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令和の米騒動のお陰で黒米を手に入れた


 「米が足りない」

 南海トラフ発生の危機を煽ったマスコミ報道から始まって、「令和の米騒動」はまだ続いているようです。
 最初は単に心理的な不安に過ぎなかったものが、自民脱税政府のお米を粗末にする政策で拍車をかけています。


 これを機会に改めてコメのことを考えるべきでしょう。


 政府は「コメの需要は減り続けている。」なんて言って減反政策を続けるとしていますが、あまりに無責任です。
 先のことは分からないのです。政府が手出しすることじゃありません。
 レッセフェール、自由経済はデリケートなものです。

 政治のパフォーマンスのためにあれこれイジくるのは危険です。


 だいたい、それは日本の農業のための政策とも思えないのです。

 河野や小泉たちが嬉々としてダボス会議に行ったように、グローバリストたちにおもねって水耕栽培を削減しよう、そのデマに乗っているだけでしかないからです。
 人々が餓えれば彼らは儲かる。
 彼らは権力を持てるのです。

 
 こういう毛沢東がやったみたいな独善はホントに危ない。


 独裁主義、こういうのが今、西側世界を覆いつくしているのです。


 まあ、備蓄なんて意味がありません。
 臭くなったおコメなんて誰も食べたくないでしょう。
 新米が、だからいずれ出てきますってw(笑)。

 拍手コメントいただきありがとうございました。




 買占めが連鎖的に起きてスーパーから米が姿を消しました。
 最近はみんなすぐ買占めに走る。

 その行動には政治不信、社会不安もあると思います。


 その上、「自分だけよければいい」そんな人々も増えているのでしょう。
 何が悪いか、とw。
 競争です。遠慮なんかしてたら命を奪われる。
 そういう風潮もまた自己防衛に人々を走らせるのです。不安が連鎖する。


 じゃあもっと鬱憤と不満が大きくなって、岸田を即刻退陣させること、自民を崩壊させるようでないといけないのではないか。
 このままでは命が危ない。


 いつしか政策の失敗は引き返されることがなくなりました。
 政策が間違ったと分かっても撤回されなくなってしまったのです。利権。


 もっともっと、米が足りなくなっていいのかも知れません。


 ワク打った人々です。
 マスコミに煽られた人々です。
 コロが怖いと、たいして効果もないのにマスクをし続けた人です。

 コロ感染拡大防止だと「釣りはイケない」、こんな馬鹿な話に納得した人々。

 プールでマスクをした人たちがいました。
 ウォータースライダーでマスクをしたのですw。
 サウナでマスクをしている人たち。そんな人は今もいるらしいw。


 コメが足りなくなり、餓えるかも知れない、その恐怖はもっと広がってもいいのかも知れません(笑)。


 しかし買い占めてるのはどこなのでしょうか。
 何も一般の人々ばかりでもない。
 香港の店頭には日本の米がたっぷり売られていると言います。米問屋。

 国民の生活を犠牲にしているのは誰なのか。政治です。官僚です。
 政治を追い詰め、官僚を追い込む国民怒りのマグマが生まれるのなら、アタシはもっと騒ぎになってもいいと思ってる。

 災い転じて福となすべき。




 まあ、街の米屋さんでは米がカラッポということもないようです。
 スーパーの棚だけがカラッポです。

 それからするとスーパーというのがどれだけ米を安く買い叩いてきたのか、よく分かるというもの。
 とたんに並べられなくなってしまったんだから。
 優先的に卸してやる義理もないということでしょう。

 文字通り、「そうは問屋が卸さない」(笑)。



 ここにスーパーなど大規模店舗流通の脆弱性が見えます。

 これが個人商店を残さねばならない理由である、アタシはそう思うのです。


 それは何も爺さん婆さんの個人商店を守れ、そんな情実の話ではありません。
 特に都市部でこそ個人商店は必要ということです。


 商品流通としてはスーパーは商売としてフットワークが軽すぎるのです。
 だから買占めがちょっと起きれば棚から商品が消えてしまうし、とたんに入ってこなくなります。
 都市機能としては脆弱なのです。

