日々鍛練/生涯修行

ありがとう

極真空手では挨拶も返事も「押忍」

話を聞いている時は「はい」「いいえ」を、組手の前後は「お願いします」「ありがとうございました」など、全部を「押忍」で表します。

試合に出ていた頃、試合後に握手する際には必ず「ありがとうございました」と言っていました。

試合が出来るのも相手がいてくれるお陰です。

たとえ反則をされたとしても憎しみなどはどこにもなく、勝っても負けても相手には感謝しかありませんでした。

 

「ありがとう」は「有難う」と書きます。

「有ることが難しい」という意味だと解釈しています。

そう思えば、普段何気なく普通だと思っていることも全て有難いことです。

 

仕事があること。学校に行けること。ご飯が食べられること。帰る家があること。

災害があればこういう日常も一瞬で消えてしまいます。

 

視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚。

今まで普通にあったものが一つでもなくなれば、途端に生きづらくなってしまいます。

 

そもそも自分の存在そのものが奇跡の連続です。

自分の父と母が出会い自分が生まれ、その父の親と母の親が出会い、そのまた親・・・と限りなく奇跡が重なって自分が今ここにいます。

 

花や木などの植物も、虫や動物も、乗っている自転車や車も、持っているスマホやゲームも。

人間に限らず世の中のもの全てが奇跡の連続で生まれています。

そう思えば、どれもこれも有難く思い大切にするはずです。

 

意見の食い違いや、自分と合わない人に出会ったり、仕事や学校で嫌なこともあるでしょう。

友達や家族と喧嘩することもあるでしょう。

それもこれも自分も相手も存在するからできる経験です。

 

私自身もそうですが、どうしてもそういう日常の有難さを忘れ、不平不満や文句を言ってしまいがちです。

まずは、日常の有難さに気付き、「ありがとう」の言葉を素直に伝えられるようにしていきたいものです。

押忍。

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日本人として

今日は子供のころに虫捕りやかくれんぼなどをしてよく遊んでいた神社のお祭り。神社の下に入ってアリジゴクを捕まえたりしていました。

大森神社

主祭神は大穴牟遅命(おおなむちのみこと)聞きなれない人もいるかもしれませんが、大国主命の別名です。

祭りでは神楽も行われ、子供の頃は毎年行っていました。

小学生の頃、「島根の歴史ものがたり」という本や、名前は忘れましたが古事記など神話が書いてある本、小泉八雲の本の3冊を寝る前に少しずつ読んでいました。

子供の頃は、読書が好きなわけでもなくどちらかというと苦手。

それでも古事記だけは何度も何度も読んでいました。

そのため学校で歴史を習うといろいろ不思議に思うことが出てきました。

 

古事記では神様だったのが、神武天皇から人になり、今の天皇もおられる。どういうこと?

西暦はキリストが生まれた日。イエス・キリスト様が人や物など万物を創造された。じゃあ西洋では紀元前の人は人ではない?

こんなことを思い、社会の授業の後、先生に質問をしましたが、怪訝そうな感じでまともに相手にされませんでした。

それ以来こういう話は誰にもしなくなりました。

 

しかし、最近稽古をやればやるほど、縄文時代の人の素晴らしさや日本人としての素晴らしさを感じます。

それに気が付いたお陰で以前より強くなっている実感があります。

 

稽古中、時々子供たちに話します。

縄文時には争った跡がなく平和に暮らしていたことや、昔の人は体も強く感覚も研ぎ澄まされていたはず。

日本語には言霊(ことだま)があり、あいさつの中に意味があるからきちんとした方が良い。

私はこんな意味が込められてると思っています。

いただきますは、植物や動物の「命を頂戴します」「私の命にさせていただきます

ごちそうさまは、漢字で書くと御馳走様。走り回って食材を集め料理を作る様子。作ってくれた人や食材として命を分けてもらったものへの感謝。

いってきますは、必ず生きて帰って来ます。(きてかえってきます

いってらっしゃいは、どうか無事に生きて帰っていらしてください。(きてかえってらっしゃい

ただいまは、お陰様で無事にたった今帰りました。

おかえりなさいは、よく御無事でお帰りって下さいました。

 

