鬼女日記 -鬼女・修羅場・キチママ系まとめ-

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    悲報

    306 :名無しさん@おーぷん
    私の母は嫁いびりされてた。当時小学一年だった私でもわかるほどに。
    食事捨てるのは当たり前、1日5回家中を掃除させる、祖母と父が寝るまで母は寝ることも許されない。
    私は子供ながら、母を助けようと必タヒだった。掃除を手伝い、料理を捨てるのを阻止しようと訴えたりした。でも私が母を助けると、祖母は「子供を味方につけるつもり?」と余計にいびりがきつくなったので、もうどうしたらよいかわからなくなった。
    ある日、母は発作を起こし倒れた。私は泣きながら119番したが、父に妨害された。でんわがあさっての方向にぶっとんでた。
    父の「家事をサボるための演技だ!」というセリフは一生忘れない。しかしどう見ても演技ではない。電話を壊されたので、泣きながら近所に凸し、助けをもとめました。
    母はタヒにました。すぐに救急車を呼んでれば助かったのに!父は母の異変に気がつかなかったと言い通してた。
    近所の人だって壊れた電話やら泣き叫ぶ子供がいるのに不自然に思わず(たぶん父や祖母が誤魔化した)父の言葉を信じてこれ以上突っ込んでこなかった。
    私はもう父と祖母が鬼にしか見えなかった。以前から母をいびり倒している姿を見てきているので、人間とすら思えなくなっていた。
    もう小一にして相当歪んでたと思う。何年もかけて復讐してやった。

    90 :名無しさん@おーぷん
    昔の夢を見て起きたら吐き出したくなったので誰もいない時間にこっそり書き捨て
    私は昔いわゆる多重人格だった
    厳密には今も完治はしていなくて寛解状態
    それでも記憶が飛ばない、気がついたら知らない所にいる
    恐怖から解放されたのはとても嬉しい

    多重人格、正確には解離性同一性障害だけど
    普通なら人格は一人に一つなのにストレスやトラウマによって
    一つだった人格が割れてしまった状態らしい

    増えたのではなく割れてしまっただけなので
    人格は一部の感情しか持っていなかったりする
    怒りしかない人格、悲しみしかない人格
    そうかと思えば子供の頃の幸せな記憶だけを持っている人格
    人格=記憶の一貫性なので人格がうまれると
    その人格の持つ記憶も断片的なものになる
    そして本来の人格からもその分記憶がなくなって行く

    525 :名無しさん@おーぷん
    毎年年末年始になると子供の写真入り年賀状の是非が話題になるけど
    一度だけ泣きたくなるような年賀状の思い出がある。
    元々私は子供が大好きで結婚前には保育士をやっていたぐらい。
    ところが結婚して3年が過ぎても子宝に恵まれず不妊治療を開始した。
    その病院で高校時代の同級生にバッタリ会った。
    不妊治療であることはお互いにバレバレだし、
    ふたりとも始めたばかりだったから情報交換し合ううちに仲良くなった。
    で、初めての体外受精。私は運よく受精卵を子宮に戻すことができたが
    彼女は細胞分割が進まず、受精失敗。
    その時彼女から「先に妊娠しても嬉しそうにしないでね」と釘を刺された。
    自分ではもしそうなった時に、彼女の前で浮かれるほど無神経ではないつもりだったから
    胸に棘が刺さったような感じが取れず、彼女と少し距離を取り始めた。
    その後、戻した受精卵はうまく着床せず失敗。
    そのあと会った時に「どうだった?」と聞かれたので「ダメだった」と答えたら
    「そう、良かった」とつぶやいたのが聞こえてショックだった。
    それで彼女の遠くの席に座り、その後一切スルーした。
    彼女自身は私が何を怒ってるのか分からないらしく、
    話したげにチラチラ見てたのは知ってたけど、とにかく不愉快だった。
    今思えば私もナーバスになってたんだろうと思う。
    それまで午前中に通ってたのを、彼女と会わない為に午後の診療に切り替えた。
    その後2年ほど経って、生まれた赤ちゃんの写真入りの年賀状を送ってこられた。
    住所の交換をした覚えはないが、再会したばかりの時に
    私が一人っ子なので養子ではないけど実家で同居してる話をしていた。
    それで卒業名簿から送ってきたんだろうと思う。
    そして写真の横には「人並みの家庭を得ることができました」と書いてあった。
    その時の感情は言葉に出来ないほどだった。
    彼女が治療に成功して、我が子を抱けたのならそれはおめでたいことだと思う。
    私もいつか同じように子供を授かることができるんだろうかと希望にもなる。
    だけど当時の私は何度も失敗を繰り返して、貯金がどんどん目減りしていく焦りと
    仕事を続けながらの治療の限界にもぶち当たって悩んでいた。
    そんな私には「人並みの」という言葉がナイフのように突き刺さった。
    生まれて初めて人を憎いと思った。
    翌年にも送ってきた。翌々年には送ってこなかった。
    こちらから何のリアクションもないから飽きたのかな?と思っていたが
    人づてに聞いたのは3歳になる直前に脳障害が発覚したんだとか。
    それを聞いたとき(子供に罪はないけど)親の罰が子供に当たったんだと思ってしまった。
    そしてそんな最低なことを考えてしまった罰が下ったのか
    私はその後も子宝に恵まれず治療は諦めた。
    が、最近やっとそういう人生もありと受け止めれられるようになった。

