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旧道をゆく 諫早-大村 

サるくリング~自転車散歩
06 /27 2017
大正から昭和にかけて発行された長崎の地図が
手に入ったので、当時の主要道路をルートラボに
トレースし、実際に走ってみる事にした。



(※右クリック、新しいウィンドウで開いて見ると、
どこの話かわかりやす子です)


まだ自動車が普及していなかった頃の道路を見ると
いろいろ発見があって面白い。

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現在は人通りさえない細い道が主要道路だったり、
中途半端な意味のない側道が、旧道の跡だったり。

大きく開発された所は、細かい部分の道の繋がりが
判らないので、古い航空写真などと見比べて推測、
判断し、ルートを書き込んでゆく。

もう、この作業だけで結構楽しい。
新しい遊びを見つけた子どもと一緒。

何より金がかからないのが一番よい!

だがこういうマニアックな趣味は、なかなか人には
理解されない孤独なものだ。

淋しい時は、お気に入りのぬいぐるみに、赤ちゃん
言葉で話しかけながら作業をするといいだろう。


今回は、諫早から大村へのルートを辿ってみまちゅよ。
 

まずは、諫早駅近くにある、諫早神社をスタート。
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そばに架かる四面橋を渡る。
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河川敷は遊歩道。以前は時々自転車で散歩していたが
最近は来ない。道はきれいに補修されているようだ。

本名川沿いの東側の道を北上する。
しょっぱなから、まさかのルート。
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ここが昔は幹線道路だったとは。

諫早駅の裏(西側)の方は、線路と狭い路地しか無かった。

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川沿いの岩屋観音社。何か様子が変。
そうか、入口の大きな赤い鳥居が無いぞ!
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これはどうした事だ!鳥居窃盗団ZXに盗まれたのか?

コンクリートの鳥居だったが、中心には、木材の芯が
入っていたようだ。中の木は古い鳥居なのだろうか。

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生き埋めポッキー工法と名付けた。

どうやら上の方が崖の補修工事中で、重機が入れるよう
鳥居は一旦撤去されていたようだ。
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昔、この並びにあったスナックが面白かった。
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若くは無いママと従業員は、客がカラオケを歌うと
ふたり並んで 「エイッ!」と言って拍手をする。
「イェーイ!」と言ってるつもりらしかった。

忙しい時は、何か作業をしながら無表情のまま
「エイッ!」と言うので、さらに面白かった。
昔はよく笑っていたなあ。

JR高架橋の付近まで、河川敷の遊歩道が続く。
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真ん中にある中古車屋さんの右側が旧道。
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何でこの脇道が存在するのか、初めてわかった。

以前、ここへクルマ探しに来たことがあったが、
ほとんどのクルマにコケが生えていた。
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オヤジに話しかけられる前にダッシュで逃げた。

ここは中洲になっていて、湿気が多いのだろう。


右奥には、多良岳山系の山々。
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左側、川の向うに旧国道34号線。現在は県道に格下げ。
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新幹線の高架もだいぶ出来ている。


ここ、本明(ほんみょう)地区は、諫早で一番早く開けた
稲作の集落と言われている。
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秋には、たわわわに実った稲を見るのが楽しみ。その割に写真は無い。
(※これは10年以上前に撮影したもの)


その水田のド真ん中を、新幹線が横切っていく。
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なんだかなぁ~


この道は、けっこう地元のクルマは通るのだが、
いまだにガードレールは無い。
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もしもクルマにぶつかりそうになった時、
川に飛び込みやすいようにだろうか。


平松神社の前の道から、橋を渡って川向こうへ。
ここは地元の人以外は通る理由がない橋。
自転車で通るのも3回目くらいかも。
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JRと旧国道34号線を横断し、細い裏道へ。

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崖下の狭い土地に、取り残されたような建物。
何かの店舗だったのか。
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旧道は、左奥の細い道!


ここが主要道路だったとは、お天道さまでも思うまい。
そりゃまあ、太陽が思考するはずも無いが。
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その前に、ほとんどの人はこの道を知らないだろう。


県道の横に出る。対面通行の細い道なので、県道から
見ると、クルマが歩道を逆走しているように見える。

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崖の下の細い土地に家が並ぶ。
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山から下りてくる今の国道の高架橋は、片側2車線の
予定だったが、住民の反対で片側1車線に縮小。
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橋桁も道路の敷地も、半分は使われないままに、
30年以上が過ぎた。
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旧道はその下の日陰を通る。


滅多に来ることのない谷間の辻に仏様。
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旧道の横の道だが、いい雰囲気。
たぶん、右が弘法堂、左が馬頭観音。それと円を
描いた石碑があるが、何なのか判らない。


今まで見た馬頭観音の中で、一番優しい尊顔。
摩耗の影響もあるのかもしれないが。
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諫早中心部は、こういう野の神仏に関するまとまった
資料が無い。誰にも判らなくなる前に地元の協力を
得て、記録を残した方がいい。

これは前回も言ったか。


ここからしばらくは国道34号線を進む。
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この先は片側が崖で、片側は谷。ルートの変えようが無い。
やっと2車線になり、自転車もだいぶ走りやすくなったが、
まだ途中まで。


鈴田峠を越えると、右側に長崎成田山長大寺がある。
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旧道は、大岩を右に回り込むので、この敷地に
入り込んでいたはず。

犬コロが狂ったように吠えるので、噛み殺されそうで
奥の方まで見に行けなかった。


大岩の向こうには、最近リニューアルされた
道の駅 長崎街道鈴田峠
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実際は旧長崎街道からははずれているのだが、
黙っておいてあげよう。


旧道は、大岩の奥からこの敷地内に出て
くるはずだが、そんなに広い場所は無い。
どうなっているのだろう。

駐車場奥の崖の上に、白いものがチラッと見える。
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(^ρ^) パンツだろうか?

