592: ◆EBFgUqOyPQ 2016/01/16(土) 18:27:23.93 ID:Ah1rtJBzo


モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」シリーズです


前回はコチラ





思うようにいかず満足いかないクオリティですがアーニャ中編投下します。

序編>>486【モバマス】アーニャ「ウロボロス」

593: 2016/01/16(土) 18:29:01.14 ID:Ah1rtJBzo
「アー……」

 全てにおいて合点がいく。
 腑に落ちるとはこのことかと感じてしまうほどに。

 ずっと一緒であったことを。目の前の少女が、自身であることを。

「Нет(いや)」

 だが、目の前の少女は否定する。
 同一であることを拒否し、憐憫と失望の視線でアーニャを見下ろす。

「確かに、私(あなた)にとってワタシはアナスタシアかもしれない。

だけど、ワタシにとって『あなた』はアナスタシアでは、ないわ」

「……シトー?どういうこと、ですか?」

 月光は等しく二人のアナスタシアを照らす。
 だがその影は一つしか形を成さない。

----------------------------------------


それは、なんでもないようなとある日のこと。

~中略~

「アイドルマスターシンデレラガールズ」を元ネタにしたシェアワールドです。
・ざっくり言えば『超能力使えたり人間じゃなかったりしたら』の参加型スレ。



594: 2016/01/16(土) 18:29:53.00 ID:Ah1rtJBzo

「ワタシは『願い』なの。

はじまりにして、そもそもの形。ずっと抑圧されてきた心。

争いなんてワタシは嫌だった。特殊部隊みたいな血なまぐさい環境はワタシには耐えられなかった。

だから、押しつけたの。あなたによ。アーニャ」

「押しつけ、た?」

 言われて、アーニャは思い返す。
 物心ついた時から、自分は特殊能力部隊で訓練を積んできた。

 人頃しの術から、戦術技術、基本的な教養なども学んできた。

 その過程は決して楽なものではなかった。
 訓練は到底普通の子供には耐えられないようなものであったし、誰もが歩調を合わせてくれるような生易しいものではない。
 誰か一人倒れれば、次の日にはその倒れた者はどこかに消える。

 おいて行かれれば、それは終わり。
 振り向けば闇ともいえるような環境であったのだ。

「あ……れ?いつから?

カグダー……?いつから、私は、私でした?」

595: 2016/01/16(土) 18:30:40.38 ID:Ah1rtJBzo

 その中で、アーニャは思い返す。『思い返せない』ことを思い返す。
 自分のルーツなど、誰だって知りようがない。
 記憶を探れど、どんな人間でももっとも古い記憶が自我の芽生えの時と言うわけではないのだ。

 アーニャが日本にいたころなど、まだ生まれたての赤子のころだ。
 その頃の記憶がないことはふつうである。

 だが、ある点を境に思い出せないのだ。
 5歳の冬、自らの手の中で冷たく横たわる子犬の氏体。
 命令されたのは、子犬を頃すこと。氏に触れさせるということ。人頃しに慣れさせるという名目で行われた『普通の訓練』。

「それ以前は……何がありましたっけ?」

 自分が思い出せる最後の記憶。5歳頃の記憶など、明確に覚えていない者など普通にいるだろう。
 だが、それが最後の記憶と言うのは、あまりにも遅くないだろうか?

「その日は、ワタシが壊れた日。

そして、あなたの誕生日。9月16日。奇しくも同じ誕生日ね」

 本来ならば祝われるはずの日。偶然か否か、その日少女の心は氏に、新たな心が乖離した日であった。

「あなたは都合よく改変しているみたいだけど、あの日あの訓練を受けたのはワタシだけ。

辛抱強く血なまぐさい訓練を拒否するワタシに対して、隊長が行ったことよ」

 思えば、その頃から『隊長』はアーニャに肩入れしていたのだ。
 本来であれば、アーニャは拒否をできる立場では無かった。そんなことをすれば即刻処分か、研究対象となって使い捨てられただろう。
 だがそうならないように、影で隊長は便宜を図っていたのだ。

596: 2016/01/16(土) 18:31:29.04 ID:Ah1rtJBzo

 それでも庇うのにも限界は来る。そうしてとった最終手段が『頃し』を強制的にでも覚えさせることだった。

「そう。隊長にしてみれば、アナスタシアを頃したくない苦肉の策だったんでしょうけど、結果として私は自頃した。

そして特殊部隊と言う環境に適応できる『あなた』と言う人格が生まれた。ある意味、『隊長』があなたの父親なのかもね」

「ヤー……私が、その時生まれた?隊長が……父親?」

 自らの存在意義さえ揺るがしかねない事実の奔流。
 自分が目の前の自分自身の代理でしかなかった事実は、アーニャの思考では簡単に処理しきれない。

 だが、『アナスタシア』はそんなことを意にも介さず話を続ける。

「だけど、ワタシは氏ななかった。たしかに壊れたの。

でも戻ったの。何事もなかったかのように、意識の奥底で、私は『復活』した。

そんな意識の奥底、抑圧された心の最奥で、私は見たの」


「……見た?」


「蛇……いや、『龍』を」


 アーニャの記憶がフラッシュバックする。
 なぜ忘れていたのかと思うほどの、鮮烈な記憶。
 つい先日義手の女と戦った日に見た白昼夢、膨大な白蛇の濁流を。

597: 2016/01/16(土) 18:32:22.79 ID:Ah1rtJBzo

「あなたは……あの時の」

「Да(ええ)、やっと思い出したのね。夢は記憶の断片を再生したもの。

あの情景は、ワタシのものよ」

「あなたが……港を壊したのですか?」

 あの日、アーニャが暴走した原因。あの港を全壊させたのは、目の前の自分が引き起こしたことであるとアーニャは理解する。
 アーニャは眼の前の『アナスタシア』を睨み付けるが、当の本人は呆れたような顔をする。

「あの時も言ったけど、私は力を貸しただけ。

それを制御できなかったのは、あなたの方よ」

「わ、私は、壊すつもり、ありません、でした!