みんな外で遊んでいますか?学校の行き帰りでも自然を感じるようにして下さい。家の中にばかりいるとストレスが溜まり感覚が鈍るよ。

もうすぐ紅葉の時期。木や山の色を見るようにして下さい。暖色寒色といわれるように、本来人は目を閉じていても色によって暖かさの違いが分かる。試しに色鉛筆とかを使って家でやってみて下さい。

秋は虫の声も沢山聞こえるけどみんな聞いてる?うるさく感じる?心地よく感じる?

日本人は虫の声を人間の声と同じように左脳で認識しているけど、ほとんどの外国の人は右脳で認識しているから雑音に聞こえるそうです。

これは日本語が自然の音の中から出来た言葉だからだと思います。

ゲームも友達や兄弟と仲良くなる良い道具。遊べばいいよ。

でも外に出て遊ぶことも大事。外に出てぼうっとするだけでも元気になって強くなるよ。

 

今週そんなことを話していたら、たまたまこんな動画を見ました。

TOLAND VLOG youtube「全ての日本人は見てください」 「日本が大きく変わる日」

 

日々の稽古を通じ、子供たちの身体能力や感覚を向上させて強くなってもらいたい。

強くなれば心に余裕が出来ます。余裕が出来れば人にも優しく出来ます。

心に余裕を持って一生平和に暮らして欲しい。そんな思いで指導しています。

 

また空手を通じ道場生のご家族にも武道に触れてもらいたい。

空手をしなくても、武道を近くで見て日本人としての大切なことを忘れない様にしてもらいたい。

そんな風に思っています。

 

毎日の忙しさの中で、自然に触れる機会が減っていませんか?

「忙しい」はりっしんべんに亡くなる。心が亡くなると書きます。

スマホやパソコンを持って下ばかり見ず、たまには空を見上げて下さい。

子供の頃は、ただぼうっと空を見上げていたり、今よりもっと虫や草花を見ていたはずです。

心に余裕が出来ると人に、何度言っても言うことをきかない我が子の見え方も変わるはず。

叱り方も変わるかもしれませんね☺

 

世界中あちらこちらで衝突が起きているこの時代です。

小さな衝突の積み重ねがやがて大きな衝突に繋がります。

少しでも衝突が減るように、将来子供たちが安心して暮らせるように、日本人らしく心に余裕を持って過ごしていきましょう。

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挨拶は感謝と元気のお裾分け

最近、元気よく挨拶できる子が増えてきました。

稽古の行き帰り誰かに会ったら「こんにちは」

施設に入る時には「失礼します」

迎えに来られたお母さんたちには「こんばんは」

道場の出入り、道場生には「押忍」

当たり前のことを当たり前にするだけですが、入門したばかりの子は大多数が出来ません。

入門して暫くは「あいさつしたかな?」「忘れたならもう一回入るところからやり直そうか」そんな風に声を掛けます。

中には何度言っても変わらず、一年以上経っても挨拶が出来ない子もいて、こうなってくると当然私に叱られます。

 

何回言っても挨拶が出来ないようなら稽古はさせません!もう一回やり直して!

道場がなかったら雨でも雪でもカンカン照りでも外で稽古しなくちゃいけないぞ。

相手がいなかったらミットも組手も試合もできないぞ。

だから「よろしくお願いします」「ありがとうございました」という感謝の気持ちで挨拶しなければならない。

物を大事に使うことも同じ。鉛筆なかったら字もかけない。茶碗や汁椀、箸がなかったら、熱い食べ物手で食べるか?