いや、ガードレールかもしれない。
旧道のものが残っているのかも。

崖をあっちからこっちから登ろうとするのだが、
もう、おじいちゃんなので足が上がらない。

勢いをつけたら、カメラが崖にガン!と当たり、
りゅう◯ぇるのような声が出た。

仕方ないので、駐車場から丸見えだが、国道側から
崖の上の植え込みの奥をガサゴソと進んで行った。


うむ、やはりガードレールだ!
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残念!パンツではなかった。

予想通り、旧道は道の駅の駐車場の奥からぐるっと
回り込んで、また現在の国道付近に出ていたらしい。

と、言うことは、旧道のあった土地をぎりぎりまで
削って、道の駅の敷地を広げたという事だろう。

茂みから出てきた私のズボンには、バカと呼ばれる
草の種子がいっぱいついていた。
また庭に見知らぬ雑草が増える事になりそうだ。


そして旧道は、「キッチンすずたとうげ」の敷地に
入って出て行く。戦後の航空写真でそう判断した。

この敷地内のカーブは旧道の名残りだったようだ。
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「ベルギーワッつル」とはどんな食べ物だろう。
絵はワッフルのようだが。


ちなみに国道34号線は、最初、道向こうの道路公園の
崖沿いを通っていたが、カーブがきつかったためか、
途中で現在のルートに変更されている。
確か、わしらが若かった頃の事じゃったと思う。


JRのトンネル上を過ぎたら、左折して踏切を渡る。

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この先は、諫早から続く旧長崎街道の一部。

大神宮は、以前は古松権現という神社だったが、
明治の神仏分離令で、大神宮に変えられた。
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社殿は崖の上。急な石段を登っていく。


古松権現は高いところから谷間の集落を見守って
いたのだろう。
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今は高速道路の高架の方が高いけれど。
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国道を横断して鈴田小学校の方へ向かう。

国道は交通量が多く、自分ひとりのために仕事中の
人のクルマを信号で止めるのは、ちょっと気が引ける。

朝の出勤時に、散歩中のじいさんが押しボタン式
信号でクルマを止めるので、「散歩は朝の5時から
せんかーい!」
と思っているからだ。

誰だか判らないように、レジ袋に目鼻口の穴をあけ、
頭にかぶって渡ればいいかもしれない。
しかし、半透明の袋だと顔がバレるので、まず顔を
迷彩色に塗ってから袋をかぶるといいだろう。


鈴田川に出たら川沿いに国道まで真っすぐ行くのだが、
予定のコースは新幹線の工事で通行止め。
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しかたなく迂回。間違って鵜飼いしないように注意する。

セブンイレブンの先から国道へ出る。
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海側へ横断したいのだが、信号が無いのでクルマが
切れるまで待つ。しかし夕方の混雑で全然切れない。
3分くらい待っても切れない。

結局分の方がキレて、けっこう遠い横断歩道まで
戻ってやっと渡った。今度は当然のように渡った。


JRの踏切を過ぎて鈴田川に架かる橋を渡る。
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河口の水田地帯は、そろそろ黄昏れ時。

岩松駅に夕陽を浴びて佇む列車は、ななつ星だった。
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単線なので、列車待ち合い中らしい。

ああ、一度くらい、こんな贅沢な列車で旅に出たかったなあ‥。


しかしこれで、時間的に3月の散歩だった事がバレたようだね
明智くん!ハッハッハ、また会おう!


コースは川沿いをしばらく進み、また川の向こうへ戻る。

一本はずれたこの道は、まずもって通ることはない。
近道でもないし、道がいいわけでもないから。
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しかし、実際に走ってみると、まっすぐ県道の踏切に
出る事がわかった。今の国道がなければ最短コース。

それに、水門越しの夕陽の光景もなかなかのものだった。
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ここは県道だが、新しい道路ができてからは、JRの
踏切の向こうが歩道になって、クルマは行き止まり。
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何年か前、ゴキブリのような真っ黒の実用オートバイで
無理やりここを横断するオヤジがいたが、熊のような
強そうなオヤジだったので見ない振りをした。


夕暮れがきれいで、アホみたいに写真を撮りまくった。
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国道へ出て、丘の手前にあるGSから海側へ曲がる。

こっちは以前よく通った裏道。最近は何度も曲がるのが
面倒になり、真っすぐ丘を越える事がほとんど。


市街地に出て、大村公園へ。海岸のところでゴール。
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おつかれでちゅ。


大正時代の道は、細くて曲がってのんびりした道だった。
現代の道は、スピード優先、効率優先のせわしない道。

散歩するなら断然、暮らしが感じられる旧道がいい。


ここ最近、町はまた急速に姿を変えている。
まあ、みんな昔から少しづつ変わってはいるのだが。

自分達の時代に出来て、もう無くなったものも多い。
好きな風景が知らない内に消えている事もある。
寂しくなる事がだんだん増えてくる。

でも、変わってゆくスピードに対抗する方法もある。
好きな風景を、もっともっと探して増やせばいい。

そう、出来る限り、散歩をするしか無い!

きょうも散歩人SAMPARは、町を、村を、山を往く!


