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1: ゆきだるま ◆2eAi0OJQSA 2005/09/12(月) 01:38:19

 信長が健在だったら、家康はどう生きたのだろう。










203: 日本@名無史さん 2006/08/25(金) 23:50:18
家康は信長が嫌いだったということで

204: 日本@名無史さん 2006/08/26(土) 13:07:49
なぜ徳川は天下掌握後に織田を族滅しなかったんだ
羽柴は容赦なく族滅したんだから
織田も女子供にいたるまで根絶やしにすべきだったはず

206: 日本@名無史さん 2006/08/26(土) 13:15:31
>>204
今更織田家の人間を担ぐ人間が居なければ、理由も大して無いからじゃないのか?

271: 日本@名無史さん 2007/02/19(月) 23:54:51
家康の思考から考えて信長の思考についていけたとは思えないけど。

272: 日本@名無史さん 2007/02/20(火) 00:06:20
家康の気質からして、本当は信長なんか嫌いだったんじゃないのか?
家康タイプの人って信長タイプの人とは友達になれそうにないと思う

家康が信長についたのは、今川から独立するためにはそれしか選択肢がなく、
あとは行きがかり上、信長についていくしかなかったんじゃないのかね。

家康って内心では武田信玄とかを尊敬してて、信長とか本音じゃ嫌ってそう。
だから本能寺で信長が死んでくれてホッとしたんじゃないのかね。

277: 日本@名無史さん 2007/02/20(火) 00:46:29
>>272
信長と家康って直情型だが抑えるところは抑えるって感じで似たもの同士の感じ
むしろ信玄のように裏切りばっかのほうが心労になるだろう
その辺に比べると義元が一番好きそうだな、利を取ったというか氏真じゃ嫌だというか

273: 日本@名無史さん 2007/02/20(火) 00:21:18
ただ一つ気になるのが家康最大のピンチ、信玄上洛の時に寝返らなかったこと。

274: 日本@名無史さん 2007/02/20(火) 00:27:06
あの時点じゃ、織田と一蓮托生だし、寝返ったからって優遇されるとは限らない。

280: 日本@名無史さん 2007/02/27(火) 22:16:23
家康は円満な常識人であり、よくも悪くも保守的な人物。要するに普通の堅実な人。

信長みたいな人物とは本来、そりが合うとは思えないが、人質経験で培った隠忍自重の精神で
ひたすら耐え忍んだのであろう。

278: 日本@名無史さん 2007/02/20(火) 03:33:44
家康が信長について語った文献とかは、残ってないのか?

281: 日本@名無史さん 2007/02/27(火) 22:58:46
あれだけ戦国時代では稀な長い同盟だったのに、家康が信長を語った事がないのは変に感じるな。内心尊敬はしてなかったという事なのか。
ただ信長には勝てないと悟ってはいただろうな。天下人になった後に語ればその事を認める事になるから悔しくて語らなかったなんて想像してみる。

296: 日本@名無史さん 2007/04/09(月) 14:38:12
人質だった義元のことは結構話してたんだよな
しかし盟友時代の信長のことはまったく話さない家康

297: 日本@名無史さん 2007/04/09(月) 17:55:31
>>296
今川人質時代は結構もてなされてるんじゃないか。
人質にしては、だけど。

316: 日本@名無史さん 2007/04/11(水) 16:26:34
>>296
信長と秀吉については口を閉ざす
義元と信玄のことは引き合いに出す

共通項は何だ? 天才と普通人か?

