【朝乃山を追う:24年名古屋場所〈下〉】忘れられない叙々苑の弁当 若隆景からの情報収集

大関経験者の朝乃山(30=高砂)が、再起への道を歩み始めている。

7月の名古屋場所4日目の一山本戦で、左膝前十字人体断裂などの大けがを負った。

一時は引退も頭をよぎったが、土俵に戻る決断をした。本場所復帰はいつごろになるのか? 復帰後の目標は? 8月末、都内の部屋で知られざる胸中を語り尽くした。

大相撲

大けがを負ったものの、前向きに復活への思いを語った朝乃山

大けがを負ったものの、前向きに復活への思いを語った朝乃山

「残された時間も少ないですから」

もう1度、見たい景色がある。

現役続行を決めた朝乃山が、目標に掲げたのは「幕内優勝」と「大関復帰」だった。

復帰の目標を来年3月の春場所に定めた。

その時には31歳。三段目からの長い道のりが待っている。

しゃくし定規に“不可能”と決めつけ、笑いたければ笑えばいい。

そんな気概で復活を夢見る。

朝乃山 「けがしたものは仕方ない。もう戻れない。この年齢なので、しっかり治すことが最優先。再発しないように。

休場している間は、相撲のことだけを考えていかないといけないですね。やっぱり、あと5、6年は相撲を取りたいです。欲を言えばもっと。

残された時間も少ないですから、考えてやっていかないといけない。

今の目標はまず、本土俵に戻りたい、です。本土俵に戻って、相撲を取れれば、また景色も変わってくると思います。

優勝額の前で握手する朝乃山(左)と鶴竜(2019年9月7日撮影)

優勝額の前で握手する朝乃山(左)と鶴竜(2019年9月7日撮影)

今はけがして、何もできない状態で先が見えないですけど、復帰するまでに、やることはたくさんあると思う。とりあえず本土俵に戻りたいですね。

あとはやっぱり…。

元の地位に戻りたいです。その前に、幕内に戻りたいです。幕内は、他とは全然違う。土俵入りから、お客さんの人数も全然違う。

さらに欲を言えば、幕内に戻って何回か優勝したい。

国技館に飾られている、自分の優勝額ももうすぐ外されてしまうので。長く相撲を取って、何回か優勝したいです」

医師からの「ご飯、足りてる?」

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。