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1: 世界@名無史さん 02/06/01 17:22
アラーは偉大なり!








35: 世界@名無史さん 02/07/18 22:38
カリフ、イマーム、スルタンってどういう意味?

36: 世界@名無史さん 02/07/18 22:47
>>35
司令官

37: 世界@名無史さん 02/07/18 22:49
っとイマームは違うな。

正確にはカリフ=イスラム教徒の司令官
イマーム=導師
スルタン=軍司令官

ってかんじかな?

39: 世界@名無史さん 02/07/18 23:10
カリフ(アラビア語「ハリーファ」)って単語自体の意味は「代理人」で「神の使徒の代理(ハリーファ・ラスールッラー)」が原義で、イスラム教徒の司令官という意味はカリフの帯びる代表的な称号である「信徒たちの司令官(アミール・アルムーミニーン)」のほう。
アミール(エミール)は将軍・司令官の意味で今もペルシア湾岸の「首長」と訳されてる連中が名乗っているのがこれ。

イマームは「指導者」という意味でスンナ派では普通、礼拝の指導者(導師)のことを、シーア派やハワーリジュ派ではカリフに相当する信徒共同体の指導者を指す。

スルタンは原義では「権力者」を意味し君主の美称?だったが、セルジューク朝君主がアッバース朝カリフに授けられて以来スンナ派で世俗的な権力を持つ君主の称号になった。
現在はオマーンやブルネイやマレーシアの各州の王がスルタンを名乗る。

3: 世界@名無史さん 02/06/01 20:24
カリフがいたら今でもイスラムでの教皇みたいな立場だったんだろうな

19: 世界@名無史さん 02/06/13 18:28
12イマームで自然死した人っているのでしょうか?
十二イマーム派は、イスラム教シーア派の一派。イラン、イラク、アゼルバイジャン、レバノンなどに分布し、イランの国教でもある。

シーア派諸派の中では最も信者の数が多い最大派であり、そのために外部の観察者からはシーア派の主流派と見られることも多く、日本では報道などで単に「シーア派」といった場合は十二イマーム派を指すことがほとんどである。

十二イマームという名前は、歴史上12人のイマーム(シーア派指導者)が現れたことによる。
十二イマーム派においては、シーア派指導者であるイマームの地位は、初代アリー(661年没)以降、十二代目までムハンマドの子孫によって継承された。
そして十二代イマームの時、そのイマームが人々の前から姿を消した。これは言葉通りの意味ではなく、世界の内側もしくは存在の見えぬ次元に「隠れ」た、とする(9世紀おわりから10世紀初頭)。この「隠れ」(ガイバ)の状態は現在に至っても続いており、最終的には最後の審判の日にイマームは再臨すると信じられている。

102: 世界@名無史さん 02/07/30 05:21
>>19
毒殺が5人でその他6が戦死、刑死、暗殺、1名が消えたということで、
12人全員自然死でない模様(12代目を死亡とは言ってはいけないんでしょうけど)。
第2代のアル・ハサンは違うと思ったんですけどね。

29: 世界@名無史さん 02/07/18 04:08
カリフって結局何人いたの?
バグダッドとカイロとグラナダの3人だけ?
マラケシュにいたのは何て称号だったのでしょうか。

30: 世界@名無史さん 02/07/18 12:13
一般に、同時代に並立したのは3王朝という理解では?
○アッバース朝(バグダード)
○後ウマイヤ朝(コルドバ)
○ファーティマ朝(カイロ)

マラケシュのムラービト朝は、後ウマイヤ朝後の成立ですが、「アミール・アル・ムスリーミーン」と名乗っていたとのこと。
カリフの別称は「アミール・アル・ムウミニーン」で、どちらも意味は『信徒の長』ですが、ムラービト朝はアッバース朝のカリフ権を認めていたようだし、カリフには数えてないみたいですが。

31: 世界@名無史さん 02/07/18 19:09
結局最終的にはオスマン皇帝がカリフを兼ねる形で近代を迎えるって解釈で良いのでしょうか?