 これは電気消費なんかを考えれば分かることです。
 都市ほど電力が不足しがち。
 要は都市に人々が集中しているなら安全弁が必要になるということです。ルーズなところがないと集中のストレスに耐えられないのです。


 都市ほど余裕が必要ということです。
 過密によるメリットを享受するというなら「アソビ」というのがないと様々な危機に対応できません。
 そして都市部でのリスクは大きいのです。




 そこには裏腹の板ばさみがあります。
 これは何でもそう。

 「トヨタかんばん方式」なんてとっくに間違いだったと言われています。
 無在庫なんて言ってればサプライチェーンなんてちょっとしたことですぐに寸断されてしまう。


 効率と無駄のジレンマです。
 「能率」とか「効率」を言う人ほどムダで無能ということはよくあります。
 河野太郎。
 本当に効率のよい人はちゃんと休むし遊んでるわけです。


 「忙しい」なんて、そんなことを言う人に限ってムダが多い。


 個人商店ぐらいの硬直性がないと耐えられないのです。
 商売としてではなく商品流通として考えると、スーパーというのは変動が大き過ぎる、ボラティリティが高すぎるのではないか、ということです。


 スーパーというのはそれほど社会に対して責任を背負ってはいません。
 従業員はパートやバイトばかりですし利益を最大化しようとする。
 商売にならなければすぐ止めてしまうのです。

 最近では売れ残りを半額にしたくないと廃棄ばかりしてる店さえあります。
 その分、廃棄コストは商品価格に転嫁され高くなりました。


 値段を動かしてばかりいれば客はついてこなくなる。スーパーの流動性の高さはちょっとしたパニックや変動にすごく脆弱です。


 「国土強靭化」なんてとっくに飛んでっちゃった!(笑)
 
 その昔、自民裏金政府がよくそんなスローガンを言ってましたがw(汗)。
 能登が放置されてアレですから。もはや言葉も出ないw。

 

 しかもコメは米問屋が間に入っています。農協が入ってる。

 彼らはコメ農家から搾取し寄生している連中です。政府べったりで農業のことなど考えもしていない。
 「道の駅」なんかの直売所から買う方が農家はずっと喜びます。

 農家は収穫の一定量を農協やコメ問屋に流さないといけません。義務です。
 まるで年貢のように安く買い叩かれる。
 それでも我慢しないといけません。


 そうして農家は「自分のところで食べる用」と言ってコメを隠す。
 なんとかピンハネされずに正当な値段で売ろうとするのです。



 実際、「米騒動」という教科書にある事態は1918年に起きたものです。
 教科書で混乱する市街の挿絵を見た記憶があります。
 それは歴史上の百姓一揆や打ち壊しとは区別され、市民の抵抗運動の発生と広がりになったという説明がされています。

 デモクラシーの発芽がそこにあったと言われています。


 放火や略奪、ストライキなどがあってそれは全国的な暴動に発展しました。
 死者も逮捕者も、扇動で死刑判決を受けた人々もいた。


 ちょっとウィキを見たらコトの発端は富山だったということです。
 アタシは能登半島地震被災地のことを思ってしまう。


 価格上昇による米投機が原因で買占めが起きたのでした。価格が高騰して怒りは沸点に達し米問屋が襲撃されたりしたとか。


 今の自民政府の傍若無人、独裁はもはや暴動や内閣退陣運動、そうした事態に発展してもおかしくはない!




 アタシは先日、黒米を買いました。

 米が出回ってないというのにあるのを見たもんだから興味津々、ちょっと米屋に聞いてみたのでした。
 今ちょっと高いんだよネエ、なんて言う。
 新米がもうすぐ出てくるヨ、なんて言います。


 ついでのようにして米屋が「黒米があるよ。」なんて言った。
 黒米?
 他の米は値上がりしているけどこういうのは値上がりしてないとか。


 買ってみました。玄米のままいただいた。

 珍しい高いコメです。
 こんな米騒動なんてなければきっと買うことはなかったでしょう。
 値上がりしてないから比較したらお得に見えたのですw。



 黒米というのは古代米のひとつだそうです。
 昔の時代のお米。シーラカンスというわけですw。


 我が国の稲作は古来から品種改良を重ねてきました。
 その前の古い遺伝子のままの米だということです。
 黒米は「五穀米」なんて言って売られてるものにも入っています。

