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1: 世界@名無史さん 2011/11/28(月) 22:15:11.64 0
寝室、台所、トイレ、書斎、居間、廊下、屋根裏など、建築物内部の空間や、内装、家具、道具類の歴史について語るスレです。








3: 世界@名無史さん 2011/11/28(月) 22:48:55.56 0
日本で庶民の家に、台所があるのが当たり前になってのって、明治期なのかな?
昔は外で煮炊きしてたよね?

4: 世界@名無史さん 2011/11/28(月) 23:52:20.09 0
江戸時代には台所ぐらいありそうなもんだが

5: 世界@名無史さん 2011/11/29(火) 01:33:02.71 0
庶民の定義が不明だが、古民家では土間が炊事場になっとるだろうが。
なんで外で煮炊きするって発想が出てくるんだ?

6: 世界@名無史さん 2011/11/29(火) 02:05:29.55 0
昔の長屋住まいの都市住民は屋外に七輪を出して煮炊きしていたんだよ。
土間とか高尚なものがあったのは間取りの大きい農家や商家や武家ぐらい。
都市住民が屋外で煮炊きしなくなったのは昭和に入ってガスが普及して以降。
また、井戸も長屋で一か所のみ共同だったので、そこが食器や衣類の洗い場だった。

10: 世界@名無史さん 2011/11/29(火) 21:37:14.83 0
前から疑問なんですけど、ガラスが普及する以前は、夜とか冬はどうしていたんでしょう?

よくある垂直方向に取り付けられた、パタンと閉じる板(棒で支えて明かりを取り入れているやつ)って、夜とか、寒い時って、閉じてしまうんでしょうか?
夜はどうせ真っ暗だからいいとして、冬の日中とか不便そうだし。

15: 世界@名無史さん 2011/11/29(火) 22:38:31.26 0
>>10
東洋:御簾・障子
西洋:透窓・布窓(カーテン)

30: 世界@名無史さん 2011/11/30(水) 22:00:11.65 0
>>10が言ってるのは、戦国時代の庶民の家みたいなやつだろ?
あんな家に障子とか御簾とかあったと思ってる?

31: 世界@名無史さん 2011/11/30(水) 22:07:15.26 0
御簾っていうから変だけど、まあ簾だよな、普通の家にあったのは。
入り口には簾をつけて、半透光状態にしてたから、真っ暗にはならなかった。
昼は。

でも、>>10が言ってるのは夜とか冬のことか。。。

32: 世界@名無史さん 2011/11/30(水) 22:08:12.35 0
>>30
御簾というと仰々しいが、いわゆる簾、葭簀の類。

33: 世界@名無史さん 2011/11/30(水) 22:14:33.82 0
>>31
夜は窓自体を板戸で閉じてるでしょ(防犯的な意味でも)。
冬も吹雪の日とか悪天候の時は閉じてるでしょ。
そういう時は作業もできないんだから籠って寝てればいんだし。
どうしても明かりが必要なら灯明つければ良い話。

36: 10 2011/11/30(水) 23:24:02.59 0
>>32
まあイメージしていたのは戦国時代の庶民の家ですね。
一乗谷等で復元している家を見て、疑問に思ったもので。

34: 世界@名無史さん 2011/11/30(水) 23:07:44.25 0
結局、冬の日中は寒いから板戸は閉めてしまって、その結果、部屋が暗くて困る場合は、灯りをつければいいってことでOK?
でも、戦国時代に庶民が灯り用の油を買う余裕なんてあったっけ?

37: 世界@名無史さん 2011/11/30(水) 23:45:02.44 0
>>34
灯油を買う余裕も無い人が書物を読んだりしないから大丈夫だ。
ただ、囲炉裏はあっただろうから、真っ暗けということでもないだろうね。

115: 世界@名無史さん 2011/12/04(日) 23:58:16.78 0
日中、庶民は室内にいることなんてほとんど無かったから不便感じなかったとか?
それもちょっと極端過ぎな気がするけど。

116: 世界@名無史さん 2011/12/05(月) 00:15:55.35 0
>>115
当時から引きこもりはいただろうね。
金持ちの家に生まれた不具者とか、病弱な公家武家の若君とか。
そういう人は一生外へ出られず、お付の人とのみ接触し、室内で静かに生涯を終えた。

124: 世界@名無史さん 2011/12/05(月) 19:51:25.20 0
>>116
金持ちはさ、灯りでもなんでもふんだんに買えるから、さして不便はないだろう。
窓ガラスなんてなくてもいいし。
明かり障子だって、あったろうし。

143: 世界@名無史さん 2011/12/12(月) 09:39:54.00 0
>>115
>日中、庶民は室内にいることなんてほとんど無かったから不便感じなかったとか?

