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矢上 間の瀬(まのせ)と周辺の地名 狸山 八峰 新田頭(にたんとう) 

長崎地名的散歩
06 /25 2024

 長崎市矢上町の国道34号線、滝の観音入口交差点から山の方へしばらく登ると、周囲が開けて平坦な所に出る。そこが平間町の「間の瀬(まのせ)」地区。


 「平間(ひらま)町」は「崖に囲まれた所」という意味だろう。「ヒラ」は「平坦」では無く、古い言葉で崖や傾斜地のこと。



 「マノセ」という地名は全国にあり、漢字の違いはあるが、その由来はほぼ明らか。独立した細長い小山があり、その形状が「馬の背」に似ているからだ。

 

 ここでは、写真中央の山がそれらしい。

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 と、思っていたのだが、長崎県の小字地名総覧の「間の瀬」の位置は、もう少し下の、間の瀬川が広くなった付近になっている。この辺には馬の背のような地形は見当たらない。

 国土地理院の地図も、間の瀬バス停よりもっと南側に「間の瀬」と記載されている。

 

 おそらく、開拓以前から「マノセ」の地名はあったがその意味は知られておらず、谷間の「川瀬」辺りを「間の瀬」と考え、それが定着したのではないだろうか。

 小字の範囲は、本来の所からずれている事がけっこうある。元々区割りは後から決めたあいまいなものなので、地名の意味が忘れられたら、増々起こり得ることだ。


 農林水産省の「農業集落境界データセット」の「間の瀬」の範囲は、馬の背の山が半分くらい入っている。

 自分は、ここには立派な「馬の背」があるのだから、やはりこれが本来の意味だと思っている。


・マノセ地名の例


・大分県国東市 馬ノ瀬(まのせ)

 細長い馬の背形の岩礁

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   国東市観光協会HPより

・壱岐市芦辺町 馬の瀬海岸

 岬や海岸の崖が馬の背のように続く。

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・長崎県松浦市御厨町木場免

 ここはズバリ「馬の背(うまのせ)」と言う小字地名。

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 次は、間の瀬の西側にある「狸山(たぬきやま)」。「タヌキ」は「田抜き」で、田畑を突き抜く水、つまり鉄砲水などの水害地名と考えられる。

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 この山は多方向から水が集まる地形で、谷の出口にはコンクリートの堰提(ていとう・小型のダム)が造られている。以前、水による何らかの被害があったのだろう。


 「八峰(はちみね)」は、周辺が鉢底のような地形になっていて、その上にある集落だからだと思う。小字名は「八ノ峰(はちのみね)」

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 隣りの松原町には「八の久保」という小字地名があり、鉢を半分に割ったような窪地になっている。

 

 「新田頭(にたんとう)」は、集落の西側で、長崎バイパス付近の高いところ。長崎県の小字地名総覧での読みは「にたんと」。

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 「農業集落境界データセット」では、新田頭は、八峰や長崎バイパス上方の山のてっぺんまでを含む地域を指しており、読み方はなぜか「にったがしら」となっている。

 明治に測量され、昭和初期に改定された地図には「ニタントウ」とカナがついているので、「にったがしら」は単なる間違いか、あるいは独自の集落境界を表す呼称なのかもしれない。

 ただ、もし以前にそう呼ばれていたとしたら、昔の「被差別民の長」の呼び方にも似ているので、それを嫌って「にたんとう」に変えられたのかもしれない。

 

 ニタはムタと同じく、田んぼとは限らず「湿地」のことを言う。この辺りは山の上から流れる湧水が多いので、湿地もあって棚田もできたはずだ。そして、「頭」は、読み方は何でもいいが、山の上という意味だろう。「トウ」は、湧水の溜め池などのことかとも思ったが、それらしい場所は見当たらなかった。



 間の瀬周辺は、静かな山の農村だったが、交通量は以前よりだいぶ増えている。山の上に長崎バイパスの「間の瀬IC」ができ、また、ここを通る「川平(かわびら)越え」と呼ばれる昭和町と矢上を結ぶ山越えの県道ルートも、走りやすく整備されているためだ。川平から長与・時津方面へも抜けられる。