 他に赤米なんてのもあります。

 アタシは黒米は食べたことがありませんでした。
 赤米は食べたことがあります。味は違うし素朴でおいしかった。

 
 買って、普通の米と混ぜないでそれだけで炊いてみました。

 真っ黒!(笑)




 しかもこれ、もうほとんど餅米みたいなコメなのです。
 すごい粘りがあります。
 アタシが軟らかめに炊きすぎちゃったとも思えません。


 粒は小さめ、ヒノヒカリぐらい小さい。
 それを浸水してひと晩置いたら、大きく膨らんでた。
 かなり膨らんだ。

 それで真っ黒なのです(笑)。とぎ汁も黒い。よく洗い流しました。


 味は普通の餅米。アタシはちょっとフルーティーな感じがした。
 家内は特に米と変わらないなんて言ってる。
 面白い。

 いいじゃない! 米騒動で瓢箪からコメだ!www


 この黒い色にはポリフェノールが含まれてるそうです。
 味は普通のお米です。いいではないか。


 「でもさ、これだけ黒いと焦げても分からないよね。」


 ああっ! そういう問題はあるのか。鋭いご指摘w。
 気をつけて焦がさないようにしましょう。




 冷や汁。
 身欠きにしんの照り焼き。

 糠漬け、茄子の梅漬け、ゴーヤの漬物。


 ゴーヤは取れたてを漬けました。
 農家がもいでくれたばかりのモノ。美味しいものです。


 もずく。
 これ、なんか馬鹿な記事を見ましたぞ。
 「もずくが好きで毎日食べてるのですが家系負担が心配です。」なーんて。

 それで記事が、もずくの値段と海草にかかる平均出費とか弾いて、って、訳が分かりません。

 なんちゅうコタツ記事! くだらねえ。

 知るかっ!
 食いたいものを食えばいいではないか!


 アタシのところはもずくは240グラムで199円。
 家内と二人でひとつずつの小鉢、5回で食べ終えます。
 一食20円です。

 
 豆腐、自家製ワサビ漬け。まだ暑い残暑の冷えた食事。

 ワサビ漬けは美味しくてあっという間に食べちゃった。
 また作らないといけません。
 酒粕とスーパーの袋のワサビで作っているのはどうぞご内密に。



 ふと、最近、家内の食事の仕方が変わったのに気がついた。


 暑いので冷や汁は美味しいと思ってくれてるようですが、最近ご飯をいつも茶碗に少しだけ残すようになったの。

 で、冷や汁をいただいてから最後にちょっとだけ残ったご飯を食べる。
 そんなやり方をするようになった。

 前は家内はご飯を平らげて最後に汁を飲んでいました。
 アタシはというとご飯を食べながら汁をいただきます。家内は食事を終える最後に汁を飲んでいた。

 家内はあんまり汁が好きではない。そういう習慣があまりない人だからそんな食べ方をするのかも知れません。


 で、聞いてみたら、

 「最後に汁を飲んで終わると汁がクチに残るからw。」


 だからご飯で食事のシメにしてるというのです。
 ふーん。

 「それだったらご飯がクチに残ったりはしないか?」

 黒いおコメで食事をシメるとお歯黒みたいになったりして(笑)。


 古来の風習の「お歯黒」というのはアタシはレイプ抑止、襲われたりするのを防いだり浮気防止のために女性がしていたのか、そう想像してました。
 ガン黒ギャルとかも。


 どうやらそれは違うらしい。

 ちゃんと当時の人々はお歯黒に美的な感覚、艶っぽさを感じていたとか。
 それが変わっちゃったというだけらしいのです。


 へえ。
 すると黒米を食べる様子も昔はセクシーに見えたのかも知れませんw。



おそまつ
めいしくおしあがれ


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身の回りに優しいこだわり


 「ひとりマンダム」

 いつの間にやら顎の辺りをさすっている。

 「うーーん。」

 思索、嘆息。納得。
 得心して自慢気な時もやる。

 なぜかマンダム。ひとりマンダムなのですw。


 拍手コメントいただきありがとうございます。

 自分がない人というのはまずいません。
 自分を失ってしまっている、忘れてしまっている、それはあると思います。「我を忘れる」とも言います。

 人間、あっという間です。そのために生きている。




 って、なんだか「法話」のようになってきたw。
 仏の道の法、仏法の教えをお話しすること、これを法話と言うわけです。
 何も法律の話じゃない。法律解釈や裁判の解説ではありませんw。