半分はそういうことなんだろうな。

あとは、現代人とは比べものにならないぐらい寒さに強かったから、必要なときには板戸を開け放しても耐えられたとか、そもそも戦国期の庶民の家なんて、隙間風がかなり入ってくるぐらい密閉率が低かったから、壁の隙間から多少の光が常に入ってきていて、締め切っても真っ暗にはならなかったとかいうことかもしれない。

42: 世界@名無史さん 2011/12/01(木) 12:28:35.60 0
本を読まない、読めない貧乏人でも縄綯いや俵編みなどの夜なべ仕事をしなければならない。

そういう場合は、囲炉裏の火を灯りにしたんだ。
あるいは石臼の上で松の根を焚いたり、細く割った竹を少しずつ燃やして土間を照らした。

43: 世界@名無史さん 2011/12/01(木) 21:58:03.53 0
>>42
基本的に夜の作業はしない。
燃料の無駄だし、視力が著しく低下したら生活に不自由を来す。

昔の農民は日が上ったら起き、日が沈んだら寝る生活。
旅人は払暁前の午前5時には草鞋を履き、日が落ちる前16時ぐらいに旅籠に入った。

63: 世界@名無史さん 2011/12/02(金) 23:03:56.71 0
実際、戦国期の日本人の寒さに対する耐性って凄いよな。
おあむ物語にも出てくると、10代の女の子が持っている服はひとえ一枚。
当然それで冬も過ごしたんだろうけど。

65: 世界@名無史さん 2011/12/03(土) 01:06:04.07 0
>>63
そりゃアンタ、時代劇の観過ぎだ。
冬はその上から綿入れという防寒着を羽織り、厚布の足袋を履いた。
野外に出るときはフード状の被り物もしたし、手袋もマフラーもあった。
179: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:21:30.34 0
質問ですが、今のような布団が日本で使われ始めたのって、いつ頃からですか?

182: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:25:12.46 0
>>179 
確か、でっかい半纏のような、着るタイプが先にあったんじゃなかったっけ?

181: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:24:58.67 0
綿の国産化が軌道に乗った江戸時代中期以降です。 
それ以前は着物をかけて寝るか、藁の中にもぐって寝るのが当たり前でした。

186: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:38:12.29 0
>>181 
着物って、日中着ていたのを寝る際に脱いでかけるってことですか? 
それとも、もっと分厚い保温効果が大きい着物を着ていたとか?

188: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:42:37.95 0
>>186 
寝るときに引っ掛ける用の大きい着物あったよ

193: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 15:57:07.70 0
>>188 
ちなみにその着物ってなんか固有の呼び名あります?

195: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 22:58:47.29 0
>>193 
「夜着」、もしくは「かいまき」

219: 世界@名無史さん 2011/12/23(金) 18:11:32.75 0
かいまき  

かいわれまきまき のこと?

230: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/21(土) 12:56:14.50 0
>>219 
掻巻。掻はかきで、掻き曇るという様に、続く語を強調したものです。 
かいまきは近世初期に登場するらしい。 

古代・中世なら、衾ですね。中世になると着物状に仕立てたものが多い。 
紙や麻で出来たものもあり、『記紀』・『万葉集』にも登場します。 
有名な「貧窮問答歌」に、庶民の寝具として登場するのが麻衾。 
肩衣でこれを引っかぶって寝ていますが、肩衣は袖なしの衣のこと。 
近世前期に「肩衣を夜具にする」と言えば、貧乏の喩え。 
裕福なら木綿がない代わりに、真綿=絹を入れて防寒していました。 
余談ながら、野の衾という意味で野衾はムササビ・蝙蝠の事です。 

蒲団は本来、禅宗で用いられた蒲を編んだ敷物を指しました。 
「ふとん」という発音は、禅宗が伝えた宋代の発音に由来したもの。 
今言うところの蒲団(布団)に蒲を詰めたという話は、見えませんでした。

