったのはなぜだろう。
深読みすれば、とても都合いいように解釈すれば、「話すのを嫌がっていると思われたくない」となるわけで。
それはつまり。
深読みすれば。
過大解釈すれば。
556: 2011/08/05(金) 11:46:09.63 ID:i4vZ5Kzfo
自惚れるなよ、と内心で自分に言ったが、頬がゆるむのはどうもこらえられそうにない。
「何ニヤニヤしてんの?」
屋上さんが怪訝そうに眉を寄せる。
「いや」
短く否定する。彼女は仕方なさそうに溜息をついた。言ったことを後悔しているのかもしれない。
俺は浮かれそうになる気持ちを意識して押さえ込んだ。
どうせこの後、なんかよくないことが起こるに決まってる。
予定調和。
あるいは、俺の勘違いでしかないとか。
屋上さんの発言に、俺が考えてるような意図はなかったとか。
そのはずなのに、何分経っても、妹が起きて、後輩が起きて、るーが起きて、三人が並んで帰るときも、そのあとも、ちっとも悪いことは起こらなかった。
けれどその翌日、妹が風邪を引いた。
596: 2011/08/06(土) 11:40:43.42 ID:/vL+Z/cAo
「油断した」
と、ベッドの中で唸りながら妹は言った。顔は火照っていて、息も少しつらそうだ。
うちの家族は、風邪になりにくいわりに、実際にかかると弱い。
「いつから調子悪かったんだ?」
「昨日の夜から、なんだか頭痛がするなぁ、とは」
「プールかな」
ほとんどプールサイドに上がって休んでたし。
「たぶん」
妹は疲れきったように溜息をついた。
「しんどい……」
「だろうな」
変に強がられると困ったことになるので、つらいときはつらいと正直に言うのが我が家のルールです。
それでも正直に言わなかったりするのが妹の困ったところではあるのだが。
「間接痛い。頭ぼんやりする。洟つらい。喉がいがいがする。全身だるい」
妹が鼻声で列挙した症状を頭の中で繰り返す。
俺の推理が正しければ風邪だ。
ていうか風邪だ。
597: 2011/08/06(土) 11:41:10.34 ID:/vL+Z/cAo
「ゆっくり休むように。食欲は?」
「あんまりー」
間延びした声。ひょっとして俺もこんな感じだったんだろうか。
「でも、雑炊なら食べれる、かも」
「後で作る。欲しいものは?」
「愛とか」
うちの人間は自分がつらければつらいほど冗談を言いたくなる人種です。
俺の場合は周囲を茶化してるだけだけど。
「愛ならやるからさっさと治せ」
「うん」
妹はしおらしく頷いた。普段より態度が軟化していて、どうも調子が狂う。それだけ弱っているのだろうか。
たかだか風邪、と言えばそうだけど。
風邪を引いたときの、あの妙に心細い感じは、結構つらい。
台所に下りて冷蔵庫の中を確認する。玉子。野菜室。ネギ。
炊飯ジャーの中を覗く。問題ない。
作れなくはない。
598: 2011/08/06(土) 11:41:44.27 ID:/vL+Z/cAo
正直、料理はあまり得意ではない。妹はもちろん幼馴染も食べさせたことがあるが、あまり評判もよろしくない。
味が濃すぎたり薄すぎたりするそうな。
粉末かつおだし(万能)を駆使して雑炊を作る。俺の料理は基本的に大雑把だ。
炊飯ジャーから茶碗一杯分のご飯を取る。ザルに移して軽く水で洗い、ぬめりを取る。
小さめの鍋に水を入れる。沸かす。ダシを入れる。米を投入。醤油、塩コショウ、めんつゆなどで味付け。刻んだネギ、卵でシメる。
完成。
五分クッキング。
味見する。
「熱ィッ!」
舌を火傷した。
味は悪くない。
昔は水の分量なんかで手間取ったものだ。料理を教える側だった祖母が感覚で作るタイプだったというのもあるが。
「具体的にどのくらい入れればいいの?」
「だから……このくらい?」
「このくらいってどのくらい?」
「だいたい勘でやってるから」
「勘なの?」
「うん。この量だから、たぶん……このくらい」
そんな祖母に教わっても上達はしたのだから、習うより慣れろというのは案外的を射ていると思う。
出来上がった雑炊を大きめの椀に取り分ける。スプーンの代わりにレンゲを用意した(形から入るタイプ)。
599: 2011/08/06(土) 11:42:25.01 ID:/vL+Z/cAo
妹の部屋に持っていく。レンゲで雑炊をすくって冷まし、妹の口元に運んだ。
「自分で食べれるから……」
「火傷するから」
「大丈夫だって」
「俺なりの愛だから」
「愛はもうおなか一杯だから」
「いいから食べろって」
妹は仕方なさそうにレンゲを口に含んだ。