 「裁き」というのは自らが下すことになるとアタシは思うけど。
 閻魔大王の前では自己申告制のような気がします。弁護人はなしw。



 って、ア・・・アタシは坊主かっ!

 いや、まだまだっ! まだ禿げてないっ! www


 ああ、でも最近つとにヤバいんだw。
 スポクラの洗い場で鏡を見るでしょ。髪が濡れてるわけです。
 そうするとスゴーく薄く見えるのw(泣)。

 普段はそんなに気にならないのに。

 AGAって最近は言うらしいです。薄毛症、禿げのこと。


 どうしましょう。
 禿げないようにすると性欲が落ちそうだし・・・(略)。

 人間、生命の危機を感じるとムラムラとくるそうです。
 子孫を残そうとする。生命の危険を直感すると性欲が湧くとか。


 でも、アタシは愉しみのために性欲を使う方がいいな。



 人が自分の持ち物に愛着を感じる。
 それはごく普通のことです。

 持ち物って言っても、下の・・・(略)。
 いや、無機物についてのお話ですがw。

 まあ、ご自分の「持ちモノ」と、アレのことを言うことがありますがw、それは「擬人化」ならぬ逆、「無機物化」した表現だと思います。


 「脳味噌が回らねえ。何も考えられん」

 「そろそろ腰に油をささねえといけねえなぁ。」


 なーんて言うことがありますw。
 自分の肉体をまるで無機物であるかのように言うのです。

 どうして?
 きっとそっちの表現の方がこだわれるからだとアタシは思うのです。
 ちょっとイジって調子をみたり具合を見たり、優しくいたわるにはそっちの方が自然かも知れないからです。
 


 無機物を生き物や人間のように見立てること、これは「擬人化」って言います。言葉があります。
 しかし自分のカラダなんかを機械か何かのように言うのって何て言うのか。


 その方がこだわれるからだとアタシは思うのです。
 カラダはクチなんてきいてくれないが、左の腕のスペアが欲しい。


 「そんなとこ左腕ないでよ。」





 アタシたちの魂は無機物と生命、これをあまり区別しない気がします。
 それは私たち主体からすれば区別する意味がないからです。
 アタシたちにとって「友」とするのはどちらも同じ。


 モノを使っているとかけがえのない物と感じるようになったりするものです。
 魂がこめられたりもする。
 よく手に馴染んだ、自分の愛用品、日用品。


 見ればただの製品です。どれも変わりはありません。
 でも、「これじゃないとダメだ」、そんな感情が湧くことがある。

 無機物が語りかけてくることだってある。
 励ましてくれているような気がすることがあります。

 長年使ってきたこいつ、それとともにアタシの人生があるような気もしてくる。
 壊れると悲しい。


 無機物とは対話がしやすい。
 ペットや他人のように感情があるとまた違います。尊重してやらないといけない。

 無機物が何か語ってくれるのはあくまで自分の魂の共鳴。
 答えないのを分かってて私たちは話しかけるのです。


 「こんなぁ夜にぃ、お前に乗れないなんてぇ!