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 川平越えは長崎バイパスとほぼ並走しているが、県道なので無料!自分たちは「貧乏人バイパス」と呼んで、よく利用している。


 ただ、カーブが多い山道だとタイヤのカドが早く減るので、バイパス代とタイヤ代どっちが高いか比較し、ガソリン代と長崎市街の駐車場代も考え、街なかの用事なら、原付やJRで行ったりする。

 自転車は腹が減って、思いのほか飲食費がかかるので却下だ。


 どうだい、筋金入りの貧乏だろう? (いったい何の話をしている)


地名散歩 竿ノ浦(さおのうら) 長崎市

長崎地名的散歩
06 /20 2024

 そのむかし、長崎港周辺は「瓊ノ浦(たまのうら)」と呼ばれていた。

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 「美しい宝玉のように、青くキラキラ光る港」といった美称であり、学校の校歌にも盛り込まれている。「瓊浦(けいほ)高校」などは、学校名そのものになった。


 昭和の頃、瓊浦高校は周りの人たちが「けいほう」と呼んでいたので、自分も大人になるまでそう読むのだと思っていた。

 ちなみに、発音のアクセントはピンクレディーの「UFO!」のような感じ。


 どうだい、どうでもいい話だろう? (ならいちいち聞くな!)



 地名のタブ、タバ、タマは、倒れる、崩れるなどを意味する、古語の「タフる」が変化したもので、崩壊崖のことと言われている。


 「タマの浦」は「崩壊崖の港」という意味になる。実際、長崎港周辺は見上げるように高い崩壊崖だらけ。現在はコンクリートで覆われ、建物の陰になって目立たないだけだ。

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 長崎の由来は「長い岬」と言われているが、「ナガ」は、崖や岩礁を表す薙(ナギ)の変化とも考えられる。



 さて、「たまのうら」と言うと、違うものを想像して大喜びする品の無い人達がいて困るのだが、瓊ノ浦(たまのうら)だった長崎市には、「竿ノ浦(さおのうら)」という、これまた彼らが「きゃっほう!」と踊り出しそうな地名がある。


 でも大丈夫!この地名は、そういう変な意味ではない。


 (当たり前だろうが!)



 竿ノ浦という地名の由来については、旗竿の材料の竹が採れたからという説もあるが、サオは「狭(サ)穂(ホ)」で、「高く突き出した山の間の狭いところ」と考えられる。

 「ホ」と読む字は、穂・帆・峰など、高い状態を表すものが多い。


 現在の竿浦(さおのうら)町は、南の野母崎方面へ向かう国道499号線沿いにあり、両側を高い山に挟まれた細長い土地。

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 元々の竿ノ浦村は、現在の竿浦町、末石町、八郎岳町、そして海岸の江川町までを含んでいた。江戸時代の伊能図を見ると、江川町辺りに「竿ノ浦」と書かれ、人家の表記がある。

 「浦」はこの辺りの海岸のことだろう。

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 まあ、どうせいい加減な妄想話だと思われているだろうから、サオ地名の例を挙げておこう。


・諫早市森山町井牟田 小字:差尾(さお)

 山の間に狭い道が続くところ。

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・対馬市豊玉町佐保(さほ)

 山の間に狭い道が続くところ。

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・新上五島町 佐尾(さお)

 高い山に囲まれた、狭い谷のある港。

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・大阪府茨木市佐保(さほ)

 山の間の狭い道沿いに集落がある。

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・愛媛県西条市 竿谷(さおたに)

 1200mほどの高い山に挟まれた細い谷に滝が流れている。

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・対馬市上県町 棹崎(さおざき)

 半島の尾根に、細く深い谷が刻まれている。

 「日本最北西端の地」で、砲台跡もある。

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 とりあえずこんなところか。


 ただ、「サオ」という地名は、川沿いの平坦地などにもけっこうあり、その場合は意味が違うはずだが、それはまだよく判らない。


 何かおいしいものを食べれば、脳に栄養が行って思いつくかもしれない。

 昨日もらった舟和の芋ようかんを食べて考えよう。 


 


