アルツハイマーの記事一覧

         
2023年06月12日


1 :名無しさん@おーぷん:2016/09/20(火)22:17:36 ID:QGd

釣りだと思われても仕方ない内容なので
釣りだと思って見てもらってもいいです
この手のスレは初めてなので
詠みづらい文章だと思います



         
2022年10月07日

651 :修羅場な話 2016/10/11(火) 11:41:09 ID:VhxdqWcC.net
悲しいから誰にも言いたくないし墓まで持ってくけど、
祖父母が生きてる時、心配したり元気でいてねって言って気遣ってた。
でも内心は早く亡くなるといいねって思ってて、タヒんだ時にはよかったね、って思った。
涙も悲しい気持ちもなく安堵しただけ。

祖父母は孫にはまぁまぁ良い祖父母だったけど、
子にはDⅤかますものすごい毒親で、子は親のものっていう価値観で育った人達だった。
母を何度も鬱に追い込み、母兄には会社と数千万の借金を背負わせた。
晩年は祖父はアルツハイマーで理忄生が溶けてもっと酷く、会社に大社長として顔を出してはダメ社員たちにそそのかされて会社をめちゃくちゃにして借金を増やした。
祖母も大社長の奥様として会社に顔を出しては社員に愚痴を吹聴して、言う通りにならない母と兄に迷惑かけまくってた。
めちゃくちゃな上に借金だらけの会社を叔父は今も立て直し続けてる。
祖父母は会社の癌も同然で、居なくなってようやく会社のクズを切り捨て立て直しを邪魔されず行えるようになった。

説明すれば誰しもが祖父母のタヒを悲しめない気持ちは同情してもらえるだろうけど、
それでも、私自身は可愛がってもらってた。
母が何度も鬱にされて私も悪影響はあるし恨みもあるけど、直接酷いことはされてないんだ。
母も最後まで祖母から愛される事を願ってて、母も祖母に引き寄せられてしまってたのもあるし、
全てが祖父母のせいでは…いや、根本的には祖父母のせいだが、彼らもそう教育されたんだよ…。
なんか、タヒを喜んだ自分がどこか許せない。
何も知らない頃は祖父母が大好きだったんだ。

読み物やドラマや友人で祖父母がタヒんで泣きはらすとか感動話いっぱいあるけど、
そう言うの見るたびにどうしていいかわからなくなる。

隠す事ではないかもだけど、母にも、祖父母のタヒを喜んだ事は言えなかった。
なんか、誰にも言えない。でもずっと残ってる…。

         
2019年09月12日

100 :修羅場な話 2015/04/05(日) 00:08:26 ID:d6T
最初にことわっておく。長文の愚痴ですまないw

今日、長男夫婦+次男一家+アルツ姑連れて有料ホームのの見学に行ってきた。
ふだん介護しているのは長男夫婦で小梨のうち。隣県の次男は単独で、週1泊まり
がけで義実家に来る。義弟嫁は子育てでいっぱいいっぱいなのでほぼノータッチ。
姑には、段差だらけの古いこの家は危険だよ、ホームだと人に接する時間が増えるし
何かあったらスタッフが来てくれるから安心だよ、等時間をかけて説明してきた。
なので「見学に行ってもいいわよ」と納得してくれていた。

でも、本当は姑の第一希望は次男一家…というか孫との同居。
孫の顔見て変なスイッチが入ったのか、施設見学最中、突然入居拒否モードに突入。
「ひとりで何でもできるから大丈夫!いざとなったら姉さんもいるし」と大ボラ全開。
いや、その姉さんはもう亡くなってますが。
実際は衣服の着替えも入浴も食事も介助、声かけなしじゃ何もできない。

そもそもその有料ホームは介護サービスつき賃貸住宅という括りで、
プライバシーを確保したい、安全が確保された中で自由きままに暮らしたいという
自立した老人向けだった。認知症向きという感じではない。
私は特養みたいに、食堂でみんなでダベってるサロン的な生活を想像してたけど、
それぞれが外に遊びに行ったり部屋でTVを観たりと好きに過ごしていて、
食事どき以外は食堂には誰もいないそうだ。
超絶構ってちゃんで集団が好きな姑には向いてないね、と家族全員の意見が一致。

とりあえずしっかりものの義妹に、現状を伝えてホーム見学には子供たちは
連れていかないということになった。
「ホームに入ったら孫に会う回数が減るのでは?孫と一緒に暮らせなくなるのでは?」
と焦って拒否態勢に入るっぽいので。
私は正直言って、家が隣同士で介護してる今の方式が物理的には楽。
でも、幾度にも渡る徘徊癖や虚言癖、段差だらけの今の家の危険性.を考えると
精神面で在宅介護の限界を感じる。
食事に関しても日に日にワガママになっていってるし。

基本姑が嫌いなんだろうな~という自覚はある。ちくちくと小さな嫁いびりされて
ばかりだったし。でも、旦那のことは大好きだし、旦那を助けたいという一心で
介護手伝いをやっている。安全な環境で暮らしてほしいと思う気持ちと、介護から
解放されたい、施設に入ってもらって楽になりたいと思う気持ちが同居して悩む。
私より大変な介護してる人たちは星の数ほどいるんだろうけど、自分をいじめてた
人物の世話をニコニコいつまでもやり続けられるほどの聖人にはなれそうにもない。
介護って、無料奉仕活動を強いられる嫁が一番ワリを食うね…。
せめて姑がもう少し性.格がいい人、尊敬できる人だったらまだ頑張れるんだろうな。

