日本民俗学の父といわれる柳田國男(やなぎた くにお)さんは、萩原朔太郎『青猫』に収められた「自然の背後に隠れて居る」という詩を好んでいたようです。(菅野覚明著「柳田國男」のあとがきより)
草むらの影、地平のかなたに「見えない生き物」の存在を感じ、怯えているのにそれに惹かれてしまう子供の心持ちが、そこでは語られています。
日本人すなわち「我々の父祖」は「何を信じ何を怖れ」て生きてきたのか。
柳田國男氏がそれを尋ねる営みは、彼らが実在を信じた妖怪と神々、死者の霊との関わり、自然環境との交感へと視線を伸ばしていきます。
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私が小学生の頃、私の家は賑やかな地区から少し外れた場所にありました。
まだ街灯もろくに整備されていませんでしたから、夜になると漆黒の闇となります。
家の前には、街の篤志家が提供してくれた子どもの遊び場がありました。
そこも夜には光がまったくありませんでしたが、山から流れてくる清水を溜めた小さな池があり,夏になると池のまわりにホタルが飛び回っていたものです。
まだテレビもありませんでしたから、夕食を済ませ、共同浴場で風呂に入った帰り道、その遊び場に立ち寄っては、ホタルの飛び交う様子を眺めていたものです。
しんと静まり返ったその場所では、ちょっとした草むらの虫が動き回る音もよく聞こえました。
ときに風が吹くと、ザワザワという木々の音も、私に何かを語りかけてきているような気がしたものです。
小学生高学年になって宮沢賢治の「風の又三郎」を読みました。
風の強い夜、寝床の中で読んでいると、「どっどどどどうど どどうど どどう」
と強い風の吹くさまが表現されています。
不思議な擬音語で表現される風の音に、幼い私は布団の中で身震いしたものでした。
ろくに遊び道具もない子供時代、自然を相手に遊び方を考えながら過ごしたあの頃は、自然環境から発せられるメッセージを体で受け止めながら過ごしていたような気がします。
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