洋食の歴史(2)・コロッケ
昨日から、日本独自の味として親しまれる《洋食》を幾つか取り上げている。
文明開化がもたらした《洋食》、ハイカラといわれた懐かしい味のルーツは
意外な発展で、すっかり日本の定食になった《洋食》の歴史。
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(↑チーズ入りのポテトコロッケ)
ちょっと古い世代なら知ってる歌『コロッケー』
大正期に一世を風靡した歌で、世相を映し出している。
大正6年に帝国劇場で上演された喜劇『ドッチャダンネ』で唄われて、瞬く間に大ヒット。
「今日もコロッケ、明日もコロッケ~~」と、巷でもコロッケが大売れ。
コロッケの作り方が始めて紹介されたのは『女鑑』で、明治28年の8月号と12月号である。
ただし、ここで紹介されているコロッケはすでにルーツの面影ではない。
ジャガ芋を使った日本式のコロッケを「クロケット」としているのだ。
ルーツと言われるクリーム仕立てのクロケットは「仏蘭西コロッケ」となって、別格の扱い。
これが、このまま大正期に入り、ジャガ芋のクロケット=コロッケと定着してしまった。
明治末期から大正期の、女学校の“割烹教科書”に出ているのもジャガ芋のコロッケ。
だから、女学校を出たての若奥様が、安上がりでハイカラな惣菜として毎晩のように重宝。
「女房貰って嬉しかったが、いつも出てくるオカズはコロッケ~~」と、旦那様を嘆かせたわけだ。
ところで、本式の(クリーム仕立て)クロケットは渡来以来どうなったのか
これは、超高級料理として、鹿鳴館などで出されたそうだ。
大正10年には、赤坂離宮(現・迎賓館)で皇太子(後の昭和天皇)も召し上がった。
昭和初期、3代目総料理長・高石鍈之助氏は、この本式のコロッケを【資生堂パーラー】で「ミートコロッケ」としてメニューに載せた。
巷のジャガ芋コロッケが3個で十銭だった当時、2個で五十銭だったというが、俵型でフンワリした本式のコロッケは大評判になり、あちこちのレストランが取り入れ始めた。
(↑コーン入りのクリームコロッケ)
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《ば~ばの食べ物事典》を作りました。ご参考になれば幸甚。
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