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「英雄たちの選択」キネマの夢を追いかけて~日本映画の父 牧野省三~
日本で映画作りが始まったのは明治14年。京都で歌舞伎の劇場を運営していた牧野省三は、横田商会の横田永之助から映画製作を依頼され、日本最初の映画監督となる。チャンバラの撮影を始めたが失敗の連続。試行錯誤の末、時代劇映画を大衆の娯楽へと成長させた。そんな中、映像に音声が付いたトーキーが登場。無声映画を支えてきた俳優や活動弁士、楽士たちは仕事が奪われると猛反対。牧野に映画の未来がかかる「選択」が迫られた、というなかなか興味深い内容だった。「日本映画の父」とも呼ばれる牧野が唱えた映画作りの基本「1.スジ(シナリオ)、2.ヌケ(撮影技術)、3.ドウサ(演技)」は今でも通じる言葉。彼の監督作はほとんど残っていないので見たことはないが、彼が製作総指揮をした『雄呂血』(25・主演・阪東妻三郎、監督・二川文太郎、脚本・寿々...「英雄たちの選択」キネマの夢を追いかけて~日本映画の父牧野省三~