餌付けの感覚。
微妙に楽しい。
「塩コショウききすぎ」
妹は味に関しては手厳しい。
「まずいですか」
「そうは言ってないです」
催促されて、手を動かす。嫌がったのは最初だけで、二口目以降は食べさせられることに抵抗はなかったようだった。
半分くらいまで減ったところで、もう食べられないというので、残りは俺が食べた。
600: 2011/08/06(土) 11:42:55.80 ID:/vL+Z/cAo
「熱測った?」
「七度二分」
微熱。そうひどくはないようだ。
とはいえ、甘く見ていたら悪化しかねないわけだし、どうせ休みなのだから、じっくり休んで治すべきだろう。
「ミカンとか桃とか、それ系の缶詰とか食べる?」
「今はいいや。それより、喉渇いた」
「他には何かある? 水枕いる?」
「大袈裟。そこまでしなくても大丈夫だから」
とりあえず水と薬を用意する。冷蔵庫の中にスポーツドリンクがあったので、それも持っていった。
どうしたものか、と思う。
ずっと傍にいるのも落ち着かないだろうと思い、自室に戻る。
なんとなくそわそわする。
三十分ほど時間をおいて部屋を覗きに行くと、妹はすやすやと眠っていた。
特に寝苦しそうな様子もない。ひとまずほっとする。もういちど部屋に戻ろうとしたところで、インターホンが鳴った。
玄関に出ると幼馴染とタクミがいた。
俺は妹が風邪を引いて寝込んでいることをふたりに告げる。
幼馴染はお見舞いをしたいと食い下がったが、眠っていることを言うとすぐに引き下がった。
「うつったらあれだし、今日のところは悪いけど」
「うん」
お大事にと言い残して、二人は去っていった。
601: 2011/08/06(土) 11:43:22.21 ID:/vL+Z/cAo
三姉妹も来てしまうかもしれないと思い、屋上さんにメールを入れておく。
返信はすぐに来た。「了解。お大事に」短くて分かりやすい。
さて、と溜息をつく。
家事しないと。
洗濯、食器洗い、簡単に掃除をして……まぁそのくらいか。
だいたい二人分なので洗濯物は少ない。食器に関してもさっき使ったものだけだが、やっておいても問題ないだろう。
掃除といっても全体的に片付いているので、軽く掃くだけでそこそこ綺麗に見える。
こうしてみると、うちの妹さまは年齢の割にあまりに優秀な性能をお持ちだということがよく分かる。
せっかくなので布巾を使ってテレビ台の脇やカーテンのレールなんかの埃をふき取る。
はじめると楽しい。
掃除を満足するまで続けていると、いつのまにか昼過ぎになっていた。
602: 2011/08/06(土) 11:44:07.33 ID:/vL+Z/cAo
そろそろ起きる頃かと思い妹の部屋に向かう。そのまえに用を足そうと思い、トイレに向かった。
ドアを開ける。
閉める。
幻を見た気がした。
少しして、水を流す音が聞こえる。
妹が出てきた。
鍵を閉め忘れたのは彼女の方なので、俺に落ち度はない、はずだ。
なんだろう、この罪悪感。
「……気配で察してください」
言い終えてから、妹は小さく咳をした。気配とは無理を言う。
「音で気付くっていうのも、なんか微妙な話じゃない?」
「音とか言うな」
よくある事故だった。
二人でいることが多いので、風呂の時間がかぶることはなかなかない。
そのせいか、妹はトイレでも脱衣所でも鍵を閉め忘れることが多かった。
いや、トイレで遭遇したのは初めてだけれど。
寝てるものだと思ってつい。
631: 2011/08/06(土) 20:20:37.96 ID:/vL+Z/cAo
「悪かった」
謝る。
「いや、私が悪いんだけど、さ」
気まずい。
困る。
「調子どうだ?」
話題を変えるついでに訊ねる。
顔色を見ると、少しはマシになったようだった。
額に触れる。
「な、なにをするか」
今日の妹は口調が安定しない。
熱はまだ少しあるようだった。
「まぁ、今日一日休んでれば治るだろ」
「うん」
素直に頷く。
普段もこのくらい分かりやすければいいのだけど。
家事だって黙々とこなすし、学校のことだって何も教えてくれないし、基本的に自分のことを話したがらないし。
お互い様といえば、そうなのだけれど。
603: 2011/08/06(土) 11:44:36.03 ID:/vL+Z/cAo
「寒気とかない?」
「少しだけ」
「なんか飲む?」
「ココア」
妹を部屋に帰して、そのままココアを入れに行く。黒いカップ。猫のうしろ姿。
ついでに自分の分のコーヒーも入れる。
ゲームキャラを真似してブラックで飲んでいたら、いつのまにか癖になり、何もいれずに飲むことが多くなった。
