昨日の朝日の夕刊に吉田純子女史による論説が載っていました。

コロナ禍後の音楽家 深めた自省「今こそ」の気迫〜 国内各オケの充実ぶりを伝え、招聘公演という「お祭り」から遠ざかったことで聴衆の意識が変わってきている。コロナ前に戻ったではなく、売れ筋の名曲と著名なソリスト頼みからパラダイムシフトしている・・・という主旨。

また、演奏会情報誌「ぶらあぼ」に城戸孝吉氏の「レコ芸休刊後、録音について語るメディアが必要な理由」というエッセイで、ベルリンのフィルハーモニー(2400人収容)でマーラー交響曲第9番が演奏された際に、全曲を予め覚えている人は20名(??)にも満たないと言い、日本が録音を聞くことによって音楽を知ることに対し、ドイツではコンサートで日常的に安価で聞けることを理由に挙げていました。

よりよい音楽を提供するにはお金の問題がどうしても関わってきます。新国の来季も多分大野和士はもっと意欲的なプログラムを作りたかったと推察しますが現実との兼ね合いで現状ベストな布陣を敷いたように思っています。

頑張れば頑張るだけお金という壁が大きく強くはだかるんでしょう。それでも新国オペラ4階席正面がトリスタンの場合で13,200円はお高いしN響もジワジワ値上げ。負担は聞き手ばかりでなく演奏者のギャラにも跳ね返っていると思います。一度値上がったものは元に戻らないのでさてどーしたものか。お金持ちからの寄付でしょうかね。