私は……あんなこと……」

 向かいの自身が言っていることはアーニャには理解できていなかった。
 だが責任は自身にあると糾弾されていることだけは理解し、それを否定する。

 『アナスタシア』はそんなアーニャを相も変わらず呆れたような眼で見ている。

「アナタは、自動車事故の責任って誰に有るか知ってる?」

598: 2016/01/16(土) 18:33:31.32 ID:Ah1rtJBzo

「……と、突然なん、ですか?」

「自動車事故の責任は、どんなに歩行者の飛び出しとかが原因でも、自動車を運転していた側にも責任が生じる。

不条理にも感じるけれど、当たり前の事実。

つまり手綱を握る者には、相応の責任が伴うの。

アナタは、制御できなかった。ワタシのことを、理解できなかった。

だからこそ、あの結果なのよ」

「そんな……私は、私のせいじゃあ……」

 頭で解っていても、認めにくいことは常日頃多くある。
 たとえ理性で自分に責任があることを理解していても、それを認めることは容易ではない。

「だから、あの姿だったの。『ウロボロス』はあんな姿じゃないから。

それは、ワタシを理解できなかったということ」

 アーニャが暴走した時に象った竜の鎧。
 結晶の鱗は、まさに禍々しい竜と言う姿ではあったが、本質とはかけ離れていた。

 アーニャの連想した『竜』は両翼に鋭い尾を持つ怪物だ。
 だが、本質は『龍』であり、『蛇』なのだ。

599: 2016/01/16(土) 18:34:14.53 ID:Ah1rtJBzo

「別に、理解してもらう必要もなかったのだけれど。

結局、あれが最後のチャンスだったわけだし」

「最後の……チャンス、ですか?」

「そう、ワタシは、もうアナタには期待できないの。

未だに戦いに固執するアナタが、変わることを期待はしていない。

もう、見限ったのよ」

 故に、姿を現した。
 心の奥底で息をひそめていた怪物は、待つことを諦め這い出てきた。

「話を戻すけど、ワタシはあの日自頃した。

だけどワタシは氏ねなかった。しばらくした後に逆再生するかのように意識が復元されていった。

そして見たの。そもそもの始まりで、事の発端。

復活の龍、円環の蛇、『ウロボロス』を、ワタシの奥底で」

「うろ……ぼろす」

600: 2016/01/16(土) 18:35:07.40 ID:Ah1rtJBzo

「別にアナタの力は、神サマが祝福して与えたものじゃないの。

偶然か何かでワタシに引っ付いていた『ウロボロス』を封印した際の副産物。

封印でも『ウロボロス』の大きな力は封じ込めきれず、その封印を介すことによって変質したもの。

それがずっと使ってきた力の正体。『復活』の天聖気」

 これまでなんとなく使ってきた力。
 あるのが当たり前で、あるからこそ自分が今も生きているともいえる力。

 その源泉、『ウロボロス』の存在を伝えられるが、アーニャには今一つ遠い話で、理解が追いつかない。

「ワタシはずっと、『ウロボロス』の力で氏ぬことさえ許されなかった。

アナタの中で、アナタがワタシにとって耐えられないような残酷なことをするたびにワタシは身が張り裂け、そして復活した。

それでも、感謝していたの。アナタには。ワタシのが投げ出したことをずっとしてもらっていたから。

だから、少し時間はかかったけど『ウロボロス』の力を制御できるようになったわ。

これで、アナタにすべてを投げ出したワタシが、アナタの手助けができるようになったから」

「てだ……すけ、ですか?

そんなこと……これまでに」

601: 2016/01/16(土) 18:36:05.95 ID:Ah1rtJBzo

「そう。気付いてないのね。

まぁ……悟られないようにしていたし、仕方ないのだけれど……複雑なものね。

ずっと、手助けしてきたわ。『ウロボロス』の力を制御して、外で戦うあなたを。

どんな困難な戦いでも、無事でいられるように。

そしてずっと見守って、ようやくこの境遇から解放される時が来た」

「あの……極東の、孤島」

 事の始まり。
 部隊を離れるきっかけとなった、敵性組織の根城の廃工場があった島。

 アーニャにとっては随分と昔にすら思えてしまうあの日、今でもあの嵐の空を思い返すことができた。

「そうよ。あの日、偶然にもアナタは爆発に巻き込まれて海に投げ出された。

ワタシはいつものように傷を負ったアナタを治癒しながら、気が付いたの。

『このまま、この特殊能力部隊から逃げられるんじゃないか』って」

 もともとこの部隊は脱走など許されない。
 お互いがお互いを監視し、誰も裏切らないように常に見張ってるのだ。

602: 2016/01/16(土) 18:37:08.22 ID:Ah1rtJBzo

 当然当時のアーニャもそうであった。部隊に裏切る素振りなんてない。反抗の意志さえない『駒』の一つ。
 だが、アーニャの中にいた『アナスタシア』はその限りではない。
 常に部隊の残酷な仕事に心を痛め、それでも目をそらさず『外』で戦うアーニャを手助けしてきた。

 この狂った境遇からいつか抜け出すため。いつの日にか夢見た、誰もが当たり前に享受できる安寧を手に入れるために。
 そしてその意思は、『外』には決して漏れないため、誰にも怪しまれることはなかった。

 そうして数年かけてようやく廻ってきたチャンス。
 『脱走』は不可能。ならば、部隊から解放されるには『氏』ねばいいのだ。


「あの嵐の海に投げ出されて、生きていられるとはふつう思わないでしょう?

