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アンティークの魅力 ミントン (紅茶教室)

2023年6月11日(日)

この日の紅茶教室のレッスンはキャンセル待ち・・・・
でもギリギリまで待ってご連絡がなかったので、ほぼあきらめていましたが・・・
講座が追加されて無事に受講することができました。

だってだって、絶対に受けたい講座ミントン。

現在は日本では販売されていない英国の磁器窯ですが・・・私が若い頃はミントンのハドンホールという絵柄は日本ではとっても有名で人気。どこのデパートに行っても目にすることができたのですよ・・・
我が家にもティーカップ以外にもサラダボールやデザート皿のようなものもあります・・・

そんなミントン・・・
長くChaTea紅茶教室に通っている私は素敵なミントのアンティーク作品を目にすることも多々・・・
アンティークの磁器、ティーカップでは好きな磁器窯でもあります。


創業者であるトーマス・ミントンは1765年イギリスのシュルツベリーで生まれました。
彼が大人になったころ、1789年、イギリスではすでに、ウェッジウッド、エインズレイ、ウースターの窯は磁器制作を始めていましたので、トーマス・ミントンは銅板転写の下請けの仕事を始めます。

そして1793年にストーク=オン=トレントでミントン窯を創業するのです。

*下の写真が銅板転写の元となる銅板に絵柄が彫られているものです。
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ミントン社の最初の銅板転写の作品はウィローパターンだったそうですよ・・・
(イギリスの多くの窯がウィローパターンを作っていますが、ミントンがその大元を作ったと言われているそうです。)



銅板転写でまわりを描き、その中を塗り絵のように絵付けしていくパターンの作品・・・

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1817年には息子(長男)とトーマス・ミントン&サンズという会社を設立、次男がロンドンで販売を担うも、1825年に長男が自分は商売に向いていないから聖職者になりたいと辞めてしまいます。よって次男のハーバードが後継者となったのです。

創業当初、フランスでは革命が起き、その後も国が安定しないなか、多くの職人が職を求めてフランスからイギリスに流れてきていたのです。
フランスの有名な磁器窯、セーブル窯の職人も同様です。
セーブルという窯は一般には販売されておらず、王侯貴族の為にのみ受注して作品を作っていました。その技術は当時から素晴らしいものだったようです。そんな職人が革命のため、職を失いイギリスにやってきていることをチャンスととらえ、多くのセーブル窯の絵付師を雇うことにしました。
イギリスの職人たちだって、本物のセーブルの作品なんて目にしたことがなかったので、出来上がった作品をみて、その美しさに感動したようです。

ただ、セーブル窯はフィギュアの作品が弱かったので、トーマス・ミントンは経営者が変わり、職人たちがバラバラになっている状況のイギリスのダービー窯から職人を引き抜いてきます。(1820年頃)
ミントンは職人を育てるのではなく、ヘッドハンティングをして優秀な人材を集めて素敵な作品を作り上げていったのですね~

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1828年、次男のハーバードは、父や兄が作り上げたセーブルスタイルではなく、自分のお気に入り、自分自身が手掛けた作品が欲しかった・・・・
その時に出会ったのがイギリスの建築家=オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージン。
この方は、ゴシックリバイバル、ゴシック建築家として有名なのです。
そしてハーバードが自分が探していたものは「これだ!」と思ったのは象嵌(そうがん)タイルだったのです。

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イギリスの歴史ではヘンリー8世がカトリック教徒だと離婚をしたくてもそれができない!という理由で、カトリックからイギリス国教会という宗教に改宗し、カトリック教徒には多くの規制、差別を行い、カトリック教会の建物は破壊されてしまっていたのです。
1820年頃、カトリック教徒が解放されるようになると、カトリック教会の復興が盛んになり、そこに象嵌タイルを使いたい・・・という思いがハーバードの気持ちの中で大きくなっていきます。

しかし、父のトーマス・ミントンはこの象嵌タイルを認めてはくれなかったのです。
使用の特許権をとったハーバードだったが注文はまったくなく、それでもひたすらカタログ製作をピュージンと作り続けました。

そんな次男を心配する父、トーマス・ミントンは遺言に、窯の管理はハーバードに任すが、窯の権利とすべての財産は長男に託すと記しました。
1836年、父、トーマス・ミントンが亡くなります。
でもね・・・・長男君がとてもいい人だったのですよ・・・
だから特にもめることもなく、ハーバードの為に資金は回していたそうですよ・・・

そんな中、1840年、ヴィクトリア女王がストークオントレントへ窯巡りにやってきて、夫、アルバートと二人の朝食用セットをお買い上げくださったのです。

★実際に買われたのはこのデザインではないかもしれないのですが、エキゾチックバードという作品だそうです。
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そしてそして1841年・・・・ついに象嵌タイルにもひのめがやってきます!
テンプル教会に象嵌タイルを使ってほしいとの注文です。(謎に満ちていると言われているテンプル教会って映画のダビンチ・コードのロケ地だそうです・・・)

1842年には街に教会や小学校を建て、た~くさんの象嵌タイルをこれでもか~!というぐらい使い装飾をしました。
これには理由があり、1枚の小さいタイルをサンプルで見ただけでは、室内や外壁等のイメージがわかない・・・・
というお客様の声から、では実際に建物を建て、そこに象嵌タイルを使用することでイメージしてもらえないか・・と考えたのです。
今でいうモデルハウスのようですね。
街の方たちは教会や小学校が出来てとっても喜こび、それは慈善活動にもなり、お客様がいらっしゃれば、教会や小学校にご案内し、象嵌タイルを使った室内装飾でイメージを膨らませてもらう・・・
もう~~~注文殺到です。
このころのミントンは象嵌タイルで多くの利益を得ていました。

1843年にはヴィクトリア女王の私邸、オズボーンハウス、1847年にはイギリスの国会議事堂の建築の際にもミントンの象嵌タイルがたくさん使われたそうで、今でもこれらは残っているそうです。

あまりに注文が殺到してくると、手作りでの象嵌タイルを制作することでは間に合わなくなり、多色刷りのタイルを商品化します。象嵌タイルとは違って平面的・・・・

◆象嵌タイル
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◆多色刷りタイル
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写真でもすぐにわかりますよね~

でも、この多色刷りのタイルもとっても人気になったそうですよ・・・

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ChaTea紅茶教室の階段には、碧先生がイギリスに行かれた度にコレクションされていたミントンのタイルがはめ込まれています。

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ちょっとしたアイデアでおしゃれな空間になりますね・・・^^

そして床もミントン
日本では岩崎弥太郎邸のバルコニーにミントンのタイルが使われているのですが、ChaTea紅茶教室の床はその絵柄と色違いのタイルが使われています。

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ここまでくると、ミントンってタイル制作の窯なの~~~~~???ってなりますが、

磁器部門だって負けていないです・・・・

1845年にはフランス、セーブル窯から現役の職人をヘッドハンティング。レオン・アルノー様・・・
彼によってミントンのセーブルスタイルの技術はその精度を高めていきました。

ミントンブルー と言われていますが、セーブルのまねっこ??^^
でもとっても美しい。
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そして1847年にはパリアン磁器を制作します。
パリアン磁器の技法はイギリスではコープランドという窯が最初に開発したようですが、この「パリアン」と名前をつけたのはミントンだったとか?
ローマ・イタリアの建物やフィギュアに大理石が多く使われていて、この質感、輝きに憧れ、ぜひイギリスでも実現させたい! と開発された技法なのだそうです。
原料に珪石が含まれていなくて、素地が硬くないため割れやすいので多く作られることなく、長くは続かなかったようです。

1849年にはイタリアのマジョリカ焼きを復活させ、この雰囲気をボーンチャイナで実現できないか! と開発を進めます。
当時は植木鉢置きや噴水などかなり大きなものがこの磁器のマジョリカ焼きで制作されました。
下記写真はそのミニチュア版(おさるの植木鉢置き)

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色々なデザインのティーポットもお教室にはたくさんありました。
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1851年 初の万国博覧会がイギリスで開催されます。
この時にヴィクトリア女王のエスコートとしての大役を務めたのがハーバードだったのです。
万国博覧会は産業の技術発展のための博覧会だったので、受賞したのは磁器ではなく、マジョリカ焼きの作品。

こちらの作品が受賞したわけではないですが・・・こちらはマジョリカ焼きのピッチャーです。
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それでも、ヴィクトリア女王には「最も美しいボーンチャイナ」と称賛され、とお買い上げくださったそうです^^
ヴィクトリア女王は絵を描くことがお好きなので、その絵をミントンの作品に取り入れたいと申し出て、マジョリカ焼きでストロベリーのエンボス加工の作品が完成しました。
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そしてついにミントン窯は1856年に王室御用達となります。
ハーバードが亡くなる前でよかった~
残念ながら王室御用達を得てから2年後にハーバードが亡くなり、結婚もせず子どももいなかったので、ミントン窯は甥のコリン・ミントンに継承されます。
大変優秀で頭もよく多角的にビジネスを行っていたコリンは作品に窯印を入れた方がよいと提案します
前代のハーバードは窯印を入れることにたいへん抵抗があったよう・・・それはなぜか? 自分に窯の権利や財産を託さなかった父が築いた磁器窯・・・父への反抗だったのかもしれないですね。。

ミントンの作品は1862年以降に作られたものからカップ等の裏に窯印が押されるようになります。
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コリンは更にミントンの磁器の精度を高めようと、1860年にデザイナーのクリストファー・ドレッサーからデザインの提供を受けるようになります。
このクリストファー・ドレッサーは大変な日本びいき。日本に渡り、1年間各地を巡って刺激を受けたようで、早くからジャポニズムの作品を制作していたデザイナーです。

