2005年9月26日、『西川貴教のオールナイトニッポン』は8年9ヶ月の歴史に幕を閉じた。
当時の花子は14歳。テレビで歌う西川さんを見てファンになり、西川さんが出演するテレビやラジオを楽しみにしていました。なかでも、私にとって『西川貴教のオールナイトニッポン』は特別でした。毎週月曜、深夜1時からの生放送。ラジオの先にいる西川さんやスタッフさん、リスナーの皆さんと一緒に過ごす2時間がとても幸せでした。さすがに毎週リアルタイムで聴くのは難しかったけれど、ハガキ職人さんが書く渾身のネタとラジオから聴こえる西川さんの引き笑いに時間を忘れて笑いました。
夏休みのある日、私は眠い目をこすりながらオールナイトを待っていました。1時を知らせる時報が流れ、番組がスタートしたのもつかの間、西川さんの口から番組終了が伝えられました。耳を疑うような言葉に頭が真っ白になりました。そして、西川さんの話しぶりからそれが洒落でなく本当のことなんだとわかった時、ショックで立ち直れませんでした。
その日のラジオはあまり頭に入ってこなかったけど、最終回に合わせて公開生放送が行われることを知りました。本当に終わってしまうなら参加したいと思い、番組サイトで詳細を調べました。ところが、オールナイトは深夜1時から3時までの番組。中学生だった私には応募する資格がなかったんです。こればっかりはどうすることもできず、諦めるほかありませんでした。
それから数週間後。私は自分の部屋で最終回を迎えました。いつもは笑いながら聴いていたオールナイトも、この日ばかりは涙が止まりませんでした。番組の最後には西川さんからリスナーに向けて『ラジオの前の君へ』という手紙が読まれました。涙をこらえながら読む西川さんとそのまっすぐな言葉に、最終回に行けなかったことを心から後悔しました。でも、この悔しさはのちに私の人生を変えれくれました。
西川貴教のオールナイトニッポンという車の前に灯った赤信号を青信号に変えたい。
そして、いつか西川さんと一緒にお仕事をして、たくさんの人に西川さんを知ってもらうお手伝いをしたい。
大それた夢かもしれないけど、私が人生を賭けて叶えたいたったひとつの夢です。
この先何年経っても、私の原点は『西川貴教のオールナイトニッポン』なのです。
花子