    500 :名無しさん@おーぷん
    母が弟を捨てる所を目の前で見たのが修羅場
    滅茶苦茶長文なので嫌いな方スルーして下さい

    私には1歳下の弟がいる(仮名・ゆうすけとします)
    小さい頃私達一家(父母私弟)は父方の祖父母と同居していた
    よくある話だけど祖母は母と折り合いが悪く、その息子である父も自分の母親言いなりだったようだ
    祖父は非常に無口な人ではっきり言って空気だった
    祖母と父は、弟を異様に可愛がって…というか甘やかしていた
    姉の私とははっきり差別があった
    弟だけ決められた時以外でもオヤツを食べて良かったし
    嫌いな食べ物を残しても、オモチャを散らかしても怒られない
    5歳の弟が花瓶を投げて割った時も、一緒に遊んでいた私が叱られる有様だった

    母は子供ふたりには分け隔てなくしっかり躾けようとしていた
    別にヒステリックなやり方じゃなくて「ご飯前にオヤツは禁止」「遊んだオモチャはすぐ片付ける」とかごく当たり前の躾けだったと思う
    けどそれを祖母や父が
    「お母さん怒ってばっかりで怖いねー」「ゆうちゃん、オヤツ好きだもんねー」
    とか言って甘やかし続けてたのは良く覚えてる
    正直当時は好き勝手やってもかばってもらえる弟が羨ましかったりもした
    母は随分努力した(と思う)けど、母親VS父親&祖母の1体2じゃ勝ち目はなかった
    今思えば嫁いびりの一環でもあったんだと思う

    結果、弟は小学校に上がる頃にははっきり言ってかなりの糞ガキになっていた
    食卓に自分の気に入らない料理が出ると食べないだけでなく、箸やフォークでグチャグチャにする
    どこかで「ババァ」と「ブス」という言葉を覚えて母と私を呼ぶのに使う
    母を「ババァ」と呼んで怒られると「鬼ババァが怒った♪鬼ババァが怒った〜♪ばぁちゃ〜ん」と祖母の所へ駆け込んでいく
    自分が散らかした子供部屋(私と弟の共有)を「ブス!片付けとけよ!」と私に命じて遊びに出かける
    私の当時の宝物(お菓子のおまけのシール)を盗んで親には「お姉ちゃんがくれた」と嘘をつく
    母は「お姉ちゃんに返しなさい」と怒ったけど、祖母や父は「お姉ちゃんがあげたんだろ?取り返すなんて意地悪」と私を叱った
    結局宝物は返って来なかった

