「生きていてよかった」と思った絵画

先回は「自殺を思いとどまらせた絵画」のエピソードでしたが、今回は「自殺しようとして未遂に終わった女性が生きていてよかったと思わされた絵画」のお話です。


東京に住むその女性は独身で30歳くらいです。絵画展の会場で1点1点の絵に目を落としながら見て回っていましたが、ある絵の前で足が止まりました。そして、その絵を眺めながら涙をぬぐっていました。


絵は今永清玄画伯が描いた「フクロウ」の絵でした。


この女性に近づいて話を聞いてみました。


——どうして泣いているんですか?


「・・・・」


——この絵に感動して涙が出たのでしょうかね


「このフクロウの絵、かわいいですね。でも違うんです」


——何がですか?


「・・・・実は、・・・・昨日駅のホームで駅員さんに腕をつかまれて助かったことをこの絵を見ていて思い出しました。」


この女性は、何かに思い余って電車に飛び込むところだったのです。


——でもどうしてこの絵の前で泣いていたのですか?


「この絵を観ていると『ああ、生きていてよかった』って思えたんです。すると自然に涙が出てきて・・・・」


女性は絵によって心情が解放されたのか、初対面の私に対して自分の事情を話し出しました。彼女には結婚したいと願っている男性がいること。しかしその男性とうまくいっていないこと等々。


傷ついた心を抱えて生きるのが辛くなって「死にたい」という思いが強くなったようです。


駅のホームではおそらく衝動的に飛び込もうとしたのでしょうが、近くにいた駅員が女性の様子がおかしいことを察知して腕をつかんだのです。寸でのところで惨事を逃れました。


●解説「生きることのよろこび」


自分の好みに合う絵を観ていると、そこはかとないよろこびが沸いてきます。そうした感情は理屈では説明しにくいものです。元より人間の心は理屈を超えたものです。


たとえば自分が好きな色があるとして「なぜ好きなのか」と説明するのは難しいですね。説明は情的な作業ではなく知的な作業ですから。


『赤』には「熱い」「情熱的」などのイメージがあるように、色は心理的にあるいは物理的な波動によっても人間に与える影響があります。


一枚の絵画にある人が惹かれるとき、その絵はそれに惹かれた人に相対する何かの要素を持っています。それも人によってそれぞれ違いますが、大きく分けると二つの要素です。


それはまず「自分に似ている」ということ、もう一つは「自分を補ってくれる」ということです。


絵を観ることのよろこびは端的に言えば「自分を見ることのよろこび」でもあり、「自分に足らないものが補われることのよろこび」なのです。


具体的には追々このブログを通して解説していきたいと思っています。


さて、先述した女性の「生きていてよかった」という感情はポジティブなものです。人間の感情の中で「悲しい・寂しい・憎い」などはネガティブなものです。反対に「かわいい・きれい・嬉しい」などの感情はポジティブです。


この感情をエネルギーだとしたら、ポジティブな+(プラス)のエネルギは、ネガティブな-(マイナス)のエネルギーを相殺できます。


もし自殺を試みた女性の感情の中にあったと思われる「悲しい・寂しい・憎い」といったネガティブなものを今永清玄画伯のフクロウの絵が、「かわいい・きれい」といったポジティブな感情を喚起して、相殺したと考えることができます。つまり補ったのです。


絵を観て自分のネガティブな感情が薄れることで、「どうして自分が自殺などしようとしたのだろう」という思いになり、そこから「生きていてよかった」というポジティブな感情が膨らんできたのではないでしょうか。



ゆえに、この女性の涙は「自分が生きていることのよろこび」の涙であり、一枚の絵画が「生きていることのシンプルなよろこび」を呼び覚ましたのです。


■今永清玄「お祈りするフクロウ」油彩3号
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