う~ん、今回はちょっと、諸行無常を感じる散歩だったかも。

鳴滝の月玉神社?

古かもん見てさる記
06 /25 2017
長崎市鳴滝2丁目 片渕中学校の丘の中腹に、
月玉神社という変わった名の神社がある。

グーグルの地図で見つけた。

月玉神社なんて聞いたことが無い。読み方も不明。
昔の長崎の風流な文化から生まれた神様なのか?
ネット検索しても、ここの事しか出てこない。

グーグル以外の地図を見ても、月玉神社だ。
平成28年10月の、長崎史談会主催の史跡めぐりにも
月玉神社とあるので、間違いでは無いのだろう。

気になるので、以前、何かのついでに行ってみた。

階段を上がった崖の上に、それらしい建物があった。
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小じんまりとした社殿で、一見普通の家に見える。
隣の住宅とぴったりくっついていた。

これは鳥居の跡らしい。
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社殿正面の軒下に、それだけがちょっと古そうな神額。
建て替え時に、古い社殿からはずしたように思える。
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右から、月 玉と彫られているようだ。

近所の人に話を聞きたかったが、夕方で誰も外にいない。
階段の町なので自転車も通らない。

他の用事もあってこの日は退却し、しばらく忘れていた。


ある日、また思い出して、この時に撮った神社の写真を
見ていたのだが、どうも何か引っかかる。

魚の骨だろうか。いや、違う気がする。

そうだ!
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これは、「月」では無く、くずし字の「舟」だろう!

本当は舟玉神社ではないのか?


舟玉は、船霊(ふなだま)様と呼ばれる神様のこと。

船霊神社は全国にあり、元々は海上安全を祈願する神社。
舟玉、船玉、船魂などいろいろな書き方がある。

しかし、長崎では昔から、海の神様は金比羅神社だ。
諏訪神社の背後の山、金比羅山の上にある。
その他にもたくさんある。

船霊神社は県内には見当たらないが、漁民は、舟に
船霊様を乗せて安全祈願をしたという話を聞く。

諫早でも、漁をする小舟は、フナダマ様のご神体を
舟の専用スペースに納めていたそうだ。


ウ、ウエキ ゅペヂヤ^ー等によると、漁民の他、船員や
船大工
も船霊様を祀っていたらしい。

だが、ここは海からは離れている。
以前、この地域にまとまって移住した人達がいて、
先祖の祀る神様を勧請したのかも知れない。

これはよく調べてみないと判らない。

しかし、例えば神社が一度途絶えて再興したとしても、
神社の名が忘れられる事などあるのだろうか。
「舟玉」が「月玉」に変わる事が。

いずれにしても「金」ではなくて、本当によかった。


よ~し、これは再調査だ!

きょう、雨が上がったので行ってみた。
前回とほぼおなじ状態で、鳥居も無いまま。
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よく見ると、隣の家と社殿は中で続いているようだ。
当然、ここの家の人がお世話をしていたのだろう。


近所の人がいたので神社名を尋ねると、少し考えて、
やはり「月玉(つきたま)神社」だと答えた。

現在はもう、やめているとの事だ。

神社をやめると言うのも変な感じだが、氏神様では
なく、個人の方が祀られていた事がこれで判った。

やめたというのは、事情があるという事だろうし、
隣の家をわざわざ訪問するのは控えた。


手がかりを探していたら、社殿の裏にスペースがあり、
石塔が祀られているのが見えた。古そうだ。

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亨保十六年 一石一字経之塔 と彫ってある。
西暦だと1733年 徳川吉宗の時代。

一石一字経は、調べたら一般的には一字一石経と言い
お経の文字を一文字づつ沢山の小石に書いたもので、
それを埋めて塔を建て、何かの供養をしたらしい。

もうひとつの石塔は、所々しか読めなかったが、
横に、亨保十七年八月十九日とあった。

どちらも仏教関係のようだ。昔は神社も寺も一緒の、
神仏混淆(こんこう)というスタイルが普通だった。

やはり神社自体は古いものなのだろう。


谷の下に行ってみる。
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ここは県営住宅の廃墟だろう。長崎県マークがある。
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以前は県営バスの車体にもこのマークがついていた。

 
鳴滝川。雨上がりで水の音がドウドウと響いている。
低音が反響してうるさいくらい。
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昔は、平堰(ひらいで)と言う地名だったが、水が
落ちる音から「鳴滝」と名付けられたと言う。

地下水も多く、長崎大水害の時は被害が大きかった。


地元の年配の方に会ったので、神社のことを訊いてみた。

やはり名称は「月玉(つきたま)神社」だそうだ。

何十年か前まで、神社の隣の家の老夫婦が祀って
いたとの事だった。二人が亡くなってからは後を
引き継ぐ者がなく、祀られなくなったらしい。

誰が参拝に来ていたのかと訊いたら、

「船乗りさんたちが来ていた」との事だった!


イ、イエエエエエエエーーーース!!

やっパリ、ロンドン、ニューヨーク!(←昭和)

神額の通り、ここは舟玉神社だったに違いない!