235: 182 2012/01/21(土) 20:24:15.20 0
>>230 
衾というのは全然知りませんでした。 
室町・戦国期の庶民は、綿も真綿も入ってない、麻で作った着物の形をした薄っぺらな衾を着て寝てたんですねぇ。 
かなり寒かっただろうに。 

187: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:40:10.85 0
蒲団が発達していない時代、北日本の民家には「納戸」という寝室専門の部屋をこしらえた。窓も無い小部屋で、中に筵だの藁だの温かくなりそうなものを溜め込み、その中に潜って寝る。 
このような環境だから結核の温床になりかねなかった。

231: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/21(土) 15:34:58.53 0
>>187 
古代・中世だと、塗籠という空間がそれに相当しますね。 

189: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:43:55.15 0
確か、お産&出産後しばらく生活するのための女性用の部屋もそんな感じじゃ無かったっけ?

190: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:47:51.41 0
そうだよね。 

床に籾殻だの灰だのを敷いて「汚れ物」を垂れ流してもいい状態にしておき、天井から下がった綱にすがって子を産む。 
生んでしばらくは「血の穢れ」のため、太陽を見ることも憚られる。 
食べ物はお粥と塩のみ。 
数日後に「古血を下ろす」目的で、芋ガラの入った味噌汁を飲む。

191: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:50:02.11 0
それって、遅れた東国だけでなく、日本全国そんな感じだったの? 
江戸期は。

192: 世界@名無史さん 2011/12/17(土) 13:55:40.34 0
すくなくとも「血の穢れ」の思想は日本全国にあったよ。 
沖縄では、子を産んで間もない女性は囲炉裏の火に当たらせ、汗を流させた。 
汗を流せば産後の肥立ちがいいと考えられていたようだ。 
しかし肉食文化があるため、産後まもなく肉を食べて栄養をつける。

231: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2012/01/21(土) 15:34:58.53 0
>>192 
経血の穢れを忌むのは室町時代、女性そのものを穢れと見做すのは江戸時代初期頃からの習慣の様です。時代ごとに観念もバラつきがある。 

霊場の女人禁制自体は平安期にはありましたが、あれは元々寺院への異性の立ち入りを嫌ったもので、それに平安後期に仏神が嫌うといった説明が付け加えられ、女人の罪障が意識される様になったらしい。 
本来は、尼寺への男子禁制と対をなす概念でした。

199: 世界@名無史さん 2011/12/18(日) 00:06:11.31 0
中東でも出産後の女性は普段の女性用部屋とは別室で生活だったような。

60: 世界@名無史さん 2011/12/02(金) 22:09:57.66 0
日本は紙の障子だったね。

84: 世界@名無史さん 2011/12/03(土) 14:17:04.86 0
>>60
正確には明かり障子な。
ただ紙が薄いので、ガラスの用に屋内と屋外を仕切る目的で使用すると、風雨に耐えられない。
なので上の方は半蔀で保護し、さらに下半分の雨が当たりやすい部分に板を張った腰高障子が生まれた。

85: 世界@名無史さん 2011/12/03(土) 19:37:22.49 0
明かり障子が庶民の家に普及したのっていつ頃?
多分明治以降だと思うけど。

86: 世界@名無史さん 2011/12/03(土) 20:21:03.97 0
ガラス以前のものって西洋、中国ではどうだったんだろうね。
多分、なかったんじゃないかな。

87: 世界@名無史さん 2011/12/03(土) 21:00:46.58 0
そう考えると、住空間にとって一番の発明はガラスかもしれないな。
ガラスが無い家で暮らせと言われても、耐えられそうにない。

123: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2011/12/05(月) 07:07:42.20 0
家の造りですが。
『徒然草』に「家は夏をむねとして造れ」とあるものの、庶民の家屋(一番古いもので神戸市郊外に築500年が現存)は、町家を除くと窓が小さく、採光率の悪いものであったことが指摘されています。
確かに、古いもので現存するのはほとんどがいい家のものですが。
明治頃の、そこまで立派でないものでもそんな感じですね。

