【朝乃山を追う:24年名古屋場所〈上〉】引退もよぎった大けが 一山本からのまさかの当日電話

過去最大の試練に直面した。大関経験者の朝乃山(30=高砂)が、7月17日、東前頭12枚目で臨んだ名古屋場所4日目の一山本戦で大けがを負った。左膝から崩れるように押し倒されて敗れ、自力で立てずに車いすで土俵を離れた。車いすのまま、名古屋市消防局のハイパーレスキュー隊の特殊車両に乗り込み、同市内の病院に緊急搬送。「左膝前十字靱帯(じんたい)断裂、左膝内側側副靱帯損傷、左大腿(だいたい)骨骨挫傷」の診断書を提出し、翌5日目から休場した。3勝2敗10休で、秋場所は西十両3枚目に番付を下げた。年内復帰は絶望の中、8月末、都内の部屋で知られざる胸中を語り尽くした。

大相撲

「引退しようかと思っていました」

驚くほど表情は明るかった。

名古屋場所千秋楽2日後の7月30日に都内の病院で手術。2週間余りの入院を経て、自室のある部屋に戻ったのが「8月14日か15日」だという。

そこから2週間足らず、8月27日に東京・両国国技館で行われた力士会に、軽快な足取りで姿を見せていた。

力士会に参加した朝乃山は、左膝の大けがの影響を感じさせず軽快に会場内を歩いた(2024年8月27日撮影)

力士会に参加した朝乃山は、左膝の大けがの影響を感じさせず軽快に会場内を歩いた(2024年8月27日撮影)

翌28日には、部屋の地下にあるトレーニング室で、けがして以来となるまわし姿で、上半身のトレーニングを行っていた。

朝乃山 「回復は早いですね。手術を受けたのは、入門してから初めて。中学生の時以来です(中学3年時に左肘骨折)。

本土俵に復帰できる目安は『8カ月から1年』と、先生には言われています。

来年の初場所だと6カ月。足りないんですよ。いくら回復が早くても、30歳のけが。大事にいった方がいいと思うので、復帰はおそらく来年の春場所です。

また三段目からやり直しですね(苦笑)」

新弟子検査を受けた小柳亮太(左)と石橋広暉。2人はこの後の2016年春場所で三段目最下位格付け出しでデビューした(2016年3月5日撮影)

新弟子検査を受けた小柳亮太(左)と石橋広暉。2人はこの後の2016年春場所で三段目最下位格付け出しでデビューした(2016年3月5日撮影)

初土俵が三段目100枚目格付け出しだった。

その4年後に大関昇進。

だが、コロナ禍のガイドライン違反で6場所の出場停止処分を受け、大関から三段目まで番付を下げた。

そこからじわじわと番付を戻し、今年の夏場所で3年ぶりに三役復帰の小結となった。

かねて「元の番付に戻りたい」と話しており、大関の昇進目安は三役で3場所33勝。まずは起点づくりを目標としていた矢先に、右膝をけがしての夏場所を全休。再び三役を目指して初日から3連勝と好調だった名古屋場所で、予想もしない試練が待っていた格好だ。

朝乃山 「本人が一番、予想していなかったです。けがした時は本当に、引退しようかと思っていました。そこまで追い込まれていました。

30歳で靱帯断裂って、話にならないじゃないですか。

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。