   こんな夜に、発射ぁできないなんてぇぇぇ!」w



 作家や著名人の記念館などで、そんな「故人の愛用品」というのを展示していることがあります。
 直筆原稿なんかの展示に混じって、なんてことない万年筆や眼鏡が展示してあったりしする。


 アタシはああいうのって昔はその展示の意義が分かりませんでした。
 こんなの誰でも買えるようなモノではないか、と。
 作家はこのペンを使ってあの名作を生み出したのだ、なんて言われても、なんだかこじつけに思えたものです。


 直筆原稿の展示だったら筆跡や修正した痕跡があります。なかなか興味深いものです。
 しかしペンや万年筆なんてどうなのか。
 誰だって道具を使うものでしょう。その道具は特別なものでもなんでもない、そう思ったからです。

 
 でも、その作家は万年筆にこだわりがあったはずなのです。
 心の中で対話があったはずです、そう考えたらその作家の創作の姿が目の前にありありと浮かんだのです。

 きっと大事にしたんだろう。よく手に馴染んだことだろう。
 手に握って万年筆に伝わった体温が、そのエネルギーが作品へと転化していった。そんな光景が浮かんだ。


 細かい字でビッシリと、開かれたままの原稿のそばには万年筆が転がっていて、それをふと触ってみたらまだ温かいような気がした。
 それを書いた父はもうとうに亡くなっていたのに。


 作家が万年筆に向けた意識、それを考えると、その魂に触れられる気がする。




 「これこれ、飲むならこのグラスじゃなくちゃダメなんだ。」

 「今日は道具がいつもと違うから巧く釣れなかったナ。」

 「いいクラブだとスイングがしっくり来るもんだね。」


 などなど、我々にしてもよくある話。
 アタシたちはそうやってモノと対話し、自分の魂の一部をモノに移してゆくのです。
 まるで自分の心を転写するかのように自分の気持ちを刷り込んでゆく。

 そうして死ねばそのモノには宿ったものが残っている。
 アタシにはそれが信じられる。


 供に人生を旅して、そのモノたちと一緒に格闘してきた時間があります。
 達成のために協力した相棒でもあります。
 身の回りにあるもの。

 
 モノはいつしかただの存在ではなくなる、ただの無機物ではなくなるのです。

 「いつもの場所になかったら気持ちが悪い。」もしそう思ったら、それはもう自分だけのモノになっているのかも知れません。


 それぞれのモノや愛用品が自分の周りを固めています。
 そうして暮らして、食べ、笑い、悲しむ。怒る。生きる。


 それはアタシたち人類が古代人の頃からのことです。
 そうした「自分のものにする」という魂の転写は古代からあった。

 石斧、勾玉、銅鏡。
 今を生きているアタシたちはそれらの遺物から大昔の魂を感じることができます。

 よく心を澄ませて感じ取れば、魂の指紋がついているのが分かる。




 「使い捨て」というものにはそうした感情移入がなかなかありません。
 現代では使い捨てになってしまったものも多い。

 アタシはあまり好きではない。
 むしろ「とことん使い倒す」、そっちのタイプです。

 そうして、いつかアタシより先に壊れてしまったら、それはしょうがない。
 お別れと感謝を胸の中で言ってアタシは処分する。


 自分のモノは最後まで看取ってやりたい。アタシはそう思ってます。
 断捨離は苦手w。

 どんなに汚くなっても愛用する。
 汚れさえなんだか取り去る気がしない。



 「惑星ソラリス」。
 地球を遠く離れてしまった男。寂しさはつのります。茫漠とした行き場のない困惑。
 優しく世話してくれたアンドロイドがつい服の汚れをさっぱりキレイに落としてしまいます。は激しくイラついた。
 「あの汚れは俺の数少ない地球の思い出だったんだ!」、と。

 女型アンドロイドは汚れを復元してやります。
 でもダメなんだ。そうじゃない。なんだか違うんだw(泣)。



 家のことも隈なくアタシは知っておきたいと思う。
 アタシが眠り、食べ、暮らす家なのです。
 普段見ることはない縁の下のことだって身近に感じていたい。
 今、あそこはどうなっているかな、なんて。


 そして庭。庭木。
 そこまでゆくと庭木は無機物ではありませんから、違うように思えるかも知れませんが、私の心を映しているのは同じ。


 そうして色んなモノに感謝するのです。ありがたいと思う。

 アタシはだからちゃんとしてやりたい。
 モノには所定の場所を与えてやりたい。


 うっかりして何か、見当たらくなってしまうとアタシは動揺してしまいます。

 「また出てくるヨ」なんて言われても納得できない。用はなくてもどっかに行ってしまったことに困惑する。
 探し回って一時間もかけたりしてしまう。





 モノには自然にピッタリと収まる場所ができます。
 その居場所を作ってやるということも私たちはよくします。容れ物を作ってやる。ケースをあつらえてやる。

 たいていの人はそういう風にモノを扱ってやるものです。
 それはモノへの敬意でもあるし、自分の一部として大事にするためのお膳立てです。
 自分を大事にすることでもある。