東はスルタンやらシャーやらハンがいるけど西は馴染みうすいもんなあ。
コルドバは内紛で自滅したんだよね。グラナダにいたのは??

33: 世界@名無史さん 02/07/18 21:33
>>31
ムラービト朝を滅ぼしたムワッヒド朝はアッバース朝の権威を否定した上アミール・アルムーミニーンを名乗っているからカリフを自称していたと見なすようです。
でも近現代になるとアミール・アルムーミニーンをブハラのアミールだのタリバンの指導者だのが名乗ってたりするからどう解釈して良いのかよくわからんところ。
ナスル朝(いわゆるグラナダ王国)はただのアミール(長、将軍、太守)だったはず。
オスマン朝のスルタンは前近代は漠然と「両聖都(メッカ、メディナ)の守護者」とか「ムスリムの保護者」とか名乗っているだけで、はっきりカリフを自称しイスラム世界全体に対する権威を主張するのは近代に入ってからだったというのが最近の見解。

41: 30 02/07/18 23:32
>>33
ムワッヒド朝は、自称カリフか。
ベルベル系王朝なのにクライシュ族の血は入っていたんでしょうか?

45: 世界@名無史さん 02/07/19 01:44
>>41
シーア派は血の継承性を重要視するからね。
それがイランやインドで受け入れられたんだろう。
東方イスラムに特長的な聖者信仰とも繋がる。
現実に生きた人に帰依したいものなんだよ人間は。
そのためにはアリーの血が最大のシンボルになる。
本願寺の住職が親鸞の子孫であるのと同じ。

135: 世界@名無史さん 02/08/19 16:16
ヨルダンのハーシム家ってムハンマドの一族?

136: 世界@名無史さん 02/08/19 20:45
>>135
ムハンマドの従兄弟アリーと娘ファーティマの間の子ハサンの子孫らしい。
実際、10世紀から20世紀初めまで聖地メッカの支配者として敬意を払われてきた家系。

137: 世界@名無史さん 02/08/20 16:58
ヨルダンの初代国王は、メッカの「太守」ムハンマドの息子。
ホラ『アラビアのロレンス』に出てきたあいつだよ、あいつ。
この「太守」という称号はなんなんでしょう?
たしかシャリーフ(ムハンマドの子孫)として敬われていたはず。

138: 世界@名無史さん 02/08/20 22:34
ムハンマドじゃなくてフサインでしょ。
フサイン=マクマホン協定のフサイン。
日本語で太守と称されるのは
シャリーフはオスマン帝国の主権下でメッカの行政を担っていたからじゃないの。

139: 世界@名無史さん 02/08/21 04:59
シャリーフの中の色んな家系がマッカのアミールをしてきたし、マッカを含むヒジャーズは概ねエジプトの支配者に属してきたので、10世紀の間、聖地マッカの「守護者」だったいうのは、現ヨルダン王家の宣伝ですよ。

143: 世界@名無史さん 02/09/21 19:11
サウディアラビア王国国王
ファハド・ビン・アブドルアジズ・アル・サウード
二聖モスクの守護者になるんですね。
英語だと、
Custodian of the Two Holy Mosques
King Fahd bin Abdulaziz Al Saud
です。

147: 世界@名無史さん 02/09/21 20:18
しかしまあなんだね
イスラム社会の統治って何重もの権威や権力が重なり合ってて複雑だねえ。
単純に王様がいて国を統治してるという感じではないのね。

まあ、それ言ったら日本の天皇やら幕府やら関白やら執権やらも充分すぎるほど複雑か。

309: 世界@名無史さん 04/05/15 15:20
いまの勢力を考えれば、選挙でカリフ決めたらインドネシア系がカリフになりそう

310: 世界@名無史さん 04/05/21 00:01
っとおもったら、クライシュ族しかなれないんですね
クライシュ族は、4世紀頃からメッカ近郊を勢力圏として遊牧および交易を行っていたアラブ人の部族であり、イスラム教の創始者である預言者ムハンマドの出身部族として知られている。その一方でクライシュ族はムハンマドの布教活動を迫害し続けたイスラームの敵対者でもあり、クルアーンの中にもクライシュ族はしばしば登場する。