参考文献:古代地名語源辞典 楠原祐介編


地名散歩 母ケ浦(ほうがうら) 佐世保・野母崎・鹿島・壱岐

長崎地名的散歩
06 /16 2024

 「母ケ浦(ほうがうら)」という地名は「浦」というくらいなので、大抵は海岸か、海岸だった所にある。


 「母なる港」と言えば、どこか懐かしく、「おかあさんの港」と言えば、あったかぁ〜くホワホワしい感じがするが、母ケ浦とはどういう意図で付けられたのだろうか。


 「母」という字が使われているものの、「ははがうら」と読む例は無く、「母浦(ははうら)」という地名も見当たらない。やはり当て字なのだろう。

 この地名は、なぜか長崎県と佐賀県に集中しており、検索しても他では出てこない。

 漁労を生業とする海洋民によって、局所的に伝わった地名のような気もするが、想像に過ぎない。


 まずは、各地の「母ヶ浦」の状況を確認してみよう。


・佐世保市母ヶ浦(ほうがうら)町

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 以前は海岸だった辺りに小山がある。海に面していた側は、高い崖が崩落しないよう、ワッフル状のコンクリートで固められている。

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・長崎市野母崎町 母ヶ浦(ほうがうら)

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 地図には記載されていないが、海岸のそばで、上に野母熊野神社が建つ小丘の辺り。ここも大半がコンクリートで覆われており、表面が崩落していたことが判る。

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 野母(のも)という地名にも「母」が含まれている。野っ原に老婆が住居を構え、村を成したからとか、熊野の漁師夫婦が流れ着き、妻だけ残って村の祖になったとかいう地名由来伝説がある。

 これは女性を長とした日本の古代社会の名残りのようにも思える。

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 (わざわざ拡大するなーっ!)

・佐賀県鹿島市 母ケ浦(ほうがうら)

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 昭和の頃は、干拓地の調整池付近までが海だった。ここも崩壊崖のある土地だが、それほど規模は大きくは無い。ただ、多良岳の麓であり、大雨による災害を繰り返していたらしい。

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 昭和37年7月の集中豪雨では、母ケ浦地区の各地で土砂崩れが起き、川が氾濫してほとんどの田畑が流され、さらにJR長崎本線の盛土のために水が抜けず、家屋の屋根まで浸水したそうだ。


・壱岐市郷ノ浦町 母ケ浦(ほうがうら)

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 郷ノ浦町小牧西触の岬周辺部。芝生が広がる小牧崎公園の周囲には急崖があり、海岸には岩礁と、無数の大きな石が転がっている。

 2001年に訪れた時は、まだ観光客は来ないような感じの公園で、四駆の軽箱バンで地元の軽トラを追って海岸近くまで行った。現在は通行止めになっている。  

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 母ケ浦は、どう見ても「おかあさん」とは関係なく、海辺の崩壊崖を指しているようだ。


 地名の「ボ」「ボウ」の多くは、暴(あば)けるの「暴」と言われ、崖崩れなどが起きる場所を意味する。

 崩壊の「崩」と書いて、「くずれ」や「くえ」と読む地名は多い。これもまた、文字通りの崩壊地につけられている。


 崩壊崖を表す「あぼ」という地名は、阿保、安保などの字が多いが、雲仙市吾妻町の場合は「阿母」と書く。選ぶ漢字も地域性があるものと思われる。


 新潟県佐渡市には「坊ケ浦(ぼうがうら)」という地名がある。海岸ではなく少し内陸部で、平地から山に差し掛かる所に急な崖が続いている。


 長崎市の稲佐橋から稲佐山への登り口辺りは、昔は「鵬ヶ崎(ぼうがさき)」という岬だった。

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 北側は高い急崖。全面を石垣とコンクリートで固めてあり、崩壊崖で間違いない。資料によっては「ほうがさき」とも書かれている。


 「鵬(ほう)」は中国の伝説上のものすごく大きな鳥で、翼を広げた幅が何千里もあるという。

 「トリ」は地名用語では「土地を取る」で、崩壊崖のことなので、それを知る者が、崩壊崖のボウガウラに、見た目が良くて大トリの意味もある「鵬」の字を当てたのかもしれない。



 母ケ浦も、元は崩壊地を表す「ボウガウラ」だったが、土地の状況も名称も荒々しいので、皆が親しめるようにソフトでホワホワしい「母」の字が当てられ、読み方も「ほうがうら」に変えられたのではないだろうか。




とても熱かった去年の夏の話

日々の事
06 /09 2024

 気象庁の発表によると、去年に続き、今年の夏もウルトラ猛暑の予想らしい。

ペルーのトルティーヤ現象がどうとか書いてあった。

(エルニーニョな)

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 それにしても、去年の夏は暑かった!日本の観測史上、もっとも暑い夏だったそうだ。

 「暑は夏いでんな」と言っても、誰も反応しないほど暑かった。秋になっても師走になってもまだ暑かった!

