三春城 (34)
所在地:福島県田村郡三春町大町
縄  張:階郭式平山城
城  主:田村氏、松下氏、秋田氏等
遺  構:郭、櫓台、石垣、土塁、堀
文化財:なし
探訪日:平成25年(2013年)7月12日

概要
室町後期ころに地元の豪族田村氏が居城としたが、築城年代は定かではない。時代が下り、伊達政宗が台頭すると、田村氏は伊達氏と連合を組み周囲の蘆名氏や佐竹氏、相馬氏等と対立した。この際、田村氏家中は伊達派と相馬派に分かれたが、結局は伊達派により統一された。その後も伊達氏との同盟関係(実質的には主従関係)が続いたが、豊臣秀吉の小田原征伐に参戦しなかったことにより、改易となった。
田村氏改易後は会津に入った蒲生氏や加藤氏の属領となるが、江戸時代には松下長綱が入城し三春藩を立藩した。この際に中世城郭から、石垣、御三階櫓等を備えた近世城郭に改修している。松下氏の後は秋田氏が藩主となり、以後幕末まで秋田氏が藩主を務めた。
維新前後の戊辰戦争の際には、はじめ奥羽越列藩同盟に属していたが、官軍の圧倒的な勢力を前に密かに板垣退助と会談、同盟を脱退した。ただ、このお陰で、三春藩は賊軍と見なされず、落城を免れた。
維新後は、城の建物は取り壊されたが、城跡は公園として利用され現在に至る。


三春町の中心部にある平山城です。平山城って言っても中腹まで車で行けるため、さほど苦労しません。
また、建物こそないものの、郭等の遺構はよく残っています。

縄張り図(案内図)
三春城 (1)
この城、結構紛らわしく、中世までは山頂部分だけだったため、本丸の下が二の丸でした。
しかし、近世城郭に改修されてからは、山頂部分は丸ごと本丸とされ、二の丸や三の丸は中腹に新たに築かれたのです。
そのため、二の丸が山頂と中腹の二ヶ所にあり、「ここどこ?」って感じになるかも。

平山城なので登っていく感じで。


二ノ門跡
三春城 (3)

二の丸(近世)
三春城 (42)三春城 (43)
ここは近世の改修の際に築かれた場所で、現在は児童公園となっています。

本丸下段(旧二の丸)
三春城 (32)
中世までは二の丸だった場所。
近世の改修の際には本丸の下段とされ、この郭の先端には天守代用の御三階櫓が築かれていました。

本丸上段
三春城 (23)三春城 (31)
中世ではこの郭のみが本丸でしたが、近世には中世二の丸が本丸に組み込まれたため、本丸の上段となりました。
ここには大広間があったそうです。

で、上の写真で写っている櫓台の様なもの。
三春城 (26)
天守台の様な形ですが、これは藩主秋田氏を祀る祠のための基壇だそうで。
つまり近現代に造られたものです。

本丸櫓台石垣
三春城 (11)
こちらは本物の石垣。本丸の北方にあります。
三春城は上から下までの石垣が無く、ほとんどがこの石垣の様に上部だけを石垣とする「鉢巻石垣」という造りでした。

本丸虎口
三春城 (21)

堀切
三春城 (5)
近世本丸と近世二の丸の間にあるもの。


あまり下調べせずにいったので、後で調べてみたらこの他にも遺構がけっこうあったようで。

「先立ちは在らま欲しきことなり」
『徒然草』を記した吉田兼好さんの気持ちになりました・・・。

まぁ、一回行っただけでは全てが見切れないのでもう一回行こうと思うのが城巡りの魅力でもありますがね。



マップ

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