中身をこぼさないように注意しながら妹の部屋に向かう。
椅子を借りて、ベッドの脇に腰掛けた。
妹はベッドから半身を起こしてカップを手に取る。
パジャマの袖に隠された手の甲。
ひょっとして狙ってやってるのか。
会話がない。
少しずつコーヒーが減っていく。ゆっくりとした時間。
604: 2011/08/06(土) 11:45:17.71 ID:/vL+Z/cAo
空になったマグカップを持って、妹の部屋を出る。夜まですることがなくなる。
ギターを弾いたら寝るのに邪魔だろうし、映画を見るには気分が乗らない。
部屋に戻って課題を進めることにした。
夕方になっていから、夕食をどうするかを訊ねに行く。だいぶ楽になったようで、食欲もあるらしい。
簡単に、消化によさそうで、あまり食べにくくないものを作ろうとしたが、そんな料理思い浮かばなかったので、適当に済ませた。
食事の後、妹がシャワーを浴びたいと言い出す。
やめておけと言いたかったが、こういうときだけは困る。
性別の壁。女性的な感覚が分からないので、あんまり口うるさくも言えない。
あまり長くならないことと、体をしっかり拭いて髪を乾かすことだけ言いつける。
分かってる、と頷いた妹の顔は、朝よりはずっと普段のそれに近かった。
妹はシャワーを浴びたあと部屋に戻って早々に寝入ったようだった。
俺は部屋に戻って課題を進めた。だいたい半分近くは済んでいる。期間的に余裕はまだあるが、そろそろ終わらせてしまいたい。
しばらく机に向かってから、風呂に入って寝ることにした。
ベッドに入る。なんとなく落ち着かない気分。
明日には妹の風邪が治っているといいのだが。
605: 2011/08/06(土) 11:46:31.81 ID:/vL+Z/cAo
そろそろ祭りも近い。ユリコさんの言っていたバーベキューの日取りも、幼馴染が言ってくる頃だろう。
食材の費用とか、どうしよう。俺たちが渡そうとしても素直に受け取らないだろうし。
一応、両親にも話をしておくべきだろう。母ならなんとかできるはずだ。
目を瞑って考え事をしていると、自然とここ最近のことに思考が集約していく。
幼馴染、タクミ、妹、屋上さん、後輩、るー。近頃良く会う顔ぶれ。
いつからこうなったんだっけ。幼馴染が家に来るようになったのは夏休みのちょっと前だ。
タクミを連れてくるようになったのは夏休みに入ってから。
屋上さんが家に来るようになったのは、たしかるーが来たがったからだ。
そこまで考えて、不意に疑問に思う。
後輩はたしか、るーと屋上さんとの間には、微妙に距離がある、というようなことを言っていなかったか。
後輩自身も含まれるような言い方で。
だとしたら、るーはどうして俺のところに来たがったのだろう。
素直に受け取るなら気に入られたということになるだろうが、あまり仲の良くない姉妹の友人相手なら、距離をとるはずじゃないだろうか。
考えすぎかもしれない。
606: 2011/08/06(土) 11:47:02.16 ID:/vL+Z/cAo
その夜、久しぶりに夢を見た。
夢の中の俺はまだランドセルも背負っていないような年齢だった。
公園の砂場で、幼馴染と一緒に遊んでいる。
俺はそこで、彼女を問い詰めている。
「俺、おまえと結婚の約束したよな?」
けれど幼馴染は首を振る。冗談などではない。彼女は本当にそのことを知らないのだ。
俺は混乱する。たしかに、そういうことをした記憶がある。
じゃあ、ひょっとしたら、と考えて、俺は質問を変えた。
「俺、おまえに指輪をあげたことがあるよな?」
この質問には、彼女は頷いた。
少ない小遣いをはたいて買った玩具の指輪。スーパーマーケットの小物店。
でも、おかしい。
607: 2011/08/06(土) 11:47:28.34 ID:/vL+Z/cAo
俺と幼馴染が結婚の約束をしたとき、俺たちはランドセルを背負っていなかった。
その頃は、ちょうど祖父母の家から両親の家に戻ってきた時期。
両親の仕事は落ち着いてきたけれど、毎日のように祖父母やユリコさんが様子を見に来た時期。
その頃、俺はまだ自分で金を持ったことがなかった。あるにはあったが、ごく少ない金額だったはずだ。
少なくとも、その頃の自分に、小物店で玩具の指輪を見つけて、レジに持っていく、なんてことができたとは考えにくい。
そこまで考えて、結婚の約束と指輪との間に関連性がなかったのかもしれないと気付く。
だとすれば幼馴染は指輪のことだけを覚えていて、約束のことを忘れているのだろうか?
