所在地:奈良県大和郡山市小泉町
縄 張:梯郭式平山城
城 主:小泉氏、羽田氏、片桐氏
遺 構:堀、移築門
文化財:なし
探訪日:令和3年(2021年)10月4日
概要
室町中期に小泉氏が築いた小泉館が始まりとされる。小泉氏は興福寺門徒衆であり、同じ徒衆の筒井氏と対立していたため、一時は城を攻め落とされ城主も自害に追い込まれたものの、筒井氏の軍門に降り、豊臣政権下で筒井氏が伊賀の上野城に転封となるとそれに従った。
小泉氏の後は大和国主となった豊臣秀長の家臣である羽田長門が小泉城に入り城域を拡張したと考えられている。
関ヶ原の戦後、新たに片桐貞隆(片桐且元の弟)が陣屋格大名として小泉藩主となり、小泉城を踏襲する形で小泉陣屋を設けた。以後江戸時代を通して片桐氏が藩主を勤め、特に2代藩主の貞昌(石州)は茶人として高名であり、4代将軍徳川家綱や保科正之等を門弟としている。
幕末時は当初佐幕派であったが後に新政府側となり、戊辰戦争の際には京都守備を担った。維新後の廃藩置県により廃藩となり、陣屋も取り壊され、現在は片桐氏の邸宅他住宅地となっている。
陣屋跡の大部分は住宅や道路となっていますが、現在でも城(陣屋)域に藩主家のご子孫がお住まいの珍しい場所でもあります。
縄張り図
丘陵の東側に本丸を置き、三方向を二重三重の堀で囲んだ梯郭式の造り。
陣屋時代もこれを踏襲していたため、陣屋としてはかなり重厚な守りでした。
本丸・陣屋跡
現在はほとんどが住宅街になっており、東端にある小公園が城・陣屋跡であったことを偲ばせるのみ。
ただ、さらに東側から見ると本丸周辺は一段上になっていることが分かります。
内堀(なぎなた池)
本丸(陣屋)跡の西側、後述する高林庵の南側に広がる広大な水堀。
この東側には「お庭池」と呼ばれる同規模の水堀も残っています。
外堀
城域の東側と南側に部分的に残っています。
高林庵
藩主であった片桐家の現在の邸宅であり、石州流茶道・華道の宗家でもある屋敷。
維新後の陣屋といっても過言ではない非常に立派な屋敷でして、このような建物もあります。
隅櫓
高林庵の南東角にある二層の櫓でして多門櫓も接続されています。
形はともあれ、小泉陣屋時代にも櫓があったらしく、復興櫓ともされます。
この他にも城郭風の建物で構成されています。
幕末までの遺構ではないものの、藩主家が建てたもののため、ある意味本物の城郭建築物といえなくもないですよね。(大分の中津城天守のような感じ。)
この他、移築門や外堀の大部分の写真を撮り忘れた(存在を知らなかった)ため、奈良に行く機会があれば再度行きたい場所です。
マップ
より大きな地図で 城 を表示
縄 張:梯郭式平山城
城 主:小泉氏、羽田氏、片桐氏
遺 構:堀、移築門
文化財:なし
探訪日:令和3年(2021年)10月4日
概要
室町中期に小泉氏が築いた小泉館が始まりとされる。小泉氏は興福寺門徒衆であり、同じ徒衆の筒井氏と対立していたため、一時は城を攻め落とされ城主も自害に追い込まれたものの、筒井氏の軍門に降り、豊臣政権下で筒井氏が伊賀の上野城に転封となるとそれに従った。
小泉氏の後は大和国主となった豊臣秀長の家臣である羽田長門が小泉城に入り城域を拡張したと考えられている。
関ヶ原の戦後、新たに片桐貞隆(片桐且元の弟)が陣屋格大名として小泉藩主となり、小泉城を踏襲する形で小泉陣屋を設けた。以後江戸時代を通して片桐氏が藩主を勤め、特に2代藩主の貞昌(石州)は茶人として高名であり、4代将軍徳川家綱や保科正之等を門弟としている。
幕末時は当初佐幕派であったが後に新政府側となり、戊辰戦争の際には京都守備を担った。維新後の廃藩置県により廃藩となり、陣屋も取り壊され、現在は片桐氏の邸宅他住宅地となっている。
陣屋跡の大部分は住宅や道路となっていますが、現在でも城(陣屋)域に藩主家のご子孫がお住まいの珍しい場所でもあります。
縄張り図
丘陵の東側に本丸を置き、三方向を二重三重の堀で囲んだ梯郭式の造り。
陣屋時代もこれを踏襲していたため、陣屋としてはかなり重厚な守りでした。
本丸・陣屋跡
現在はほとんどが住宅街になっており、東端にある小公園が城・陣屋跡であったことを偲ばせるのみ。
ただ、さらに東側から見ると本丸周辺は一段上になっていることが分かります。
内堀(なぎなた池)
本丸(陣屋)跡の西側、後述する高林庵の南側に広がる広大な水堀。
この東側には「お庭池」と呼ばれる同規模の水堀も残っています。
外堀
城域の東側と南側に部分的に残っています。
高林庵
藩主であった片桐家の現在の邸宅であり、石州流茶道・華道の宗家でもある屋敷。
維新後の陣屋といっても過言ではない非常に立派な屋敷でして、このような建物もあります。
隅櫓
高林庵の南東角にある二層の櫓でして多門櫓も接続されています。
形はともあれ、小泉陣屋時代にも櫓があったらしく、復興櫓ともされます。
この他にも城郭風の建物で構成されています。
幕末までの遺構ではないものの、藩主家が建てたもののため、ある意味本物の城郭建築物といえなくもないですよね。(大分の中津城天守のような感じ。)
この他、移築門や外堀の大部分の写真を撮り忘れた(存在を知らなかった)ため、奈良に行く機会があれば再度行きたい場所です。
マップ
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