そう、普通なら氏ぬ。いくらアナタが『不氏身』の能力者だからと言っても無事に陸に打ち上げられる確率なんてほぼゼロ。

だけどアナタはここに居る。

偶然にも『あの嵐の海を沈むことなく流れていき』、

偶然にも『能力で氏ぬことのないアナタの意識が海中で復活することなく』

偶然にも『生まれ故郷である日本の港にたどり着く』

ここまで言えば、鈍いアナタでもわかるでしょう?」


「……あなたが、意図して、日本まで到達させた?」


  

603: 2016/01/16(土) 18:38:13.73 ID:Ah1rtJBzo

 すべての物事に因果がある。
 そもそもの始まりにして、偶然ができすぎていたのだ。

 地球上の地表の70%を海は占めている。
 そんな中で、嵐の海に投げ出され意識のないまま無事に陸までたどり着ける確率がどれほどのものだろう。
 その確率を超えて陸地にたどり着いたとしても、自らの生まれ故郷である日本にたどり着くということを運命の悪戯で済ませることができるだろうか。

「Да(そのとおり)

天聖気は物理的なエネルギーに変換できることは知っているでしょう?

アナタが意識のない間も、ワタシが天聖気の放出で舵を取って、『ウロボロス』を頼りにたどり着いた。

ワタシの故郷(プラットノーヴェ グーラトゥ)に」

 彼女の願いの成就は近い。
 このまま部隊からの追っても無く、この国で平和に過ごすことをどれだけ夢見たことか。
 もう流血も、氏骸もいらない。

 誰かが傷つくのも、自分が傷つけられるのも限界だった。

「だけど、ワタシの願いはかなわなかった」

604: 2016/01/16(土) 18:39:50.81 ID:Ah1rtJBzo

 そこからは語るに及ばず。
 部隊から解放されたはずなのにアーニャは戦うことをやめなかった。
 町の人を守りたいなどという、自ら戦いに赴く願いを手に、なおも『アナスタシア』の悪夢は続く。

 『隊長』が直接赴いてきた後でさえも、気が付いたのは価値観のズレだけだ。
 アーニャは自らの戦いを捨てることはできなかった。

「ああ、そうだ。ワタシはずっと押し付けてきた。

いまさら自分が主人格として返り咲くつもりもなかったし、そのまま緩やかに消えていけたらとさえ思っていたの。

それがどう?『みんなを守る』?『ヒーロー』?

信念も何もない、あるのは捨てられない過去への執着と、自己の存在証明のための解決手段としてのそれ。

それの何がヒーローよ……自分の願いさえ汲み取れない愚か者だというのに」

 始まりこそ願いであった。
 だがそれが外界に触れずに、何年も強大な力に侵されれば、本質さえも歪める。

 彼女の願いは彼女自身のあり方を決して許せなかった。

「せっかく手にした平穏を、自ら捨てる私(アナタ)が嫌い。

ママの思いさえ理解できず、いまだに自分を傷つけ続ける私(アナタ)が嫌い。

過去の経験を捨てることができず、戦闘技術を振るい続ける私(アナタ)が嫌い。

たった今でさえも、何一つ自分の愚かな執着が理解できていない私(アナタ)が嫌い。

嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌いキライキライキライキライキライキライ!

でも我慢した。ワタシが押し付けたから。ワタシの責任で私がこうなったのだからって。

我慢我慢我慢我慢我慢我慢ガマンガマンガマンガマン!!!」

605: 2016/01/16(土) 18:41:18.43 ID:Ah1rtJBzo

 顔を押さえ、自らが発する感情を封じ込めようと表情を歪ませる。
 だが指の間から覗く赤い瞳はギ口リと目の前のアーニャを見下ろす。

「……ア……ああ」

 その瞬間、身が竦む。
 蛇に睨まれた蛙のような、格の違う威圧感。

 辛いことを、ずっと自分に押し付けてきた弱い人格。
 それが今、目の前に表出しているというのに、それが耐えがたく理解できず、たまらなく恐ろしい。

 人間は理解できないものに恐怖する。
 数年来気づかぬところで寄り添ってきた心は、すでに怪物と化していた。

「だけど、もう終わり。

ずっと、いつか分かってくれると、こんなひどいことはやめて、普通の暮らしをしてくれると思ってたけど、もういい。

アナタは、結局ワタシを理解できなかった。

ワタシはアナタを見限った。

もうアナタは、いらない。不要なものは、脱皮(ぬ)ぎすてればいいのよ」

「脱ぎ……捨てる?

アナタは……いったい?」

 狂気に駆られていた『アナスタシア』は急に静まり返り、まっすぐ直立しながらアーニャを見下ろす。
 月光は彼女の背を照らし、赤く光るその瞳以外は影に落ちる。

606: 2016/01/16(土) 18:42:21.98 ID:Ah1rtJBzo

 そもそも、疑問はまだあった。
 なぜ、今になって目の前に姿を現したのか?
 これから一体、何をする気なのか?
 アーニャには、目の前の『自分』が何を考えているのかさっぱりわからない。

「この世界は、嫌いなものが多すぎるわ。

なんて暴力的で、なんて救いようがないのか。

全部、やり直さなきゃ。ワタシが望んだ『願い』のカタチに」

 翼が、広がる。
 半透明で、羽毛のような、鱗のような純白の双翼。
 『ウロボロス』は覚醒する。

「やり直しましょう。こんな世界は間違っている。

ママが氏んだことも、パパが氏んだことも、故郷が滅んだことも全部。

『ウロボロス』には、それが可能なんだから」

「やり直す……って、どう……いう?」

 『アナスタシア』の言葉を聞いて、アーニャはその意味を問いただす。
 だが、ただでさえ疲労していた意識は、ここにきて急激に落ちていく。

「さようなら、私。

今までありがとう。結局好きにはなれなかったけど。

いらないものは、全部アナタにおいていくわ。

中身のないアナタは、消え行くだけだけど、せめてワタシのすることだけ見届けなさい。

ずっとワタシがしてきたように、今度はアナタが」

607: 2016/01/16(土) 18:42:55.88 ID:Ah1rtJBzo

「ま……って……く……」

 『アナスタシア』のその言葉を最後に、アーニャの意識は途切れる。
 その場に倒れ込んだアーニャを見下ろしながら『アナスタシア』は小さく嗤う。

「待ってて。全部、叶えるから」

 『アナスタシア』は月を見上げながら、誰ともなく誓う。
 その龍の翼は崩れ落ちると同時に復活し続ける悠久の存在。
 幻想的な輝きを持つと同時に、どこか破滅的である。

