第6回ソ連でクーデター、緊迫の中の情報収集 31歳佐藤優氏が伝えた危機

有料記事世界が震えた1991

高島曜介
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 1991年8月19日午前6時8分、モスクワでの異変をソ連国営タス通信が報じた。「ゴルバチョフが健康上の理由で大統領の職務遂行が不可能となった」「(副大統領)ヤナーエフが大統領の職務遂行を開始した」。非常事態国家委員会(非常事態委)が立ち上がった。

 停滞する社会主義大国・ソ連で改革「ペレストロイカ」を進めるゴルバチョフが、その座を追われようとしていた。時差6時間で同日正午過ぎの東京では、国会内で政府・自民党首脳会議に出席中の首相の海部が一報を受け、外相の中山に情報収集を指示した。

 日本の外交官らは奔走し、政府も対応に追われた。外務省が2022年末に公開した外交文書「ソ連非常事態宣言」という3冊のファイルにとじられたその記録は、1300ページ近くに及ぶ。

外務省は2022年12月21日、湾岸戦争やソ連崩壊などが起きた1991年の出来事に関する外交文書を公開しました。米ソ対立の冷戦が終わり、国際社会が新秩序を探る中で激しく動いた年。日本外交の舞台裏を映す文書とともに振り返ります。

在ソ日本大使館から焦りにじむ報告

 「(91年8月19日)午前…

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この記事を書いた人
高島曜介
東京社会部|調査報道担当
専門・関心分野
事件、外交、安全保障
外交文書は語る

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30年が経過した外交文書は原則公開対象となります。朝日新聞の記者らが、これらを徹底して読み込み、取材や分析を加え、日本外交史の真相に迫ります。[もっと見る]