所在地:広島県竹原市忠海町
縄 張:砲台、堡塁
城 主:帝国陸軍
遺 構:砲座、側射庫、掩蔽部、掩蔽壕、隧道、指令所
文化財:なし
探訪日:令和5年(2023年)1月7日
概要
大久野島と言えば「毒ガスの島」、現在は「ウサギの島」として有名ですね。
ただ、それにも負けないくらいの立派な砲台・堡塁が残っているんです。
大久野島砲台全体図
北の海岸段丘上に北部砲台、島の頂上付近に中部堡塁砲台、南東の高台に南部砲台が築かれています。
北部と南部はそれぞれの方向に攻撃面が向いているのに対し、中部は西側に攻撃面が向いており、瀬戸内海を西から来る敵に備えていることが分かりますね。
【北部砲台】
北部砲台図(自作)
北部砲台は東西2ヶ所に分かれており、西側の方が規模が大きめ。
東側には二基の砲座、西側には四基の砲座が設置されていました。
ただ、西側砲台の第三砲座は道路のために消滅しており、指令所は倒木のため現在行けません。
東側砲台第一砲座
東側砲台第二砲座
ここには斯加十二糎速射加農砲という大砲があり、合計4問設置されていました。
東側砲台側射庫
この時代の要塞にしては珍しくベトン(コンクリート)で固められています。
内部はあまり広くありません。
東側砲台掩蔽壕・側射庫
こちらは西端の側射庫ですが、ここのみ掩蔽壕が設けられています。
西側砲台第一砲座
西側砲台第二砲座
西側砲台第四砲座
ここには二十四糎加農砲が一砲座に一門づつ置かれており合計4門が設置されていました。
ただ、先述の通り第三砲座のみ道路建設によって消滅しています。
また、第二砲座には昭和前期に作られた毒ガスタンク置き場が残っています。
西側砲台掩蔽壕・側射庫
各砲座の間に設けられた施設。
柵があって降りれない上に、内部は水が溜まってしまっています。
西側砲台掩蔽部
西側砲台の西端に設けられた三基の掩蔽部。
かなり巨大な施設です。
西側砲台隧道
第二砲座と第三砲座(消滅)の間にある隧道(トンネル)。
地形的な関係もあるんでしょうけど防御力高め。
西側砲台建物跡
北部砲台から中部堡塁に登る道の入口くらいにある建物の基壇。
どのような建物があったかは不明。
【中部堡塁砲台】
中部堡塁砲台図(自作)
三つある砲台・堡塁砲台の中でも最大規模の施設。
元々砲座が三ヶ所ありましたが、鉄塔建設のため第一砲座が消滅しています。
また、西側は現在展望台となっていますが、ここにも観測所等があったと思われます。
第二砲座
第三砲座
第一砲座は先述の通り消滅しているもののかなり巨大な砲座。
当時ここには二十八糎榴弾砲があり、合計6門設置されていました。
ちなみに、砲座の真ん中に階段がありその上には細長い平坦部が設けられています。
北部砲台や南部砲台にはないものであり、このあたり陸戦を想定している堡塁ならではの施設といった感じでしょうか。
こちらは上から見た砲座。
よく見ると、砲座とは反対側の土塁にも細長い平坦部があるのがわかります。
側射庫
この中部堡塁、掩蔽壕・側射庫無いなと思っていたら、砲座内部の入口(赤く囲んである場所)から入って行くそうです。
後でネットで見て知ったんですが、日本に数ある要塞の中でも非常に珍しい造り。
(なので内部は写真に撮っていない・・・。)
掩蔽部
一つでも巨大な掩蔽部が7基連なっている圧巻の施設。
今まで何カ所か要塞いきましたが、これだけ並んでいるのは初めて見ました。
内部も非常に広い造り。
貯水所
七連掩蔽部の対面にある施設。
なお、冒頭にも書きましたがこの中部砲台、大久野島の山頂付近にあるため結構登ることになります。
特に北部砲台から登ると急登で、写真のように完全に登山道。
東側の車道を上ってくれば距離はありますがもう少し緩やかなはず。
【南部砲台】
南部砲台図(自作)
こちらも北部砲台と同じく二ヶ所建造されていましたが、西側は芸予要塞廃止後、戦前の早い段階で取り壊されたらしく、現在は平地となっています。
というわけで東側砲台の拡大図。
二ヶ所の砲座と側射庫等で構成されています。
第一砲座
第二砲座
ここには斯加式九糎速射加農砲という大砲があり、合計4問設置されていました。
こちらは砲座を上から見たもの。
大砲の形に合わせベトンが固められていますが、他ではあまりみない造り。
掩蔽壕・側射庫
各砲座脇にあるものの、意図的に埋められており内部は見られません。
掩蔽部
南部砲台入口にある施設。
柵があり下には降りられません。
以上、大久野島砲台でした。
大久野島自体有名な島のため、対岸の忠海から定期船が出ており行きやすい島ですし、象徴でもあるウサギもたくさんいるのも良いですね。
多分、ほとんどの方がウサギや毒ガス施設を見に来るんでしょうけど、三ヶ所の砲台も一部消滅しているヶ所があるものの総じて保存状態がよく本当に圧巻の造りです。
非常にオススメ。
マップ
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縄 張:砲台、堡塁
城 主:帝国陸軍
遺 構:砲座、側射庫、掩蔽部、掩蔽壕、隧道、指令所
文化財:なし
探訪日:令和5年(2023年)1月7日
概要