 非常に、異常に、過剰に、ドジョウに暑かった。YO!


 (や、やはりラップのつもりだったか!)



 そんなあの夏、私は何とも不思議な体験をした。


 私のクルマは、当時4年目だった小型車のスズキソリオ。

 あるカンカン照りの日に用事で出かけたところ、エアコンは効いてきたのに、尻全体が妙にホカホカする。

 

 そのうち段々、尻に火がついたようにアッチッチになってきた!


 なんだろう?借金取りに追われてはいないし、ウサギに柴を背負わされてもいない。


 ハッ!もしかして、シート下の「なんちゃってハイブリッド」のリチウムイオンバッテリーが異常発熱している!?


 そりゃ大変だ!もしシート下のバッテリーが爆発したら、尻がまっぷたつに割れ、真ん中に穴があいてしまう! (そ、それは元から・・)

 ワーッ!ワーッ!!


 緊急でクルマを停車してシートの下を確認したが、まったくの常温で、そこには、お菓子の食いカスの袋と、ももくらかした(丸めた)窓拭き用のボロ布、そして汚れた軍手の片方が落ちているだけだった。

(いいから掃除しろよ!)


 だいたい、バッテリーは、運転席でなく助手席の下にあった。


 北国の寒冷地仕様車やスーパーデラックスな高級車なら「シートヒーター」なるものが装備されているらしいが、おどんは九州の田舎の貧乏人ですけん、そぎゃんかもんは見たこた無かとですた〜い!


 まてよ?「もしかして、ソリオにはシートヒーターが付いてるのか?」


 そう思い、ヒーターのスイッチを、ダッシュボードの隅から隅まで目を皿のように回して探したが、どこにも無かった。(いや回さんでいいぞ)


 その後もクルマで出かけるたびに尻に熱いものを感じ、すわ!今ウ◯コ漏れたんじゃね?と、焦ったりしていた。



 やがて、この「謎の尻熱」について、ある仮説が浮かんだ。これはもしかして、自分の尻に問題があるのではないか?


 ──── 心当たりが、あった。──── 


 ( ポ ──── ン・・・) 


 去年の春頃から、自分は急に辛いものを好むようになり、粉唐辛子やハバネロスパイス、コチュジャンなどをいろんな食べ物にブッかけてヒーヒー言って喜んでいた。「ドエストフスキー」だった。(いや意味わからんし)


 しかし、辛味成分のカプサイシンを摂取し過ぎると、翌朝、後方甲板の砲門がヒリヒリ燃えるように熱くなることがある!

 何らかの原因で、自分は砲門の周りだけでなく、尻全体が熱くなる異常体質になったのではなかろうか。

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 そうだ、そうに違いない!


 世界の闇に暗躍する秘密組織X(旧ツイッター団)が、キムチに混ぜたジャガイモの芽の毒とインド魔法を使って、私を「恐怖のしりホカ人間」に遺伝子改造したに違いない!

 今にして思えば、辛いものへの嗜好の変化は、第1話からの壮大な伏線だったのだ。


 だが私は負けない!この呪われた尻ホカパワーを、しり私欲のためで無く、この美しい日本を守るために使うことを誓おう!


 (ネタが古すぎてだいぶ前に書いたのバレバレだぞ!)