違う気がした。
俺や幼馴染が忘れていても、そんなことをしていればユリコさんが知っているはずだ。
そんなことがあれば、今の歳になったってからかうに決まっている。
608: 2011/08/06(土) 11:47:57.68 ID:/vL+Z/cAo
だとすると、ユリコさんは知らない。
じゃあ約束なんてなかったんだろうか。
夢はいつのまにか静止していた。砂場で俺と幼馴染が硬直している。少し遠くにあるベンチから、ユリコさんがこちらを見ている。
妹は、ユリコさんのところから、こちらへ向かって走ってくる。あいつはひどく元気で手の付けられない子供だった。
夢の中の俺は、そこで考えるのをやめた。
子供の頃のことだし、実際に約束したかどうかなんてどうでもいいことだ。
実際、子供の頃の約束を理由に何かが変わるわけでもない。
そんなものを持ち出したからといって幼馴染と結婚できるわけでもないし、結婚しなければならないわけでもない。
約束なんてことを言い出せば、妹とだって子供の頃から数え切れないほどの約束を交わしてきた。
具体的に覚えてるものなんてほとんどないけど。
夢はそこで途切れて、俺の意識はふたたび眠りに落ちていった。
609: 2011/08/06(土) 11:49:10.50 ID:/vL+Z/cAo
翌朝、リビングに下りると、妹が既に起きてキッチンに立っていた。
病み上がり。
「ご飯、すぐにできるから」
嫁みたいな台詞を言われる。
顔色はいつもと変わらない。治ったようではある、が。
「熱はかった?」
「計ってないけど」
「休んでなさい」
料理を引き継いで妹をリビングに座らせる。不満そうにしていたが、ぶり返しでもしたらそれこそ困る。
それでも一応、風邪は治った様子で、多少動いても平気そうにしていた。
あまり無茶をしなければ、もう大丈夫だろう。
妹が部屋に戻って課題をやるというので、俺は暇を持て余した。昨日の今日なので誰もうちには来ない。
610: 2011/08/06(土) 11:49:36.51 ID:/vL+Z/cAo
部屋に戻ってギターで「太陽は夜も輝く」を弾き語る。かっけえ。俺超かっけえ。
すぐに鬱になる。いったいいつになったら上達するんだろう。
ふと気になってテレビを見る。台風は大きく逸れていったそうだ。期待させやがって。
ギターをスタンドに立てかけて課題を進める。
昼時まで集中すると、結構進んだ。あと二日もあればだいたい終わるだろう。
妹と一緒に昼食をとり、また部屋に戻る。
昼過ぎに幼馴染が一人でやってきた。
「リンゴ持って来たよ」
妹の様子をみて、幼馴染も少しばかり安心したようだった。リンゴを剥いて三人で食べる。美味い。
「バーベキュー、明日だって」
「明日?」
また急な話だ。
ていうか妹はまだ病み上がりだ。
611: 2011/08/06(土) 11:50:06.39 ID:/vL+Z/cAo
「思い立ったが吉日だって言ってた」
思い立ったのはだいぶ前だと思うが、ユリコさんに理屈は通用しない。
「連絡しておく。みんなに」
その前に、明日は部活があるのだが。
「うん。そんな感じで」
幼馴染はリンゴをしゃりしゃりかじりながらぼーっと周囲を見回した。
特に意味のある行動ではなさそうだが、妙に気になる。
訊いてみることにした。
「どうかした?」
「え? なにが?」
無意識だったらしい。
「そういえばさ」
ふと夢のことを思い出して、訊いて見る。
「指輪を渡したこと、あったよな?」
幼馴染は一瞬変な顔をして、
「ああ、うん」
小さく頷いた。
612: 2011/08/06(土) 11:50:33.38 ID:/vL+Z/cAo
「ちゃちな玩具の」
「ちゃちって言わない」
なぜか怒られた。やっぱり指輪のことは覚えているらしい。
「それがどうかしたの?」
「別に」
そこで会話が終わると、幼馴染は不満そうな顔になった。なぜ?
