奥の「本堂」(重文)までやって来ました。
本尊は、弥勒菩薩。弥勒堂とも
呼ばれているそうです。弥勒菩薩は、
1192年に快慶が造ったものです。
本堂と純浄観との間には、
砂地に面白い形の島が
浮かんでいました。
秀吉なので、瓢箪の形
かも知れませんね。
本堂の前には、砂地に二つの円。
奥の方には、置石が散在してます。
本堂から、純浄観を通って「奥宸殿」(重文)に来ました。
そこから見た「純浄観」ですが、床下が高くてその下に
池の水が続いていることが分かります。
というか、中庭の方にも池が続いているのですね。
多分、池が先に造られて、後に「純浄観」を移築した
為に、床下を高くしたのでしょう。
奥宸殿の先には、茶室があります。
「松月亭」と呼ばれています。
茶室の下までも池が続いています。
座主の居住空間である奥宸殿は、
江戸時代初期の建築物ですから、
池に沿って造られたのでしょうね。
襖の裏側には、豊臣家の家紋である
桐が大胆に描かれています。
左の建物の「純浄観」が右の「表書院」よりも
高い位置なのは、池を跨ぐために床下を高くした
ためだったのですね。
「奥宸殿」の内部です。
左側の違い棚は「醍醐棚」と呼ばれていて、
修学院離宮の「霞棚」、桂離宮の「桂棚」と共に
天下の三大名棚と称されているとのことでした。
「奥宸殿」から廊下を隔てて、
正面に垣間見る「藤戸石」の
堂々たる姿が良かったです。
順路を通って玄関まで戻って来ました。
桜の馬場に出て見る、「唐門」(国宝)です。
天皇家を表わす菊のご紋と、
豊臣家の桐の御紋が輝いています。
勅使門として、こんなに目立つ門を
私は他に知りません。
しばしの間、仁王門の方を眺めてから、
醍醐寺を後にしました。
(終わり)
テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真
- 2022/07/24(日) 00:00:01|
- 京都 洛南
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