 滅びの三竜が一体。伽藍堂の願望機。最新の災厄。無限の大地。円環の龍。

 ウロボロスは世界を終わらせるべく動き始めた。


***



  

608: 2016/01/16(土) 18:44:14.05 ID:Ah1rtJBzo

 エトランゼの朝は早い。
 開店時間は午前10時からであり、事前の開店準備も含めれば9時前から準備しなければ間に合わない。

 メイド喫茶だとは言っても、客に提供する者には妥協はしない。
 サービスも料理もちゃんとしてこそ一流のメイドであるとは、メイド長でもあるチーフの言葉である。

 ゆえに、開店時間前から居座っている、風体が不審者である者に対しても、相応の接客が求められるのだ。

「と言うわけで、みく。逝ってこい」

「またこんな役割かにゃあ!?」

 まだ、時間は午前10時過ぎから5分も経っていない状況。
 開店前から店先に立っていた男は、店内の一席に案内されたのち腕を組んだまま沈黙している。

「だって、あの人絶対普通じゃないにゃ!

メイド喫茶になんて縁もないような感じだにゃあ!

あの筋肉、あの表情、あの眼光、絶対一般人じゃないにゃあ!!!」

「ええい、だだをこねるな!ただ注文取ればいいだけだ!殺されたりはしない!多分!」

「多分って何にゃ!嫌にゃ嫌にゃしーにーたーくーなーい!!!」

「給料上乗せてしてやるし、氏んだら骨は拾ってあげるから、GO!」

「ぶにゃあ!!!」

609: 2016/01/16(土) 18:44:47.53 ID:Ah1rtJBzo

 蹴りだされたみくは、店の奥から転がるように飛び出していく。
 きれいに前転しながら、男の前へと転がり止まる。

「う……にゃあ。ご主人さま、ご注文は……?」

 みくが見上げればその男の見下ろす視線が突き刺さる。
 その眼光は凶悪。人の一人や二人は確実に殺ってそうなほどの視線。
 そしてさらに目を引くのは、その鍛え上げられた肉体。

 膨張した筋肉は、店の椅子では納まりきらず窮屈そうな印象さえ与える。
 それでも一切の隙を生じさせない佇まい。
 通常の人間の身体能力を超える獣人であるみくでさえ、片手だけで丸めてポイされそうだという印象を抱いていた。

 それでもなお必氏に注文を取るみく。
 体は震え、泣きそうになりながら、と言うかもうすでに半泣きの状態ではあるがそこは意地で乗り越えた。

「……オムライス」

 男の口から小さく漏れた超低音。
 一瞬その言葉を理解できずにみくは数秒制止するが、すぐに意識を取り戻した。

「は、はい!『メイド特製、ふんわり定番オムラ……」

「……オムライスだ」

「か、かしこまりましたにゃーー!!!」

610: 2016/01/16(土) 18:45:27.13 ID:Ah1rtJBzo

 有無を言わせぬその声は、みくを撤退させるには十分であった。
 注文を取るという自らの仕事を果たしたみくは店奥に戻ると滑り込むように崩れ落ちた。

「お……ムライス、一つ」

 息も絶え絶えながらオーダーをチーフに伝えるみく。
 その姿には成し遂げた仕事人の佇まいである。

「よくやったみく。後は任せろ」

 倒れるみくを支えるようにチーフは腕を差し出す。
 その背後から現れたのあはみくを見下ろしながら、疑問を投げかける。

「あの筋肉もりもりマッチョマン、いったい何者なのかしら?」

「さてな……あんな変態知った顔なら忘れないさ」

 自分たちは蚊帳の外と言わんばかりに好き放題言うのあとチーフであったが、やはりあんな客はこれまでに来たことがないという点で疑問は尽きない。
 明らかに気まぐれでこの店に入ってきたわけではないあの男に対して、気になることは多くある。

「はっ!……まさか」

611: 2016/01/16(土) 18:46:17.27 ID:Ah1rtJBzo

 ここで何かに気づいたチーフ。
 のあと、若干復活したみくがチーフの方を向く。

「あの明らかに堅気じゃない風貌。いくつもの修羅場をくぐってきたと思われる眼光。

そして、オーダーのオムライス。

あの人は!」

「……あの人は?」

「いったい誰何にゃ!?」



「ミ○ュランマンよ!」



「な、なんだってにゃー!!!……って、へ?」

「歴戦の風貌は星の守護者。昨今のグルメ業界で食の門番をするためには筋肉は必須要項。

そして、卵料理は全ての料理のベーシック。これはほぼ決まりね……」

「ど……どういうことにゃ……?」

 ツッコミしようにも今一つ理解できないみく。
 そんなみくを尻目にのあは冷静に判断する。

612: 2016/01/16(土) 18:46:53.02 ID:Ah1rtJBzo

「なるほど……聞いたことがあるわ。

最近ではレストラン側が星を貰うために苛烈な行動を起こすようになってきて、ミ○ュランの審査員たちが脅されるということがあるらしいわ……

……それで不当に得た星の評価が問題になってきているのよ」

「そう、そのための筋肉、強硬手段に出るレストランへの対抗策としての防衛手段。

あの人の正体は、ミ○ュランの覆面審査員だったのよ」

「なるほどにゃ……ってそんなわけあるかにゃ!

二人ともおかしいにゃあ!」

 みくがとやかく言おうと二人には聞こえていない。
 のあの方は意図して無視している感じはあるが。

「そうと決まれば善は急げ!

