イイ話の記事一覧

         
2021年06月29日

346 :修羅場な話 2015/05/14(木) 17:27:53 ID:yPf
親父の形見のほぼ半世紀前のSEIKOの時計を時計コレクターの同期に会社の飲み会で爺臭いと馬廘にされた
時計よくわからんし愛着あるからと笑って流してたら70越えの会長が昔若い頃に無理して買ったのと同じだと騒ぎだした
手巻きで正規メーカーもパーツがもうないので修理出来ないまだ動くのかと羨ましがられたが俺はアンティーク時計直せるとこで修理してたので紹介したら凄い喜ばれた
会社で会うたびにスチャっと時計を見せつけてくるお爺さん会長がお茶目で時計も渋く似合っててやっぱり値段だけじゃないなとそのとき衝撃っていうか感動した
形見だと言ったら親父さん幸せもんだと言ってくれて嬉しかった


         
2021年03月23日

299 :修羅場な話 2015/07/26(日) 02:49:00 ID:???
どなたも居らっしゃられないようなので失礼します。

夫とは2回の交際を経て結婚しました
夫は8歳年上、専門学校で同じ学年になり交際を始めました
当時私は普通の高校出て進学、夫は社会人経験を経て入学にという人
食べることが好きな夫はデートのたびに「この店が美味しい」「この辺だったらこの店」と
色々な美味しいお店に連れて行ってくれたのですが、そこはカップルが行くような店ではなく
奥様方やご年配の方、中年のおじさん方が行くようなお店でお値段もそれなり
会計も割り勘にしようと言う私に「店選んだのは俺だし」「年下におごるのも楽しみの1つ」と言って旦那が持ち、流石に悪いからと言うと「今度ケーキでも奢ってくれればいい」と言うばかり
映画代や買い物は私にも出させてくれるのに食事に関しては譲らない夫を当時の私はおじさん臭いと思っていました
あるデートの日同い年の子たちが流行りのカフェやレストランに行ったという話をしているを羨ましく思っていた私は夫に「たまにはお洒落なお店に行きたい」とついこぼしてしましました
すると彼は少し考えた後駅近くの雑居ビルへと私を連れて行きました
狭いエレベーターに乗せられ嫌な予感を感じていた私ですが、着いたのはアンティーク調の喫茶店
確かにお洒落なお店です。ですが私が望んでいたのは年頃のカップルの憩いの場というか、落ち着いたお店ではなくキラキラしたお店
さらに珈琲1杯1000円、ケーキセット1500円に価値観の差を激しく覚え、翌日別れました

その後私は友達の紹介で知り合った同い年の男忄生と付き合い始めました
同い年の彼はなんというか歳相応の無計画な人、デートのたびに「どこいく?」「この後どうする?」「何か食べる?」といった感じ
初めは初々しさというか新鮮さもあり、私がしたかったのはこういうデートと楽しんでいましたが
時間が経ってくると毎回行きあたりばったりな上、夫に連れ行ってもらったお店は割り勘でと言っても「高い」と結局マックやサイゼリヤで済ませることも多々
流行りのお店は混んでて席が開くまで待たされたり、一度目は美味しいと思ったのに二度目、三度目となるとあまり美味しいとは思えず彼とのデート自体が楽しくなくなっていきました
今思うと夫とのデートで席を待つことなんてほとんど無かったです。「ちょっと早いけど」とか「欲しい本あるから少し本屋に寄っていい?」などと混んでる時間を避けたりしてくれました
私の感覚がズレていたのでしょう、友達に相談しても曖昧な返事ばかりされましたし
結局その彼とも別れ、日に日に夫への未練や思いが募りましたが、自分から振っておいて復縁を言い出すなんて浅ましく図々しいと思い毎日悩んでいました

そんなある日学校が終わってから夫に「行きたい店があるんだけど男一人じゃ恥ずかしいから付き合って欲しい」とあんみつ屋に誘われ、行くことになりました
他愛無い世間話をしながら二人であんみつを食べていると「甘いもの食べると心がすっきりするんだよね」と言われ
私の心に気づいていると言うより見透かされていることがわかった私は、自分の考えをすべて打ち明け、もう一度付き合って欲しいと夫にお願いしました
すると夫は「あんみつ奢ってくれたらいいよ」と少し照れながら答えてくれました
その後交際を続け学校を卒業し、一年の同棲を経て結婚
最初に別れる切欠となった喫茶店にはその後何度も二人で行き、プロポーズもそのお店でされました
同棲を始めてからわかったのですが、夫は普段から高いお店に行くわけではなく、デートの時だけ選んでくれていたました
夫曰く「ちょっとは見栄張りたいし、喜んでくれるなら安い」とのこと

久しぶりにその喫茶店に寄ったので、家に帰って夫の写真にその時の思い出を話しました
もうすぐ四回目のお盆、涙と一緒に色んなものが溢れてくるので書かせていただきました
お目汚し失礼しました

         
2020年04月26日

284 :修羅場な話 2015/08/31(月) 20:12:53 ID:Zjs
子供の頃、私の母はよく入院していたので
祖母の家から学校に通う事が多かった。
すごく可愛がって貰ったし、楽しい人だったから大好きだった。
一昨年亡くなったんだが、偶然Googlのストリートビューに
祖母が庭でお花に水やりしてるところが写ってて
(目の所をちょっとだけボカシが入ってるけど)
時々それを見て祖母を思い出したりしてた。
が、新バージョンに代わってから祖母んち自体が更地になってて寂しい。

         
2020年04月25日

376 :修羅場な話 2016/01/13(水) 18:15:28 .net
良いスレだ。
うちの息子も自慢させてください。

社会人3年目になるひとり息子が言った。『父さんと母さんに会わせたい人がいる。』うちの子ももうそんな歳になったか~と感慨深く感じながらも二つ返事で快諾。
恥ずかしそうに連れてきた女性.(以下A)は、少し内気ながらもピンと伸ばした背筋で正座をしていた。そして、息子に良く似て優しい顔をしていた。

一旦切ります。

         
2020年04月07日

817 :修羅場な話 2010/06/29(火) 07:06:02 ID:aR10G69J
スーッとするかは不明ですが

当時中学生の娘、朝普通に家を出るのにたまーに「まだ登校してませんが…」と担当から電話が来る。
娘に突っ込んでも上手い事フカされるので学校で何かあったのかと心配したが
普通に明るく友達の話もしてくるので?と思っていたが
卒業式に近所の動物好きな同級生の奥さん(大邸宅&広大な土地持ち)からニコニコ声を掛けられて謎が解けた。
娘は捨て猫or犬を見付けると遅刻お構いなしで
登校途中の家を片っ端からピンポンして貰い手を見付けてから登校していたらしい。
そのうちの二匹を貰ったらしいが一匹は地域猫にフルボッコにされてる所を助けたらしく
汚いモップみたいな状態だったのに洗ったらお姫様の様な美しいペルシャで
もう一匹は貰ってみたら実はボーダーコリーでそれまでバカ犬だらけの犬達のトップに君臨し
犬達の動き?が良くなったと感謝された。
いや、こちらこそ貰ってくれてありがとうございます…でも娘の遅刻電話貰ったの絶対10回以上あるんだよな。
今日の夕飯辺りにそこんとこもう一度突っ込んでみようかな。

長文スマソ

         
2020年03月20日

160 :修羅場な話 2017/11/25(土) 12:43:11 0.net
自分語りをさせてください、長くなるかもしれません。

20数年前息子を産んだ時、産まれてきた子を見た義母は「バケモノ」だと言いました。義父も言葉を失い、夫を勘当しました。
息子はアルビノとして産まれました、義母は私の白人との浮気を疑いましたが、息子は夫に激似の為その疑いは晴れました。
ですがそんな義母を許せる訳もなく、私たち夫婦は同居を解消し、違う街に引っ越しました。
息子は真っ白の髪、真っ白の肌、瞳は茶色。好奇の目で見られることばかりでしたが、息子は「僕、白くて綺麗なんだよ!」と自慢していました。
私も夫も息子に「白はとっても素敵な色で、純粋な気持ちを持っている人の証拠なんだよ。」と、教えてきました。
息子が小さい頃は、いわゆるキチママに狙われたり、変な中国人にストーキングされたりと多々ありましたが、それでも近所の方や学校の先生のお力添えもあり乗り越えてきました。
高校に入った時は担任に黒く染めろと言われてしまいましたが、理解のある教頭先生がいらしたお陰で解決しました。
社会人になり家を出た息子ですが、大人になるにつれて体質が変わったようで、日傘を使わなくても生活できるようになりました。
相変わらず髪は白いですし、サングラスは必須です。それでもそれをウリにして取引先に出向いているようです。

そんな息子が先日、「母さん、俺、パパになるよ」と夫婦で報告に来てくれました。
夫は柄にもなく号泣しており、私も息子とお嫁さんを抱きしめて泣きました。来年の春には、じぃじとばぁばになります。

買い物中に偶然アルビノの女の子を見かけて、誰かに聞いて欲しくて書き込みました。
長々と失礼しました。フェイクありです。

         
2020年02月16日

368 :修羅場な話 2008/09/02(火) 18:15:32
夫は教師。
クラスに病気で手術を繰り返している生徒がいたんだけど
次に入院することがあれば、もう命が長くないと常々言われてたらしい。
そしてついに、入院せざるを得ない日がやってきた。
夫はその知らせを聞いた日、帰宅したら
2歳の息子を抱きしめておいおい泣いた。ご飯も食べずに泣いてた。
夫の泣くところを初めて見た。

あれから6年たって、こないだの週末。
その元生徒さんがうちに来た。可愛らしい婚約者を連れてた。
彼らが帰った後、夫はもう小学生になってる息子を抱きしめてまたおいおい泣いてた。
息子が嫌がって逃げて、走り回って遊んでる姿を見て、笑いながらまた泣いてた。

         
2020年02月13日

773 :修羅場な話 2009/01/20(火) 10:20:20
長文だが投下させて下さい。


昨年、突発性.難聴と診断された妻。病院に通って服薬治療を続けてきた妻だったが、とうとう先週「このままの聴力で安定して行くでしょう。」と言われて帰って来た。
きっとショック受けてんだろうなーと家に帰ったが、いつも通りのあっけらかんとした妻だった。
「私、手話覚えるしかないかなー。」なんて笑いながら話してた。(静かな場所であれば、響く様な感じだが聞き取れるし話せる程度)
夜子供が寝た後に、これから必要になるかも…?と、二人でゴロゴロしながら筆談をしてみた。
最初は他愛もない話だったんだが、いきなり妻が「ごめんね。辛くなったらいつでも言ってね?私こんなんになっちゃって、いつでも離婚しても良いと思ってるよ。」って書いた。

         
2020年01月30日

701 :修羅場な話 2007/03/25(日) 23:15:54
706 名前:大人になった名無しさん[sage] 投稿日:2007/03/24(土) 03:59:06
うちの父と母は同い年で、生まれた頃からの付き合いだったというのおさななじみ
20の時に結婚したって話だから、ゴールまで20年というそれこそ大恋愛の末に結婚したそうな
いい年こいたおっさんとおばさんがそのへんのバカップルよろしく茶の間で四六時中
イチャイチャしてるような環境で育ったおかげでちょっとやそっとの下世話な話や
街中で平然と抱き合うようなバカップルでも全く腹が立たないのは、
まあ教育のたまものともいえるかもしれないな・・

そんなはた迷惑な中年であったうちの両親だったのだけど、
父が42の時に癌でタヒんでしまうと、いつもはニコニコと笑顔の絶えなかった母が、
人が変わったように暗くふさぎこんでしまうようになった。
息子で長男の俺は、父のタヒも束の間に、どんどんと痩せ細っていく母をなんとか励まそうと
色んな観光旅行に行ってみたり、趣味になるようなものを色々と勧めてみたりしたけれど、
やっぱり母は以前のようないやみのない笑い顔を見せることはどんどん少なくなった。

2つ年の離れた妹と一緒に頭を抱えて、眠れない夜を過ごしたある明け方に、
急に前のような笑顔を顔に浮かべた母がおきてきた。
「何かいいことでもあったの」と聞くと、
「お父さんが夢に出てきて、私のお尻をなでて『やわらかいなあ』って言ったの!」
ととても嬉しそうな顔で母は言った。
何がそんなに嬉しいのかと呆然としている俺達兄妹を尻目に、その日から母は
また少しずつ元気を取り戻していった
このことを思い出すたびに、呆れる気持ちと一緒に
「自分もそんな、それこそ一生もんの相手にめぐりあえるといいな」と
羨ましい気持ちもこみ上げてくる。

なんとなく実家に帰って母の顔を見たら思い出したので書き込んではみたものの、
泣ける話かどうかは怪しいです

         
2020年01月29日

161 :修羅場な話 2006/03/26(日) 10:58:21
中学生の頃、親と喧嘩し、自転車に乗って家を飛び出した。
60km余り離れた叔母の家に行こうと思い立ち、道が判らないので、線路
伝いの道を走った。が、川を渡る時に大きく迂回しなければならず、そこで
方向すら判らなくなってしまった。時間は夜8時を回り、人通りも少なく
なっていた。
閉店しようとしているケーキ屋を見付け、そこの小父さんに道を尋ねた。
小父さんは、目的地を告げると、「え~!そりゃあ自転車じゃ無理やで~」と
言い、「お金出したげる。自転車も預かっといたげるから、電車にしとき」
とまで言ってくれた。元はと言えば、自分の我侭で親と喧嘩した事が発端
だったので、見ず知らずの人のそんな厚意に甘えるわけには行かなかった。
自転車で行く意志が堅い事を見て取り、小父さんは「ちょっと舞ってな」と
シャッターを開けて店の奥に引っ込み、やがて戻ってくると、小さな紙袋
を差し出した。「これを食べながら行きや」
開けると、中は甘い匂いのするクッキーだった。

その日、そのクッキーを頬張りながら、3時間走り、なんとか叔母の家に
辿り着く事が出来た。翌日、自宅に帰ったのだが、親から大目玉を食らった
事は言うまでも無い。

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