    655 :名無しさん@おーぷん
    元同僚が結婚して四ヶ月で社内婚の奥さんが仕事を辞めた
    俺は元同僚の仕事をかわったりしたので理由を知っている
    結婚直後に奥さんのお父さんが暴走車に轢かれ、全く動けなくなったからだった
    結婚する人は会社から一週間の休みを貰え、その期間に式やらハネムーンやら行うのだけど、元同僚はその期間を利用して事故処理や入院手続きなどを行っていたらしい
    休み明け三日目に手術の説明を聞きに行くからと俺が仕事を代行した
    奥さんは休まない代わりに残業を全部断り、2日とおかずお見舞いに行っていたように思う
    入院期間が終わり、リハビリに移行する時期になると、今度は家の環境を整えなければならないと奥さんが仕事を辞めた
    元同僚によるとリハビリをする病院を探したり、家を改築するために駆け回ったり、その間にお見舞いに行ったり、弁護士を探したり、加害者の保険会社と喧嘩したりと忙しかったそうだ
    家の改築が終わったあたりで自宅介護が始まり、毎日リハビリ送迎で奥さんは仕事しているときよりもやつれていったそうだ
    俺は元同僚の仕事をかわる立場上、そんな話も知っていたが、新婚の二人が上の人間以外にその話をするわけもなく
    奥さんは養ってもらえる相手を見つけた途端残業もせず怠けだし、挙句仕事まで辞めたダメ女と噂された
    元同僚も女の陰口は耳に入るものの、直接言われるわけではないので黙っていた
    ところが陰口も広がって噂自体が膨らんでゆくと、今度はそれが噂でなくて真実であると信じて疑わない人が出てくる
    何かの折に元同僚に「さっさとあんな女捨てちまえ」と誰かが囁き、大喧嘩になった
    そこから奥さんが仕事を辞めた理由は広まったものの、奥さんがダメ女という印象は消えず
    「そんな地雷を抱えているなんて、やはり地雷物件だったんだ」とよりマイナス印象が強くなっただけだった
    元同僚は酒の席で「己の親さえ見捨てる女と結婚したら、将来俺が病気になれば真っ先に捨てられるに決まっている
    親を大切にできない女の方が俺は信用ならない」と話していた
    元同僚はその後すぐに辞めていった
    有能な人だったから、転職活動して直ぐに今の会社より良いところが見つかっていた
    どちらにせよ、それまでの会社はどんな理由でも出張を断った時点で昇進はないから、苦しい時期でも早々に転職してしまった元同僚は賢明であったと思う
    新しいところは奥さんの親の介護も手伝える会社らしい
    元同僚の奥さんを悪く言っていた人たちは、「あの人は奥さんのせいで会社を追われたに違いない」と脳内変換していた
    人の不幸は蜜の味とはいうけど、実際にない不幸まで見えてしまうとは、恐ろしいことだと思う
    俺もその後に早々に転職した

    980 :名無しさん@おーぷん
    車にひかれて味覚と嗅覚を無くしてから取り戻すまでが修羅場だった
    味覚と嗅覚無くなったってのは前にどっかに書いたのだけども

    検査いろいろしても異常はないんだけど匂いも味もしない
    当時高校生だったけどこのままだと何も食べられなくなるなと思い
    味の記憶があるものを一生懸命食べたし、外食も積極的にした
    味も匂いも無いから美味しいなんて思わないんだけど、「かつて美味しかった」
    記憶をもとに食事はキチンとした
    食べる事に興味を無くしたらまずい、と思っていたんだろうなあ

    三年あまり無味無臭だったけど、なんのタイミングか嗅覚味覚が戻ってきた
    んだけど、戻りつつある間、同じものを口にしても毎回感じる味が違うし匂いも違う
    醤油の味と匂い、みたいに、そうそうものによって大差ないものでも毎回違う
    無味無臭だった時よりも絶望した
    記憶で食事してた方がまだましだった
    なんというか、脳が裏切ってくる感じ?麦茶とめんつゆ間違えて飲んだ状態が続く感じ

    そこからさらに何年かかかって、今は一定の味と匂いを感じられるようになった
    だけど、謎期間が結構長かったので、今感じている味や匂いが本当に正解なのか?
    という疑念に時々苛まれる
    細かいところまで人と擦り合わせできないしね