けっこう短い間に名称が変わってしまったのは
驚きだが、こういう事もある事がわかった。


「フナダマ神社」だったのなら、長崎では珍しい
はずなので、民俗学的には貴重な例だろう。

無くなるのは仕方のない事だが、伝える事は出来る。
今のうちに記録を残しておいた方がいいと思う。


田上(たがみ)近辺の高地を巡る

長崎地名的散歩
06 /22 2017
長崎市田上(たがみ)町は、山の上のジャンクション。



昔から交通の要衝ではあったが、近年には蛍茶屋から
小ヶ倉方面へ抜ける道路もつながり、混雑する市街地を
避けて野母崎や女神大橋へも早く行けるようになった。
山の上にある長崎自動車道インターにも近い。

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そんなわけで、ミーもけっこうクルマで通りはするのだが、
用事はないのでほとんど素通り。


さて、実は今回は、小島(こしま)から登ってきた前回の続き。
田上周辺の高地を散歩しつつ、地名を見てさるこう。
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子どもの頃、田上行きのバスがくると、指さして、
「田植え~!」ギャハハと笑うアホガキが必ずいた。
まあ、懐かしい思い出ではある。

しかしオトナになって、本当に田上(たうえ)という
名字があると知り、しかも長崎市長だと聞いて驚き、
数十年ぶりに「田植え~!」と言って笑った。

反省している。


「田の上」と書いてタガミだが、どこの田の上だろう。
途中は崖地ばかりで、畑ならあるが棚田はどこにも
見当たらない。

もしかして、タガミには他の意味があるのか?

そんな事は、今まで考えてもみなかった。
でも、考えた瞬間に判った。 

タガミはたぶん、地形通り「高まった所」を言う
「高み」の事だろうと思う。


普通、こういう所は、田尾などの、峠を意味する
地名が多いが、この近辺には見当たらない。

「小島(こしま)」と同様、ひねった地名シリーズか?


それにしても山登りで体が熱い。
冷たい炭酸飲料を飲みたくて酒屋の自販機に寄った。

ゴキュ!ビールがうまそう!!ああ~誘惑がぁ~!

いかん!そんな弱い心では悪魔につけ込まれるぞ!

はい、ノンアル。
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プシュぅぅ~!


田上には、合戦場(かっせんば)という古い地名が
あるのだが、山の上のさらに上の公園の所なので、
行きかけて途中で引き返した。 疲れるから。

大村軍と深堀軍が戦ったところと言われているが、
君はもうちょっと考えてから発言した方がいい。

両軍、鎧兜を着けて、山の上まで登って合戦?
たどり着く前にヘトヘトになってしまうだろう。
老兵だと途中で行先があの世に変わる。

合戦場という小字地名は、長崎県内の山の中
時々見かける。

とんでもない田舎にもあるので、たぶん地形地名
だろうと思って調べたら、どうも崖地の事らしい。

カッセンバを縮めると「カセバ」になる。

地名辞書には、カセは、傾ぐのカシと同義か、
と自信なさげに書いてある。
確かに「枷(かせ)」という字はカシとも読む。

何にせよ、カセは実際に崖地に多い地名らしい。

カセバという言葉があるのだろうかと調べたら、
「枷場」と書く人名がある事が判った。
「はさば」とも読むようだ。

名字があるのなら、その元の地名もあっただろう。

じゃあ、枷場(かせば)とは何か。

枷は、手かせ足かせの枷で、障害になるという
意味。 「スッゲー歩きにくい崖地」とか、
そんな意味だったかもしれない。

昔の刑具の「首かせ」というのは、上下分割した
木の板の合せ目に、首だけ通る切り欠きを
加工したもの。

垂直な大きい板の真中から、首が出た状態になる。
このかせが切り立った崖のようだからか。

グーグルストリートピューで確認したところでは、
確かに公園の下はえらい急坂で、東側は崖だ。
うーん、もう少し考えてみようか。



田上の近辺は、長崎の「高山ちほー」であり、
高くてやや平坦なところが細長く続いている。

平地が少ない長崎は、山の上にも街ができる。
ショッピングセンターや飲食店もセットだ。
病院も多いし、アイーン薬局もある。


円錐形の愛宕(あたご)山がある愛宕町
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アタゴは愛宕神社があるから地名も愛宕だと
思われがちだが、アタゴも元々は地形地名と
言われている。

アタ・アダは、あだける(落ちる)という古い
言葉から、崖や急斜面の事を言うそうだ。

ゴはよく判らないが、高い所を指す「タコ」のつく
地名はよくある。 アタ+タコの複合語である
可能性はないだろうか。


ホテル矢太樓(ヤタロウ)のある風頭(かざがしら)町
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ここは、笠頭(かさがしら)だったかもという説が、
一番濃厚チーズプリンだと思う。

カサは高い崖。その上の土地という事だろう。


北の方へ向かって進むと、白木(しろき)町
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白木のシロは、犬ではなく高所の平坦地。
キは場所のこと。

しかし、角川長崎地名大辞典では、白木町は
昭和になってつけられた町名だと書いてある。

長崎県の小字地名総覧にも白木は出てこない。

昔からの地名ではなかったのか?
意味は合っているのに、おっかしいな~と
思っていたら、長崎町尽しという本には、
古くからある地名だと書いてあった。

大手出版社の本でも、情報不足や間違いは
けっこうある。やはりいろいろ調べないと
何が正しいのか判らない事もあるようだ。


さて、白木町から田手原へ登るのだが、
思っていたより坂がきっつぅい!

