高崎城 (20)
所在地:群馬県高崎市高松町
縄  張:梯郭式平城
城  主:井伊氏、諏訪氏、松平氏、安藤氏等
遺  構:櫓、門、土塁、堀
文化財:県指定重要文化財(乾櫓)
探訪日:平成23年(2011年)9月18日

概要
安土桃山末期に井伊直政が築いた城。直政は主君の徳川家康が関東に入部した際に箕輪城主を任じられたが、家康の命により現在の地に築城した。なお、これ以前に和田氏の和田城があったという。
関ヶ原の合戦後には直政が近江国へ転封となったため、諏訪氏、酒井氏、安藤氏等々の譜代大名が城主を務めた。この中で元和年間に入部した安藤氏によって幕末まで続く縄張りに改修された。
維新後は陸軍の師団が置かれたため、建物や内郭の土塁、堀は取り壊され大部分が更地化されてしまった。現在は三の丸の堀と土塁、そして本丸の移築櫓等が残るのみである。


群馬有数の都市である高崎にあるこの城跡、上記の通り遺構はほとんど消滅しています。
軍によって更地化され、軍が退いた後も全く復元の兆しなく官公庁や市街地となってしまったんですよねぇ。

縄張り図
高崎城
群馬県の城に多く見られる川沿いに築かれた城で、西に本丸を置いて、東に向かって二の丸、三の丸を配する梯郭式の縄張りです。
現在は残っていませんが、縄張り図を見る限り本丸の東虎口に角馬出、三の丸の北西に丸馬出があり、特に二の丸は横矢を多用した造りだったことが分かります。

本丸乾櫓(移築現存・県指定重要文化財)
高崎城 (23)
元々本丸の北西にあった櫓で、維新後に納屋として払い下げられていましたが、戦後になって買い戻されて現在の地(三の丸旧東門付近)に再移築されています。
現存の二層櫓では最小規模の櫓とのこと。

本丸東門(移築現存)
高崎城 (5)
これも元々本丸にあった門で、農家に払い下げられていたのを再移築したもの。
乾櫓のすぐ脇に移築されています。

三の丸土塁・堀
高崎城 (13)
高崎城で唯一残る元来の遺構。
多分堀は狭められているんでしょうが、三の丸全域の堀が現存しています。
中心部は残って外郭が消滅している例は多々ありますが、これはその真逆ですね。

三の丸横矢枡形
高崎城 (34)高崎城 (27)
三の丸は元々本丸や二の丸に比べ直線的な造りでしたが、南東部にあるこの場所のみは横矢枡形(突出部)が設けられていました。

なお、維新までは本丸には天守代用の御三階櫓があり、その古写真が残っています。
高崎城(古写真)
櫓そのものは残っていなくても、せめて本丸に櫓台だけでも残っていれば城としての雰囲気が全然違ったんでしょうね。



マップ

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