    その時は、「人それぞれ感じ方違うっていうし!」で納得させている
    とりあえず甘い辛い酸っぱいが分かるようになっただけでいいか、みたいなw

    185 :名無しさん@おーぷん
    旦那親と同居だったんだが、
    義母が亡くなって百日法要が終わった頃から義父の様子がおかしくなった。
    最初にあれ?って思ったのは、しょっちゅう探し物をしてて
    「何探してるの?」って聞いても言わないの。
    黙ってあちこち、それこそ家中探してる。
    暫くしたらテレビ見てるから「見つかったの?」って聞くと無視。
    そんなことが何度かあって、もしかして認知症だったらどうしようって不安になってきた。
    そのうち夕焼けを見て「今日もいい天気になりそうだ」とか言い出してちょっと待て、みたいな。
    人間ドッグは毎年行ってて、喜寿を迎えても薬ひとつ飲んでない健康自慢の義父だったから
    改めて体の健康と認知症は別なんだと思って、今後の長い介護を思うと正直怖くなった。
    だけどそれとは別の想定外の恐怖が訪れた。

    ある日、義父に襲われた。
    襲うって字面だと強カンみたいなイメージされそうだけど、そうじゃなくて
    たぶん新婚時代に意識が戻ったんじゃないかと思うけど
    お代官様の「よいではないか、よいではないか」みたいなあんな感じで抱きついてきた。
    私を義母だと思ってたんだろうと思う。
    年とっても仲のいい夫婦だったし。
    義父は背も低くてガリガリ体型でエスパー伊東みたいな感じだったし(顔は似てないけど)
    こっちはガタイがいいから、相手が男でもまともにやりあって負ける気はしなかったが
    とにかく突然のことだったからビックリして抵抗してるうちに
    アナコンダバイスみたいな感じで義父を押さえつけてた。
    今度は義父の方がビックリして一瞬正気に戻ったのか「怖い嫁じゃあ」とか言いながら逃げた。
    漫画みたいな展開だけど、修羅場と言えば修羅場。
    その事があってから、義父とふたりっきりになるのが怖くて
    でも長い時間ひとりにするのも危ないし。
    それで夫と相談して義父には申し訳ないけどホームに入ってもらうことにした。
    うちには年頃の娘もいるから。
    夫は夫で、自分の父親が嫁を襲ったってこともWでショックだったようだ。

    義母が亡くなった時に夫が受け取った保険金、そのまま投入して
    すぐに入れる介護型有料老人ホームを探して入所。
    そしたらたった2週間で嚥下事故で亡くなったんだ。
    誤解されるといけないので一応書くけど、事件性はない。本当の事故。
    だけど義叔父からはものすごく批判された。
    何も知らない人には、まだ元気な兄貴(義父)を厄介払いしたように見えたんだと思う。
    落ち着いたら説明してもらうように、夫から義叔父の奥さんにそうなった流れを話したけど。

    なんで認知症なんて病気があるんだろう。
    義父のこと、決して嫌いではなかった。むしろ実父よりずっと好きだった。
    せめて向こうの世界で又、義母と仲良く暮らしてたらなと思う。

    長くなってすみません。

    779 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2016/08/15(月) 15:32:07.79 ID:sTju6344.net
    あるあるだね
    私もちょっと違うけど似た話
    もともと2年間友人だったAとBに私が加わる形で仲良しグループになった
    ABはたまに買い物に行くことはあったけどお泊まりはしたことなかったようで、私が加わってからしょっちゅう3人で集まり、頻繁に私の家に泊まるようになった
    つるんでから10年くらいになるけどやっぱり温度差を感じる
    AB私のグループLINEで会う約束をしてて、Aが「○/○は微妙だから確認してまた連絡する!」と言って止まってる状態でBと遊んだ時(Aは用事で不在)に「Aとも○/○会えたらいいね」と言うと「あーそれ来れるって言ってたよ」と言われた、AB逆でもそれがよくある
    3人でした約束なんだからグループLINEで言ってくれたらいいのに…と少し寂しくなる
    他にも「こないだAと映画に行ったんだ、すごくよかった!」と私がTwitterで観たいと言っていた映画を2人で観た話をされたりする
    Twitterは3人ともフォローもフォロワーも少なくよくリプも送りあってるから知ってたと思うけど誘われなかった
    それぞれはそんなに気にしなくても…って感じでも何度かされると「あぁ2人にはぶかれるのかな」って思うようになった
    私は遊ぶ時に必ず3人のグループLINEで2人とも誘ってるから余計に気になったのかもしれないけど、2人のLINEでどんなやり取りをしてるんだろうと疑心暗鬼になる
    これもくだらないことだけど、3人で会うたびに毎回私と友達になる前の2年間の話題を出して盛り上がられるのもなんだか悪意を感じてしまう
    なんだか居づらくなって友やめした(された?)

