【その2】
桜花

100: 名無しさん 2001/04/01 00:33
陸軍衛生伍長 伊藤 甲子美命 二十六歳 
マリアナ島にて戦死 

季代子 かう呼びかけるのも最後になりました。

短かつたけど優しい妻でした。有り難く御礼申し上げます。まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れた様な気がして嬉しく思つていました。折角永遠の誓ひを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、陛下の御盾として果てる事は、私にとりましても光栄と存じます。 

短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思ひます。若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。

私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して悲しみません。

さやうなら季代子、何一つの取り柄のない夫を持つて、さぞ肩身の狭き思ひで有りませう。至らない身、お詫びを致します。 

何日の日か幸福な妻にさして上げたく思ひ乍
(なが)ら、その機会もなく心残りでなりません。どうぞ御健やかに御暮らし下さいます様、お祈り致しています。さやうなら。 

昭和十九年五月三日 伊藤 甲子美 

季代子様 

104: 名無しさん 2001/04/01 01:03
>>100 
ナイタ、泣いたよ… こんな男に、なりたいのう。 

101: 名無しさん 2001/04/01 00:36
海軍中尉 富田 修命 二十三歳 
台湾高雄西海上にて戦死 

九月二十五日一時半、我一生ここに定まる。 

お父さんへ、いうことなし。お母さんへ、ご教訓身にしみます。

お母さんご安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。----それだけで僕は幸福なのです。

日本万歳、万歳、こう叫びつつ死んで征つた幾多の先輩達のことを考へます。

お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!! 

こう叫びたい気持ちで一杯です。何かいつて下さい。一言で充分です。

いかに冷静になつても考へても、何時も何時も浮かんで来るのはご両親様の顔です。父ちやん!母ちやん!僕はこう何度もよびます。 

「お母さん、決して泣かないで下さい」 

修が日本の飛行軍人であつたことに就いて大きな誇りを持つて下さい。勇ましい爆音をたてて先輩がとんで行きます。ではまた。 


120: 名無しさん 2001/04/01 19:31
著書「知覧特別攻撃隊」より。 

遺書 母を慕いて 

母上お元気ですか 
永い間本当に有難うございました 
我六歳の時より育て下されし母 
継母とは言え世の此の種の女にある如き 
不祥事は一度たりとてなく 
慈しみ育て下されし母 
有り難い母 尊い母 

俺は幸福だった 
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺 
幾度か思い切って呼ばんとしたが 
何と意志薄弱な俺だったろう 
母上お許し下さい 
さぞ淋しかったでしょう 
今こそ大声で呼ばして頂きます 
お母さん お母さん お母さんと 

相花信夫 少尉 第七十七振武隊 
昭和二十年五月四日出撃戦死 十八歳 


121: 名無しさん 2001/04/02 01:14
昭和十九年、十一月二十二日、午前七時四十分、ぺリリュー島からパラオ島へ打電。 

「通信途絶ノ顧慮大トナルヲ以ッテ最後ノ電報ハ左の如ク致シ度承知相成度。 

一、軍旗ヲ完全ニ処置シ奉レリ。 
二、機密書類ハ異状ナク処理セリ。 

右ノ場合「サクラ」ヲ連送スルニ付報告相成度(原文のまま)」 

十一月二十四日、午後四時打電。 

「サクラ サクラ」
 

ぺリリュー島の戦闘模様については船坂弘氏の「ぺリリュー島玉砕戦」を読んでもらいたい。

「『サクラ サクラ』その電文を見たもの、ひとしく泣かずにはおれなかったという」 の部分で私も泣きました。 
122: 名無しさん 2001/04/02 01:35
アラン・ムーアヘッド/「神々の黄昏」より

これは、ユーゴスラヴィアの愛国者の胸に浮かんだ思いであり、自分が間もなく死んでいくことがわかっていたので、まだ生まれていない子供のために書き残していったものだ。 

まだ闇の中で眠っていて、生まれいずる戦いのために力をたくわえているわが子よ。私はお前の幸せを祈る。 

今は、まだお前は一人前の恰好もしていないし、息もしていないし、目も見えない。しかし、時がきたら、お前と、私が心から愛しているお前の母親にとって重大な時がきたら、空気と光を求めて戦う力を与えてくれる何かが、お前の中に生じるだろう。

理由はわからないながらも、光を求めて戦い、そして戦いつづけること――それが人の子としてお前が生まれながらに持っている権利であり、お前の運命なのだ。

いつまでもいのちを愛し続けること。しかし、死に対する恐怖は捨てるのだ。いのちは愛さねばならない。さもないと、失われてしまう。しかし、愛しすぎてもいけないのだ…。 

常に新しい知識を貪欲に求めること。常に嘘を憎み続けること。そして、常に怒りを爆発させる力をたくわえておくのだ。 

私は死んでいかなければならない。そして、生まれてくるお前を待ち受けているのは、私の過ちがもたらした瓦礫の山であり、お前はその上に立つしかないのだ。

こんなことにしてしまったことを許しておくれ。こんなに乱雑な、住みにくい世界をお前に残していくことを、恥ずかしく思っている。しかし、こんな世界しか残せないのだ。 

心の中で、最後の祝福として、お前の額にキスを送る。おやすみ――そして、爽やかな夜明けが訪れるように。

123: 名無しさん 2001/04/03 02:27
>>122 
なんか欧米人はキザだー。良くも悪くも。

でも「常に嘘を憎みつづけろ」なんて子供に言い残せる真っ直ぐさは、日本にはないものだね。ちょっと羨ましい。

91: 名無しさん 2001/03/31 18:18
国のためだと信じ込み 
ジャングルの落ち葉の下で朽ちていく 
米も食わずに戦って 
ぼろぼろになって死んだ仲間たち 

遠い遠い雲の涯に 
たばにして捨てられた青春よ 
今尚太平洋を彷徨する魂よ 
俺達の永遠に癒えない傷あと
 

吉田嘉七「ガダルカナル戦詩集」より。 

126: 名無しさん 2001/04/03 03:56
大尉 第六十六振武隊 
五月二五日出撃戦死 三重県22歳 後藤光春 

遺書 
戦局の重大性は日一日と増す 
国家総力戦の最高度化を必要とせらる、こと甚大なり 
御精励の程御願い致します 

幼き頃の御指導を謝します。 
神明の加護の許に神通体当りに参ります。 

五月初 振武隊長 

初陣が最後 完全なる飛行機にて出撃致し度い 
      
五月一日 後藤光春
 

150: 名無しさん 2001/04/06 03:34
岸壁の母こと端野いせさん。

中国残留孤児を引き取りたいと希望した時、「だけど女の子がええ、男の子は戦争に取られるから・・・」。 

※岸壁の母:
終戦後、端野いせは東京都大森に居住しながら、息子の新二の生存と復員を信じて昭和25年(1950年)1月の引揚船初入港から以後6年間、ソ連ナホトカ港からの引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立つ。

昭和29年(1954年)9月には厚生省の死亡理由認定書が発行され、昭和31年には東京都知事が昭和20年(1945年)8月15日牡丹江にて戦死との戦死告知書を発行。

「新二が帰ってきたら、私の手作りのものを一番に食べさせてやりたい」。息子の生存を信じながらも昭和56年(1981年)7月1日午前3時55分に享年81で死去。

帰還を待たれていた子・新二は戦後も生存していたとされる。それが明らかになったのは、母の没後、平成12年(2000年)8月のことであった。(wiki:岸壁の母

母の切ない気持ちを歌った「岸壁の母」は大ヒットし、今も歌い継がれる。


141: 名無しさん 2001/04/04 07:51
日本人ではなくて、さらに翻訳も今一ですが…。 

「私の敵に寄せる」認識票N78508の兵士(オーストラリア)。

私はめくるめく砂の中でおまえを見ることは出来ない 。私はただ、おまえの撃ってくる弾丸のヒューヒューという音を聞くだけだ。 

日は暮れ夜が来て、我々はこの見知らぬ国土で互いに近づいている。どちらも相手を殺すように訓練され、どちらも神経質な手に撃鉄、導火線、バネのある死の強力な道具を持ちながら。 

もし我々が今夜出会うとしても、ただ鋼鉄が鳴り響くだけ。我々は互いに認めあう前に死んでいるかも知れない。しかし、全て我々の「借り」が支払われた後では、我々は強く死の手から生き延びるべきだ。 

人間が戦いの十字軍にうんざりして、空しい幻影から解き放たれたとき、おまえと私はどこかで再び会うかも知れないな。

そのときは、互いに武器も持たず、また恐れないで。 


・・・「認識票」としてあるとおり、彼は戦死しました。 

149: 名無しさん 2001/04/06 03:29
五六振武隊 陸軍少尉 上原良司 

大正十一年九月廿七日生 
本 籍 長野県東筑摩郡和田村一七三 
現住所 長野県南安曇郡有明村一八六 
出身校 慶應義塾大学経済学部 

所感 

栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。 

思えば長き学生時代を通じて得た信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが、自由の勝利は明白な事だと思います。 

人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。 

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも、必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。 

ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。 

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ、過去において歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。 

自己の信念の正しかった事この事、あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが、吾人にとっては嬉しい限りです。

現在のいかなる闘争も、その根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。すでに思想によってその闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。 

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望は、ついに空しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら日本は現在のごとき状態には、あるいは追い込まれなかったと思います。

世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。 

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。 

理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、しいて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです。 

こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。 

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、一旦下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり熱情も動きます。 

愛する恋人に死なれたとき、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。 

明日は出撃です。 

過激にわたりもちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。 

明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。 彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。 

いいたい事を言いたいだけいいました無礼をお許し下さい。

ではこの辺で。 

出撃の前夜記す 

昭和20年5月11日出撃 戦死

151: 名無しさん 2001/04/06 03:43
ううっ、もらい泣き……

152: 名無しさん 2001/04/06 12:39
>>149 
こんな人が特攻隊に居たのか。知らなかった…。

153: 名無しさん 2001/04/06 12:46
>>149 
泣ける。 

ある意味、現代の日本はそれを達成したともいえるのだが、自覚している人間はあまりにも少ない。不幸なことだ。

154:名無しさん 2001/04/06 12:50
>明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。 
悲しい名言・・・涙。

155: 名無しさん 2001/04/06 13:13
>>149 
この人の愛読書(哲学者クローチェを論じたもの)には、本文のところどころに赤い印がしてあった。その、印をしてあった文字をたどってつなげたのが、 次の文章。 

京子ちゃん、さやうなら。 

私は君が好きだつた。しかしその時既に君は婚約の人であつた。私は苦しんだ。そして君の幸福を考へた時、愛の言葉をささやくことを断念した。 

しかし私はいつも君を愛してゐる。

156: 名無しさん 2001/04/06 14:05
>>149 >>155 
号泣。こうゆうエピソードってどこからネタ仕入れるの??? 

157: 名無しさん 2001/04/06 14:25
>>156 
「聞け、わだつみの声」を読みたまへ。

165: 名無しさん 2001/04/07 00:48
「君達はいい。僕達だけで十分だ」 

これって、映画の「きけわだつみの声」の宣伝フレーズでしたっけ? なんか、自分が言われてるみたいでスゲー泣けるんだなコレが。 


112: 名無しさん 2001/04/01 02:26
こういう遺書を読んで涙が出ない者はもはや人間ではない。

無駄に資源を消費するただの物体である。 

119: 名無しさん 2001/04/01 16:55
彼らを弔うには、我々が彼らの死に方を心に留めつつ、立派な日本人として生きることだ。

【その4へ】