これは失敗だ。クルマで通る時はぜんぜん
傾斜は気にしないので、考えていなかった。

まあ、距離は短いのでボチボチ登ろう。

つらいよう~ きついよう~ 飲みたいよう~
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田手原(たでわら)のタデはたぶん「タテ」で、
これも高所の平坦地の意味。立山なども同じ。

タ・デ・ワラ なのは、単にタテハラより
言いやすいのでそう変化したのだと思う。

原は、原野の事だろう。
地名がつけられた頃はまだ野っ原だったのかと
思ったが、現在もけっこう野っ原のようだ。
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そして、こっち方面の最後の目的地へ。

田手原からさらに峠をひとつ越えたところに、
重篭(じゅうろう)という農村集落がある。
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クルマで通る時、いつもバス停名が気になっていた。
古い地名で音読みというのも珍しい。
ジュウロウとは何だろうと考えるが判らない。

しかし、いつもとは逆に、漢字が正と仮定すると、
「重なった農地」とも読める。

これは、棚田や段々畑の事ではないのか?
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※篭は籠の略字 詳細は省くが、田畑の意味がある。
 「開拓農地」の意味が強いかもしれない。

航空写真とストビューで見てみると、たしかに
段々畑はある。

だがしかし!早合点承知の助はいかん!
よーく調べよう。

籠は(こもり)とも読み、囲まれた場所という
意味もある。
実際、周りを囲まれた地形であるのも事実。

それに、段々畑など珍しいものではない。本当に
大昔に開拓した手作りのものとかなら別だが。


類似の地名を探したら、佐世保市の世知原町に、
・十郎惣(じゅうろうそう)
・十郎木場(じゅうろうこば)
の、ふたつの小字を見つけた。
(その後、佐世保にあと2ヶ所あった)

それぞれ、古そうな段々畑がある!

・十郎惣 
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丘の下の方は整備された水田になっているが、
この辺りはいかにも古そうないびつな畑。

・十郎木場 (写真 右側)
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今は使われてない、効率の悪そうな畑。

これらは「囲まれた場所」では無かった。

う~ん。合っているのか、いないのか‥。


それを確かめるために、私は坂を登ってきた。
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石垣の石は、西彼杵半島でよく見かける
うすい板状の石が多い。
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不揃いなので、人力で集めたり掘り出したり
したものだろうと思われる。

段々畑は、いかにも開拓らしく手作り感満載。

石垣の部分に大岩。動かせないのでここを基準に
段々畑の高さが決まったのか。
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ここの開拓は大変な作業だったようだ。


重篭の集落から、谷を少し下った畑の遥か下に、
有料道路の料金所らしき所が見える。
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しばらくどこなのか見当がつかなかったが、
高速道路の長崎インターのようだ。
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山の上にあるのに、あんなに小さく見える!

GPSロガーは、標高270m前後を指していた。


ここを開拓した人達は、山の中で道具も充分には
揃わない中、苦労して畑を作ったように思われた。

そういえば、確か「苦労田」という小字地名が
どこかにあった。これに近いものか?

「重」には、重労働、重税など「容易では無い」
という意味もある。

「苦労して切り拓いた農地」と言う事が認められて
ついた地名の可能性はないだろうか。苦労を‥


ハッ!これはもしや、

苦労を通り越して、「じゅうろう」と言う事なのか?

(そんなわけ無かろう!


標高300mの峠をもう一度越えて町へ戻る。
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苔むしていい感じの切り通しを、涼し~い
風が、木の葉をさざめかせて吹きぬけていく。


白木町までスウィ~と下りて、矢の平へ。
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矢の平(やのひら)は、山の上からほとんど
真ーっすぐな谷が、麓の市街地まで続いている。
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地名の「矢」は真っ直ぐな様子を言う事が多い。
ヒラは平地では無く、崖や傾斜地のこと。
地形と地名が完全に一致する。

古い道は緩やかに曲がっているが、近年できた
バス道路は、名物になるくらいの一直線の急坂。
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間違っておむすびを落として転がってしまったら
どんどん加速していくに違いない。

最後は音速を超えて火の玉となり、麓で作業中の
バキュームカーのタンクに勢いよく激突して、
中身を全部ブチまけてしまうかも知れない!

昼めしは、転がらないカレーなどがいいだろう。


長崎の高地巡りはここまで。

実際に現地を見ないと傾斜具合や細かい点は判らない。
行けば何かしら発見がある。

自転車での山登りは大変だが、苦労して登った分、
景色もスンバラしく、弁当もウマシャス!
これは平地では味わえないもの。

そして、梅雨の晴れ間の山の上は、とにかく風が、
ヒョホホホホホ~と言うくらい気持ちよかった。
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矢の平の長い坂を下り、日見バイパスの峠を越え、
途中で本物のビールを買って、家に帰った。

山道なのに小島とは

長崎地名的散歩
06 /19 2017
旧長崎街道の脇街道のひとつに、茂木街道がある。

長崎市街にある正覚寺から、田上(たがみ)の峠を
越えて茂木町まで続く、ちょっと険しい道。
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その街道沿いに、小島(こしま)地区がある。

ここは範囲が広大で、東小島、中小島、西小島、
上小島の4つに分かれている。

低地から山の上まで長く続く斜面の丘に、現在は
多くの住宅や学校が立ち並ぶ。
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今回は、ここを田上まで登る。諫早から自走して
来たので、途中で力尽きて泣きながら帰る事に
なるかもしれないが、一応がんばる。
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正覚寺下電停そばにある川の中の建物。
どうすればこれで建築許可が下りるのだろう。
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何十年振りかに通る道。この辺りは自動車の年式
以外は昭和のままのような路地。
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古い住宅が売家になり、祀られていた神様も
どこかへ引っ越したようだ。
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21世紀になっても、まだ長屋は多い。
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この狭い道をクルマがビュンビュンカッ飛ばしてくる。
老人が端に寄って、道を譲っている。中国かよ。
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西部警察の片側だけタイヤが乗るジャンプ台で
ひっくり返って谷底へ落ちればいいのに。


