February 07, 2016
好きな音楽
ずっと昔、まだ思春期の頃。
この曲が心に響くのよって話し合う場面にたくさん遭遇した。この曲を演奏できるようになろうって希望はもっと幾たびも聞いた。でも
この曲のように生きたいって言葉はそんなに聞かないのを
当時不思議に思ってた。
音楽学生になっても音楽家になっても、そう語られる機会にあまり多くは出逢わなかったと思う。
当たり前だから誰も口にしないだけかな? って考えてみたこともある。しかし楽曲が心に添って楽曲に愛を抱くことは、必ずしもその曲のように歩みたいって意味じゃあないようだった。
その頃から寧ろ現実として日々を彩色へ誘い、実際的な思想を顕す楽曲に心を添わせてたと思う。
遠い時代の遠い国の特殊な位相空間にある音楽じゃなく
音楽が開示する空間のすぐ側で憧れていることができるような、
感応と、感応の先の標べを求めた。
そこに拘ったのはきっと、食材に対する一定の人たちの主義に似てたからだ。
あなたの骨と肉は何でできていますか? って省みたとき
天然のもの・身体を温めるもの・作り手の愛あるものを食べて身体が造られていますって答えたいと考える人々の風だったと思う。
自分自身が音楽の "何" のエッセンスで作られるかが
とても大事なように思えたのだ。
ジャンケレヴィチ氏が
《フォーレは、森の下草の中で放たれる芳香、つまり、じわじわと立ち昇る香りや、嗅覚をくすぐる波動などにも敏感である。それも、夕暮れが近づくと、静けさと夜の闇とが示し合わせて放つ、音楽とリラの花のあの大層悩ましい香りに・・・。
もっとも、このような形で自己の内面について沈思することはあっても、ロマン派の音楽家たちにみられたような、原初的な力への回帰を望んでいる訳ではない。
フォーレの音楽はあたう限り都会的であり、パリ風なのである。それゆえ、夜の悩ましさの中でフォーレが見出そうとするのは、自然ではなく、常に人間、それも計り知れなく、過去を背負った人間なのである。》
(大谷千正様訳)
と著されてる。
(此処で述べられる '過去' は必ずしも負を担うニュアンスだけじゃなく、'背景' に近い表現と理解しています)
美しい自然を受け止める人間の感受性と其れを描出する聡慧によって、描かれる世界を艶やかに染め上げる音楽が好きだ。
続きはまた。
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lasalledeconcert at 07:08││ パリの風8