第13回「何かあった時に」妻が備えた笛、何度も吹き…愛した千枚田を未来に
「寄り道をしなければ助けてやれたかもしれない」
能登半島地震で自宅が倒壊し、妻子を亡くした。出口弥祐さん(77)=石川県輪島市渋田町=は金沢市の避難所で過ごして2カ月半、あの日のことを自問してきた。
元日は妻正子さん(当時74)、横浜から帰省した長男博文さん(同49)と迎えた。昼すぎ、約15キロ離れた輪島市中心部へ1人で車で向かい、京都から帰省した次男敦史さん(46)を出迎えた。
スーパーで買い物をした帰り道、2人で自宅近くの神社に立ち寄った。昨年末の大雪で倒れた松の神木を見るためだった。
午後4時6分、最大震度5強の最初の揺れがあった。あわてて車で自宅に向かった。
心配する親類から携帯電話に着信があった。車を道端に止めて「大丈夫だ」と話していた午後4時10分、車の外の電柱が左右に激しく揺れ、周囲の屋根瓦がダーッと川のように滑り落ちた。電話がプツンと切れた。
海沿いの自宅まで国道249号でわずか2、3分。だが、自宅の手前の道はがけ崩れで寸断されていた。「何かあった時のために」と正子さんが車に備えつけていた小さな笛を握りしめ、自宅を目指して迂回(うかい)して歩いた。
倒れた家や木々を避け、陥没した道や田んぼを進んで30分余り。薄暗くなってたどり着いた自宅は、崩れた裏山にのまれて跡形もなかった。
大声で呼びかけ、何度も妻の…
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