日本初の星持ちメイド喫茶になるために最高のオムライスを届けるために、あたしが作ろうじゃない」

613: 2016/01/16(土) 18:47:43.34 ID:Ah1rtJBzo

「まさか……貴女が動くというの?チーフ」

 無表情ののあでさえ、チーフのその宣言によって表情に驚きの色がにじみ出る。
 周囲で仕事をしていた他のメイドたちもざわつき始めた。

 実のところ、このメイド喫茶『エトランゼ』の中で最も料理の腕前が高いのはチーフである。
 チーフが作る料理は、どんなものでも一級品となる。
 食べた者曰く、口に入れれば脊髄に電撃が走るような衝撃さえも走るとか小宇宙を幻視するといわれているほど。

 だが彼女はメインはホールでキッチンには立たない。

「だからみんな、フォローお願い」

 メイド服の袖をまくりながらチーフは静かに言う。
 それだけで、みくを除く全員が臨戦態勢に入った。

 チーフの料理の腕は一流であった。
 だが、絶望的に調理中の要領が悪かった。

 たった一品出すだけでもこだわるあまりに妙に時間がかかる。
 何に使うかわからない調理器具を使いだし、料理が終わるまで洗わず片付けない。

 料理の腕がよくとも、飲食業であるこのメイド喫茶においてはそれはあまりにも致命的であった。
 故にチーフは調理に口を出さず、新人に対しての料理の指導担当と言う位置づけのみになっている。

 だが今日、その枷は外された。

614: 2016/01/16(土) 18:49:21.55 ID:Ah1rtJBzo

「火力が足りない!!」「トマトどこ!?」
「泡だて器片付けて!」「皿をよこせ!」

 荒れる厨房。台風のごとく。
 チーフの渾身の一皿が今生まれる。

「お待たせしました。ご主人様」

 厨房の中は氏屍累々。数多の調理器具の残骸と共にメイドたちが転がっているが必要な犠牲であった。
 その手に一皿のオムライスを携えて、チーフはゆっくりと男の前に現れた。

「オムライス、でございます」

 先ほど厨房で鬼のように鍋を振り回していた姿とは一変し、静かに上品な立ち振る舞いをするチーフ。
 皿の上に盛られたオムライスは金色に輝きながら出来立ての蒸気を上げていた。

「これは……!」

 目の前に置かれたオムライスを見るなり、これまで些細な機微さえ見せなかった男の表情が変わる。
 男は傍らに置かれたスプーンをその巨大な手でつかみ、オムライスへと差し込んだ。

 中から現れるのは定番のチキンライス。橙色に彩られた米は鮮やかな艶を放ちながらトマトケチャップの風味を立ち上らせる。
 その様子を一呼吸観察し、男はスプーンですくい上げ口へと運んだ。

615: 2016/01/16(土) 18:50:02.49 ID:Ah1rtJBzo

「…………」

 男は静かに咀嚼する。
 その間エトランゼ内は沈黙に包まれており、陰からみくを含めるメイドたちがその様子を覗いていた。

「なんて……オムライスにゃあ……。

あんなめちゃくちゃな調理だったのに、見ているだけで涎が止まらないなんて……」

 静かに涎を垂らしながら、男の食事を見守るみく。
 そして男は、一言も発さぬまま嚥下する。

「いかがでしょうか?当店自慢のオムライスは?」

 男の傍らで見守っていたチーフが尋ねる。
 言葉の上では当店自慢とは言うが、普段出されているものとは違うことは伏せておくべき事実ではある。
 それでもチーフが魂込めた、至高の一皿。それがいかなる評価を受けるかは気になるだろう。

「これは……うまいな。まさかこんな喫茶店でここまでのものが食べられるとは思ってなかった。

ライスを包む卵は、しっかりとしているのにもかかわらず柔らかい。

その中身であるチキンライスは、姿を現したとたんに広がるトマトの香りがいい。

味付けも絶妙で、油、調味料、そして米のバランスが最適だ。

付け合わせも申し分なし。シンプルながらも隙が微塵もない。一流の条件を満たしていると言える」

616: 2016/01/16(土) 18:50:57.60 ID:Ah1rtJBzo

 男の口から出たのは、称賛の言。
 それを聞いたチーフは、自分の料理を一流の料理審査員に認められたと錯覚する。

「だが、少し待たせすぎだ」

「!」

「どのような調理をしていたのかは言及はしないが、さすがにレストランとしては調理時間がかかり過ぎだな。

それに、恐らく手間もかかり過ぎている。これ一品だけならともかく、本来注文は次々に入ってくるだろう。

そんな中で、一々このクオリティを維持できるはずがない。

この料理は、俺のために出された料理ではあるが、 『客』のために出された料理ではないな」

 小手先の待遇など、男にはすべて筒抜けであった。
 レストランとして求められるのはその店の質だ。

 その瞬間だけ最高の物を出したところで意味がなく、常に一流の物を提供し続けなければならない。

「接客のスタイルは、俺の風貌のせいもあるかもしれないが十分だろう。

別にわざわざ俺のために気を張る必要なんてない。常に出来る限り最高で、ありのまま自然の経営をすることが一流への近道だ」

617: 2016/01/16(土) 18:51:52.79 ID:Ah1rtJBzo

「……さすがですね。御見それしました」

 チーフは自らの浅はかさに恥ずかしくなる。
 店のためとはいえ、プロの料理審査員に対して失礼なことをしてしまった。
 その後悔と反省がチーフを苛む。

「全て見破られるなんて、さすがは一流の審査員、ミ○ュランマン。

甘い考えで星を貰おうだなんてあたしが甘かったわ……」





「……は?ミ○ュランマン?誰のことだ?」

 チーフの独り言ちた反省を聞いて、男は残っていたオムライスをつつきながらそんな疑問を口にする。

「……は?」

「……はぁ?何を言ってるんだ?