仏の鎮座する境内の真正面にゴミ置き場があり、
中にゴミを投げ置くバチ当たり者がいるらしい。
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対策でフェンスを設置したようなのだが、かえって
仏様がゴミ箱に入っているように見えるのが哀しい。
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商店の跡。 昭和の頃には、学校帰りの中学生達が
買い食いして笑いあう声が響いていたのだろう。
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地名に興味を持ち始めると、
なんで山道なのに「小島」なんだ?
という疑問が湧く。

長崎七不思議に入っていないのが不思議な程だ。


地名の由来を調べてみると、

昔は一番低地の所が海で、沖に小島があったとか、
実は川の中に小島があったとか、人の名前からとか、
いかにも思いつきの後付けっぽいものばかりで
納得のいく説明を見ない。


往時の地理や暮らし、交通などを踏まえ、もっと
科学的に考えてみる必要があるだろう。

私は、「小島」の地名由来について、闇の大魔神
ゴンダラピーナ様に生贄を捧げ、お告げを待った。

その結果、

こしまは元々「越間」だったんじゃなーい?
という結論に達した。

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小島は、コジマでなく、コシマなのがポイント。

越 (こし)という地名は、丘や峠を越えるところに
よくつけられている。

 船越、打越、大越、越路 など。


小島は、街道の山越えの道、「越し道」沿いにある。

昔の道路は普通、川の氾濫や落石などの恐れが少ない、
高燥な丘の上や山の尾根に作られた。

そして人は、水のある川沿いの谷間に暮らし、畑を作り
溜池を作り、徐々に高い方へ縄張りを広げていく。

戦後の航空写真を見ても、谷間から丘の上へ
だんだん住宅が増えていった事が判る。
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国土地理院 空中写真サービス 昭和23年撮影分より


つまり、越し道沿いの、集落があった谷の部分を、
コシマ(越間)と言ったのではないだろうか。
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そう考えれば、地形的にすんごーく納得がいく。


越し道は一本では無く、橘湾側の潮見町への道や、
小ヶ倉方面へ抜ける道も昔からあっただろう。
越道が複数なら「越間」の可能性も強まる。


越間の地名をネットで探したが見つからなかった。
これは残念。しかし、人の名字には残っている。

名字の多くは地名からつけられたもの。越間という
地名は存在していただろう。


しかし、今はまだ思いつきレベルの話。
気が向いたらもっとよく調べてみたい。


もしそうだったとして、越間が小島に変えられたのは、
ななな何でだろう。どどどどうしてだろう。
おおおおにぎりをくく、いや、話がそれた。

丘の方まで家が建ち、谷間と言えなくなったからだろうか。
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地名の字面(じづら)、つまり見た感じが気に入らない時、
イイ感じの漢字に変える事が昔からあったと聞く。

越間は「腰の間」みたいでエッチーとか誰かが言ったのか。


長崎は、唯一海外文化が入る先進的な土地だったせいか、
ちょっとひねって気取ったような地名を時々見かける。

そういう影響もあったのかもしれない。


もうちょっとで頂上。
蔦のカラマルチャペールな床屋さんがあった。
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廃墟だと思って写真を撮っていたら、店内に灯りが
ついていて人影が見えたため、ダッシュで逃げた。


やっとこさ頂上の田上に到着。国立長崎病院の横に出た。
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アイーン薬局もある。
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山の上の木陰で、気持ちのいい風に吹かれながら食べる
くらさきの鯨カツが、いつもよりおいしかった。
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サーバルちゃんにも教えてあげよう。


※地名散歩の説は、エロスケ氏個人の考察に拠ります。
 つまり、とんだ勘違いの可能性があります。

どこを「佐世保」と言ったか

長崎地名的散歩
06 /12 2017
長崎県北部の街 佐世保は、「させほ」と「させぼ」の
ふたつの呼び方があり、意見が別れているが、現在は
「させぼ」が正式名称になっているそうだ。

いろいろ調べる事があったので、佐世保バーガーを食べようと
家内をだま、いや誘って出かけた。これで金を出さずに済む!

佐世保もよく判らない地名で、由来もいろいろあるが、
地形から考えると、

「狭瀬甫(させほ)」ではないんかいのう~と思う。

これは、ナニを隠そう、九十九島の事。

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天気がぁ~、天気がぁ~

「瀬」とは、海の浅瀬の事を言うが、長崎では岩礁や
小島の事も瀬と呼ぶ。

陸地に挟まれた狭い海峡を狭門(せど)と言う。瀬戸だ。

「甫」は、広い・大きい・多いという意味。

「広い範囲に多くの小島が並ぶ、狭い海峡の地」となる。

う~ん、ちょっとグダグダか?


