December 18, 2015
ドビュッシー "喜びの島" +Faure
お稽古中ピアノの前で、曲の中の感覚のことを考えてる時がある。
昨日はドビュッシーを弾きながらふと、[信じること]と[疑わないこと]は大きく異なってるなって考えた。信じる悦びより疑わない感覚を感じさせる楽曲に思えた。
[信じる]というのは時には意志であり、時には理性であり、時には個人の内面と客観性との鬩ぎ合いであり、あるいはカトリックでは '此れが真と承認する' という理知であったり、
いずれも熟慮した末に手にするのが信じるという感覚ではないかしらって思った。
疑いを越えて[信じる]時には、'もしも・・・' という憂慮が含まれる場合がある。信じようとする意志、信じなければならないとする克己心、信じたいという望み。それらには幾パーセントかの不安が混ざってはいないかしら。
対するに[疑わない]というのは非常に明朗な心情じゃあないかな。
ドビュッシー "喜びの島" の快活で天衣無縫な空気感。怖れのない爛漫な輝きは、疑いを持たずに居られるとき人は此うも真裸になれるのだって教えてくれる。
フォーレ "目覚めているか、太陽の如き私の香よ" ではイヴのインノセントな表情が描かれる。
こちらは疑いを持たないのじゃあなく疑いを知らない健やかさではないかな。創世記の地上だからこその豊饒なマインドなのだろうか。
ドビュッシー&フォーレ。コンサートでお聴き比べ頂きたい2曲です。
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