リンゴを食べ終える。
幼馴染は早々に立ち上がって、帰る準備をした。
「じゃあ、明日のこと、よろしく。一応必要なものは揃えとくみたいだから」
「はいはい」
彼女が帰ったあと、夕食の準備を始めた。妹が手伝いたがった。仕方がないので分担する。
夕食を食べ終えたあと、部屋に戻った。
課題を進める。一問でも解いておけば、あとで使える時間が一問分増える。時間を貯金している気分。
その夜は雨が降った。
646: 2011/08/07(日) 14:59:30.69 ID:iytVn9FWo
翌日の午前中、部活があったので学校に顔を出した。
雨は夜中降り続いていたようで、朝になってようやく止んだらしい。地面が濡れていた。
部室につくと、やっぱり部長がいた。
「どうも」
「おはようございます」
そういえば部長と話をするのも久しぶりだ。
「何か良いことでもあったんですか?」
彼女は俺の顔を見てすぐにそう言った。
「なぜ?」
「機嫌良さそうな顔してるから」
「そうですか?」
無自覚。意識していなかった。
647: 2011/08/07(日) 14:59:58.34 ID:iytVn9FWo
「恋人でもできたんですか?」
部長が真顔で突飛な質問をする。なぜ恋人か。
「休み前にそんなようなことを言ってたじゃないですか」
そういえばそんな話をしたような気もする。
恋人つくるにはどうしたらいいか、みたいな話。
すっかり頭から抜けていたけれど、別に恋人ができたわけじゃない。
やたら周囲の女子率が上がっただけで。
「毎日楽しくて仕方ないです」
男として本音を言うべきだと感じた。
「女の子を侍らせて毎日楽しんでるわけですか」
「部長、その言い方だと、なんか俺が悪い人みたいです」
「好きな人はできたんですか?」
部長は疑問が直球です。
好きな人。
好きな人て。
「やだそんな恥ずかしい」
照れた。
648: 2011/08/07(日) 15:00:25.03 ID:iytVn9FWo
「好きな人、いないんですか?」
「ぶっちゃけよくわかんねえっす」
正直に答えた。
好きな人とか言われても困る。
しいていうならみんな好きです。
「部長は、いないんですか?」
「私のことはいいじゃないですか」
誤魔化された。
好きとか好きじゃないとか、難しい。
幼馴染はずっと一緒にいるせいで、きょうだいみたいなものだし。
屋上さんとは友達と言えるかどうかも微妙なところだし。
妹は、いや、妹は妹だし。
しいていうなら、
「全員ひとりじめしたい……?」
「最低の論理ですね」
軽蔑された。いや、男なら思うって。
もちろん、そんなことできないのはわかってる。
649: 2011/08/07(日) 15:01:07.17 ID:iytVn9FWo
でも選べないってことは、少なくとも特定の誰かに恋愛感情を持っているわけではないってことだろうか。
なんかそんな気がする。
「俺はずっと女に囲まれて過ごすのですぐへへ」
うわあ、と部長が声をあげた。
言い方はともかく、割と正直な気持ちではあった。
俺は嘘もつくし失敗もするけれど、できるだけ正直であろうと思うし、真摯でありたいと思う。
言ってることは最低かもしれないけど。
……真摯じゃないかもしれないな、これは。
そういえば、とふと思う。
部長に「好きな人は」と聞かれたとき、頭を過ぎった、幼馴染と屋上さん。妹……のことはおいておいて。
いつのまにか、屋上さんと幼馴染をほとんど同列に置いている自分に驚いた。
ちょっと前まで屋上さんは、ただのよく会う人だったのに。苦手にすら思っていたのに。
ちょっと前まで、幼馴染に彼氏ができたとかいってひどく落ち込んでいたのに。
深く考えないことにした。
650: 2011/08/07(日) 15:01:41.59 ID:iytVn9FWo
部活を終えて家に帰る頃には、地面はすっかり乾いていた。
太陽、まばゆい。張り切りすぎだ。暑い。
汗を拭うが、きりが無い。さっさと着替えてしまいたい。帰ったらシャワーを浴びよう。
家についたのは一時過ぎだった。幼馴染の家には夕方までに行けばいいので、まだ余裕がある。
シャワーを浴びて着替える。昨日のうちに男子三人にはメールを出しておいた。
返信はすべて「行けたら行く」だったけれど、たぶん三人とも来るだろうと思う。
マエストロは工口小説の肥やしにでもするかもしれないし、サラマンダーは肉食だし、キンピラくんはツンデレだし。
案の定、一時を過ぎた頃に、三人とも俺の家にやってきた。
それぞれ、手にビニール袋を持って。
どこかで一旦集合したらしい。結局乗り気だったんじゃん。
荷物の中身を訊ねてみる。
「サラマンダー、なにそれ」
「花火。食べ終わったらやるかなーと思って」
サラマンダーの面目躍如である。
「マエストロ、なにそれ」
「おまえに見せようと思った工口小説」
そんなもんみせんな。マエストロの面目躍如である。
「キンピラくん、それはなに?」
「いや、初めて会いにいくわけだし、親御さんいるんだから、菓子折りでも持ってくべきかと思って」