九十九島は、その島影が夕陽に映える姿もイジ美しく、
人気の観光スポットになっている。
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(※訳注:イジ=とても [ジにアクセント])


だが、古い地名と言うものは普通、ワぁキレかぁ~!とか
言う理由でつけられるものでは無い。

ではなぜ、これが地名の由来だと寝言を言うのか。

それは、鹿子前辺りが古代の中心地だったと仮定しての
話だが、外洋から船で攻め込みにくい土地だからだ。

隠れる島影がいくらでもあるので、待ち伏せして
反撃されそうで怖い。要注意の場所のはず。
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海からの征服者の目線で見れば、九十九島も現実的な
ものになる。地名の由来にもならないだろうか。


それよりも、昼に食べたレモンステーキのランチ、長崎牛で
サッパリしてやわらかく、イジうまシャース!!
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いつもの店で佐世保バーガーを食べるつもりだったの
だが、つい贅沢をして同じ経営のレストランへ。

家内は焼肉ランチセットBを注文して、半分づつ分けた。
(ビンボくさ!)
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これから一週間、おかずは大根の漬物だ!!


かしわうどん

日々の事
06 /09 2017
最近ちょっと驚いた事。

先日、市内を自転車でうろちょろしていたら、あのケンタッキーが、
まさかの、かしわうろんかしわそばを出しているではないか!

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えぇ~っ!とうとうケンタッキーも経営不振で、日本文化に
迎合するしか無くなってしまったのだろうか?

そういえば、宮﨑駿の顔を書いた看板に、K・F・Cと書いてある。
本当に「経営・不・振」だったのか! 冗談で言ったのにィ~!

あのハイカラなメリケン文化の代表だったケンタッキーがねえェ~。

しかも、かしわ!! 今どき、関西の婆さんくらいしか、
鶏肉をかしわなどとは言わんだろう!

でも、戻ってよく見たら、となりのうどん屋のノボリだった。

ああ、まぎらわ健壱!

14インチのFIAT号はなぜ乗りやすい

シリーズ バス輪行
06 /06 2017
そう言えば、散歩記は自転車のブログだった気がする。
自転車の話も何かでっち上げねばなるまい。


バスで輪行をして遊ぶために買った、FIAT AL-FDB140は、
14インチの折り畳み自転車で、思いっくそちっちゃい。

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わしのような横幅の太いおっさんが乗ると、サーカスの
クマちゃんみたいになるので、見ている人は面白いが、
本人はちょっと恥ずかしい。

誰だか判らないように、思い切り変顔をしながら走った
ほうがいいかもしれない。でも変顔のまま近所の人に
挨拶をすると町中に噂が広まるので気をつけよう。


このFIAT号、見た目によらず、けっこう走りやすい。
安物小径車と比べると、ゆったり感すら感じる。
歩きに近い速度でゆるゆる観光地をまわるのもOK。

小径車に乗り慣れない人は、最初はちょっとヨレヨレ
するかもしれないが、コツがわかれば問題ない。


注意する点は、前後の体重移動。重心が後ろになると
前輪がポンポン浮く。わざとそうする時もあるが。

重心が前のまま段差に乗ろうとすると、前転して
倒れ、星空が見える。(←経験者語る)

まずはサドルの位置をしっかり決めるとよい。

違うサドルにしてもけっこう乗り味は変わる。
後ろ重心だと尻が滑らないやつが走りやすい。

で、なんで乗りやすいのだろうかと思い、乗りやすい
ダホンのボードウォークと並べてみたら・・

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乗車姿勢がほとんど同じになる事が判った。

バランスもちゃんと考えてあるのだろう。

おお、納得!


地名散歩 手熊 式見

長崎地名的散歩
06 /04 2017
長崎市の手熊(てぐま)町、式見(しきみ)町は、
一くくりに外海(そとめ)と呼ばれる西彼杵半島
西岸に位置する集落。


手熊は長崎のなんじゃそりゃ地名ベストテンの常連。
(そんなもんは無い)
式見は手作りの式見かまぼこで有名。

どちらも元は漁村で、ペーロン競漕も盛んと聞く。
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手熊の由来としては、むかしある年の暮れに不漁が続き、
困った漁師たちが空を見上げると「さかさまの熊手」が
舞い降りてきた、というような話は、一切無い。

(※ツッコミはセルフとなっております)

さて、まずは地形や状況から地名由来を考えてみよう。

手熊の「クマ」は曲がりくねった所、奥まった所という
意味があり、リアス式海岸の地形を指す場合もある。

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「テ」は、古代地名語源辞典に拠ると、高く突き出た所。
これは現地を見ればわかる。


式見のシキはたぶん、繰り返す・度重なるという意味の
「頻(し)く」「頻(しき)る」「しきりに~」という
言葉
が関係していると予想した。 

地層か何かが積み重なって見えるのだろう、と。

最初、海の中に並ぶ岩の事を言っているのかと思ったが、
これは式見に限らず近辺の集落にも見られる。
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こっちは手熊の海岸
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「ミ」は、クマと同様、ぐるっと回り込んだ地形という
意味がある。しかしこの場合は単なる接尾語かもしれない。


地質の事は詳しくないが、手熊と式見の間には断層があり、
海岸には、異なる地層が重なり合った「式見の不整合」
呼ばれる場所があるらしい。ふう~ん。

もしかして、それが式見の由来かもと思い、ネット検索
して写真を見るが、どう重なっているのか全く判らない。


これはもう、行くしかなかろう。


諫早からだと、高速からそのまま女神大橋を渡り福田から
行くのが早そうだが、貧乏なので、長崎バイパスを通って
市街地から山越えで柿泊(かきどまり)の海岸へ出る。


「柿泊」も変わった地名だが、地名のカキは「欠き」
意味である場合が多い。泊は港の事。
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「欠き・港」という前提で見ると、何か気付くだろう。
ちょっと考えてみてほしい。