俺はミ○ュランマンじゃないし、これはただの朝食だ。何を勘違いしている」

「あなた……本当にミ○ュランの審査員じゃないの?」

「何を言っている?あいにく俺はあんなフードファイター集団に加わった覚えはない」

「……えー……みんな、かいさーん」

618: 2016/01/16(土) 18:52:53.02 ID:Ah1rtJBzo

 物陰から見守っていた他のメイドたちも馬鹿馬鹿しくなったのかそれぞれの仕事に戻る。
 チーフもまるで何事もなかったかのように男に背を向けた。

「はー……紛らわしい見た目しやがって……ミ○ュランマンかと思って損したわ……。

念願の星持ちメイド喫茶はお預けか……」

「よくわからんが、俺は今すげえコケにされている気分だ」

 もはやメイド喫茶の体すら保てていなかったがそれを咎める者はいなかった。
 男は、失礼極まりない接客状況に青筋を立てつつも一つ小さくため息。

「そこのメイド。ひとついいか?」

 口に運んだオムライスと一緒に怒りを嚥下して、そのまま店の奥に戻ろうとしていたチーフを呼び止める。

「……はい、何でしょうかご主人様?」

 一度崩壊した空気を何とか組みなおして、チーフは通常通りの接客を男にする。
 本音のところ、ミ○ュランマンではなかった時点で興味は失せているのだが、これも客商売である。

「何を勘違いしていたかについてはまあいい。正直言ってどうでもいいことだ。

元々ここに来たのはメシを食いに来たわけじゃない」

 事の本題と言わんばかりに男は眼光を鋭くする。
 チーフもその視線に晒されたことで、目の前の男がただの一般人ではないことを再確認した。

619: 2016/01/16(土) 18:54:25.41 ID:Ah1rtJBzo

「この店に『アナスタシア』という店員がいると思うのだが、今いるか?」

 可能性の一端としてはすでに存在はしていた。
 この突然現れた男の目的として、チーフが予感できる範囲としてはごく自然なものであった。

 先日のアーニャの一件と、今目の前にいる男。
 これらが何か繋がっているのではないかと言う一抹の予感がすでにあったのだ。

「いえ、何のことでしょうか?」

 目の前の男が単なるメイド喫茶でたまにあるメイドの追っかけなんかではないことは重々承知している。
 だがチーフとしても、このあからさまに危険な臭いを放つ男に自分の店の従業員の情報を渡すことなどできなかった。

 特に昨日のアーニャの様子を思い出せば、この男にそのことを話すことなど以ての外である。

「はっ……御託はいい。さっきも言ったが小手先の嘘など無用だ。

今ここにいるか、いないか。ただそれだけだ」

 明らかに店内の空気は張り詰める。
 男の口調と眼光がより鋭くなる中で、店内の『わかる』店員もそれぞれが気を張るので、店内は異様な威圧感で満たされていた。



「……今は、いないわ」


620: 2016/01/16(土) 18:55:23.52 ID:Ah1rtJBzo

 今はまだ昼前に時間であり、客がこの男以外にいないのが幸いしていた。
 チーフとしてもこれ以上店内が殺伐となるのは困るのと、所在などの重大な情報ではないので仕方なく男の疑問に答える。

「……ふん。そうか」

 そう言いながら男は、長財布を取り出し律儀にオムライスの値段分の金をテーブルに置く。
 そして無言で立ち上がりながらチーフに背を向けた。

「邪魔をした」

 ただそれだけを言い残して男はこの店を後にする。



「行かせると思います?」

 だがその脚を止めるように男の目の前に投擲されるのは灼熱の杭。
 それは壁に鋭く突き刺さるが、傷は残さず空気のみを焼き、室温を上昇させた。

「俺は『邪魔をした』と言ったはずだ。

だが邪魔をされる覚えはないんだが、これはどういうことだ」

 ギ口リと男の眼光が鋭くなり、炎杭の主を睨み付ける。
 その視線は先ほどまでの比ではなく、明確な敵意として店内の全員に突き刺さる。
 余波だけで昨日のアーニャのものを軽く凌駕する殺気であり、直接向けられれば常人ならば意識を保てるはずがない。

621: 2016/01/16(土) 18:56:23.18 ID:Ah1rtJBzo

「何を企んでいるかは存じませんけど、あなたにアナスタシアちゃんを渡すわけにはいきませんから」

 だがその殺気さえも意に介さない柔和な笑み。
 魔界の法の番人にして、熾天使ウリエル。柳清良はこのような状況であろうと表情を崩さなかった。

 そしてその背後には、中身を待ちわびように鋼鉄の処Oが杭を鈍色に煌めかせながら口を開いていた。

「最後通告なしでアイアン・メイデンか。

いいのか?ここはそんな物騒な物を出す場所じゃないぞ」

 最悪の拷問具を出されても、男はまるで怯まない。
 殺気と殺気が交錯し、もはやメイド喫茶とは呼べないほどにこの空間は異界化している。

「優先事項と、危機判断からですよ。

絶対にあなたは危険だってわかりますのし、そんな人が同僚の子を狙っているって知れば普通そんな人を放っておかないでしょう?」

 清良はもはや場所もかまわない。
 両の手に大量の注射器が出現し、その針先は橙色の炎を纏っている。
 そんな清良の様子でさえ、男は鼻で笑う。

「はっ、建前はいらねえよ。あんたにとっては同僚とかどうでもいいはずだ。

それよりも重要なのは、『全能神』の加護があるアナスタシアを渡せないからだろう?

そんなに感情丸出しで炎滾らせれば、嫌でも正体はわかる」

「……あなたは!」

622: 2016/01/16(土) 18:57:51.31 ID:Ah1rtJBzo

 ごく一部の者しか知りえない自らの秘密。
 それを目の前の男が知り得ていることが危険因子であると判断する。

 清良は両の手を振りかざしすぐさま攻撃の構えに入った。

「ストップ!」

 だがテーブルを強打する音が店内に響くと同時に制止の声。
 清良は、その声に思わず手を止める。

「これ以上店内でもめ事起こすのは、やめてもらえる?」

 男と清良の間に割って入ったのはチーフ。
 清良は何か言いたそうに慌てているが、チーフはそんなことにかまわず清良に近づく。

「いい加減にしなさい!」

「いたいっ!」

 清良の頬に鋭いビンタを一発入れる。
 身構えていなかった清良は不覚にもその衝撃で、気の抜けた声を出すと同時に出していた装備は全て霧散した。

623: 2016/01/16(土) 18:58:56.75 ID:Ah1rtJBzo

「それと、『お客さん』。営業妨害だから出てってくれないかしら」

「言われずとも、そのつもりだったさ」

 チーフは男に退店を促す。
 男の方も、素直に出口の扉へと脚を向けた。

「……待っ!」

 立ち去ろうとする男を清良は呼び止めようとするが、チーフはそんな清良をじろりと見つめる。

「昨日から問題起こしすぎ、清良さん。

あなたが何者かあたしは知らない。

けど、私情を持ち込んで店を荒らすのはやめてちょうだい。

怯えてる子だっているんだから」

 その言葉に清良は我に返ったように店内を見渡す。
 厨房の片隅で、肩を寄せ合い泣いている同僚のメイドたち。

 それなりに戦う手段を持っているような者でさえ、次元の違う強大な力に晒されて平静を保っている者が大半であった。
 同様に目の前のチーフも気丈に振る舞ってはいるが、冷や汗をかき呼吸が乱れている。

