2022年08月09日

入山辺のムラ境のお地蔵さん

更新情報
🚩推定した石仏名を修正 2022/08/10 Rev.1
Original 2022/08/09 Rev.0


入山辺のお地蔵様_2.jpeg 松本市街から美ヶ原高原に登るアザレアライン(県道67号)を走り始めると、山辺ワイナリー🍇で知られる入山辺地区に差し掛かる。

 地形的には薄川が形成した典型的な扇状地で、薄川の両岸段丘上にある傾斜地に民家が点在する人口おおよそ2,000人くらいの静かな農業振興地域である。



 そんな入山辺地区を道なりに走って🚗いると、やがて視界から民家が消え、道の両側に山が迫って来る。いよいよ山道に差し掛かったと感じ始めたその時、急勾配の直角に近い上りカーブの川側隅に、朱色の鳥居や石仏が密集して佇んでいる一角が目に入ってきた。いわゆる「ムラ境のお地蔵さん」と思しき佇みに、一瞬、車を止めて写真を撮りたい衝動に駆られるが、この上り急カーブでは停められない。やむなくカーブを少し通り過ぎた先で駐車して、引き返してきて撮った写真がこれら↓↓↓



入山辺のお地蔵様_3.jpeg
かなり急勾配な坂道のカーブ
入山辺のお地蔵様_6.jpeg
ムラ境のお地蔵さんか
入山辺のお地蔵様_7.jpeg
大きな木の下に複数の石仏や朱色の鳥居が
入山辺のお地蔵様_8.jpeg
もう少し近づくと...



 ここでの「ムラ境」は、自然的(地形的)境界と象徴的(精神的、社会的)境界を兼ねる境《現世=ムラ=内 ⇄境|界⇄ 外=ヤマ=あの世》であり、「ムラ境のお地蔵さん」は、村が機能し始めた頃から歴世にわたって崇拝されたさまざまな信仰の表徴(石仏、石塔、鳥居と社、石灯篭)を集約して祀っているのであろう。


 しかし、無知無信仰な小生にとって、これらの石仏が具体的に何を表しているのか理解することは難問極まりないのだが、この際なので、解明にチャレンジしてみようと思う。(間違い多々あって信憑性は怪しいので、ご容赦ください)



―――――――
私的解明結果! → 0点
―――――――

後日、入山辺地区地域づくりセンターから頂いた石仏情報に照合すると全て間違っていました。 以下に青記訂正します。 Rev.1 追加


入山辺のお地蔵様_14.jpeg
写真:左端(大木の根元に鎮座する3体の石仏の左端)
推定石仏:馬頭観音 →青面金剛
推定理由:◎
@ 頭上に馬の頭部と思しき物を戴いている。
A 手が六つで武器のようなものを持っている。
B 表情が憤怒に近い厳しい表情をしている。
 (但し、馬口印の判別は不可能)
◎ 確証あり


入山辺のお地蔵様_10.jpeg
写真:右端(南無阿弥陀仏と刻字された文字塔)
推定石仏:庚申塔】(文字塔) →念仏供養塔
推定理由:◎
前面の刻字された
@「南無阿弥陀仏」は阿弥陀如来に通じる
 (阿弥陀仏如来立像を刻像した庚申塔あり)
A 庚申塔を示す「◯..◯十二庚申天」と刻字あり
◎ 確証あり

写真:上の庚申塔の左側(石積みの灯篭)
推定石仏:庚申灯篭 → 石仏ではない
推定理由:△
@ 庚申塔に並んで設置されている
A 庚申灯篭は実際に存在する
△ 推定の域を出ず


入山辺のお地蔵様_12.jpeg
写真:朱色の鳥居と社
推定神社:大山積神社 →稲荷神
推定理由:△
@ 古来より当地区は美ヶ原高原や三城牧場
  などの山資源と深く関わっている
A 山の恵みをもたらす山の神として崇拝
△ 山村ゆえの山神信仰はあるはず


入山辺のお地蔵様_8b.jpeg
写真:朱色の鳥居の奥(崖側)5体2列の石仏
推定石仏:六地蔵 →馬頭観音】9体
推定理由:○
@ 六地蔵は5〜7体で構成される
A 5体1列の六地蔵が2組祀られている
B 2列は異なる時代に建立されたと見る
○ 配置形状に若干客観性ありも推定の域


入山辺のお地蔵様_11a.jpeg
写真:馬頭観音の右横2体の石仏
推定石仏:1)道祖神 →牛頭観音】2体
     2)【六地蔵】or 3)【六観音】の一部
推定理由:▲
@ 単体道祖神2体と見る
 (右側の像が女性の表情・服装をしている)
A 先に5体1列の六地蔵2組としたが
  6体目が離れて設置されていると推定
B 馬頭観音の横に並ぶ六観音の何か二つ
▲ 推定の域を出ない




 はて、正解率にして30%あるだろうか。甚だ自信がない。それだけ何も学んでこなかったし、知らないし、ましてや日常の生活に根ざして諸々の神々や仏さまと一緒に暮らしているなどと考えたこともない。...とは言うものの、年に一度の除夜の鐘と初詣は神妙な気持ちでお参りするし、野山を旅して石仏、道祖神の類を目にしたり神社仏閣を訪れた際には、俄に殊勝になって手を合わしたりするのだから、考えてみれば奇妙なものである。


 かつては日本には八百万の神様や沢山の仏さまがいて、人々の生活に根ざしていたわけで、ある意味それらの神々や仏さまと一緒に暮らしていくことは、自然とともに生きることであった。しかし、明治維新以降の宗教政策というものは、日本人に本質的な自然信仰をただただ唾棄させ、富国強兵や豊かな物質社会を追う中で、何やらありがたく見える外もの宗教を取り入れ礼拝してみたり、訳のわからない新興宗教を信じて家庭崩壊したりと、凡そ日本人がDNA的にもつ自然信仰を弱体化してきた歴史と言えるのではないだろうか。


 案外、複雑怪奇に高度化した現代あるいはこれからの社会にこそ、「神道の潔さ」や「仏教の持つ謙虚さ、慈悲深さ」が息づく八百万な自然信仰こそが救いとなるのかもしれない。


 ムラ境のお地蔵さまは、そう語りかけているのかもしれない。…(閑話)






後書  Rev.1 追加
@ まず、問い合わせに対してご丁寧な石仏情報を連絡くださった入山辺地区地域づくりセンターのI様に感謝申し上げます。ありがとうございました。
A 無知なりにいろいろ調べて、こうじゃないかと推定してみましたが、やはり外れました。当然ですね。なお、推定理由は修正してないので参考にしないよう注意ください。もう少し基礎知識を勉強しなければいけないと思います。反省です。





■参照情報
 ▼石仏(Wikipedia)
 ▼松本市入山辺地区(松本市公式HP)
 ▼村落の境界とその空間構造に関する一考察(立命館地理学第4号 松岡健)
 ▼念仏供養塔(狭山市HP)
 ▼青面金剛(Wikipedia)
 ▼稲荷神(Wikipedia)
 ▼馬頭観音(butsuzo link)
 ▼牛頭観音(大日魔人の閑潰誌)




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/media/img_20060423T172044703.jpg忙中閑話。。閑話。。。
posted by 忙中閑話 at 16:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行・紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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