282: 日本@名無史さん 2007/02/27(火) 23:30:21
武田信玄につかないで、信長との同盟を守っていたことからしてかなり信長を評価していたことは間違いないな。

しかしマジで何で、信玄につかなかったんだろう・・・つくづく不思議だ。
占星術でも使って、信玄の寿命を予知していたのか

287: 日本@名無史さん 2007/03/01(木) 20:41:15
>>282
単純に、最初信長と同盟を結んだからだろ
寝返ればそれだけで武将としての価値が下がることをよく知っていた

288: 日本@名無史さん 2007/03/01(木) 20:49:54
>>287
それは確かにそうだと思う。
何はともあれ信義は守る・律儀な男、というイメージが強くあったからこそ秀吉死後のあの強引な政権奪取もできた。
松永久秀やなんぞとは、わけが違う。

283: 日本@名無史さん 2007/02/27(火) 23:39:56
まぁ、武田についたらついたで、織田に真っ先に攻められるのは徳川だしな
どっちに滅ぼされるのが嫌だか考えると、俺なら信長にはやられたくない
信長だし1回ぐらいは許してくれそうだけど。

285: 日本@名無しさん 2007/02/28(水) 00:36:35
遠江の分捕り合いから一転して侵攻して来た武田に対し、
和睦や降伏はありえても同盟はありえないのでは(・ω・)

289: 日本@名無史さん 2007/03/03(土) 13:29:31
ま、本能寺で信長が死んだときは、家康ならずともほとんどの武将が内心では
ホッとしたんじゃないかな。


298: 日本@名無史さん 2007/04/09(月) 19:42:39
歴史学的には、現実にどう行動したかが問題なのであるから、家康の本音とかは現実の行動に現れていない限り、空想しても無意味だろうが、ネタ的には大いに興味あるな。

素の人間として見た場合、信長タイプの人間って難しいよ。
腫れ物にさわるような感じで、いつも周囲の人間はピリピリしていないといけない。家康はいたって常識人というタイプだから、本来、こういう人間は嫌いだったと思うが、子供時代からの人質生活で面従腹背の術を身につけ、本音を隠して上手に付き合った。

その辺が家康の偉いところで、だからこそ最後まで生き残って天下が取れたんだろう。
どうしても信長と合わない人間は、我慢の限界が超えたら、荒木村重や明智光秀みたいになっちゃうんだろうし。

299: 日本@名無史さん 2007/04/09(月) 20:31:49
確かに家康の我慢強さは異常

301: 日本@名無史さん 2007/04/09(月) 23:36:33
リアルで自分の周囲に家康や信長がいたら、絶対家康の方がいいよな。

よくもわるくも普通の人だし。

304: 日本@名無史さん 2007/04/10(火) 20:50:26
家臣として仕えるなら、家康の方が安心できる。
ビクビクオドオドする必要があんまりない。

309: 日本@名無史さん 2007/04/11(水) 01:18:26
自分の妻(築山殿)や子供を平気で殺すような家康には仕えたくないな。
かつての主君の秀頼はいいがかりをつけて殺してるし、
千姫が生んだ子供(自分の孫)も殺させている。

310: 日本@名無史さん 2007/04/11(水) 02:13:37
嫁と子供はのぶりんに殺されたようなもんだし、
のぶりんは実弟や義母や義弟や甥を殺してますがな

311: 日本@名無史さん 2007/04/11(水) 03:09:04
それは説話でしょ?信長は信康殺しにはノータッチだよ
大体、信長は超が付くほどの親バカだし

320: 日本@名無史さん 2007/04/14(土) 15:10:51
家康は信長よりは、はるかにマトモな人だと思う。しかし、けっこう執念深い人でもある。
駿河の人質時代、隣家の武士から「三河のこわっぱ」呼ばわりで侮辱されたのを忘れず、数十年後、武田滅亡の際に降参してきたその武士を切腹させている。

まあ、子供時代、辛い思いをさせられたんだから無理はないけど、ちょっと執念深いね。

322: 日本@名無史さん 2007/04/14(土) 17:11:21
家康のエピソードといえば、将軍になったからの話と思われるが、こんな話もある。

ある台所役人が、香の物をえらく塩辛く味付けしていたので女中連中から苦情が出た。
そこで家康がその役人に理由を聞くと、
「あの女中たちは、これだけ辛い味付けでも大食いです。これ以上、味を薄くしたら、
もっと大食いするでしょう」
と答えた。
それを聞いた家康は大いに納得し、その家臣を賞賛した。


