オカルト速報:2019年11月の記事
【オカルト】某埠頭に行ったら車が海の方に引きずられた。その引きずり方にまたゾットした。
142:名無しのオカルト 2019/10/24(木) 04:44:59.90 ID: ID:cIWHvFXea.net
某埠頭に行ったら車が海の方に引きずられた
引きずられ方も最初はこっちが分からんくらいゆっくりでワイがなんか揺れてるか?思った瞬間にガリガリ音鳴るくらい一気に引きずられた
明らかにバレないようにやってた感じでゾッとしたわ
引きずられ方も最初はこっちが分からんくらいゆっくりでワイがなんか揺れてるか?思った瞬間にガリガリ音鳴るくらい一気に引きずられた
明らかにバレないようにやってた感じでゾッとしたわ
【オカルト二篇】毎日夜中の同じ時間に同じ場所で自分を撮影すると / 読経の声で目が覚めたが……
386:名無しのオカルト ID:
毎日夜中の同じ時間に同じ場所で自分を撮影する。
それを一週間繰り返す。
そのあいだ別のものを写してはいけないし、自分の写真を消してもいけない。
すると7日目には自分の死んだ時の写真が写っている。
それがもし、今の年齢に近いならば・・・。
それを一週間繰り返す。
そのあいだ別のものを写してはいけないし、自分の写真を消してもいけない。
すると7日目には自分の死んだ時の写真が写っている。
それがもし、今の年齢に近いならば・・・。
【不思議な話】川の神は山にのぼり冬を越す。それゆえ、冬の山では蜘蛛も遠慮して巣をかけないそうだ。
149:名無しのオカルト ID:
関西方面での話。
毎年、夏前の大雨の時期には、山に登っていた「川の神さん」が川に下ってくるという話。
川の神は山にのぼり冬を越すと、父から聞いた。それゆえ、冬の山では蜘蛛も遠慮して、巣をかけないそうだ。
夜中に、「ひー、ひゅー」って鳴き声を発しながら、谷川を下りてくる。その経路も決まっていて、各村のここと伝わっている。
ちなみに、声を聞いた人はいるけど、姿をみたものは居ないという。
毎年、夏前の大雨の時期には、山に登っていた「川の神さん」が川に下ってくるという話。
川の神は山にのぼり冬を越すと、父から聞いた。それゆえ、冬の山では蜘蛛も遠慮して、巣をかけないそうだ。
夜中に、「ひー、ひゅー」って鳴き声を発しながら、谷川を下りてくる。その経路も決まっていて、各村のここと伝わっている。
ちなみに、声を聞いた人はいるけど、姿をみたものは居ないという。
【不思議な話二篇】焼き海苔に「あるの! いらないの!」/ 猫がわらわらと娘に近づくと不思議なことに娘が泣き止んで……
152:名無しのオカルト 2007/08/01(水) 09:50:42 ID: ID:OTBAN2vZ.net
大事ではないけど、焼きのりを買おうと思った時に
子供が『あるの!いらないの!』って泣いたことがある。
そしたらその晩に実家から帰って来た友達が
家で作ってるやつといって大量の焼きのりをお土産で持ってきたことがあったw
これは偶然かw
子供が『あるの!いらないの!』って泣いたことがある。
そしたらその晩に実家から帰って来た友達が
家で作ってるやつといって大量の焼きのりをお土産で持ってきたことがあったw
これは偶然かw
【ほんのり】同居していた祖父が白ふすま四枚に墨汁でびっしり「遺言」を書いてしまった
828:名無しのオカルト 2014/01/11(土) 03:01:04.15 ID: ID:asJabj/z0
この正月に少しほんのりした出来事
40数年前、私が小1だった時のこと
同居していた祖父が、8畳の茶の間の白ふすま四枚に墨汁でびっしり「遺言」を書いてしまった
長くガンを患っていて、本人も死を覚悟していたのだろう
子供の私に内容は読めなかったが、大酒飲みで洒脱な祖父らしく、
遺書のところどころにヒョットコの顔や、徳利と盃の絵が描かれていたのを覚えている
場所が茶の間だから、孫の私や弟を喜ばせようとしたのかもしれない
その翌年に祖父は亡くなり、相続税を払うため我が家はその家を人手に渡して手狭な家に移った
遺書が記されたふすまは、引っ越し時に処分されてしまったらしい
あとから知ったのだが、そのふすまは遺言に必要な体裁を整えておらず法的には無効だったそうだ
それでも一応形見の品なので、屏風か掛け軸にでも仕立て直せば良かったのにと思うが
相続でてんやわんやだった両親にはそんな精神的余裕がなかったのだろう
写真の一枚も撮っておらず、幼かった弟にはそのふすまの記憶がないので
祖母と両親が亡くなった今、「遺言のふすま」をハッキリ覚えているのは私一人となった
40数年前、私が小1だった時のこと
同居していた祖父が、8畳の茶の間の白ふすま四枚に墨汁でびっしり「遺言」を書いてしまった
長くガンを患っていて、本人も死を覚悟していたのだろう
子供の私に内容は読めなかったが、大酒飲みで洒脱な祖父らしく、
遺書のところどころにヒョットコの顔や、徳利と盃の絵が描かれていたのを覚えている
場所が茶の間だから、孫の私や弟を喜ばせようとしたのかもしれない
その翌年に祖父は亡くなり、相続税を払うため我が家はその家を人手に渡して手狭な家に移った
遺書が記されたふすまは、引っ越し時に処分されてしまったらしい
あとから知ったのだが、そのふすまは遺言に必要な体裁を整えておらず法的には無効だったそうだ
それでも一応形見の品なので、屏風か掛け軸にでも仕立て直せば良かったのにと思うが
相続でてんやわんやだった両親にはそんな精神的余裕がなかったのだろう
写真の一枚も撮っておらず、幼かった弟にはそのふすまの記憶がないので
祖母と両親が亡くなった今、「遺言のふすま」をハッキリ覚えているのは私一人となった