         
2019年09月01日



323: 名無しさん@HOME 2007/05/30(水) 13:38:44
今日の元トメ 

若年性アルツハイマー発症で、元旦那と元コトメをきりきり舞いさせてるらしい 
二人から救援依頼の連絡きたけど無視 

せいぜい困らせてやってくれ 
いや思いっきりやってくれ 
私はもう関係無い人間です



         
2016年12月10日
1: 番組の途中ですが\(^o^)/です (コンニチワ 0=62-iIZF) 2015/11/01(日) 07:12:21.49 ID:J+GqlL4Z=●.net

通勤に使う定期入れには、自作のカードが入っている。バス、地下鉄、JRの乗降駅のほかに、こう記されている。 
「若年性アルツハイマー本人です。ご協力お願いいたします」 

仙台市の会社員、丹野智文さん(41)は2013年4月、アルツハイマー病と診断された。 
当時39歳。カードはどこにいるかわからなくなった時に備えて、必ず持ち歩いている。 
大手系列の自動車販売会社の営業職で、成績はトップクラスだった。 
09年秋から記憶力の低下を感じていたが、12年の暮れに「異変」をはっきり認識した。 

あいさつ回りで、駐車場に止めた車の中で訪問先のマンションの部屋番号を確認したのに、玄関で番号を押そうとしたら思い出せない。 
車に戻って再び覚えたが、またわからなくなった。仕方なく紙に書いた。 
販売店でも、自分の顧客とわからずに後輩社員に応接を指示し、毎朝顔を合わせている同僚の名前が出てこなかった。 
「ストレスがひどいのかな」。近くの医院を受診した。 

紹介された専門病院と大学病院で計約1カ月検査入院し、病名が確定した。 
大学病院で主治医から「間違いありません」と告げられた。隣で同じ年の妻(41)が泣きじゃくっていた。 
4人部屋の病室で、消灯後に布団を頭までかぶり、スマートフォンで「アルツハイマー」「30代」「若年」と検索を繰り返した。 
「2年で寝たきり」など、絶望的な思いにさせる文字が画面に浮かんだ。 

2人の娘は当時、中学生と小学生。まだまだ子育てにお金が必要で、住宅ローンもある。「絶対に働かなければならない」 
主治医は会社に病名を伝えて「クビにされたら」と案じたが、妻と2人で伝えると決めた。「洗車作業でいいから、雇ってくださいと頼もう」と妻に話した。 

 「戻って来い。体は動くんだろう? 机を運ぶ仕事もある」。社長はそう声をかけてくれた。本社の総務部門へ移り、5月の連休明けから復職した。 

 「印刷する時 ファイル→印刷→ホーム→印刷する部分を指定→……」 
事務作業の手順をノートに書いたが、翌日になるとできない。 

同じ作業を3回、4回と繰り返し、必要な情報を書き足した。ノートを見れば作業をこなせるようになった。 
同僚もすぐに教えてくれる。「できないことだけ手伝ってくれる環境があれば仕事はできる」 

         
2016年07月28日
1: 番組の途中ですが\(^o^)/です (コンニチワ 0=62-iIZF) 2015/11/01(日) 07:12:21.49 ID:J+GqlL4Z=●.net

通勤に使う定期入れには、自作のカードが入っている。バス、地下鉄、JRの乗降駅のほかに、こう記されている。 
「若年性アルツハイマー本人です。ご協力お願いいたします」 

仙台市の会社員、丹野智文さん(41)は2013年4月、アルツハイマー病と診断された。 
当時39歳。カードはどこにいるかわからなくなった時に備えて、必ず持ち歩いている。 
大手系列の自動車販売会社の営業職で、成績はトップクラスだった。 
09年秋から記憶力の低下を感じていたが、12年の暮れに「異変」をはっきり認識した。 

あいさつ回りで、駐車場に止めた車の中で訪問先のマンションの部屋番号を確認したのに、玄関で番号を押そうとしたら思い出せない。 
車に戻って再び覚えたが、またわからなくなった。仕方なく紙に書いた。 
販売店でも、自分の顧客とわからずに後輩社員に応接を指示し、毎朝顔を合わせている同僚の名前が出てこなかった。 
「ストレスがひどいのかな」。近くの医院を受診した。 

紹介された専門病院と大学病院で計約1カ月検査入院し、病名が確定した。 
大学病院で主治医から「間違いありません」と告げられた。隣で同じ年の妻(41)が泣きじゃくっていた。 
4人部屋の病室で、消灯後に布団を頭までかぶり、スマートフォンで「アルツハイマー」「30代」「若年」と検索を繰り返した。 
「2年で寝たきり」など、絶望的な思いにさせる文字が画面に浮かんだ。 

2人の娘は当時、中学生と小学生。まだまだ子育てにお金が必要で、住宅ローンもある。「絶対に働かなければならない」 
主治医は会社に病名を伝えて「クビにされたら」と案じたが、妻と2人で伝えると決めた。「洗車作業でいいから、雇ってくださいと頼もう」と妻に話した。 

 「戻って来い。体は動くんだろう? 机を運ぶ仕事もある」。社長はそう声をかけてくれた。本社の総務部門へ移り、5月の連休明けから復職した。 

 「印刷する時 ファイル→印刷→ホーム→印刷する部分を指定→……」 
事務作業の手順をノートに書いたが、翌日になるとできない。 

同じ作業を3回、4回と繰り返し、必要な情報を書き足した。ノートを見れば作業をこなせるようになった。 
同僚もすぐに教えてくれる。「できないことだけ手伝ってくれる環境があれば仕事はできる」 

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