明治中期に建造された芸予要塞の一部。戦争時に瀬戸内海を通る外国船を攻撃するために下関要塞、広島湾要塞等とともに築かれた。しかし、日露戦争後に豊後水道に豊与要塞が築かれ、瀬戸内部の要塞は不要とされたため大正末期に廃止された。
要塞廃止後は毒ガス製造施設が置かれることとなり、終戦まで日本軍が使用する毒ガスを製造しつつけた。
要塞廃止後は毒ガス製造施設が置かれることとなり、終戦まで日本軍が使用する毒ガスを製造しつつけた。
ただ、それにも負けないくらいの立派な砲台・堡塁が残っているんです。
大久野島砲台全体図
北の海岸段丘上に北部砲台、島の頂上付近に中部堡塁砲台、南東の高台に南部砲台が築かれています。
北部と南部はそれぞれの方向に攻撃面が向いているのに対し、中部は西側に攻撃面が向いており、瀬戸内海を西から来る敵に備えていることが分かりますね。
【北部砲台】
北部砲台図(自作)
北部砲台は東西2ヶ所に分かれており、西側の方が規模が大きめ。
東側には二基の砲座、西側には四基の砲座が設置されていました。
ただ、西側砲台の第三砲座は道路のために消滅しており、指令所は倒木のため現在行けません。
東側砲台第一砲座
東側砲台第二砲座
ここには斯加十二糎速射加農砲という大砲があり、合計4問設置されていました。
東側砲台側射庫
この時代の要塞にしては珍しくベトン(コンクリート)で固められています。
内部はあまり広くありません。
東側砲台掩蔽壕・側射庫
こちらは西端の側射庫ですが、ここのみ掩蔽壕が設けられています。
西側砲台第一砲座
西側砲台第二砲座
西側砲台第四砲座
ここには二十四糎加農砲が一砲座に一門づつ置かれており合計4門が設置されていました。
ただ、先述の通り第三砲座のみ道路建設によって消滅しています。
また、第二砲座には昭和前期に作られた毒ガスタンク置き場が残っています。
西側砲台掩蔽壕・側射庫
各砲座の間に設けられた施設。
柵があって降りれない上に、内部は水が溜まってしまっています。
西側砲台掩蔽部
西側砲台の西端に設けられた三基の掩蔽部。
かなり巨大な施設です。
西側砲台隧道
第二砲座と第三砲座(消滅)の間にある隧道(トンネル)。
地形的な関係もあるんでしょうけど防御力高め。
西側砲台建物跡
北部砲台から中部堡塁に登る道の入口くらいにある建物の基壇。
どのような建物があったかは不明。
【中部堡塁砲台】
中部堡塁砲台図(自作)
三つある砲台・堡塁砲台の中でも最大規模の施設。
元々砲座が三ヶ所ありましたが、鉄塔建設のため第一砲座が消滅しています。
また、西側は現在展望台となっていますが、ここにも観測所等があったと思われます。
第二砲座
第三砲座
第一砲座は先述の通り消滅しているもののかなり巨大な砲座。
当時ここには二十八糎榴弾砲があり、合計6門設置されていました。
ちなみに、砲座の真ん中に階段がありその上には細長い平坦部が設けられています。
北部砲台や南部砲台にはないものであり、このあたり陸戦を想定している堡塁ならではの施設といった感じでしょうか。
こちらは上から見た砲座。
よく見ると、砲座とは反対側の土塁にも細長い平坦部があるのがわかります。
側射庫
この中部堡塁、掩蔽壕・側射庫無いなと思っていたら、砲座内部の入口(赤く囲んである場所)から入って行くそうです。
後でネットで見て知ったんですが、日本に数ある要塞の中でも非常に珍しい造り。
(なので内部は写真に撮っていない・・・。)
掩蔽部
一つでも巨大な掩蔽部が7基連なっている圧巻の施設。
今まで何カ所か要塞いきましたが、これだけ並んでいるのは初めて見ました。
内部も非常に広い造り。
貯水所
七連掩蔽部の対面にある施設。
なお、冒頭にも書きましたがこの中部砲台、大久野島の山頂付近にあるため結構登ることになります。
特に北部砲台から登ると急登で、写真のように完全に登山道。
東側の車道を上ってくれば距離はありますがもう少し緩やかなはず。
【南部砲台】
南部砲台図(自作)
こちらも北部砲台と同じく二ヶ所建造されていましたが、西側は芸予要塞廃止後、戦前の早い段階で取り壊されたらしく、現在は平地となっています。
というわけで東側砲台の拡大図。
二ヶ所の砲座と側射庫等で構成されています。
第一砲座
第二砲座
ここには斯加式九糎速射加農砲という大砲があり、合計4問設置されていました。
こちらは砲座を上から見たもの。
大砲の形に合わせベトンが固められていますが、他ではあまりみない造り。
掩蔽壕・側射庫
各砲座脇にあるものの、意図的に埋められており内部は見られません。
掩蔽部
南部砲台入口にある施設。
柵があり下には降りられません。
以上、大久野島砲台でした。
大久野島自体有名な島のため、対岸の忠海から定期船が出ており行きやすい島ですし、象徴でもあるウサギもたくさんいるのも良いですね。
多分、ほとんどの方がウサギや毒ガス施設を見に来るんでしょうけど、三ヶ所の砲台も一部消滅しているヶ所があるものの総じて保存状態がよく本当に圧巻の造りです。
非常にオススメ。
マップ
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