土があり雨が降るから植物が育ち、植物があるから空気がある。

そういう色んなものに感謝する気持ちが挨拶になって表れる。

だからちゃんと挨拶しなさい。

こんな話を時々します。

 

自分たちの子供の頃は、学校の行き帰りに農作業の人に出会うことも多く、みんな普通に挨拶していました。

登下校中に横断歩道で止まってくれた車にも「ありがとうございました!」と大きな声で挨拶をしていました。地元の小学校では今でもよく見かける光景です。

最近は変な人もいるからむやみに挨拶するなといわれることもあるそうなのですが、私はそういう風にして他人を拒絶するから余計に変な人が増えると思います。

 

子供の頃、挨拶しても絶対挨拶しないおじいさんがいました。

学校の行き帰りたまに見掛けて、誰が挨拶しても完全無視。

「あの人挨拶しても絶対しないから俺もやらない」みんながこう言っていました。

私は挨拶するのが当たり前になっていたので、別に気にせずいつも挨拶していました。

そうしている内にいつの間にか挨拶を返してくれるようになっていたのですが、自分では返されようが返されまいが気にしていなかったので、一緒にいた友達に言われて初めて気が付きました。

 

道場に入って来る時の挨拶一つで子供たちのやる気や元気が分かります。

機嫌が悪い時や落ち込んでいる時に積極的に挨拶できる人は少ないと思います。

自分から元気よく挨拶して、そういう人に元気のお裾分けをしてあげて下さい。

特に子供たちの挨拶には元気がいっぱい詰まっています。

たかが挨拶一つですが、お互いに元気を与えあって機嫌が悪い人が減れば、もしかしたら悪い事件も減るかもしれません。

稽古の時だけでなく普段から気持ちの良い挨拶を心掛けましょう。

押忍。

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叱りの流儀

昔は悪いことをしたら叱られることは当たり前でした。

子供の頃は、友達と悪さをして「コラー‼」と知らないおじさんに叱られゲンコツをもらう何てこともありました。

今の子は近所のおじさんに叱られることも無くなり、叱られる経験も少なくなってきていると思います。

 

私は叱る時に心掛けていることがあります。

1回目は悪いことだと伝える。

2回目は諭す。

3回目は叱る。

仏の顔も三度撫ずれば腹立つ。仏の顔も三度までです。

もう一つは引きずらないこと。できるだけその場で終わらせます。

 

稽古中に叱られる人もいますが、何度も何度も同じ間違いをするからです。

話を聞いていない。よそ見ばかりしている。ルールを守らない。

こういう時に叱られます。

技が出来ないのは仕方ありません。

出来ないままにせず、自分の出来る範囲で努力していけば良いだけです。

その子の性格や稽古に来た時の様子を見て、叱り方もある程度変えます。

ただ悪いことは悪い。良いことは良いと明確に分かるようにしています。

そうしないと子供は混乱してしまいます。

 

社会に出れば理不尽なことで叱られることもあります。

自分のミスなら謝るより仕方ありませんが、無理難題を言われたり、勝手に勘違いして怒っているような人もいます。

自分だけはそんなことが無いように、昔から自分がされて嫌だったことは、出来るだけ後輩たちにはしないようにしてきました。

そのお陰で今もお付き合いをさせてもらっている人が多いと思っています。

 

叱られる時にも心掛けていることがあります。

叱られるのは当たり前だと思い、自分のミスは隠さない。

自分が悪いと思ったら誠心誠意謝る。

相手が間違っていることは間違っていると伝える。

叱られた後は切り替えるために、空を見る。

 

理不尽なことで叱られた時はどうするか。

こういう人に出会った時は、言っても駄目だなと思ったらスイッチを切るようにしています。

怒りに任せまくし立てている相手に何を言っても通じません。

蝉が鳴いているのに向かって、必死に言い返しているようなものです。

一度スイッチをオフにして「かわいそうに」とか「子供だな」と思えば、その場を離れたり、こちらが大人になって頭を下げることもできます。

道場訓にある「謙譲の美徳」です。

 

