猪苗代城 (2)
所在地:福島県耶麻郡猪苗代町古城跡
縄  張:輪郭式・梯郭式併用平山城
城  主:猪苗代氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏、松平氏
遺  構:石垣、櫓台、土塁、堀
文化財:県史跡
探訪日:平成23年(2011年)7月17日、令和3年(2021年)4月26日

概要
鎌倉期初期に御家人佐原氏が築城した城が始まりとされているが詳細は不明。佐原氏は猪苗代氏を名乗り、本家の蘆名氏に従属・反逆を繰り返したが、室町末期には伊達政宗に内応し、蘆名氏を追放した。豊臣政権下の奥州仕置で伊達氏が会津を離れると、それに従い猪苗代城を離れ、以後は会津藩自体が蒲生氏、上杉氏、加藤氏と目まぐるしく変わり、その都度、会津の支城として城代がおかれた。
江戸前期にになると、3代将軍家光の弟保科正之が会津に入り、以後は正之公の墓所の守護城として一国一城令の例外として幕末まで存続した。
維新時には新政府軍が会津藩内に入ると城代の高橋権太夫は城に火を放って若松城へ撤退したため、廃城となった。その後は公園として整備されたものの遺構は良好に残っており、県の史跡に登録されている。


(R3/6/19再編集)

猪苗代湖や磐梯山が有名な猪苗代町にあります。
なお、別名は「亀ヶ城」というのですが、本城の若松城の別名が「鶴ヶ城」というのに対し「亀ヶ城」という説と、隣にある「鶴峰城」に対し「亀ヶ城」という説があります。

縄張り図
猪苗代城 (4)
小高い丘陵の中心に本丸を置き、二の郭や帯郭を配した連郭式の縄張りですが、当時は麓に二の丸や三の丸が広がっていたため梯郭式の要素も含まれます。
丘陵部は上段の本丸、中段の二の郭、下段の帯郭群の三段構成になっています。

大手虎口
猪苗代城 (58)

猪苗代城 (55)
立派な枡形門跡。
この辺りは江戸時代の改修によるものでしょう。

石垣は穴太積で積まれています。
猪苗代城 (59)

東帯郭
猪苗代城 (50)
大手から登ってすぐの場所にある細長い郭。
ここから、南北の帯郭、馬出郭に接続されています。

南帯郭虎口
猪苗代城 (54)

南帯郭
猪苗代城 (14)
丘陵の南側にあるかなり広い郭で、中世は、二の郭として機能していたと思われます。
周囲は土塁で囲まれています。

南堀切
猪苗代城 (16)
南帯郭の南にある尾根を分断する堀切。
非常に深い堀です。

北帯郭
猪苗代城 (69)
丘陵の北側を固めている郭で、南側と同程での広さがあります。

搦手虎口
猪苗代城 (77)
北郭の西にある搦手側の虎口。

西帯郭
猪苗代城 (25)
こちらは本丸の西側を囲む細長い郭でして、外側に土塁があるため堀の様な機能もあります。

二の郭
猪苗代城 (45)

猪苗代城 (13)
南帯郭と本丸の間にある突出した馬出の機能をもつ郭。
この場所から東西及び南側の帯郭に降りられるようになっています。

本丸
猪苗代城 (44)
城の中心となる広大な郭。
周囲は土塁はで囲まれており、北東隅と南側に虎口があります。

本丸櫓台
猪苗代城 (51)
本丸の南西隅にある石垣造りの櫓台。
基本的に土塁づくりの城なんですが、門や櫓台等要所は石垣づくりなんですね。

西側空堀
猪苗代城 (27)

猪苗代城 (78)
非常に深い堀で西側(搦手側)の防御を固めています。


城は以上ですが、一国一城令の時代に城を置いてまで会津藩が代々守ってきたものがちかくにあります。

それは藩祖保科正之公の墓所。

城の北方に土津神社(ハニツ神社と読みます。)という神社があるんですが、この神社の祭神は土津霊神、すなわち正之公のことです。
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この神社からさらに長い参道を進んでいった先に墓所があります。
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保科正之公墓
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かなり立派な拝所ですね。

墓は神式の巨大な円墳となっています。
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規模は大きくない城ですが、石垣、土塁、堀が技巧的かつコンパクトにまとめられており、非常に見ていて楽しい城でした。
時間があれば保科正之公の御墓も一緒に行ってみるのもいいかもしれません。
オススメ。


マップ

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