 借り物ではない、自分のモノ。


 だから、何でも出しっぱなしにしてはいけない、なんてw。
 アタシは家内と知り合ったばかりの頃からそんなことを煩く言ったものです。
 出しっぱなしにするな、と。 モラハラ男w。


 それはきっと、家内はアタシの長いパートナーになるに違いないと思ってたからではないか。
 だから家内の愛用のモノはちゃんと収まるところに収まっていて欲しいと思ったのです。

 それが家内の魂の一部でもあるからです。
 

 今では家内はコレクションボックスを使って集めたものをまとめている。
 キラキラ光るもの、石や種、拾った不思議な形をしたものを集めて飾っています。

 よく使うモノは自分で管理できるようになった。



 こういうこと、それは「優しいこだわり」とも言えるものだとアタシは思うのです。あるいは「穏やかな執着」。


 自分の家だ、家に感謝などない、無機物は無機物じゃないか。
 そんな人もいるかも知れません。

 しかしアタシを守ってくれている家です。
 アタシの暮らしている家なのです。


 どんな風になっているか気にかけてやる。こだわってあげる。


 この家の前の持ち主の気持ちのようなものを感じることがあります。
 子供を三人育てた家でした。

 それは霊魂とも違う何か。
 アタシはその吐息を感じる。受け止めてあげる。
 やがてアタシもいつかは消えていくから。


 家内に「縁の下に誰か住んでたりして」なんて冗談を言ったらちょっと怖くなってしまったのだって、そんなアタシたち以外の魂を感じていたからではないか。




 よく通りがかる大きなマンション。そこの車寄せ付近で熱心にクルマを磨いている人がいます。
 見かけるたびにしょっちゅうやっている。

 出入りの多い奥の駐車スペースからクルマを出してきて、バケツに水を入れてマンションの出入り口付近でせっせとクルマを磨いてるのです。


 老人でいかにも元役人風。
 周囲にビクついてるのがよく分かります。決して目を合わせない。

 罪にまみれて孤独、哀れな人なのでしょうか。
 隠れてコソコソと引退後の官僚人生と天下り人生の終盤を過ごしているわけです。


 犬のチロのために夫婦で惨殺された厚労省の役人がいました。
 マスゾエはそれはテロだとうっかり漏らしてしまったものです。
 厚労省の大罪。

 昔から、動機を偽装するようなことはあったのです。
 統一教会憎しの犯行だったとかw。笑うしかない。

 トランプを暗殺しようとしたわずか二十歳そこそこの男の口座には多額の現金が振り込まれていたとか。
 なんでそんなものが?
 シークレットサービスは「屋根の上に銃を持った男がいる」、そんな通報が複数あったのに見て見ぬフリをしていた。


 ・・・ともかく、腐敗しきった連中はそこらじゅうにいます。
 自らの罪を隠してコソコソとしている。

 しかし、それだって人間として生きているのです。餓鬼道に落ちても苦しみは終わらない。


 そんな人でもクルマを磨いていると楽しくなるのでしょう。それが分かります。
 相棒が欲しいのでしょう。でないと不安になるのです。

 もういい年齢です。運転など楽しくもないはずです。
 馬鹿みたいにせっせとクルマを磨いてちょっとだけ近所を走って戻ってくる。


 精一杯そんなモノへ愛情を注いでいるのです。

 そこまでゆくと「こだわり」ってのも薄っぺらなものです。
 自分のことしかない。自己満足でしかない。

 「クルマが好き」なんて言ってる連中に多いと思うのは気のせいか。

 ダッチワイフみたいなものでしょうか。
 クルマをせっせと磨いて人生の汚れを消してるつもりなのか、どうか。



 なんだか言い訳じみてて嫌な人生だけど、もう取り返しはつかない(笑)。



おうぞどだいじに



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