道場では悪いことは悪いと叱り、良いことは良いと褒めます。

時には叱られることもあるでしょう。

叱られても落ち込まず、自分なりの切り替え方法を身に付けて下さい。

社会に出る前に叱られることにも慣れ、打たれ強い人になって欲しいと思います。

押忍。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白と黒

先日の稽古でこんな話をしました。

「空手に先手なし」「力なき正義は無力。正義なき力は暴力」「空手に先手あり、しかれど私闘なし」

型は受けから始まります。これこそ空手の精神です。

自己を磨き高め、手足に刃物を身に付ける。闘えば相手を殺しかねない状態です。

そうなれば簡単に戦うことはできません。

「話し合えば分かる」「言って聞かせる」「暴力は絶対にいけない」

こういう言葉をよく聞きます。まさにその通りです。

しかし、誘拐犯が今まさに我が子を連れ去ろうとしている時、「私の子です。やめて下さい」「やめろ!その手を離せ!」そんなことを言ってもどうしようもありません。

親なら自分がやられようがなんだろうが、殴ってでも噛みついてでも子供を助けるでしょう。

 

岐阜市では中3の男子生徒から渡されたメモを担任がシュレッダーで廃棄。

亡くなった子はメモを渡すにも勇気がいったことでしょう。きっと先生が助けてくれると思ったに違いありません。

繰り返される児童虐待事件でも同じ。問題意識が低く、動かない担任。担任任せの校長。話を聞くだけの教育委員会。

また、こういう事件が起きた時、原因を調査すると言いながら、それに関連した証拠や文書が必ずと言っていいほど無くなっています。

会見で謝るのは話を聞いていただけの教育委員会のトップ。「ということのようです」「そこまでは…」「係争中ですので控えさせていただきます」

全く他人事!毎回こういう言葉で片付けられてしまいます。

トップが謝罪して、担任が転勤や辞職。そしてまた同じような問題が繰り返される。子供たちよりも自分達の保身が優先です。

 

埼玉では中学生が同級生を刺殺。幼い頃から仲が良く、お互いの家を行き来する仲で、事件当日も一緒にテスト勉強をしていたとか。学校の下校時間から推測すると、家に着いてから犯行時間まで30分くらい。

思春期の男の子です。意見の食い違いや勘違いから喧嘩になることはあります。時には取っ組み合いの喧嘩になることもあるでしょう。しかし、それを飛び越え、人を刺すとは…。信じられません。

 

電車の車両に強い人間が一人いれば、その車両での犯罪は減るという話を聞いたことがあります。草食動物がライオンの前を避けるように、人間も身の危険を本能的に感じ取っているからだと思います。

極真空手には学校関係者の方が大勢おられます。岡崎師範は中学校の校長先生。山陰支部にも様々な学校の先生がいて、今はどうかわかりませんが教育委員会や児童相談所の人もいます。

きっとこの方たちの学校では問題も他校と比べ少ないのではないかと思います。また、この人たちなら問題が起こってもテレビで見るような対応はされないと思います。

 

