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2008年5月 2日 (金)

洋食の歴史(2)・コロッケ

昨日から、日本独自の味として親しまれる《洋食》を幾つか取り上げている。

文明開化がもたらした《洋食》、ハイカラといわれた懐かしい味のルーツは

意外な発展で、すっかり日本の定食になった《洋食》の歴史。

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その2・ジャガ芋コロッケがコロッケ1719

(↑チーズ入りのポテトコロッケ)

ちょっと古い世代なら知ってる歌『コロッケー』

大正期に一世を風靡した歌で、世相を映し出している。

大正6年に帝国劇場で上演された喜劇『ドッチャダンネ』で唄われて、瞬く間に大ヒット。

今日もコロッケ、明日もコロッケ~~」と、巷でもコロッケが大売れ。

コロッケの作り方が始めて紹介されたのは『女鑑』で、明治28年の8月号と12月号である。

ただし、ここで紹介されているコロッケはすでにルーツの面影ではない。

ジャガ芋を使った日本式のコロッケを「クロケット」としているのだ。

ルーツと言われるクリーム仕立てのクロケットは「仏蘭西コロッケ」となって、別格の扱い。

これが、このまま大正期に入り、ジャガ芋のクロケット=コロッケと定着してしまった。

明治末期から大正期の、女学校の“割烹教科書”に出ているのもジャガ芋のコロッケ。

だから、女学校を出たての若奥様が、安上がりでハイカラな惣菜として毎晩のように重宝。

女房貰って嬉しかったが、いつも出てくるオカズはコロッケ~~」と、旦那様を嘆かせたわけだ。

ところで、本式の(クリーム仕立て)クロケットは渡来以来どうなったのか

これは、超高級料理として、鹿鳴館などで出されたそうだ。

大正10年には、赤坂離宮(現・迎賓館)で皇太子(後の昭和天皇)も召し上がった。

昭和初期、3代目総料理長・高石鍈之助氏は、この本式のコロッケを【資生堂パーラー】で「ミートコロッケ」としてメニューに載せた。

巷のジャガ芋コロッケが3個で十銭だった当時、2個で五十銭だったというが、俵型でフンワリした本式のコロッケは大評判になり、あちこちのレストランが取り入れ始めた。1717

(↑コーン入りのクリームコロッケ)

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《ば~ばの食べ物事典》を作りました。ご参考になれば幸甚。

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