    865 :名無しさん@おーぷん
    自分語り失礼します。
    両親事故で他界、祖父母も私が生まれる前に鬼籍、叔父叔母は某宗教な家で父母も毛嫌いしてたから頼れない状況だった。
    幸いなことに私には十歳離れ成人してた姉が居た。
    ただ当時は主に私の口の悪さが原因で仲が悪かったから姉に頼るということが選択しになく中学生だった私は「ヤバい詰んだ?」と父母のタヒを受け入れ冷静になった瞬間震えが止まらなかった。

    姉は結婚して妊娠してたからそれこそ私の面倒なんて見れなかった。でもお姑さんにお願いしてくれて色々面倒見てくれた上に姉の義実家に住むことになった。

    私は他人なのにごめんなさいとお姑さんに言ったら「家族だからね。貴女が嫁に行くまで私達が傍に居るからね」と抱きしめてくれたのが衝撃だった。

    なんだかんだと義兄の弟に告白されお付き合い開始、私の24歳の誕生日が先月、交際5年目でプロポーズされた。姉夫婦は同い年で彼は5歳下、私はさらに5歳下。
    姉夫婦は転勤先、義兄の弟は高校大学とスポーツ特待で寮暮らしでずっと私と姑さんの二人暮らしだった。舅さんは昔に病気で他界されてた。

    最近は姉とどちらが姑の介護をするか引き取るかで揉めている。
    姉も私のこと含め姑さんには返しきれない恩が有ると私と同じく姑信者だから譲らず。
    まだ姑元気で「いや施設に入れてよ。やだよ嫁に下の世話とかさせるの」と苦笑いされてる。嫁に負担をかけたくないという良姑。

    来週末は新居を見に行く。義実家の近所には過疎で空き家や空地が結構有るのでスープの冷めない距離に引越す予定。

    余談だけど姉の息子十歳は幼い頃に働き出した姉の変わりに私が面倒見ることが多かった。そのため私に懐きすぎて本人の叔父であり私の婚約者にいつも悪戯するのを眺めるのが最近の楽しみ。
    背中に氷入れたり靴に玩具の虫入れたり毎回違うから面白い。

    368 :名無しさん@おーぷん
    頭悪いからうまく書けないんだがお手柔らかに頼む。

    友人Aの話。Aは3人兄弟の真ん中で

    A兄 勉強しなくてもオール100点の天才。教科書全部読めば覚えるとか言っちゃう人
    A  脳筋バカ
    A妹 A兄ほどじゃないけど学年10位以内に入るくらい頭はいい

    Aの両親はともに教師で、「勉強できないやつはクズ」が口癖。だから天才A兄を溺愛していた。
    Aは頭は悪いがスポーツ万能で、とある格闘技で大会とか出てたから放任されていた。

    で、問題はA妹。
    A妹も頭が悪いわけじゃなくむしろいい方だったんだが
    いつもA兄と比べられ、テストで98点取ればなんで100点をとれないんだA兄はできるのにと毎日殴られていたらしい。
    A妹は高校に入ってからは友達も作らず必タヒに毎日勉強したが、参考書さらっとよむだけで旧帝大一発合格してしまう兄にかなうはずもなく
    毎日A両親から罵倒される生活を送っていた。

    そのストレスのせいか、A妹は普通にしていれば受かったはずの大学に落ちてしまう。
    そのときA両親はA妹に「お前みたいなできそこないが私たちから生まれたなんて信じられない」と言い放った。
    そしてA妹はその晩首を吊った。

    Aが第一発見者だったんだが、見つけたときリビングにいたA両親に言いに行ったら奴らは顔色一つ変えず「あーとうとうタヒんだか」といったらしい
    しかもその後親戚にも知らせず葬儀もしなかった。
    そして人づてにA妹がタヒんだと聞いた親戚が文句を言いに来たときも、「あれを娘と思ったことはない」と言ったそう。


    自分の娘がタヒんだのに葬式もあげず「あれ」呼ばわりする親がこの世に存在するってことが衝撃的だった。

    ちなみにこれ、去年の話。
    Aは放任されてたし中学から寮生活してたからA妹があんな状態になっているなんて知らなかったらしい。

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