昔から悪者や悪い行いは闇社会や闇営業など色でいうと黒色に例えられます。

白い水は一滴の黒色では真っ黒になりません。黒い水は一滴の白色では純白にはなりません。

自分さえ良ければ…。自分一人ぐらいは…。そういう小さなことの積み重ねが、他人に迷惑を掛け知らず知らずの内に社会を暗くしていきます。

人は人と関わらずに生きていけません。意見が合わなけれぶつかることもあるでしょう。違法なことや違法でなくてもモラルに反することをする人もいます。

その中で流されず正しく生きていくためにも、強く優しくなってもらいたい。

強く優しくなれば自然に周りにも良い影響を与えられると思います。

自分の行動は社会を白くする一滴か、それとも黒くする一滴か。

一人一人の力は僅かかもしれませんが、自分の行動一つも社会に繋がっていると認識し、明るい世の中になるように日々を過ごしましょう。

押忍。

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道端のタンポポ

「人づくり革命」などといわれていますが、人は「つくる」ものではなく「育てる」ものです。

また、人は自ら育ちます。手を加え教えすぎるのは、自ら考え育つ機会を奪うことになってしまいます。

植物で例えるなら、まずは土壌作りをしっかり行います。その環境に種を撒いたら、土を構うことはありません。あれこれ土をいじったりしたら芽も出なくなってしまいます。

芽が出てからは雑草を取り除いたり、害虫が付いたら取り除き、倒れそうなら支柱を立てます。

果物などは雑草を取らず厳しい環境で育てた方が、小さいけど甘くなるという話もあります。

温室で無菌状態で育ててれば、思い通りに育つかも知れません。しかし、一歩外に出れば、雨風や害虫など、困難な状況が待ち受けています。

人を育てることに関しても同じで、自ら経験して学んでいける環境を整えてあげることが大切だと思います。

必要な時に必要なことを教え、時には少々難しいことにも挑戦させ、失敗を経験させることも必要です。失敗をすると可哀相だからと、先回りして全部教えてしまうことの方が可哀相なことだと思います。

自分が就職した頃はバブル期で、入社1年あまりで客先に打ち合わせに行くなど、企業にも人を育てる余裕がありました。

目先の利益ばかりに目を向け、即戦力を集めても、いずれ下降していきます。それよりも、失敗しても温かく見守り、長い目で育てていく方が結果的には大きな力になるのではないでしょうか。

そういう思いで道場の指導にもあたっているので、試合に出てもなかなか結果が伴わなず、「うちの子には向かない」「うちの子は才能が無い」とお思いの親御さんもいらっしゃると思います。

しかし、通っている子はそれぞれのペースで確実に成長しています。

試合結果はどうしても相手との比較になってしまいます。試合結果よりもそれぞれの成長の方が大切だと考えているので、試合で勝っても学んだことが発揮出来ていなければ不合格。負けても学んだことが出ていれば合格といっています。

試合や稽古を通じ、自分で考え挑戦し経験することで、社会に出て困難にぶち当たっても、自ら切り開いていける力を育てます。

また、少々叱られてもどうってことないと思えるくらいの心の強さを身に付けて社会に出そうと思っています。

温室育ちではなく、道端のタンポポのように、踏まれても踏まれても花を咲かせ、いずれ綿毛となって、目指す世界へ大きく飛んでいって欲しいと思います。

押忍。

当たり前

先日観た番組で、防犯のため子供に挨拶をさせない家庭が増えていると言っていました。

子供が巻き込まれる犯罪が増えているとはいえ悲しい世の中になったものです。

まだ自分の周辺ではそういう現象は見掛けませんが、そのうち出雲でもそうなってしまうのでしょうか。

横断歩道を渡ろうとしている子を見て、停まってあげると、「ありがとうございました!」と頭を下げてくれます。

コンビニを出る時、入ってくる人のためドアを開けていると「すみません」と言われます。

こんな普通の光景も消えていくのでしょうか。

番組では迷子の子に声を掛けて一緒に親を探していたら、親が帰ってきて「うちの子になにするの!」って叱られた。そんな話もしていました。

少し前のことです。ドームの駐車場で首も座らないような赤ちゃんを抱っこしたご婦人にすれ違いました。多分お孫さんを抱いておられたと思います。

肩に鞄を掛け、両手で抱いてどうやって車の鍵を開けるのだろう?最近の車はキーレスだのスマートキーだのあるから大丈夫かと思いながらも気になって振り返りました。

すると車のそばで鞄に手を入れゴソゴソされていました。鞄の中も見えないので探し物は見つからない様子。赤ちゃんはグラグラしています

慌てて近づき「大丈夫ですか?手伝いましょうか?」と声を掛けました。

「すみません。内側に鍵があると思うので出して頂けますか?出してもらえれば大丈夫ですので」と言われ、肩から鞄を外し、中から鍵を取り出しました。

大丈夫と言われたけどどう見ても大丈夫そうではなかったので、ドアを開け、隣の車にぶつからないように、また頭を打たないように、チャイルドシートに寝かされるまでお手伝いしました。

