要害城 (43)
所在地:山梨県甲州市勝沼町勝沼
城  主:武田氏、徳川氏、加藤氏
遺  構:郭、櫓台、石垣、土塁、堀
文化財:国史跡
探訪日:平成24年11月10日

概要
武田氏の本拠地である躑躅ヶ崎館の詰の城として築かれた山城。築城の翌年には今川氏家臣の福島氏が甲斐に侵攻したため、当主の信虎は大井夫人をこの要害山に避難させた。この時大井夫人は晴信(信玄)を出産したという。
その後、武田氏が織田・徳川連合軍によって滅ぼされると、甲斐も徳川氏の領地となったため躑躅ヶ崎館と共に改修された。さらに豊臣氏家臣加藤光泰が入り再改修したが、関ヶ原の戦を経て廃城となった。


甲府盆地の北端にある躑躅ヶ崎館のさらに北にあります。
この城のある要害山は比高250mなのでさほど高い山ではないのですが、「要害山」という名は伊達ではなく結構険しい山であり登城するのにかなり疲れます。
要害城 (1)
ただ、中腹から山頂にかけて見事な遺構が残っているため、途中からは楽しく登れるかと。(城好きな人だけでしょうが。)

復元縄張り図
要害城 (5)

今回は山城ということで登城順に。

登城はその名も「要害山」という温泉宿の脇道から登っていくことになります。
要害城 (8)

少し上ると石垣があるのですが、まだまだ城域とは考えにくいため後世の石垣かと思われます。
要害城 (9)

ここからはしばらく何もなく、精神的にも肉体的にも結構疲れます。

そして、最初に見えてくる遺構がこちら。

土塁・竪堀
要害城 (11)
立て看板があるので分かりますが、非常に分かりにくい遺構です。
秋でもこの状態なので夏とかは訳わからんでしょうね。

ここからは、断続的に遺構が出始めるため、楽しみながら登城できます。

門跡
要害城 (14)
基本的には土塁造りの城なのですが、門等の要所は石垣が使用されています。

不動郭
要害城 (20)
中腹にある郭で、江戸時代になってから不動明王像が建立されたためこの名で呼ばれています。

三ノ門跡
要害城 (21)
この城最大の門跡で規模の大きい石垣が築かれています。
また、門内側が枡形となっており武田氏系の城の特徴を表しています。

この後、主郭まで郭跡や門跡が連続して続きます。
要害城 (32)

要害城 (36)

主郭門跡
要害城 (38)
主郭へ至る最後の門でここを抜けるといよいよ主郭です。

主郭
要害城 (39)
かなり広大な郭で、四方が土塁で囲まれています。
山城は登るのは疲れますが、この主郭へ到達したときの達成感はたまりませんね。

主郭土塁
要害城 (42)
高さは1m前後ですが所々石垣(石積)が使われています。

主郭櫓台
要害城 (59)
主郭の北端にある一段高くななった場所で、上部が平坦になっているため櫓台と考えられます。
武田氏の後も徳川氏等によって改修されているんで、実際に多層の櫓があったのかもしれません。
躑躅ヶ崎館は徳川氏によって天守が築かれてますからね。

また主郭の北側に空堀があるんですが全面石垣で築かれていました。
要害城 (52)


登るのに苦労する要害山城でしたが、それに見合うだけの遺構が残っているためかなり楽しい城でした。



マップ

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