380: 日本@名無史さん 2007/05/27(日) 23:31:45
歴史読本の今月号にまた
「信康切腹は信長の命令」なんて一昔前の通説が書いてある。
大体そんなこと、信長公記にも書かれていないし、
後世の徳川方から出た話でしかないのにな。
桶狭間の奇襲、長篠の3段撃ちと並ぶ信長に関する通説の
誤りの一つだな。

409: 日本@名無史さん 2007/06/15(金) 20:16:10
>>380
信長公記に信長の不名誉になるような記載がなくても当然

410: 日本@名無史さん 2007/06/16(土) 00:19:10
>>409
信長公記だけを定本にしたわけじゃないだろ
信長公記以外に何らかの史料なり口伝なりがあったんだろうな
当代記編纂の時代に信長の名誉を慮る必要はないんだし

ただ、

>信長公記に信長の不名誉になるような記載がなくても当然

これは全く同意
信長公記は確かに比較的信用性の高い史料だが、
安土城築城時の事故のことなど、恣意的に削除している内容もあると思われる
信長黒幕説を完全否定する根拠にまではならんよ

381: 日本@名無史さん 2007/05/30(水) 11:49:57
家康主導説は2chだけの通説だろ

386: 日本@名無史さん 2007/06/08(金) 19:11:51
>>381
信康切腹命令説は家康主導はあきらか。
信長が信康の切腹を命令する根拠はない。

388: 日本@名無史さん 2007/06/09(土) 08:57:21
家康が主導したって文献でもあるのかよ
ないなら「家康が主導した可能性もなくはない」程度にしとけ

392: 日本@名無史さん 2007/06/09(土) 12:38:49
>>388
徳川関係についてはかなり信憑性の高い史料である「当代記」は、家康から相談を受けた信長が「家康存分次第」と答えただけだったとする。
これは谷口克広によって紹介されたもので最近は小和田哲男も賛意を示している。
一方従来の通説は徳川方の「三河物語」から出たもので、同書は家康が人質時代どれくらい苦労したかをかなり誇張して書いたり徳川贔屓は明らか。
もちろん「信長公記」にも信長が信康の切腹を命じたなんて話はない。

425: 日本@名無史さん 2007/06/18(月) 22:40:24
信長が家康に命令する理由がないだろ。
武田に内通というのもつくり話だし、信康の家臣と家康の家臣の対立だろ。
しかも信康死後、実家に帰った徳姫に対して、家康は生涯化粧料を払いつづ
けている。そのことからも信長には全く無関係であるということがわかる。
また、本当に信長の命令なら、信長の死後にでも家康が妻子の供養をしても
いいと思うが全くしていないところを見ると、家康の意思で抹殺したのはあき
らか。

430: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 01:21:01
>>425
家臣の対立があったとしても、酒井をほっとくくらいだから
家康にとって積極的に嫡男を殺す理由にはならないだろうな。
すぐ殺すという発想は信長と信長信者の発想だろ。

家康にとって信長はあまり触れたくない過去。
酒井に愚痴をこぼす程度で、盛大な供養もやらない。
徳姫には捨扶持与えておくのが一番波風立てないやり方。

433: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 09:17:31
[家忠日記]を読むと、家康と信長の仲が非常にうまくいっていたことが
わかる。
毛利討伐にも信長に頼まれて出陣する予定でいたという。
また本能寺後も、光秀軍を討つために途中まで兵を出している。

自分の妻子を殺されたのに、供養もしないのは普通はありえないのでは?
信長死後なら、どんな盛大な供養をしても誰も反対するものもいなかったろうに。
>>430はなんで都合よく解釈してんだ?
しかも弁解しなかった酒井忠次を、重用し続けたことの理由になってないが。

信長に家康の妻子を殺す理由がそもそもあったのか?
信長主導を押すやつはその辺り、根拠のある説明ができるのか?
単なる思い込みの妄想はなしだぞ。


428: 日本@名無史さん 2007/06/18(月) 23:12:52
家康ってそもそも子供に対して妙に厳しいっつーか、冷たくね?