都会では坊主頭のおっさんが近づいて声を掛けた時点で不審者扱いだったでしょう

挨拶をする。他人が困っていたら自分の出来ることをする。

同じ時代、同じ場所で生きていることは奇跡です。そんな人のため、ほんの少しの思いやりや気遣いも出来ないような世の中にはなって欲しくない。

当たり前のことが当たり前にできる。世の中捨てたもんじゃない。そう思える世の中が続くように自分の出来ることをしていきましょう。

押忍。

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時間の価値

大会が終わるたびに思います。「今回もみんなに助けられたなぁ」と。

かつて少年部で活躍していた子も家族で見に来てくれました。在籍中は行事の度にご父兄の方にも協力して頂いていました。その節はお世話になりました。今回も協賛広告を出して頂いた方もいらしたようで本当に有難うございました。

前日の設営。スタッフ名簿には十人ほどしかなく、何時まで掛かるのだろうと思っていました。しかし、会場に行ってみると大勢の人が手伝いにきてくれていました。

小学生には大変だから断ったのにそれでも二日間手伝ってくれた6年生。

普段は海の上。「すみません。明日は手伝えなくて」そう言って準備に来てくれました。海に出ればまた家族ともしばらくお別れ。そんな貴重な時間を使って手伝いに来てくれました。

大会の時にしか会わない道場生。「久しぶりだね。ありがとう」そう言って声を掛けると「普段稽古に出ていない自分なんかにもスタッフを頼んでもらえて嬉しいです」と答えてくれました。

私も忙しい会社員時代がありました。6時半起床。片道40分。残業で朝8時から夜中の2,3時まで勤務。たまに日が変わる前に会社を出ると早退した気分でした。夜中に稽古をしてシャワーを浴びて寝る。そんな時期がありました。

手伝いに来てくれた人の中にもそんな生活をしている人が大勢いると思います。

米子の強化稽古に山陰各地から稽古に来てくれました。お子さんはもちろん保護者の皆様の貴重な時間を使わせて頂きました。それなのに思うような結果を出せた子は少なかったのではないでしょうか。本当に申し訳ありません。

一日は誰にも24時間です。でもその価値は違います。しばらく家族と会えなくなる人の一日と私の一日。命を預かるお医者さんや消防士の一時間と私の一時間。余命一ヶ月の人の一分と私の一分。

きっと私よりずっと大切な時間を皆さん使って手伝いに来てくれたり稽古に来てくれていると思います。

大切な時間を使わせて頂いていることを自覚し、これからも時間を大切に使って指導していこうと思います。

本当に有難うございました。

押忍。

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卒行はない

「修業」と「修行」

どちらも同じようですが、「業」とは「わざ」で「行」とは「おこない」です。業の修練に励み業の習得を目指すのが「修業」で、行いや立ち振る舞い、精神を高めることを目的とするのが「修行」です。

なので業の修得が終われば卒業となりますが、行いや精神を高めることに終わりはなく、「卒行」はありません。

一度武の道に足を踏み入れたら、生涯修行しなければならず、その覚悟があるかどうかを見極められるのが初段の昇段審査なのではないでしょうか。初段は一段とは言わず、初心に帰るという意味で初段と言われます。これからが本格的な修行の始まりであり、一生続く武の道の入口です。

そういう覚悟がなければ昇段審査を受ける必要もなく、強さを求めるだけなら他にも沢山の格闘技があるので、昇段する前に辞めてそちらを学べば良いのではないかと思います。

試合に出る時は稽古するけど、試合を引退したら稽古をしない。試合を修行の一つとして捉えていないから、こういうことになってしまいます。

試合は勝たなければなりません。しかし、チャンピオンになることが目的ではありません。チャンピオンが偉いわけでもなく、「チャンピオンになるくらいの人は人間的にも素晴らしく周りから尊敬される」というようにならなければなりません。

