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1995年1月17日、6434人が犠牲になった阪神・淡路大震災。被災者と被災地の「あの日」と「いま」を見つめます。
朝日新聞デジタルはビジュアル特集「1.17 再現/阪神・淡路大震災」を公開しました。地震発生当時の写真や映像・音声で追いながらスマートフォンの中に「あの日」を再現します。[特集ページへ]
震災を知らない世代が増えるなか、どうすれば実際に起きた直下型地震をリアルに感じてもらえるかを考え、企画しました。[続きを読む]
最大震度7を観測した能登半島地震は今も被害の全容が明らかになっていません。「地震大国」日本で、どうすれば犠牲者を減らせるのか。1995年の阪神・淡路大震災の遺族や消防士、専門家のメッセージを伝えます。
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タカラジェンヌになれるまで、あと少し――。宝塚歌劇団の81期生41人が音楽学校の卒業試験に臨む日、阪神・淡路大震災が起きました。初舞台までの74日間の記憶、その後の足跡を、5人の言葉でたどります。
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28年前のあの日、三菱銀行兵庫支店は震度7の揺れで建物が全壊しました。当時、支店で働いていた行員たちは、自らの被災と街の復興にどう向き合ったのでしょうか。証言でたどりました。
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6434人が犠牲になった大震災は「心のケア」に光があたるきっかけになりました。大切なものを失った人たちは28年の歳月をどう生きてきたのでしょうか。心のとなりで、ともに歩んでくれる人がいました。
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阪神・淡路大震災の直後に設けられた日本初の臨時災害放送局。復興への歩みを伝えていたラジオリポーターは口を閉ざしました。「地獄」を見た記憶に向き合い、再び語り始めるまでの心の動きを追います。
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地震のことなんか知りたくもない。入学してすぐにやめたいと思った。 早川美幸さん(34)は2002年春、兵庫県立舞子高校の環境防災科に進学した。阪神・淡路大震災をきっかけに、この年に発足した国内初の防…[続きを読む]
「満月、見んの怖いなぁ」 焼け野原になった神戸・長田にある南駒栄公園。 当時28歳だったミュージシャンの中川敬(たかし)さんは、たき火を囲む人がそうつぶやくのを聞いた。 差し入れの焼酎を飲みながら見…[続きを読む]
阪神・淡路大震災の発生から25年となるのを前に、当時、報道番組「ニュースステーション」でキャスターを務めたフリーアナウンサーの久米宏さん(75)が神戸市を訪れ、当時取材した被災者らと再会した。久米さんは当時を振り返り、「カメラに映せない本…[続きを読む]
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きました。国内ではその後、大きな地震や豪雨が相次ぎ、「大災害時代」の始まりを告げたといわれたこの震災は、どのようなものだったのでしょうか。 ■Q 地震の特徴…[続きを読む]
25年前の阪神・淡路大震災は、日本中に衝撃を与えた。燃え広がる市街地から上がる黒煙、線路が曲がり脱線した電車、横倒しになった高速道路……。マグニチュード(M)7・3の大地震は、神戸市を中心とした地域…[続きを読む]
1995年の阪神・淡路大震災からさかのぼること約400年。1596年にも京阪神地域は大きな揺れに襲われた。豊臣秀吉が築いた伏見城が倒壊したことでも知られる慶長伏見地震だ。共通するのは、このエリアの地…[続きを読む]
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