太陽が出たと思ったら通り雨的に豪雨。収まったらムシムシと猛暑。息子夫婦のスマホ家族割設定と機種変更をオンラインでと安易に引き受けたものの書類不備だの記入欄が違うだのと先に進めず、蒸し暑さも加わり「余計なことをしなければよかった」と後悔。

意外に複雑で携帯ショップでそれなりに手数料を取っている意味が分かります。ただ運転免許証・委任状はいいとして戸籍は少々越権行為じゃないかな。先日のクローズアップ現代で携帯ショップも生き残るためあの手この手。中には犯罪に使われることを承知で販売するような所もあるようで、その意味から本人確認など厳密にやっているのでしょうか。

昨日の朝日の夕刊にCD展望と題し「レコ芸の育んだ論ずる文化」について矢澤孝樹氏が寄稿していました。

楽曲と演奏を「ことば」で読み解き考える習慣が身についたと言っています。案外「ことば」が魔物で抽象的な美辞麗句・形容詞の羅列がかえって本質を曖昧にぼかしてしまうことが多々あるように思っています。

基本は聞き手がどのように感じどう判断したかで「ことば」が先行すると勝手な思い込みつながることもしばしばのような気も。吉田秀和や宇野功芳は先ずどう感じたかから始めています。絵の見方も「読み解く」のも面白いけれど基本は感じたかどうかだと思っています。

矢澤氏は休刊の理由として、CDの退潮、紙面の更新が新たな読者を呼び込めたか、執筆者に女性が少ない、中心読者層も中高年男性に偏っていなかったかを挙げていました。ワタシなら執筆者の個性が薄くなって魅力がなくなったこと、編集者も含め視点・論点が似たようなものになってしまったこと、マニアックな深堀りが増え一般愛好者との間の乖離があること、総合的見地からの論評が少ないことなど。