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カミングアウトに「気持ち悪い」 娘の葛藤、母の真意は…

東海大大学院生の斉藤奈月さん=横浜市で2024年6月4日、宮川佐知子撮影
東海大大学院生の斉藤奈月さん=横浜市で2024年6月4日、宮川佐知子撮影

 娘は勇気を出して、自分がレズビアンだとカミングアウトした。

 それなのに、母の反応は「気持ち悪い」。

 娘は「大切な人だからこそ、自分を理解してほしい」との思いを強くした――。

 そんな実体験をきっかけに、娘は性の多様なあり方を伝える活動に関わるようになった。一方で、母にも後悔の念があった。

 <主な内容>
・誰かに認めてほしい
・「孫の顔を見てみたい」と言われ…
・変化した母の態度
・「心の準備をしていなかった」
・違和感、疑問を大切に

誰かに認めてほしい

 東海大大学院生の斉藤奈月さん(25)は横浜市で生まれ育った。兄と弟の3人きょうだい。ウルトラマンごっこをして遊ぶ活発な子どもだった。

 ワンピースやスカートなど可愛らしい服装が苦手で、髪の毛の飾りも邪魔に感じていた。「着たくない」と反発すると、母に「女の子なんだから」と言われた。

 中学校に入るとスカートの制服を着なければならず、男女の違いを意識する機会が増えた。言葉遣いや振る舞いから友人に「男みたい」と言われ傷ついた。

 「男になりたかったわけではなく、スポーティーでかっこいいのが好きなだけだった」

 男性と交際したこともあったが、中3で「初恋」を体験。相手は女性だった。

 同性愛に関する知識はほとんどなかった。保健体育の教科書に「思春期は性への関心も高まり異性のことが気になるようになる」と書いてあるのを見て、「自分は間違った人間だと自分自身を否定するようになった」。

 誰にも打ち明けられない時期が続いたが、修学旅行をきっかけに高校3年で初めて「彼女」ができた。

 「両思いで相手と心が通じ合うことに大きな幸せを感じた。この気持ちを誰かに認めてほしい、共有したいと思うようになった」と振り返る。

「孫の顔を見てみたい」と言われ…

 大学入学後、親しい友人に打ち明けることはあったが、家族には伝えられずにいた。

 「うそをつきながら生きたくない」。そんな思いで20歳の時に家族へのカミングアウトを決意した。

 きっかけは兄の結婚だ。母から「次は、なつの番だね。孫の顔を見てみたい」と言われた。何気ない一言だったが「期待をさせたくない。仲が良い母に好きな人のこととか、自分のことをもっと普通に話せるようになりたい」という感情がわき上がった。

 その冬、母を温泉旅行に誘った。しかし、「言ってしまったら何かが変わってしまうかもしれない」と不安と緊張のあまり言い出せなかった。

 帰宅して数日後、くつろぎながらテレビを見ていた母に「話があるんだ」と切り出した。なかなか言葉が出てこない斉藤さんに、母は「好きな…

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