まずは、手熊の道路公園にクルマを停めて、白髭(しらひげ)神社へ。

海岸にいきなり立つ絶壁の山。神社はこの上にある。
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ここは手熊の「テ」だろう。高く突き出した所のひとつ。

社殿にはお正月のようなしめ縄。
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風習の違いを感じる。

上から海岸を見下ろせるかと思ったが、イノシシ除けの柵が
あって先に進めない。ハチ合わせしたら危険だ。
マイクロ原子力銃を持って来ていなかったのであきらめた。

ここからは自転車でまわる。

集落左手の丘の上には、大きな浄水場がある。この高台も「テ」。


ここへの道は、谷の奥をぐる~りと回りこんで登って行く。
この地形は明らかに「クマ」
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浄水場のためでは無く、自然の地形に沿って作られた道だ。

よし、手熊は確かに「テグマ」地形だった!
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旧道のトンネルまで登ってみたが、露出していたはずの
断層崖の面は、コンクリートで覆われていた。

小学校の方へも行ってみたが、特に変わった地形はなかった。

そして、海岸沿いの国道トンネル入口付近へ。ここも「テ」。
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トンネルの向こうの式見まで海蝕崖が続いている。
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崖のえぐれた所を下からビビリながら見上げる。
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今にも落ちて来そうだが、触ると意外としっかりしている。
ゆっくりゆっくり崩落を続けているのだろう。

トンネルを抜けてすぐの海岸に「式見の不整合」がある。
干潮時には瀬を歩いて渡れると聞いたので時間を合せて来た。
私にしては珍しく計画的な行動だ。

わお、これはすごい迫力!崖が大崩落している。
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そばに高い防波堤があるが、特に入るなとも帰れとも書いてない。
よし行ってみよう。

近くで見るとますますすごい!
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斜めになった黒い岩石層の上に、ぐり石を含む黄土色の層が
重なっている。上の層は、火山角礫(れき)岩と言うらしい。
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なるほどこれが「式見の不整脈」とやらか。

う~ん、確かに重なってはいるが、これが地名由来とは思えない。
「しきる」と言うからには、もっと繰り返し重なる必要がある。

これはやっちまったかも!とんだ見当違いだったか?


海岸には手熊から断崖絶壁が続く。蝶ヶ崎と呼ばれている。
  ※リンク:長々 蝶ヶ崎
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断崖絶壁というと、子供の頃、後頭部が絶壁だったM君を思い出す。
今思えば変なあだ名をつけられてかわいそうだ。会って謝りたい。

この海中に屹立する岩礁は、昔見た気がするが、ほぼ忘れていた。
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頑張れば、にゃんこちゃんが振り向いているように見えない事もない。

「ふりむきにゃんこ岩」とか言い張れば観光資源になりそうだ。
「式見にゃんこ岩かまぼこ」を商標登録しておこう。


何か地名の手がかりがないかと海岸をうろつく。

ふと、そこらの岩礁を間近で見ると、薄~い層が幾重にも重なっている。
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「あーっ!こっ、これやぁ!これがシキミなんやでぇ~!」

思わず変な関西弁が口をついて出る。

大きなものに気を取られて、小さなものを見落としていた
ようだね明智くん!


もしやこの岩も?
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イエエエェェーース!「シキミ」!

漁港の防波堤奥の海岸。ここにもホ~ラ、「シキミ」。
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この岩礁は、 ワンコちゃんが座っているように見える
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「キツネ岩」と名付けた。


町の北端にある海岸にも行ってみる。崖っぷちに道があった。

ここの岩礁はデカイ!いわゆる千畳敷とかいうやつだろう。
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そしてやはり積層している。これもまた「シキミ」。
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別の鉱物の層がサンドウィッチされている。
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海岸の至るところに「シキミ」と思われる重なりを見つけた。

昔の人の観察眼には驚くことが多い。
式見の地名も、この幾重にも積み重なる不思議な鉱物を見て
つけられたのではなかっただろうか。


よ~し、納得。淡嶋(あわしま)神社に参拝して帰ろう。

路地裏にあった看板。冷凍食品の会社のようだが、
自信がなさそうに見えるのは何でだろう?
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式見の淡嶋神社はトンネルそばの高台。一番軽いギヤで登るが、
上の方は超激坂。前輪が浮いて後ろにコケる前にあきらめた。


淡島神社は雲仙市国見町にもあるが、主に女性のための神様。
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子授け、安産祈願のほか、人形供養も受け付けているそうだ。


神社前は公園になっている。
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子安観音像のようだが、乳丸出し。普通、観音様は中性。
これは、隠れキリシタンのマリア観音の形態だ。
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赤子が妙にリアルで七三分けなのがちょっと恐い。

この美しいブロンズ像は、船で遭難した人達を供養するもの。
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沖に、山が二ヶ所飛び出た島が見える。あれは何島だろう。
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調べるのが面倒なので、「サーバル島」と名付けた。

あとで地図を見たら神楽島(かぐらじま)だった。
カクラと言う地名は山地に多く、外部から隠れた場所か、
隠れて獲物を待ち伏せて狩りをした所と言われる。

この島で以前、狩りをしたかどうかはまったく知らないが、
地名から考えた場合、先日ここで発見された鉄球は、
近世に漁師が山の神へ奉納した可能性もある。
まあ、実際は戦勝祈願かな?

以上、手熊と式見の地名由来を考えてみた。

ここは地名以外にもいろいろ興味深い土地であると感じた。
また遊びついでに調査に行くとしよう。

Ramblingbird

長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。 

  翻译: