所在地:青森県青森市浪岡町五所
城 主:浪岡北畠氏
遺 構:郭、土塁、堀
文化財:国史跡
探訪日:平成24年(2012年)7月15日
概要
南北朝期の南朝側の名門である北畠氏庶流の浪岡北畠氏が応仁期に築いたとされる城。天応年間に最盛期を迎え現在見られる城域が完成した。
しかし、一族間の争いに加え、天正年間には大浦為信(後の津軽為信)によって攻め滅ぼされ、落城した。
中世の平城って残っていること自体が結構珍しいのですが、ここは今でも多くの郭が残っています。
主郭は建物跡が再現される等しているのですが、土塁造りの城であるため初夏~秋口にかけては草が伸び放題で遺構が見にくいかもしれません。
縄張り図
主郭を中心に外郭、東郭、猿楽館、内館、西郭が取り囲む構造になっています。
主郭
廃城前はいくつかの区画に分かれて建物が建てられていたらしく、現在はその区割りが再現されています。
また、区割りの内部は建物柱の基礎部分が復元されており、建物の位置関係がよくわかります。
当時はこんな感じだったみたい。
主郭土塁
東郭
他の郭もこんな感じで草むらが広がっています。
内堀
幅もあり深さもあるんですが、草が伸びきってしまい、高低差がまるでわかりません。
外堀
こちらも基本草で埋め尽くされてましたが、このように明白にわかる部分もあります。
結構深い堀ですね。
マップ
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城 主:浪岡北畠氏
遺 構:郭、土塁、堀
文化財:国史跡
探訪日:平成24年(2012年)7月15日
概要
南北朝期の南朝側の名門である北畠氏庶流の浪岡北畠氏が応仁期に築いたとされる城。天応年間に最盛期を迎え現在見られる城域が完成した。
しかし、一族間の争いに加え、天正年間には大浦為信(後の津軽為信)によって攻め滅ぼされ、落城した。
中世の平城って残っていること自体が結構珍しいのですが、ここは今でも多くの郭が残っています。
主郭は建物跡が再現される等しているのですが、土塁造りの城であるため初夏~秋口にかけては草が伸び放題で遺構が見にくいかもしれません。
縄張り図
主郭を中心に外郭、東郭、猿楽館、内館、西郭が取り囲む構造になっています。
主郭
廃城前はいくつかの区画に分かれて建物が建てられていたらしく、現在はその区割りが再現されています。
また、区割りの内部は建物柱の基礎部分が復元されており、建物の位置関係がよくわかります。
当時はこんな感じだったみたい。
主郭土塁
東郭
他の郭もこんな感じで草むらが広がっています。
内堀
幅もあり深さもあるんですが、草が伸びきってしまい、高低差がまるでわかりません。
外堀
こちらも基本草で埋め尽くされてましたが、このように明白にわかる部分もあります。
結構深い堀ですね。
マップ
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