624: 2016/01/16(土) 19:00:23.80 ID:Ah1rtJBzo

「ごめんなさい……。

加減を、忘れてしまったわ」

 この地上においては、『エトランゼ』は数少ない清良にとっての居場所である。
 確かに男の言う通り偶然見つけたアーニャの中の『加護』は彼女にとって重要視する物であった。
 故に『エトランゼ』にいる間は昨日のように常日頃から注意を向けていたのだ。

 だが同様にこの居場所も大切であったはずなのだ。
 それを考えずに暴れれば、本末転倒であった。

「ふん……これはいつも言っていることだが、2度と俺と会うことはあるまい。

別にアナスタシアをどうこうするつもりはないから、ここで大人しくしていろ」

 落ち着いた店内を見渡しながら、男は出口のドアノブに手をかける。
 嵐のように訪れた男は、嵐のように去っていく。





「ちょっと、待つにゃああああ!!!」

625: 2016/01/16(土) 19:01:09.51 ID:Ah1rtJBzo

 はずだった男の手が止まる。
 その声の主であるみくは、子猫のように体を震わせながらも気丈に男を呼び止めた。

「なんだ猫娘。氏にたいのか?」

「うにゃああああああ!こ、殺されるーーー!!!」

 みくは男の脅しに後ろにはねながら尻餅をつく。
 そんな様子をクツクツ笑いながら男はみくを見下ろした。

「あんな様子を見ても、いまだ俺に話しかけてくるか。

何の用だ?猫」

「にゃ、にゃあ……その……」

 みくは怯えながらも、男と向き合い言葉を紡ぐ。

「アーニャン……アナスタシアチャンは……いったいなんなの?

たぶんオジサンは、そのことを知っているんでしょ?」

 誰もが感じていた疑問。
 事の発端である謎を、みくはそのままにしておけなかった。

626: 2016/01/16(土) 19:05:29.43 ID:Ah1rtJBzo

 明らかに様子のおかしかったアーニャをみくは友達として放っておくことができなかったのだ。

「……別に、知っているわけじゃあない。

実際のところ、俺も知ったのはつい先日。そして知ったところで、お前には何もできることはない」

「そんなこと……そんなこと知らないにゃ!

みくは……アーニャンが困ってるなら助けたいから、力になってあげたいから!」

 みくは、自分の気持ちを精一杯絞り出す。
 周囲の人々にハラハラとしながら見つめられる中、男は何度目かのため息を吐く。

「あの情報屋の言い方を真似するならば『ここはまだ、お前の舞台じゃない』とかいうのだろうな。

まぁいいさ。今回の俺は『大団円の舞台装置(デウス・エクス・マキナ)』の使いっ走りだ。

ここで多少時間を潰しても、結末は変わらんな」

 男はみくの小さな肩を軽く一叩きした後に、先ほどまで座っていたテーブルの一つに座る。

「コーヒーのオーダーだ。

そこの清良とか呼ばれていた女も気になるだろう?

人伝の真相だが、この場で紐解いてやる」

627: 2016/01/16(土) 19:06:18.10 ID:Ah1rtJBzo
人伝の真相だが、この場で紐解いてやる」

 時刻は太陽が頂上に昇りきるのはまだ先のこと。

「そう言えば……オジサンっていったい何者にゃ?」

「名乗るほどの名などはないさ。

だが、アナスタシアとの関係を語るなら、元上司。

『元』ロシア政府直轄パビエーダ機関第17部隊、かつてアナスタシアの所属した特殊能力部隊の隊長。コードネーム”P”。

いわゆる、諸悪の根源だ」

 不遜な笑みを浮かべ、『隊長』は再び舞台に乱入する。


***



  

628: 2016/01/16(土) 19:08:04.15 ID:Ah1rtJBzo


 目を覚ませばすでに日は高く昇っている。
 窓から差し込む光が、視界を差し意識を覚醒へと導く。

 少女は、ゆっくりと周囲を見渡し何も変わらぬ自らの部屋を認識する。

「アー……あれは……ゆめ?」

 彼女自身そんな呟きを口に出すが、それは彼女自身が理解していることであった。
 それでも、認めることは耐えがたかった。

 まるで自分の中身を無くしてしまったかのような虚脱感。
 今自分がここに居ると認識できるのに、自分の存在はここにはないという矛盾。

 少女はゆっくりと立ち上がり、洗面台へと向かう。
 顔を上げないように俯きながら、蛇口をひねる。

 冷水を顔に押し当て、意識は鮮明にしても地に足がつかない。
 未だ夢の中のような、幻想に揺蕩う霧のような感覚。

「ああ……やっぱり」

 もはやわかっていたことだった。
 自分は、捨てられた。要らないと切り捨てられたと。
 言葉通り、見限られた。

 要らないものを脱皮(ぬ)ぎすてて、私はどこかに行ってしまった。

 洗面台の姿見には、何も映らない。
 そこに少女は存在しておらず、自らが不要なものを切り捨てた後の残滓でしかないと言うことを告げていた。

「私は……幸せなんかじゃなかった」


***




   

