サンデル教授が指摘する「議論の危機」 分断や無力感を超えるには
議論が足りない。
議論の余地がある。
さらなる議論が待たれる。
こんな批判をよく聞く。誰が何を、どれだけ議論すれば十分か。判然としないことが多いが、議論がうまく機能しているとは言いがたい状況があるようだ。
日本に限らず、世界の民主主義国で議論が危機にある、と指摘する哲学者がいる。
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授だ。
「白熱教室」で若者との対話を重ねてきたサンデル教授は、政治の議論が「怒鳴りあい」と化し、市井の人とは縁遠いものになっていると分析する。原因の一つは「能力主義(メリトクラシー)」にあるという。
能力主義がもたらした分断
――サンデル教授は近著「実力も運のうち」(鬼澤忍訳、9月に早川書房が文庫版を刊行)で、行き過ぎた「能力主義」が社会を分断していると指摘しました。これはどういうことでしょうか。
能力主義とは、大学や就職先などの社会的な役割は個人の能力によって決まる、という考え方です。「生まれ」が全てだった貴族制の時代からすると、能力主義は平等なように思えます。
でも現代の能力主義は不平等を固定しています。裕福な親たちは教育にお金をかけ、我が子に「特権」を継がせるからです。
この40年で市場が主導するグローバル化が進み、欧米諸国では貧富の差が拡大しました。その結果、「勝者」と「敗者」の間に分断が生じました。
分断の原因は「勝者」の態度にあります。自分が経済的に成功できたのは、自身の才能や努力のおかげだと勝者たちは考えます。出身家庭や出身地域が恵まれていたとは考えません。
逆に「敗者」たちは、暮らし向きがよくならないのは自己責任だと思わされています。敗者の目には、勝者は傲慢(ごうまん)に見えることでしょう。敗者たちはエリートたちから「見下されている」と感じ、エリート不信を強めています。
――原著の刊行から3年が経ちましたが、米国で変化はありましたか。来年には大統領選が控えていますが。
米国ではむしろ分断は深まっているように思います。多くの労働者階級が今もトランプ前大統領を支持しています。彼は労働者たちを支援するようなことはほぼしていません。それにもかかわらずトランプ氏が支持されるのは、「見下されている」ことに対する労働者たちの不満や屈辱を代弁しているからです。
バイデン大統領や民主党は、労働者たちが抱える不満と向き合おうとしてきました。でも一朝一夕に解決できる問題ではありません。長い時間をかけてこじれてきた問題だからです。
民主党はもともと労働者や中間層の味方として、権力や特権階級と闘う党でしたが、今や高度な教育を受けた専門家たちのための党になり、現に不平等を改善することもできていません。労働者たちの信頼を失っています。
日本社会に見る「無力感」
――著書では欧米の分析が中心でした。日本社会についてはどうみていますか。
気候変動やウクライナ戦争などの世界的な課題を前に、私たちはどこで誰と、何を議論したらいいのか。どうすれば議論できるようになるのか。後半で聞きました。学校教育で身につけるべき「技芸」があると、サンデル教授は語ります。
日本の外から見た印象ですが…