試合は相手に勝つことが目的ではなく、試合に勝つために必死に稽古して、相手と試し合い、自分の弱さを知り、自己を高めるのが目的です。そういう考えでいれば試合で勝とうが負けようが次の日普通に稽古すると思います。

昇段審査に合格するとレポートを提出します。その中には素晴らしいことが沢山書いてあります。これまでお世話になった人への感謝、これからの意気込みや目標。これを後輩たちが見て、いつか自分も黒帯に!と思っていることでしょう。

こういう後輩たちに手本を示すのが黒帯です。

中には、レポートに良いことを書いていて、これから頑張るだろうと期待していたのに、黒帯になった途端に見なくなるような人がいます。こういう人は師範から頂いた黒帯をどのように考え、何を学んできたのでしょうか。

きっと「修行」ではなく「修業」をしてきて、黒帯になるだけの「業」が身に付いたから、「卒業」していったのでしょう。

これから黒帯を目指す人は、「修行」をしていってもらいたい。そういう考えでいれば空手だけでなく日常生活の中でも、自己を高めることが出来ます。

たとえ勉強や仕事がどんなに忙しくても、どんなに体調が悪くても、出来ることを行う。これが「行」です。

生涯修行。命尽きるまで自己を磨き高めていって欲しいと思います。

押忍。

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棚田

日本の田んぼは、川から取り入れた水を次の田次の田へと繋げていきます。

自分が若い頃、審査や試合になると、道場に集まって先輩が後輩を乗せてみんなで会場に向かっていました。車中ではアドバイスを聞いたり談笑したり、帰りは食事を御馳走になったりしました。

自分が黒帯になったら先輩方にして頂いたことを、次は自分が後輩たちにしていかなければと、ずっと思っていました。

松江に居た時よく飲みに行っていた道場生や、出雲道場から移籍した道場生は、どんなに忙しくても辞めることなく自分のペースで続けていってくれています。職業柄稽古にほとんど出られなくても決して辞めません。これも先輩方にしてもらったように飲み会や行き帰りの車中で築いた関係のお陰だと思います。

高校時代のサッカー部では一年生は玉拾いと声出し、ほとんど練習はさせてもらえませんでした。もちろん試合になんて出してもらえません。それが嫌で2年生で入部し、それまでは幼い頃から可愛がってもらっていた従兄弟の友人に頼み、市の社会人リーグでプレーさせてもらっていました。

入部してからは、下手な上にクソ生意気な自分なのに、先輩たちにとても可愛がってもらいました。家に泊めてもらったり遊びに連れて行ってもらいました。同級生や後輩と違い私だけは先輩に何でも言えるようになっていたので、新入生は玉拾いだけという悪しき伝統は廃止してもらいました。これで一年生でも上手ければレギュラーになれましたが、同時に上手な後輩が沢山いたので、自分がレギュラーから外されそうになるピンチにもなりました(笑)

「源清ければ流れ清し」という諺がありますが、自分が上からされて嫌なことは自分のところで堰き止め、嬉しかったことは下へ流していけば、下流にいる人はいつも綺麗な水の中にいることができます。

空手に出会い、山陰支部に入門し、良い師に出会いました。良い先輩に支えられ、私はいつも綺麗な水の中に居させてもらっています。それなのに自分より下流が濁っては上流の先輩方に申し訳が立ちません。出来ているかどうかは分かりませんが、そういう思いで下流に流していっているつもりでいます。

上流の流れを自分のところで濁らせてしまうかどうかは、自分次第です。自分さえ良ければ下流はどうでも良いと思うのか、より綺麗な水を流すのか。自分のところでゴミが溜まれば流れが無くなることさえあります。

人は一人では強くなれません。生きていくことも出来ません。沢山の人や物のお陰で生かされています。そう思えば自分のところで水を濁らすことはできないはずです。

秋になり稲穂が実っています。下流を想い、お互いを想って、沢山の稲穂が実りました。

お互いのことを想い、濁ることなく下へ下へと流し、みんなで大きな実りを得られるようにしていきましょう。

押忍。

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