預言者ムハンマドがクライシュ族であったことから、伝統的にムスリムの最高指導者であるカリフ(ハリーファ)はクライシュ族でなければならないという意見は根強い。とりわけシーア派はムハンマドの従兄弟・娘婿のアリーとその子孫のみが女系でも男系でもムハンマドに最も近縁であり、唯一ムスリムの指導者たる資格があると主張した。

対してスンナ派は初期カリフがクライシュ族内から互選で選ばれたことから、ムハンマドとの血縁の近さは必ずしも絶対的なものではないとし、クライシュ族であれば多少血縁が遠くても良いとする。そのためややムハンマドとは血縁が薄いウマイヤ朝、アッバース朝の統治を認めた。

またスンナ派世界では後にはクライシュ族でなくともカリフを名乗るものが出始め、最終的にはトルコ人のオスマン家がカリフを称するに至ったため、クライシュ族の血の論理も崩壊したといえる。


313: 世界@名無史さん 04/07/10 06:13
法的な「カリフ」観を厳密かつ包括的に論考として纏めたのは、11世紀のシャーフィイー派の法学者マーワルディーとハンバリー派の法学者アブー・ヤァラーだそうな。
それによるとウンマには「カリフ選挙人」と「カリフ有資格者」の二集団があって、その中ならカリフが選ばれるんだそうな。
そのカリフ選挙人の資格の中に「クライシュ族の出自」が含まれてるらしい。

322: 世界@名無史さん 04/08/18 17:32
遅レスになったけど>>313の続きをば。

マーワルディーとアブー・ヤァラーは、ウンマから選別されたカリフ選挙人(ahl al-ikhtiyaar)とカリフ有資格者(ahl al-imaama)にはそれぞれ資格が規定されるとしてるそうな。それによると両者の見解ではともに
選挙人の条件は、
1)公正(`adaala)
2)カリフの満たすべき諸資格についての知識
3)カリフに相応しい候補者の腹案を持つこと、の三つを挙げている。

カリフ候補者の条件について、マーワルディーは、
1)公正さ
2)イスラームの知識
3)聴覚、視覚、発話能力の健全
4)運動能力、身体的健康
5)政治的見識
6)武勇
7)クライシュ族の出自、の7つを挙げている。

同じくアブー・ヤァラーは、
1)クライシュ族の出自
2)裁判官となりうる資格をもつこと、即ち自由人、成人、正気、イスラームの知識、公正さを兼ね備えること
3)戦争、政治、ハッド刑を私情を交えずに執り行うこと、ウンマの防衛に剛毅であること
4)イスラーム的知識、宗教心(diin)においてウンマの中で最も卓越した者の一人であること、
の4つを数えている。

314: 世界@名無史さん 04/07/19 09:57
>>313
だとすると、現在の有資格者は、モロッコとヨルダンの王族と…
あと、だれがいる?

しかし、スンニー派がなぜ「クライシュ族」にそこまでこだわるのかね?
無秩序に誰もかれもがカリフ位を要求する事態を避けたかったのか?
ローゼンタール『中世イスラムの政治思想』(みすず書房)には、要するに強い者がカリフになるのだ!という説が紹介されていたような。

315: 世界@名無史さん 04/07/20 11:56
>>314
アリーとムハンマドの娘の子孫ということなら王室を除いても掃いて捨てるほどいるかと。
イラン人だけどホメイニがそうだったし、たしかハメネイも。

318: 世界@名無史さん 04/07/21 00:56
シーア派における「アーヤトゥッラー」(アッラーの印)の属性には、アリーとムハンマドの妻(アーイシャですな)の子孫という資格が必要なんですか?それともたまたまホメイニなりハメネイなりが「アリーとムハンマドの娘の子孫」だとされていることが、彼らの権威付けに付随的に利用されている「だけ」なのでしょうか?