やけに礼儀正しい。高校生の発想じゃなかった。侮れない。
651: 2011/08/07(日) 15:02:25.95 ID:iytVn9FWo
「これだと、俺もなんかをもってかなきゃいけない気がする」
とりあえず何かないかと家中を探す。妹が怪訝そうな目でこちらを見ていた。照れる。
冷蔵庫の中にスイカがあった。これだ。
俺だけ手土産なしという最悪の事態は回避される。
三時までゲームをして遊んだ。
キンピラくんはやたらと強かったが、マエストロには敵わない。最下位は俺だった。
少ししてから五人で幼馴染の家に向かう。庭では既に幼馴染の父であるアキラさんが準備を始めていた。
三姉妹は既に来ているらしく、幼馴染やタクミと一緒に中で待機しているという。
アキラさんを手伝おうと思ったのだが、なぜだか拒否される。あまり強くも出れない。
ユリコさんなら、強引にでも手伝うことはできる。でもアキラさんは難しい。
この人はなんというか、「いいっていいって」という言葉だけで万人を納得させる力を持っているのだ
「いいっていいって」
仕方なく家の中にお邪魔する。
リビングに入ると、五人は座ってトランプをしていた。
男勢の多さに、るーが少しだけ警戒したようだったが、後輩と話すのを見て少しは安堵したようだった。
基本的に無害な人たちですし。
男子勢はむしろ、見知らぬ女子がいることを疑問に思っていた。そういえば説明してなかった。
軽く紹介する。彼らはすぐに納得した。
「花火持ってきたから後でやろう」
サラマンダーが株をあげた。
652: 2011/08/07(日) 15:02:52.82 ID:iytVn9FWo
キンピラくんはキッチンに立つユリコさんに菓子折りを礼儀正しく渡した。すげえ。
でもキッチンで渡すことないのでは? やっぱりキンピラくんはキンピラくんだ。
勝手知ったる人の家で、俺はユリコさんに一声かけてからスイカを冷蔵庫に入れた。
俺、妹、幼馴染、タクミ、屋上さん、後輩、るー、サラマンダー、マエストロ、キンピラくん。
増えすぎ。
さらに、ユリコさん、アキラさん、と、見知らぬ誰か数名。
見知らぬ誰か数名。
知らない人がいることに気付いて動揺する。キッチンでユリコさんと並んでせわしなく動いていた。
「だれ?」
「るーちゃんたちのお母さんだって」
幼馴染が答えてくれた。人のよさそうな表情、若々しい見た目、少し聞こえる話し声は、落ち着きがあって控えめ。
いい人っぽい。
どことなくるーに似ている。
親しみを持つために脳内呼称をつけることにした。シミズさん。申し訳ないけど適当だ。
もう一人、キッチンには誰かが立っていた。
「タクミの?」
うん、と頷いたのはタクミだった。
そういえば、さっきアキラさんの隣に誰かがいたような。あの人がタクミの父親だろうか。
こっちは「タクミのお母さん」でいいや。うん。それで混乱しないし。
大人多い。
微妙に緊張する。
653: 2011/08/07(日) 15:03:22.84 ID:iytVn9FWo
でも緊張していたって仕方ない。今日は余計なことを考えず、子供として楽しむことにした。
いわば妹と同列。
それはそれで間違っている気がする。
しばらく話をする。屋上さんが後輩のことを「すず」と呼んだ。
記憶にある限り、屋上さんが後輩の名を呼ぶのははじめてのことだ。
るーはいつも後輩を「お姉ちゃん」と呼んでいる。その違いはなんなんだろう。
「すず姉」でもいいはずなのに。
それはどちらに対して距離があると受け取れるんだろう。
俺が考えるべきことでもない、と、思考を区切った。
今はバーベキュー。
四時頃、ユリコさんに呼ばれて庭に出る。サンテーブル、紙コップ、紙皿、ジュース、ビール。
鉄板に重ねられた網の上で焼かれていく肉、野菜。
垂涎。
幼馴染と妹が積極的に動いて皿の準備をした。ユリコさんは早々に椅子に座りビールを飲んでいた。
トングはもっぱらアキラさんが持っていた。
「代わりますよ」
シミズさんが名乗り出る。
「いいからいいから」
アキラさんは当然のように断る。ユリコさんがシミズさんを強引に座らせて、酒を紙コップに注ぐ。強引な人。
654: 2011/08/07(日) 15:04:19.12 ID:iytVn9FWo
サラマンダーとマエストロは遠慮がなかった。焼けたそばからばくばく喰う。ちょっとは遠慮しろ。
二つ目のトングを握った妹に、俺は野菜ばかりを食わされた。ひどい。
でもほとんど食べられていない妹の手前、何もいえない。
るーやタクミはサラマンダーたちに負けじと張り合っていたが、後輩や屋上さんはマイペースで箸を進めていた。
幼馴染は、なぜか大人たちと酒を飲んでいた。謎。
これだけの人数がいると、場は騒がしくなる。
頃合を見て妹と役割を交代する。子供の網は子供の管理。
マエストロたちに肉があまりいかないように誘導しながら具材を焼く。
大人たちが微笑ましそうにこちらを見ていた。落ち着かない。
アキラさんも大人たちに混じって酒を飲み始めた。もう酒盛りがしたいだけだったんじゃないか。いや、そういうものか?
