●ある修道士
イタリアのカプチーノ修道会は歴史と伝統のある奉仕修道会です。カトリックの総本山であるバチカンを霊的に支えているのは、イタリア国内やヨーロッパ各地にあるこうした修道会だといいます。
今回はこのカプチーノ修道会の韓国人の元修道士が1枚の絵画によって自殺を思いとどまったというお話です。
彼は韓国で「天主教」と言われるカトリック教会で活動していましたが、イタリアに渡り7年間祈りと奉仕の修道生活をしていました。ところが、ある日突然、原因不明の病気が彼を襲い活動が出来なくなり帰国を余儀なくされるのでした。当時まだ30歳代の若さです。
韓国に戻ったこの元修道士は、イタリア語の翻訳等で生計を立てることはできても、体は病むし、何よりもあの修道生活のよろこびを味わうことが出来ないことで、人生に絶望していました。
そしていつしか自殺を考えるようになり、その思いは日を追うごとに大きくなるのでした。
●一枚の絵画との出会い
ある日、「死にたい」という思いで悶々としていた彼は、気を紛らわすためにインターネットで絵画のサイトを見ていました。そこで偶然目にしたのが夜景の絵でした。
作者は車一萬(チャー・イルマン)。闇夜にライトアップされたモンサンミッシェルやノートルダム大聖堂などをはじめ、日本の函館山など、夜景の絵を得意としています。
修道士は闇夜に光を受けて聳え立つ車一萬のモンサンミッシェルや函館山の夜景の絵を見て、矢も盾もたまらず購入しました。
届いたその絵を観ていると、さらに生きる勇気が湧いてきました。
「夜の闇が迫れば夜景の光はもっと明るく輝いてくる。私が信じている主の愛も闇の中にいてこそ輝く」ことに気付きました。つまり、一枚の絵画が彼自分の置かれた闇のような境遇にやわらかな光を差し込んだのです。そして宗教家としての心を取り戻しました。
彼は車一萬画伯に電話しました。「あなたの絵によって私は自殺を思いとどまることができました!」
その後、この元修道士は車一萬画伯の絵を8枚も購入しています。
●解説「絶望と希望」
人生に絶望して自殺をする人は後を絶ちません。原因や理由は人それぞれだと思いますが、自殺を思いたつ人の心の状態は誰も真にはわかりません。本人でさえ説明できないことだと思います。かの修道士においても同じです。
中には、他人が聞いてそんなことで自殺を考えるのかと思ってしまうことも、本人にとっては一大事なのでしょう。
ただ、私が元修道士と会って話してみて感じたことは、「神という絶対的な存在を身近に抱く信仰者の中に、信仰ゆえの驕りや欺瞞があって、それが逆に自分自身を苦しめていたのかもしれない」ということです。
強い光は濃い影をつくります。その中にあるものは逆に見えにくくなります。
車一萬画伯はPTP(ピープルトウピープル)というアメリカのアイゼンハワー大統領が設立した平和団体から1987年に第一回目の国際美術大賞を受賞しています。車一萬は幼い頃、朝鮮戦争後の瓦礫の中で、世界に充満する光に希望とよろこびを感じました。いつしか画家になる夢を持つようになったときにもこの光は彼の原点となりました。
「希望の光を描きたい」その動機は、彼の画業の根底に流れています。
絵画に描かれた光は物理的な光ではなく心情的な光です。先のカトリックの修道士は、車一萬の絵画に描かれた光の波動とチャンネルが合ったのでしょう。そして修道士の中に巣食っていた頑なな何かが解かれたのです。
ウクライナの戦火におびえている人たちは、それでも希望を失わず平和の光を見出そうと今も必死に生きています。平和の中で安住している人よりも絶望のまっただ中にある人こそが、生きるための希望の光を見ることができるのかもしれません。
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