私の今までの理解では、シーア派(12イマーム派)におけるアーヤトゥッラーの資格としては、既に大きなお隠れになった12番目のイマームの指令を正しく聞くことが出来る者、で、血統は無関係だと思っておったのですが。

さらにハタミ(ペルシア語の長音記号の付け方を知らないので慣用のまま)が!

320: 世界@名無史さん 04/07/21 02:28
>>318
資格じゃないと思いますが、(おそらくは血統を重んずる伝統のおかげで)単に、代々アーヤトッラーを出すような法学者の家系でサイイドは珍しくないという状況ということです。
>>315ではたまたま最高指導者の名前があがってますが、別にムハンマドの子孫であることはそう珍しくもないので特に個々の権威付けに利用されてるわけでもないでしょう。
ハーメネイーのオフィシャルウェブサイトのBiographyをみてもホメイニーの言葉は権威付けに引用されまくってるのに対して、わが血統はムハンマドに連なるなどとは特に書いていません。
そういえば中央アジアのほうではスーフィーがサイイドだらけらしい。
サイイドは宗教指導者に対する一般的な尊称でもあるので、単純な尊称がいつのまにか預言者の子孫を意味するように変わったのかも。

328: 世界@名無史さん 04/12/25 23:36:23
カリフを皇帝と訳すのはどうなんだろうか?
スルタンは征夷大将軍が一番適当な訳語っぽいけど。

329: 世界@名無史さん 04/12/26 13:45:16
訳語っていったら
アミールとかガーズィーとかはどーなるんでしょうかね?

335: 世界@名無史さん 05/01/20 11:11:45 0
カリフって言葉は結局、「皇帝」を意識してたんだな。
キスラー(ホスロー)やカイサル(カエサル)の代わりの称号、らしいし。

336: 世界@名無史さん 05/01/20 19:52:12 0
カリフ(ハリーファ)がホスロウやカエサル号の代わり?
そんな話は寡聞して聞かないのだが・・・誰かそんな事を書いていたろうか(汗

ペルシア語圏やトルコ語圏だったら「皇帝」的な意味あいの称号はあるけど、アラビア語にこれと似たニュアンスの言葉を探すのは難しい。

「アミール」は意味的には「司令者」のことだからカリフやスルターンの下位にあって地方総督やペルシア湾岸の地方君主の称号たりうる。
そのため「アミール・アル・ウマラー(諸アミールの(を束ねる)アミール=大アミール)」という言葉が出てくる。

「スルターン」は「支配者」「君主」の意味で、ニュアンス的には「諸王がいてそのうえに皇帝がいる」というよりは「一国に唯一人しかいない全てを総覧する君主」が地方に代理人たる地方総督たちを派遣し、その通り一国全体を総覧し支配する。という感じか。
(ガズナ朝やセルジューク朝の君主号として有名だが両方ともトルコ系なのが興味深い。)

だから例えば王家が地方ごとに乱立していたティムール朝でも、ティムールの子孫「ミールザー」たちティムール朝一族全体を総括する宗主の地位を獲得した人物は、「スルターン・某・ミールザー」と呼ばれ、だいたいその時代に一人だけの称号だった。
アミールみたいな「スルターン・アル・サラーティーン(諸スルターンのスルターン)」みたいな称号をなのる人物はまず聞かれない。
(オスマン朝のスルターンにはいたような気がするがアラビア語のレトリックとはたぶん微妙に違う)

337: 世界@名無史さん 05/01/20 20:35:02 0
「カリフ(ハリーファ)」は文字通りには「代理人」のことで、民事的な代理人一般でもつかわれてる言葉だが、単体で使われるいわゆる「カリフ」の意味では「(神の使徒・預言者ムハンマドの)代理人」の意味。

理念的には、狭義のイスラーム共同体のみならず全人類を教導する大権を預言者ムハンマドから継承した「代理人」であるので、ホスロウやカエサル的な「皇帝」と同列的考えるよりは、牧者イエス・キリストから司牧権諸々を受け継いだローマ「教皇」のような感じに近いか。
(聖権と俗権の分立問題があるのでこれも問題があるが・・・)