 その後、秘密組織の陰謀という証拠は見つからなかったが、尻がシートに密着して熱がこもらないよう、座布団を敷いたり、運転中に片尻を左右交代で浮かすなど、しりホカ対策を講じていた。

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 やがて忙しくお盆が過ぎ、夕方は少しだけ涼しい風が吹く日もあったが、相変わらずクルマに乗ると尻は熱いまま。やっぱ病院に行こうかとも考えた。


 そして、もう9月になろうとするある日、私はクルマの中で探しものをしていた。


 ドアポケットと後部座席を見て、普段は上着やカバンなどを突っ込んでいる「運転席と助手席の間」の荷物をのけて床を覗き込んだ際、シートの脇に見慣れないスイッチがある事に気づいた。

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んん? これは、ひょっとこして・・、


シートヒーター??    

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「いや、ついとったんかぁーい!」


私は思わず、助手席のシートバックを手の甲で叩いてツッこんだ。


 エンジンをかけると、スイッチには暖かなオレンジ色のランプが灯り、電源がずっとONだった事が明らかになった。


 どうやら私は、存在に気づいていないヒーターのスイッチを偶然押してしまい、令和5年の記録的にクソ暑い夏の間、自らの尻をコンビニの肉まんの如くホッカホッカに温め続けていたらしい!


 もし、尻に卵をはさんでいたら、ひよこが孵化していたに違いない。

  (割れて汚れるだけだ)


 それにしても、3年以上もこの「電熱尻ぬくめシステム」の存在に気づかなかったというのは、よほどクルマに対する興味を失ったか、ボケが進んですっかり忘れていたか、クルマを掃除しないかだろう。(はい、全部正解)


 改めて調べてみると、最近は、座面だけなら小型車や軽自動車にもシートヒーター標準装備のものが結構あることが判った。



 夏の間つけっぱなしだったヒーターのスイッチを切ると、私の尻の両頬を、優しい秋風がそっと撫でていった気がした。


ー Fin ー


元祖おしゃレトロ ホンダジョルノ

原チャリ風雲録
06 /03 2024
 1992年、本田技研工業は、ジョルノという50ccの原付スクーターを発売した。
 デザインは「ローマの休日」で有名なイタリアのベスパをパク、いや、リスペクトしたレトロ調のモデルで、そのおしゃれでキュートなスタイルは、若者に大人気となった。
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 ヤマハスズキもガッポリ儲け、いや、市場のニーズを考慮し、そっく、いや、同様のモデルを追って発売した。

 ジョルノは独自の発展を続け、そのコンセプトは最後の50cc原付となるであろう現行モデルにまで受け継がれている。今後は電動スクーターに転生するのかもしれない。

 初期型ジョルノは昭和の終わり頃に登場したと思っていたが、メットインスペースがある、平成2年(1992年)のデビューだった。

 
 そのジョルノAF-24がうちに来たのは、2007年3月のこと。これは、私の自転車趣味も、散歩記も、まだ始まる前の話。

 ジョルノは、うちの嫁さまの友人が、安い中古を買って通勤に使っていたが、そのうちにアクセルを開いてもすぐには走り出さず、しばらく唸って振動したあと急発進するようになったらしい。怖いので嫌になって放置していたらエンジンがかからなくなり、処分するつもりだったそうだ。

 直してあげようと言ったのだが、もう乗りたくないそうなので、引き取ることにした。

 当時、うちにはミニカー登録した3輪ホンダジャイロキャノピーがあったが、2輪の原付は20年くらい乗っていなかった。オモチャにぜひ欲しいというのが本音だ。

 まずは長崎市内のジョルノの保管場所へ現物を見に行った。カバー類はツヤが落ち、レッグシールドとステップはテキトーな再塗装がしてあり、所々はがれていた。イタズラでスーパーの100円シールを貼られて可哀想だったのを覚えている。

 放置期間は2ヶ月くらい。キック十数回で、エンジンはべべべべべ・・と目覚め、2ストの白い煙をモクモク吐いた。振動がちょっと大きいようだ。

 さて、これを諫早までの20数km、どうやって持って帰るか。軽トラをレンタルすればけっこう取られるし、持っている知り合いもいない。

 ジョルノの周りをうろうろ歩き回り、近所の人に「泥棒が下見している」と思われながら考えた。

「うん、乗るばい!」私は、ジョルノを自分のクルマに積んで運ぶことにした。

 当時乗っていたホンダ モビリオスパイクは、軽貨物車の前部に1500ccのエンジンをつけ足したような、室内が高くて広い、ぼっくし使い勝手のいいワゴンだった。使い勝手がよすぎて、16年間も乗っていた。
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 輸送当日。まずジョルノのミラーをはずし、スピードメーター部分のカバーを分解して全高を低くした。
 そして、コインパーキングに停めたクルマに手作りのスロープを取り付ける。スロープは家にあった長い板切れの端に穴をひとつ開けたものを、テールゲート下のロック金具にひもで結んだだけ。

