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ストア主義とキリスト教

スイスの思想家ヒルティによれば、ストア主義とキリスト教の
原点と目標とするところは同じである。しかし、その中間に存在する過程が異なる

ストア主義は人の内側に存在する力によってことわりを導くことであるが
これとは違って、キリスト教では人の内側にそんな力が存在することは認めておらず
人の外側の力(神の力)に縋って、これを達成しようとしている

煩い(悩み苦しみ、悲しみ嘆くこと)を解放するには2つの方法がある
それは哲学と宗教であるが、そのアプローチは全く異なる
信仰という言葉は「神仏の力に縋る」という意味であるが
信仰を別の言葉でいえば、自分の意志を捨てて神の意志に従うということになる
煩いを哲学によってでなく信仰によって解放しようとしたならば、先ずは疑いことなく
神の存在を認めることだ。仏教にしても考え方は同じだろう
キリスト教も仏教も衆生の救済を目的とするものだから広義には同じと言える
キリスト教における修道院の修道士を僧侶と表現したり、ノートルダム寺院など
キリスト教の建物に寺院というお寺の名称を付けるのは、おそらくこの意味だと思う

世間では神が存在するとかしないとか問題にすることがあるが、全く意味がないことがわかる
宗教によって煩いを解放するには神や仏の存在は自ら疑いなく信じる必要があるし、
信仰心を抱いている人の面前で神や仏の存在を否定するなんてあってはならないことだ
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