むしろ昔の概説書の「教皇」に「カリフ」とルビをふっていたり、仏教的な意味での「教主」とか「教皇」とか金転輪「聖王or法王」みたいなものであれば聖俗両方の問題も解決しそうだがこれも難しいか。

(カリフの別称が「アミール・アル・ムウミニーン(信徒たちの司令者)」なので統治者・支配者というよりは「教導者」というべきか)

340: 世界@名無史さん 05/01/26 00:03:12 0
>>337
ビザンツは知らんのかな?
ビザンツ皇帝とカリフは結構似てると思うがどうよ。

341: 世界@名無史さん 05/01/26 06:46:48 0
>>340
「カリフ」というものを比べるとき、ビザンツ皇帝と神聖ローマ皇帝+ローマ教皇の質的な違いがよく分かりません。カエサロパピスムとか昔習いましたが・・・
カリフとの近似云々は、支配者としての共通性の問題である気がしてならず、それを言い出したら、むしろ中国の皇帝や日本の天皇に似ている感じさえします。
(これは「カリフ」とうものの理念的な問題であって、ウマイヤ朝やアッバース朝や、後ウマイヤ朝、ファーティマ朝といったの個々の支配体制上の事例の問題ではありません)

サーサーン朝皇帝との近似性だったら分かりますが、カリフとなるとちょっと。
アッバース朝の初期のカリフたちは支配体制をサーサーン朝やビザンツ帝国の構造を模範にしていたところが多分にあるのでその意味ではわかりますが。

346: 世界@名無史さん 05/01/27 14:25:03 0
>>344
てことは、正統カリフ時代から既にムスリムの長は両帝国の最高君主より自分の方が偉い、とか思ってたのかな?

あと東ローマ帝国における皇帝称号の一つである「キリスト教徒の王」を意識してカリフが「信徒たちの長」を名乗ったってこともあったりして?
…こじつけっぽいか。

342: 世界@名無史さん 05/01/26 09:23:44 0
正統カリフ時代、マリクやアミールが「冊封」されてたってことは無いのかな?
正統カリフは、イスラム教・イスラム帝国の初期の時代においてイスラム共同体(ウンマ)を率いたカリフのことを指すスンナ派の用語である。
661年にアリーがハワーリジュ派に暗殺された後、ウマイヤ家のムアーウィヤが実力でカリフ位に就いてウマイヤ朝を興した。ムアーウィヤはカリフ位世襲の道を開いたため、正統カリフの時代は終焉した。



344: 世界@名無史さん 05/01/27 10:38:11 0
>>342
「預言者ムハンマドは王(マリク)を称しなかった」というハディースがあるように、サーサーン朝皇帝やビザンツ皇帝などを指して「マリク」とは呼んでも、基本的にムスリム自身が「マリク」号を用いる例は稀です。
正統カリフ時代の地方総督たちや、アッバース朝時代のサーマーン朝などの独立的な地方君主は「カリフのアミール」を称していました。
唐代などの都督の任命を「冊封」と称したのであれば、近い感じもしますが、イスラームの行政観念では「封土を安堵された」というよりも、一定領域の「人民」の保護義務、その代価としての保護税・人頭税の徴税権、駐留軍の軍事的指揮権を委任されていました。

ウマイヤ朝の始祖ムアーウィヤも、もとは正統カリフ・アブー・バクルの時代に、対ビザンツ戦で兄ヤズィードとともにシリア戦線へ派遣され、兄の病没後シリア総督になったのがシリアに拠点をもつきっかけになりました。
初代エジプト総督アムル・ブン・アースは同じくアブー・バクルの時代にシリア・エジプト遠征軍司令として派遣され、ウスマーンの時代に罷免され紆余曲折がありながらもムアーウィヤの時代になってからは没年まで復任していたそうです。

初期には地方総督としてのアミールは世襲的でなかったようですが、不勉強で詳しくは存じません。

引用元: ・カリフ、イマームについての話