1994年6月に長野県松本市で起きた「松本サリン事件」は、猛毒ガスのサリンがまかれてから22日後という比較的早い段階で、警察の捜査線上にオウム真理教の関連会社が浮上していた。ところが、翌年3月の地下鉄サリン事件を防ぐことはできなかった。当時を振り返り、安全保障政策やテロリズムを研究テーマとする宮坂直史・防衛大教授は「国の政策ミスだった」と語る。
当初から警察は、被害者である第一通報者の自宅を被疑者不詳の殺人容疑で家宅捜索し、メディアも犯人視する報道を続けた。そこで押収された写真現像や陶芸用の薬剤では「サリンは作れない」といった報道もあったが「地下鉄サリン事件が起きるまで、疑いが完全には晴れなかった」と宮坂教授は指摘する。
事件前に自衛隊の化学学校でサリン製造
一方、その数年前から陸上自…
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