地域差も、考えないといけないでしょうが。

128: 世界@名無史さん 2011/12/06(火) 00:38:25.43 0
>>123
箱木千年家を知ってるとは。さすが山P。
自分、行ったことあるんんだが、江戸の初めには既に千年家と呼ばれていたのが凄いね。
しかし、ご指摘のごとくあれは豪農の家だね。
ぶっとい梁と柱は当時としては贅を凝らした建築だったんだろうね。
建築自体は鎌倉~室町あたりみたいだが、あの地に代々住んでる名主の家であることは違いないね。
風格が凄い、埼玉にある高麗家住宅も凄かったがこっちは更に古趣があって良い。

130: 世界@名無史さん 2011/12/07(水) 00:01:19.85 0
エスキモーの氷の家は冬のみで、夏は毛皮のテントに住むということだ。

そういえばモンゴルの「パオ」にもきちんとした窓が無いな。
天窓を明けて換気や採光をするそうだが。

132: 世界@名無史さん 2011/12/07(水) 01:39:01.36 0
久々にここで「パオ」って文字を見た。

137: 世界@名無史さん 2011/12/08(木) 19:08:54.28 0
>>132
パオは「包」で漢語。
モンゴル語では「ゲル」だわな。
トルコ語で「ユルト」だったか。

146: 世界@名無史さん 2011/12/12(月) 18:15:46.03 0
ここに来る人の中には西洋のゴチック建築の教会のなかに実際に入ってみたことのない人も多いだろう。
それでもテレビでみる機会があるとおもうのだけど。
で、実際にいくつか入ったことがあるものの意見としては。
光が差し込むのはそれこそステンドグラスの下だけであって。信者が座るところは非常に暗い。ロウソク必須。で、きっと可能なときは大きな扉をあけはなしてたのだろうね。
窓ガラス、電燈発明以前の家と言う物はそういう物だったのだ。
 
それと。家と言うのは、生命、食料、財産の防衛の役割が大きいことはみなさんも同意するだろう。採光はあまり考えなかっただろう。
 

147: 世界@名無史さん 2011/12/12(月) 18:25:01.74 0
宗教施設というのは、心理的効果を計算して作られたいわばスペクタクル装置だよ。
信者は暗く低いところに置き、信仰の対象は高く明るい場所に掲げる。

多くの生産活動を行う必要がある住環境とは、まったく事情が違う。

153: 世界@名無史さん 2011/12/12(月) 18:45:27.68 0
教会ってのは採光するためにあえて尖頭アーチを多用し窓を大きくとったのだった。
その当時、一般の住居では石壁で屋根を支える。
したがって窓をあけると言うことは建物の強度低下にじかにつながることであった。

ちっこい窓しかあけられなかったんだよ。
それも木の扉つきのね、


254: 世界@名無史さん 2012/01/26(木) 23:49:54.63 0
ヨーロッパでは、身分の高い貴族は、旅行するときにベッドを一緒に持って行ったけど、
いつ頃から廃れたんだろ。

269: 世界@名無史さん 2012/02/05(日) 02:35:47.51 0
>>254
ルイ14世の時代ですら、ベッドで謁見とかするから、玉座的な意味をもっていたのだろうか?

255: 世界@名無史さん 2012/01/26(木) 23:55:04.65 0
風呂桶とかも持って行ってたよね。中世末期までは風呂桶持っていってる記述があったから
廃れたのはそれ以降からかな。

283: 世界@名無史さん 2012/03/10(土) 22:29:26.29 0
オランダで食器棚ベッド(ベッドボックス)が発展したのはなぜだろう?
部屋が狭いから?

284: 世界@名無史さん 2012/03/16(金) 08:51:02.94 O
>>283
昨日NHKでオランダの家は見た目縦長で狭いってやってたよ。階段も超狭いので大きい荷物とか窓から吊り下げるようにして降ろしてた。

285: 世界@名無史さん 2012/03/20(火) 01:38:27.58 0
オランダの都市の住宅は、切妻屋根で、妻側が通りに面して長細い。
妻壁が屋根よりも大きく、階段状になっていたりする。
屋根裏部屋が倉庫になっていて、窓の梁が出っ張っていて、荷物は正面の窓からロープを使って上に上げて入れるというやつだね。

286: 世界@名無史さん 2012/03/21(水) 20:32:41.61 0
現代のオランダの住宅でも、部屋のクローゼットのような扉を開けると中がベッドとかがあるね。昔の名残だろうか。

引用元: ・室内・インテリア・家具・生活用具の歴史