429: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 01:05:10
それなりの逸話もあるし、妙にってほどの印象ではないな
種無しの秀吉と比べれば一人一人への愛着は薄いんだろうが

435: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 09:37:39
信康事件の信長主導説は、近世では高柳光寿が発端じゃないかな?
根拠もなく、信忠無能、信康有能で信長主導といったのが
そのまま流布したんだと思われる。
高柳氏に反論するなんて、当時は自殺行為だったし。

437: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 12:49:07
新説を唱えてる谷口克広は、岡崎衆が信康をかついで
クーデターを企てており、築山殿のその企てに加わったと
している。
これが正しければ築山殿成敗も理由のないことではないが。

446: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 19:59:13
晩年の家康は信長のことについては
あまり語らなかったという。

452: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 21:35:33
>>446
通説派は妻子を殺された恨みがあって語らなかったということに
なりそうだが新説ではむしろ、妻子殺しを信長に押し付けた後ろめたさ
があって語らなかったとなる。

448: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 20:21:33
>信長は信忠の将来のために殺しておきたくなるだろう。

ってなんで、信康が優秀なら信長がころさないといけないんだ?
信長は謀叛を起こした連中でも、許して取り立てて使ってる。
優秀だからと信長がいつ、誰を殺せと命じた例があるというんだ!!

450: 日本@名無史さん 2007/06/19(火) 20:42:24
信長はむしろ才気ある若者は大好きなんだけどな。
大体、信行の息子の信澄を重用してる時点で、あれは身内に甘い人間なんだよ
信康が言われるように信忠をしのぐ(って、当時の信忠の年齢を考えればアホみたいな評だが)才気を信康が持ってたら
岳父として多いに愛でたと思うんだけど。

信康暴君説も、いかにも暴君のテンプレなんで、これも誇張されて残った話だろう。
誰が誇張したかといえば、家康だろう。単純に家康からみて信康は政敵だった。
家康と信康は歳も近い上、隣接する武田で息子が謀反未遂起こしてるから、家康は怖くなったんだろう。


571: 日本@名無史さん 2007/06/27(水) 22:48:08
信長と家康の仲がうまくいっていたのを認めたくない人がいるようだが、「家忠日記」では、武田攻めの労をねぎらうとかで、信長が家康を安土に招待している。信長自ら家康の膳を据え、家康家臣には「こかし」というお菓子を目の前で挽いてふるまったという。そのときの様子が家康からの書状でわかったと書かれている。
信長がいかに家康を信頼していたかわかる。
 
また、信長は家康に帷子ニ着を贈ったと書かれている。その一着は紅の生絹で家康の女房への土産として贈られたようなことが書かれているらしいけど、家康の女房って築山殿のことかな?
でも築山殿って、信康の切腹事件の時に殺されているんじゃなかった?

641: 日本@名無史さん 2007/06/30(土) 17:19:24
タイトルの答えなら、
「苦手な人」

だと思う。

秀吉のことは
「大嫌いな人」

光秀のことは
「いい人」

かな。

689: 日本@名無史さん 2007/07/22(日) 00:08:25
関ヶ原の後、それまでの思いを晴らすのはここぞとばかりに、
信長の嫡孫秀信を高野山へ放逐して病死させ、
残った信長の子達と、信長に最も信頼されていた弟の信包を悉く改易させて滅ぼしてる。
信高、信貞なんかは東軍に通じて、戦後家康を出迎えたというのに。
家康は多分、自分より上に行ってしまって、命令を下すような立場に立った信長に対して、
自分より実力が上なのが気に食わない、みたいな鬱屈としたものを感じていたと思う。
だからこそ晩年は信長について語らなかったんだろう。
天下人で神のような存在に上り詰めた自分が、卑屈な思いをもらすわけにはいかない。
今周りに対して思っていたことをもらしてしまうの憚られる、みたいな。

690: 日本@名無史さん 2007/07/22(日) 08:15:14
ならなんで氏真タンを生かしてたんだ?

694: 日本@名無史さん 2007/07/22(日) 20:10:00
妥協しないのは天下統一が見えた段階だからな

引用元: ・☆ 家康は信長をどう思っていたのか ☆

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