 ジョルノを押してスロープを登らせ、自分も中に乗り込む。測った通り、高さはギリギリ入った。
             ※イメージ図   
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 センタースタンドを立て、洗濯ロープであちこちに「これでもか!」と言いながらしばりつけた。押しても引いても全然動かない。よーしOK!

 一緒に来ていた嫁さまは、一切、手伝うことなく、ずっと友達と家でお茶していた。

 金などいらんと言われたが、まだ価値のあるものをタダでもらっては、バチが当たってベベンベンと音が鳴り、「祇園精舎の鐘の声〜」と平家物語が始まってしまうので、5千円だけ受け取ってもらった。

 長崎バイパスを通って無事に諫早へ持って帰り、早速、近所を試走。情報通り、駆動部が空転したあとグワッとつながり、ンギョギョギョー!と加速する。昔のドッカンターボ車を乱暴者にした感じだ。体重が軽い人だと、カタパルトのように射出されるので、確かに恐ろしかろう。

 それよりもビックリしたのが、なぜか低速でまっすぐ走れないこと。

 ハンドルがフラフラフラフラして「なんじゃこりゃあ」と困惑した。フレームかフォークが歪んでいるのかと思ったが、スピードが出たら安定するので、どうやら「前後バランス」の問題らしかった。

 3輪キャノピーは、背もたれがあるので、少しふんぞり返る格好で乗っていたが、普通の軽い2輪スクーターで同じように乗ると、前輪の荷重が抜けて接地感が無くなりハンドルが取られ続ける感じになるようだ。
 前側に体重がかかるように座ると、普通にちゃんと走った。 

 2輪スクーターの乗り方をすっかり忘れていたらしい。若い頃と比べて体重が20キロ近く増えていたからかもしれない。(いや、ほぼそれだろう)


 早速、駆動部を分解。ジャイロキャノピーと違って、車体のカバー類をはずす事なく、ものの数分で駆動部のフタが開けられる!なんと簡単にメンテができることか!

 変な挙動の原因は、プーリーという部品にエグレたような深いミゾが出来ているためだった。
              ※イメージ図
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 この段差が出来る原因はいろいろ考えられるが、とにかく、駆動部一式をまともな状態に戻してやることが先決だ。

 ディオ・ジョルノ系のパーツは流通量が多く、社外品も多いため安く手に入る。ヤフオクでジョルノのパーツカタログも買い、純正部品を取り寄せた。

 駆動部をリフレーッシュしたジョルノは、スムーズに加速し、軽快に走った。
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 エンジンの振動が気になっていたので、ついでに台湾製のノーマルピストン・シリンダーセットを買って交換。
 走りはますますスムーズになり、3輪キャノピーよりも出撃回数が多くなった。  
 
 くすんだボディはコンパウンドで磨いてツヤを出した。
 無くなっていたJIORNOバッジも取り寄せて付けた。リアキャリアは、純正は小さくて何も積めないので、ディオ用の社外品を力技でひん曲げて取り付け、中国製リアボックスを装備した。これで、4リットルの焼酎大五郎も買いに行ける!
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 シートの表皮もタッカーを買って自分で張り替えた。とにかく、自分で出来ることは何でもやってみたかった。

 赤いジョルノなど、いいおっさんが乗るようなバイクでないのは解っているが、初期型ジョルノは不思議に男子女子関係なく使える、トラディショナルな雰囲気がある。

 そういえばなんとなく、スーパーカブにも似ている。
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 「ジョルカブ」という、カブのエンジンを積んだモデルが存在したくらいなので、元からそういう狙いはあったのだろう。

 原付が2台あると、1台を分解メンテ中でも、もう1台を使える。気が済むまでじっくりイジれるのでストレスがない。
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 しかし、令和の今は税金がえらく上がっているので、気軽に2台持ちもできなくなった。やはり、わしらの時代は、もう終わったということじゃ。ああ、腰が痛い。