629: 2016/01/16(土) 19:09:14.86 ID:Ah1rtJBzo


 エトランゼの扉には『close』と書かれた看板が掛けられている。

「解離性同一性障害、通称DID。アナスタシアはこれだった」

「でぃーあいでぃー?」

 隊長はカップに入ったコーヒーをブラックのまま口に運ぶ。
 その向かい側に借りてきた猫のように座るみくは、隊長の言うことが理解できずに首をかしげる。

「知性も動物並みか?ガキなら今のうちにもっと勉強しろ。

アホのまま大人になったら、それこそ取り返しがつかなくなる」

 隊長の辛辣な物言いに、文句を言いたそうな眼を一瞬みくはするが、やめておく。
 おおむねその通りであるし、何より反論しようものなら後で何をされるかわからない怖さが目の前の男にはあった。

 今でこそどうにか平常心を保てているが、いまだに目が合えばみくは少し失禁しそうになるほどである。

「もっと簡単に言えば多重人格ね。

目の前の認められない現実や耐えられない苦痛などに対して、それを受けているのは自分じゃないと錯覚する防衛本能。

そこから発生する切り離した部分が人格となって表に出てくるものよ」

 隣ののあが、噛み砕いて説明する。

630: 2016/01/16(土) 19:10:29.02 ID:Ah1rtJBzo

「PTSDとかに近い精神疾患。わりとよくある話だ。珍しくともなんともない」

 隊長にとっても話の本筋ではないのか、さして重要視して話していない。

「ということは、昔アーニャンにとてもつらいことがあったてこと……?

心が……別れちゃうほどに……」

「ああ、俺が壊した」

「それは……どういうこと?」

 さらりと自分が原因であることを話す隊長を、のあはじろりと睨む。

「……昔のアナスタシアの性格は、まるで聖人君子だった。

虫も殺せない。暴力など許容しない。平和を愛し、他人を慈しむ少女。

まさに聖女だ」

 皮肉交じりに話す隊長はその視線を後ろの方で待機している清良へと向ける。

「神の寵愛を受けて生まれた子供は、聖人足り得る性格が形成されることがほとんどなのよ。

だから、当初のアーニャちゃんは天聖気を持つにふさわしい、優しい性格だったのね」

 天聖気を持つものは、純粋で清らかな心を持っていなければならない。
 故に、後天的に天聖気を持つ者以上に、先天的に持つ者の心はより精錬された物になる。
 清良としても、天聖気を持つ者としては常識的なことであった。

631: 2016/01/16(土) 19:11:43.78 ID:Ah1rtJBzo

「だがそんな性格じゃあ、部隊には要らない。

人を傷つけることを頑なに拒んだアナスタシアには、荒療治するしかなかったわけだ。

別に難しいことをさせたわけじゃない。

子犬の命を、自分の手で奪わせただけだ。アナスタシアの手を操って、俺が殺させた。

たったそれだけで、その人格は限界に達して、新たな人格が生まれた」

 猫の獣人であり、動物の感性に近いみくからすれば、その行いは耐えがたいものであった。
 小さな命を、望まぬ者に奪わせる。そんな行いは、みくは絶対に許せなかったし、この話を聞いていた他の者も決して許容できるような話ではなかった。

「どうして……どうしてそんな残酷なことをしてまで……」

 みくは感情のまま口からそんな言葉を漏らす。

「お前が考えるほどこの世界は優しくないぞ。猫娘。

その優しさは尊いが、仮にその状況で虫も殺せないような役立たずに待つ受ける末路なんぞ、想像に容易かろう」

「それは……」

 かつてアーニャから軽く聞いたことのある、以前居た頃し合いの世界。
 そんな中で、そんな優しすぎる性格は不要であり、そのままであったのならば切り捨てられアーニャは今この日本にいることさえなかったであろう。

632: 2016/01/16(土) 19:12:31.14 ID:Ah1rtJBzo

「ともかく、そうして生まれた人格こそ、今のアナスタシア。

任務のためならば無情にだってなれる。今ならば人を守るためにナイフを手に取ることさえ厭わないような少女は誕生した」

 これが事の始まり。
 すべての原点であったのだ。

「じゃあ……その、優しい方のアーニャンは……どこへいったの?」

 みくはその話を聞いて疑問に思った。
 2重人格であるはずならば、もう一人のアーニャが心の中にいるはずである。
 だがこれまでにみくはそんなアーニャを一度も見たことはなかったし、そんな話をアーニャから聞いたことすらなかった。

 つまりアーニャ自身自覚していないし、その人格は存在さえ意識させないほどに実生活上で表出していないということになる。

「……それこそが、今回の騒動の中心だ」

 これまでのはきっかけだ。
 疑問に答えるための前提条件であり、多重人格自体もあり得ない話ではないほどに珍しくもない事象であった。

「そこの熾てん……キヨラとか言ってたか?」

「……ええ。清良で構いませんよ」

633: 2016/01/16(土) 19:13:36.58 ID:Ah1rtJBzo

「そうだな……キヨラ。

お前はなぜアナスタシアに注目していた?」

「それは先ほどあなたが指摘していたじゃないですか。

理由はわからなけれど、『神さま』の加護をアナスタシアが受けている。

そう、理由なんてわからなくても『神さま』が加護を与えたというなら、それに気をかけるのが私の務めですから」

 基本的に清良は自らの正体を隠している。だからこそなるべく情報を伏せるような言葉となるが、それでも隊長には理解できた。

「盲信的に上司を信用するのがお前らかもしれないが、そうじゃあないだろうが。

お前だって思ったはずだ。

お前の『神』は容易に人に加護を与えるか?

直接動くか?最も近しいお前たちに何も言わずに?

これはあまりにも異常だということだ。お前たちが知りえないところで『神』が動いていること。

それこそが、もっとも不安要素として一番だろうよ」

 天界は唯一神ではなく様々な神がいる。
 だがその中でも1、2を争うほどに力を持つ『全能神』が直接介入した事態。
 本来『全能神』は直接介入してくることはなく、配下である天使を介して地上に介入をするはずなのだ。



【次回に続く・・・】





引用: モバP「世界中にヒーローと侵略者が現れた世界で」part12