大人たち五人を放置して、子供たちはばくばく食べる。そのままだろうが串だろうがどんどんなくなる。早い。
でも食材は大量にあった。……いいのかこれ。
敷かれていたレジャーシートの上に、屋上さんたちが正座していた。小さなテーブルの上に置かれた皿。
少し休むことにする。なぜだかあまり食べる気にはなれなかった。
俺が座ったのと同時に、後輩が立ち上がる。
網に近付いてトングを握った。気遣いタイプだなぁ。
655: 2011/08/07(日) 15:04:51.69 ID:iytVn9FWo
屋上さんはあんまり食べていない様子だった。
「遠慮してるの?」
と訊ねると、首を横に振る。そういえば、いつも彼女は昼食にサンドウィッチを食べていた。少食なのかもしれない。
会話の糸口を見失う。何を言えばいいのやら。
紙コップに炭酸を注いで飲む。なんだかなぁ、という気持ち。
周囲を見る。マエストロがトングを握ってタクミの皿に肉を分けていた。大人っぽい。
サラマンダーは大人たちに混ざって酒を片手に談笑している。何者だアイツは。なぜか和やかな笑いを作り出している。
キンピラくんはマエストロの脇に立って、空いた皿や肉の入っていた容器の片付けをしている。気遣い屋。
後輩はるーの脇に立って、マエストロ作業を眺めていた。
妹は、皿を持ってこちら側にやってきた。俺の隣に腰掛ける。正面に屋上さん、隣に妹。
不意に衝撃があった。
何事、と動揺すると同時に、なにか心地よい匂いが鼻腔をくすぐった。
幼馴染が後ろから抱き付いてきたのだと気付いたのは、数秒経ってからだった。
「ふへへ」
妙な声で笑いやがる。
酔ってる。
こいつは酔うと抱きつく。抱きつき癖がある。
656: 2011/08/07(日) 15:05:17.59 ID:iytVn9FWo
「離れなさい」
大人っぽく言う。
「ごめんなさいー」
謝りながらも、彼女は離れようとしない。
困る。
背中に当たる感触とか。
微笑ましそうな大人たちの目とか。
隣に座る妹の視線とか。
屋上さんの何か言いたげな顔とか。
るーがこっちを指差してけたけた笑っている様子とか(酒でも飲まされたんだろうか)。
困る。
しばらく流れに身を任せていると、幼馴染は飽きてしまったようで、なんとか離れた。暑苦しかった。
657: 2011/08/07(日) 15:05:51.69 ID:iytVn9FWo
なんとか解放されたと溜息をつくと、今度は膝の上でぽすりという感触がした。
なぜか、妹が眠ろうとしていた。
「ちょっと疲れた」
「……あ、そう。中で休めば?」
「ここでいい」
言いながら妹は目を閉じる。
なんだろうこの理屈。自分がひどくおかしな空間に巻き込まれている気がした。
気付く。
夢オチだ。
そろそろなおとが現れて、「時間だぜ、そろそろ起きろよ相棒」とか言いながら都合のいい夢の邪魔をするのだ。
目が覚めるとまだ七月の上旬で、テスト前。キンピラくんも屋上さんも辛辣で、幼馴染には彼氏がいる。
そうだ、きっとそうに違いない。
658: 2011/08/07(日) 15:06:20.15 ID:iytVn9FWo
どうせ夢なら何してもバチは当たらないだろう。
髪を撫でると、妹は瞼を閉じたままくすぐったそうに首をすくめた。
猫みたいに頭を動かして眠る姿勢を変える。ちょっとかわいい。
胸に触る。
殴られる。
「何をしやがりましたか」
動揺のあまり、妹の口調はいろいろ混じっていた。
「痛い。ってことは夢じゃないのか」
「何を言ってるの?」
痛いからといって夢じゃないとは限らない。夢の中で痛いと感じることもあるだろう。たぶん。
もし現実だったとしたら幸いなことに、他の誰にもさっきの行為は見られていなかったようだった。
幼馴染はどこにいった、と周囲を確認すると、いつのまにか屋上さんと世間話に興じていた。
659: 2011/08/07(日) 15:06:47.74 ID:iytVn9FWo
妹は眠る気をなくしたのか、落ち着かないような顔をして居住まいを正した。
現実。
まずいことした。
「ごめんなさい」
謝る。夢の中なら何をしてもいいなんて考えた時点で最悪だった。
「いや、うん。さっきのはナシで」
なかったことにした。誰も傷つかない平和的な解決。
屋上さんと、ふと目が合う。
彼女はきょとんとした表情でこちらをみた。
なんだかなぁ。
変な日だ。
たぶん夢オチに違いない。
けれど、バーベキューを終えて、片付けをして、庭を綺麗にして、スイカを食べながら休んだあと、花火をするためにまた庭に出て。
そのあとも、ちっとも夢はさめてくれなかった。
660: 2011/08/07(日) 15:07:55.44 ID:iytVn9FWo
ユリコさんたちの酒盛りに付き合わされて、次に目が覚めたのは翌日の朝だった。
一晩、明かしたっぽい。
どうやら子供勢がリビングで雑魚寝した様子。