 ジョルノは片道5キロほどの通勤にもよく使った。見た目はカワイイが、本気を出せばダッシュでクルマを引き離せた。だが、50ccの原付一種なので、本気を出すと青い服を着た悪い人につかまって金を巻き上げられてしまう。急ぐ時はミニカー登録のキャノピーの方が安心だった。

 私有地で最高速を試したら60キロくらい出た。ハイスピードプーリーに替えてウェイトローラーを調整したら、向かい風でまずヘルメットが浮き、続いて車体が離陸しそうになった!
 ビックリして小便がチュッと漏れそうになった! たかった・・。(もれとるやんけ!)

 車体が軽い上、当時は運転する人間も今よりはだいぶ軽かった。
 しかし、大空に飛び立ったら怖いし、ノーマルのショボいブレーキでは思ったように止まれないので、プーリーは元に戻した。
 

 仕事が定時で終わったら、寄り道して鳥や野の花を見たり、川で跳ねる魚を見たり、田んぼの稲の生育状況を見たりして過ごした。

 海岸で夕焼けをポケーと眺め、長崎空港へ舞い降りて行く飛行機を見て、日が暮れたら家に帰った。

 ある時は裏路地を抜け、知らない店や見晴らしのよい高台を見つけたりした。
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 ジョルノで遠出することはなかったが、普段使いで大いに活躍してくれた。ジャイロキャノピーよりも気軽さは上だったので、荷物がなければジョルノを選んだ。
 ただ、冬の寒い時期は体が凍って、涙と鼻水が水平に流れてしまうのでお留守番だ。

 ジョルノで出勤したある日、天気予報がはずれて帰りに大雨が降り、ずぶ濡れになったことがあった。そして、家に帰った途端、すっかり止んだ。
 気象庁に侵入して、天気予報用の下駄を叩き割ってやろうかと思った。


 おっさんになってからの原付生活は、2台のホンダ車と共に過ぎて行った。
 やがて自転車散歩生活が始まると、ジョルノもキャノピーも出番が減ってゆく。

 通勤でも自転車を使うようになると、ますますお留守番が増え、バッテリーが上がらないよう、時々近所を周回するだけになってきた。

 自転車を軒下に入れ、ジョルノは露天に置かれて雨に打たれていることもあった。
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 カバンのようにしまい込む訳にもいかず、ちょっと持て余してきた。

 乗り物は走ってこそナンボ。たとえ雨ざらしでも、なるだけ乗った方がいいに決まっている。

 そんな時、友人の家族が原付を探していると聞き、これでよければタダで譲るとお見合い写真を送ったら、本人も気に入って、お嫁にゆくことになった。

 2013年、春3月。ジョルノがうちに来てから、ちょうど6年が経っていた。

 駆動系の部品は、全てノーマルに戻して渡したが、あとから聞いた話では、その状態でも「私有地」で最高速は60キロのメーターを軽く振り切っていたそうだ。

 カネはいらんと言ったのだが、本人がバイトで稼いだ金からどうしても払いたいということで、5千円受け取った。
 

 最後は、ジョルノを届けるため、初めての遠出。ただ一度きりの片道ツーリングだ。 

 国道を避けて裏道を走り、山あいの集落から普段めったに通らない峠を越える。
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 足を伸ばして海岸まで行き、しばしジョルノとの別れを惜しんだ。
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 若い頃は、乗らなくなった原付を放置し、結局そのまま処分という可哀想なことを何度かした。

 乗り物は機械なので、感情移入すべきではないが、クルマでは得られない楽しい時間をくれた原付たちの事を思い返し、残ったジャイロキャノピーは、できるだけ最後まで面倒を見ようと決めた。


 縁があってうちへ来たホンダジョルノは、しあわせだっただろうか。

 さよならジョルノ。楽しい日々をありがとう。
 
 アーンアーン!

 (ウソ泣きやめろ) 



Ramblingbird

長崎南部の自転車散歩やどうでもいい出来事を、小学生ギャグを交えて書き散らします。お下劣な表現を含みますのでご注意下さい。 

  翻译: