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571: 名無しさん 23/12/28(木) 06:12:49 ID:xp.04.L22

#1


育成契約の打診も…納得できず

 4年目に向けて、並々ならぬ決意で宮崎に入った。フェニックス・リーグの間、チーム随一のフィジカルを誇っていた細川成也(当時DeNA)に弟子入りもしていた。

「コブ(小深田大地)と一緒に、細川さんに見ていただきました。筋トレとか、食事のこととか、朝早く起きてストレッチすることとか、本当にいろんなことを教えてもらって。フェニックス中は球場への出発が8時とか9時だったんですけど、自分とコブは5時半くらいに起きて、来シーズンを戦い抜ける体力を付けようと、ランニングやストレッチをしていました」

 来季に向けて走り出していた矢先――。それだけに、通告を簡単に飲み込めなかった。支配下を戦力外となる理由を問う田部に対し、マネージャーは言った。

「球団として、現時点では一軍に上がる実力がないと判断した」

 この年から「現役ドラフト」がスタートされたため、例年よりも保留者名簿の確定が遅れ、フェニックス・リーグ開始後というタイミングの通達になったことへの謝意と、素行などには何ら問題はなかったことも伝えられた。球団側としては田部が育成選手として残ってくれると予想しての通告だったのかもしれない。だが、本人は納得できなかった。

引退の理由「ガンっとモチベーションが…

 この時点で、田部には3つの選択肢があった。

 1つめは、育成選手になるがDeNAに残留すること。2つめが11月に開催される「12球団合同トライアウト」に参加し、支配下契約での他球団移籍を模索すること。そして3つめは、育成契約への移行を断り、現役を引退すること。

 球団からは「回答まで1週間待つから、考えてほしい」と申し添えられた。田部が当時の心境を振り返る。

「自分としては、一軍でやれる可能性が見えてきて、そのための課題も明確になっていた。でも、球団からは来年一軍の戦力にはならない、昇格の可能性はないと判断されている。そのギャップでガンっとモチベーションが下がってしまって……」

 信頼のおける人々に自分の偽らざる思いを吐露した。実力を認め、「DeNAに残らないにしても、トライアウトは受験したほうがいい」と勧める者も少なくなかった。それでも、宮崎に乗り込んだ当初に湧き上がっていた来季への活力は戻ってこなかった。

 スポーツ界でしばしば使われる「心技体」。非常に的を射た言葉である。

 3つの要素のどれかが欠けると、アスリートは力を発揮することはできない。磨かれた技術も、鍛え抜かれたフィジカルも、心がたぎらなければ生きてこない。

 心技体の「心」が大きく削がれてしまった以上、DeNAに残留して再び支配下選手を目指す未来も、「自分のような実績のないプロ野球選手にとってはギャンブルのようなもの」というトライアウトで移籍先を勝ち取る未来も描けなかった。

 最終的に回答期限を待たず、通告から5日後に現役引退の意向を伝えた。


#2


初めての「履歴書作成」「面接」…

 田部が玉城との出会いを振り返る

「自分が感じていた、今までずっとやってきた野球が就職に生かされないことへのもどかしさを共感していただけて。アスリートのセカンドキャリアへのサポートができることに惹かれました」

 事業の中核を担っているとはいえ、玉城も一社員。自身の一存では入社が決められないため、田部は一般の入社希望者と同じように採用試験を受験した。人生初の履歴書作成、面接などの“就活”を経て、無事入社。23年8月からScalehackで勤務している。現在は直属の上司となった玉城の下、アスリートキャリア支援の企画から設計、マーケティング、営業まで担当。日々奔走している。

 かつては悩みの種だった「痩せやすい体質」も手伝って、体重は80キロを切った。生活も体型もプロ野球選手時代と一変したが、上達するために試行錯誤するのは変わらない。

「タイピングもできないまま入社しましたが、少しずつできることが増えていると思います。今も苦戦していますが、商品やサービスの魅力、自分の思いが伝わった実感を覚えたときの達成感、幅広い領域に携われている充実感は、すごくありますね」

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576: 名無しさん 23/12/28(木) 06:41:29 ID:If.dt.L13
情報サンガツ ずっと気になってたことだったわ
なるほど…一度気持ち落ちちゃうとなかなかね…
しかし痩せやすい体質って羨ましいがアスリートにとっては苦労多いんやなって

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