不思議とサラマンダーたち三人の姿はなかった。昨日のうちに帰ったのかもしれない(なぜ俺だけ取り残されたんだろう)。
どういう法則が働いたか分からなかったが、寝転がる俺のふとももに、妹の頭が乗っていた。結局俺を枕にするのか。
頭痛をこらえながら起き上がる。
シミズさんたちはどうしたのだろう。姉妹を残しているということは、どこか別の部屋を借りたのか。
タクミとるーもいなかった。最年少組を雑魚寝させるのを親たちが避けたのだろう。
つまりこの場で寝ていたのは。
俺、妹、幼馴染、屋上さん、後輩、の五人。
男が俺ひとりだった。
毛布がもぞもぞと動く。誰かが動いたらしい。
慌てて立ち上がって、勝手に洗面所を借りる。
二日酔い。顔色は悪くないものの、飲まされた気配がする。夜のことはほとんど覚えていない。
661: 2011/08/07(日) 15:08:24.22 ID:iytVn9FWo
顔を洗うと少しだけ意識が冴えたが、頭痛と体のだるさのせいで眠りたくて仕方なかった。
リビングに戻って時計を見ると、針はまだ五時半を差している。
寝なおそう。
床に敷かれた毛布の一枚に潜り込んで、俺はふたたび眠りに落ちた。
再び目を覚ましたとき、なぜか屋上さんが腕の中にいた。
混乱する。
心臓がばくばくする。
このままじゃまずい、と思う。
とりあえずできる限り静かに、ゆっくりと、腕を引き抜いていく。起こさないように。
動揺のあまり「せっかくだし観察しよう」とか思える状況じゃなかった。
ていうかいっそ恐怖すら覚えた。
このラブコメ的イベントの連続はなんなのか。
絶対なんかの予兆だろ(被害妄想)。
662: 2011/08/07(日) 15:08:57.98 ID:iytVn9FWo
なんとか体を引き抜いて、屋上さんからじりじりと離れる。
立ち上がる。達成感。よくぞここまでがんばった。
でも振り返るとみんなが起きていた。
めちゃくちゃ見られてた。
ユリコさんがニヤニヤ顔でこちらを見ている。やっぱこういうイベントか。
なぜかからかったりしてくる人はいなかった。逆に怖い。
その後、片付けやらなにやらが始まったので、なんだかんだでうやむやになる。
相当後になってから分かったことだが、このとき屋上さんは狸寝入りをしていたらしい。
663: 2011/08/07(日) 15:09:28.73 ID:iytVn9FWo
日が出て、それぞれが身繕いを終わらせてから、ちょっとのあいだ空白の時間ができた。
大人たちはテーブルについて談笑している。るーとタクミはそこで一緒にお茶を飲んでいた。
暇を持て余す。とはいえまだ帰るには早い。
昨日の夜の記憶がほとんどない。
そこまでひどいことにはなってないはずだが、なんとなく嫌な予感もする。
幼馴染に昨日の夜の出来事を尋ねてみる。
「昨日の夜、俺、どんなんだった?」
「結婚を前提にお付き合いしてくださいって言われたよ」
簡単そうに言った。
それって親の前でか。
恥ずかしすぎる氏にたい。
664: 2011/08/07(日) 15:10:13.18 ID:iytVn9FWo
ホントに? と屋上さんに聞いてみる。
「私も、僕と同じ墓に入ってくださいって言われたけど」
どうでもよさそうに彼女は言った。
冗談だろ、と思った。
他人事のように横で見ていた後輩が、けらけら笑い出す。笑い事じゃない。
妹を見る。
「私も、毎朝俺のために味噌汁を作ってくださいって言われた」
「それもう作ってるじゃん」
急に冷静になった。
でももう酒は飲まない。
「別にお兄ちゃんのために作ってるわけじゃないから」
否定される。ツンデレ(希望的観測)。
665: 2011/08/07(日) 15:10:40.26 ID:iytVn9FWo
「この女たらし」
幼馴染が笑いながら言う。
ひょっとしてからかわれたんだろうか。
昼前に解散になって、みんな家に帰った。
家に戻ると、なんだか急に静かになりすぎて落ち着かない。
二日酔い。腹の辺りに何かが埋まっているような不快感があった。そして頭痛。
なんだか疲れているのを感じて、寝なおすことにする。
目が覚めたのは夕方で、ちょうどすさまじい勢いの夕立が降り出したときだった。
その日は何もする気になれず、結局ほとんど寝っぱなしだった。
666: 2011/08/07(日) 15:11:08.11 ID:iytVn9FWo
667: 2011/08/07(日) 15:11:38.29 ID:9zoQz2f6o
乙~
最低の論理は最高ですねばくはつしろ
最低の論理は最高ですねばくはつしろ
668: 2011/08/07(日) 15:14:51.54 ID:f7yMoKHN0
乙
これはさすがに爆発してもいいんじゃないですか爆発しろ
あと部長かわいい
これはさすがに爆発してもいいんじゃないですか爆発しろ
あと部長かわいい
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