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ミントンは多くのデザイナーと提携していたようで、たくさんの魅力的なジャポニズム作品やシノワズリー、中東のデザインや絵柄が取り入れられた作品が多くあります。

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そして、1863年にはアシッドゴールド(金を腐食させて描く技法)やレイズド・ペースト・ゴールド(盛り金)という金彩の技法を開発しました。金装飾の技法のため、多くの金が使われ、又熟練者のみができる難しい技法のため、高級品のみに使われています。

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写真があまり鮮明ではないのでわかりずらいと思うのですが、花びらやお花の中心、チェーンの部分にレイズドペーストゴールドが使われていたり、お皿の周りにアシッドゴールドで装飾されているのですよ・・・
実物を見ると、それはそれは見事で素晴らしいです。

私がミントンの一番好きなところかもしれません。
よって、ちょっと拡大・・・・

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真ん中に華やかな絵柄が描かれていても、その上にお料理をのせたり、ティーカップを重ねたりして、お料理がなくなったとき、ティーカップを下げたときに現れる絵付けに感動する・・・・・
そんなシーンも思い浮かべます。

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このティーカップもふんだんにアシッドゴールドの技法が使われていますね・・・シンプルですが高級です。

1870年フランスでは普仏戦争(フランスとプロイセンの戦い)が勃発し、セーブル窯も爆撃にあいしばらくの間閉鎖されていた状況。
そんな時にセーブルでの職人たちは職探しにイギリスのミントンを選ぶのですね~
また、ミントン窯もセーブルの熟練した職人たちを多く受け入れ、ミントン窯内ではフランス語の会話が飛び交っていたようです。
そんな中でルイ・ソロンというセーブル窯の職人を安い金額でヘッドハンティングします。
戦争が厳しくなっていくなか、ルイ・ソロンはその申し出を受け、ミントンで働きます。
そこで開発された技法が「パテ・シュール・パテ」という技法です。
本来はセーブル窯での技法であったのでしょうけれど、産みの親であるルイ・ソロンがミントンに1871年に移籍してしまったため、セーブルでのこの技法の作品はほとんど残っていないとか・・・・

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1871年にはミントンズ・アートポッタリースタジオを設立し、多くのアーティストを育てる場所を提供しました。
これは慈善活動の一つでもあり、このスタジオで学んで完成した作品はミントン窯で販売されることもあったようです。

★下の写真は文章とは関連性がありません・・
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1885年、コリン・ミントンが亡くなります。(コリンさんって私と誕生日が一緒です。1827年8月27日生)

1900年にはパリ万国博覧会で「ミントンローズ」(銅板転写)を発表します。

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戦争も勃発し、業務用の食器を生産していたけれど、代々家族で継承してきたミントン窯では、コリンさんが亡くなった後、経営手腕のある人物はおらず、陶磁器にもあまり興味のない一家で経営はどんどん悪化していきます。

終戦後、1949年、まだ戦後で牛骨もよいものが手に入らず素地が綺麗でないため、それを補うようなデザインはないか・・・と
依頼されたアーチストのジョン・ワーズワースはハドンホール城を訪れた際に目にした教会の壁面の図柄に、「これだ!」とひらめき、この図案を絵柄として取り入れたのでした。
それが日本でも大人気だった「ハドンホール」シリーズです。
最初は縁を金彩にしていたそうですが、社長がこの時代は金ではなくグリーンの方がよいだろう・・・と優しいグリーンの色目になったそうです。たいへん人気だったので、なんとか経営難を救ってほしい!という気持ちで1998年に縁がブルーのものを発売しましたが、結果は・・・・><;

★以前のレッスンの際に使わせて頂いたミントンのハドンホールのカップです。
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しかし、残念ながらミントンは1968年にはロイヤルドルトンの傘下に入り、2005年にはそのロイヤルドルトンもウォーターフォードウエッジウッドと合併し、2015年にはミントンというブランドは廃止されてしまいました。
今後はミントンのこれらの作品は一切作られることはありません
素敵なパターンブックは多々あるのに・・・・ 本当に残念。 その権利?特許?型?は誰にあるの~?どこにあるの~?

さて、この日のティータイムはもちろんミントンのティーセットです。

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ポット敷にはミントンタイルが・・・
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りつえ先生手作りのバナナブレッド! 美味しかった~(久しぶりに頂きました~)
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ティーカップは銅板転写の作品。金彩も使われており、カップの形状も可愛い・・
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こんなに素敵なミントンの作品たちをまじかで見ながら、碧先生のあふれんばかりのお話にひきこまれ、あっという間に時間が過ぎ、とっても楽しい講座でした。キャンセル待ちからの講座追加頂き・・・本当にラッキーでした。
ありがとうございました。
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[ 2023/06/11 00:53 ] 紅茶 | トラックバック(-) | コメント(-)

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